4-② 人知れぬ来訪者
それから約一時間後、パレス要塞。
「お疲れ様です、カトル准尉」
人の往来のない門でいまいち必要性の感じられない見張りをしていた黒髪の門兵は、不意にかけられた声に僅かに肩を跳ねさせた。
「ぅわっ!? ロード少尉!?」
「すみません、一応大袈裟に足音を鳴らしてはいたのですが……、随分お疲れのようですね?」
「ももも、申し訳ありません!」
「あ、いえ、別に怒っている訳ではないんです。寧ろ私の方こそ、こんな時間にすみません」
「そういえば……、少尉は何をしておいでで? 今朝の仕事の後は、非番だと伺っておりましたが……」
「それが急に呼び出されてしまいまして。例の事件のことで、ちょっと」
「例の事件……というと、下段で鵺族が出たというあの騒ぎのことですか?」
「そうです。不明瞭な点の多い事件ですから、なにかと調べておくことが多いようで」
「なるほど、それでは今まで下段に?」
「ええ、流石に疲れました」
「お疲れ様です、この後は?」
「一応、家に戻って少し休ませてもらおうかと。お勤め中の准尉に言うのは心苦しいですが……」
「お気になさらず。少尉の日々の働きぶりに比べれば、どうということはありません。――では、どうぞ」
カトル准尉は言いながら、関係者用の通用口を開けた。
ロードは謝辞を言ってそこを通り、門の向こう側へ。彼の後ろに控えて一言も喋らなかった女性軍人も、それに続く。
准尉は、面識のないその女性軍人を一瞥して、
「見ない顔だな……?」
そう呟いたが、
「まぁ、これだけ人の多い職場じゃ無理もない」
気にも留めなかった。
*
「ここまで来ればいいだろう」
要塞を出て、街灯の明かりが届かない路地裏に身を滑り込ませたロードは、そう言って立ち止まった。
己の顎裏の皮膚に手をかけて思いきり引っ張ると、それは頭皮まで綺麗に剥がれる。
その下に隠していた素顔を曝け出して、先ほどまでロードであった男に、
「お疲れ様、ガンナ。助かったわ、どうも有難う」
後ろの小柄な軍人女性――正確にはその変装をした少女が、労いの声をかけた。
「相変わらず化けるのが上手ね? 私には到底無理な芸当だわ」
「専門分野だからな。お前に絡んで来る奴が居なくて良かった」
「それほど彼らも暇じゃないんでしょう。でも、貴方の化けたその〝ロードさん〟が戻ってくれば、私達が潜入したことはすぐにバレてしまうわよ? そのあたり、どうするのかしら」
「ああ、別に問題はない。その〝ロードさん〟は随分なお人好しの様だからな」
「……それがどう関係するの?」
「もし俺たちが潜入したことがバレたら、その対応をしたあの准尉は間違いなく責任を取ることになるだろう。〝ロードさん〟が第三者が自分の姿を借りて潜入したと自覚した上で、それは確かに自分だったと嘘の発言をしない限りはな」
「……つまり同僚を守るために、彼は口を閉ざすっていうの?」
「俺の見立てどおり、彼が慈悲深い愚者であればの話だが。まぁ、たとえ彼が公言したとしても、そう簡単にこちらの足を掴ませるつもりはないさ。――あの方のほうはどうだ?」
「どうもこうもないわ、やっぱりダメよ。全く何も覚えていらっしゃらないみたいだし、コレも効かなかった」
少女は懐から掌大の立方体を取り出して弄ぶ。
黒塗りのそれは、闇夜の中で月光を反射して煌いた。
「ソレは化け物に使用されているものに対してのみ効果を発揮するものだからな、彼女が記憶を失っている原因は、それとは無関係ってことだろう。先の事件のショックで記憶が飛んでいるだけって可能性もある。……まぁ、調べていけばいずれ分かることだ」
二人は軍服も脱いで、小さく丸めて懐に入れていた手提げ袋の中に入れた。
長袖Tシャツとジーンズ姿になった今の彼らは、傍目にはただの一段目市民にしか見えない。
暗がりから出て、二人は違和感なく外の風景に溶け込んだ。まばらに居る人々も、彼らを注視することはない。
二人は中央通りを直進し、反対側からやって来た軍服姿の男とすれ違った。
何事もなく、二人と一人はそのまま互いに背を向けて歩き続ける。
「……間一髪ね?」
「ああ」
短く、楽しそうに言葉を交わす二人には気付かず、
「あー、仕事、戻りたくないなぁ……」
まだ何も知らないロードが、要塞へと帰っていく。
*
同刻、ノブリージュ学院敷地内庭園。
「見て見てラクア! 空がキラキラ光ってる!」
夕暮れまでかかった買い物の後、豪華な夕食を食べて、部屋にあるシャワーを浴びて、パジャマに着替えたリアは今、初めて見る満天の星空にはしゃぎまわっていた。
同じくパジャマ姿のラクアは、ベンチに座って近くの時計を見る。
「確かに綺麗だし凄いけど……、今何時だと思ってるんだ?」
「え? 何時だっけ?」
「一時だよ一時! もうそろそろ寝ないと明日に響くぞ」
「うそ、もうそんな時間なの? ――でも、なんだか全然眠くないや」
景色も、食べるものも、空気の匂いだって違う。
昨日までとは全く別の世界の中に居るのだという興奮が、リアの中には満ちていた。
「明日から、新しい学校生活が始まるんだね……」
「日付が変わってるからもう今日だけど、そうだな。不安か?」
「うーん、不安ももちろんあるけど、今は楽しみかな!」
「それはよかった」
「ラクアは?」
「〝下段の二の舞になりませんように〟」
「大丈夫だよ、今日会った人は皆良い人ばっかりだったし!」
リアは今日のことを思い返しながら弾む声で言って、
「――あ、でもマルナちゃんを虐めてたアイツは嫌な奴だったけど……」
武器屋で会ったガラの悪い青年を思い出してトーンダウン。
「あいつもここの生徒なのかなぁ、次に会ったら今度こそこらしめてやる!」
「やめとけ。――そっちはどうだか知らないけど、俺が今日書店で会った人は、同じ新入生だって言ってたな」
「え、ラクアもう友達できたの!?」
「いや、別に友達ってわけじゃ……、それを言うならリアだって、その〝マルナちゃん〟と友達になれたんだろ?」
「えっへへ~、まぁね! でも、あの子たぶんあたしより年下だろうし、ここの生徒じゃあないかなぁ……」
リアはがっくりと項垂れながら、ラクアの隣に座る。
少しの沈黙の後、ラクアが不意に言った。
「俺たちって、何も知らないよな」
「ん? なにが?」
「一段目のことも、魔族や戦士族のことも。それだけじゃなくて、自分たちが生まれ育った場所のことも、自分自身のことも。今まではそれで何も問題なかったし、気にしたこともなかったけど、バレッドさん達に出会って一段目に来て、自分の見てた世界は恐ろしく狭かったんだなって痛感した」
「あー、そうだね。でも、それはこれから知っていけばいいんじゃない?」
「お前はほんと楽観的だな……、まぁ、それくらい気楽に居た方がいいか」
「そうそう! せっかくこんな素敵なところに来たんだから、堪能しないともったいないよ!」
明るく言うリアを、ラクアが優しい微笑みを湛えながら見つめる。
「なぁリア」
「うん?」
「無理に明るく振舞う必要は無いからな」
リアは驚きに目を見開いて、ラクアを見た。
「……あたしそんな風に見えた?」
「いや、俺が心配し過ぎてるだけかも。違うならいいんだ」
リアはうーんと唸りながら、暫し考える。
「どうだろ、あたしは無理してるつもりは無いけど、無意識にそうしてるのかも。……やっぱり、ちょっと寂しいし」
「うん」
「でも、ラクアが傍に居てくれるから、まだ大丈夫」
リアはすっくと立ち上がって、月光を背に浴びながらラクアの前に立った。
「あたし、ラクアが居てくれて本当によかった。悲しい事も沢山あるけど、ラクアが傍に居てくれることは、それ以上に幸せで恵まれていることなんだって、そう思ってるよ」
そして何の恥ずかしげもなく本心を語ったリアに、
「……俺も、お前に出逢えたことだけは、間違いなく幸運だったと思ってる。これから先何があっても、俺はずっとお前の味方だ、リア」
照れながら嬉しそうに、ラクアも倣った。