4.それぞれが闇の中で
「それで、一体どういうことなんだよ? イアン」
リア達が中央通りでの買い物を済ませたその日の深夜。
ノブリージュ学院敷地内にある教職員寮内、その中の一室で、四人の男がテーブルを挟む二つのソファーに、向かい合って座っていた。
まずは一人、黒のパーカーにジーンズ姿のバレッドが、最初にそう話を切り出す。
「なんで下段に魔族や戦士族が居たんだ? あそこには人間しか居ねぇ筈だろ?」
「私が知っているのは、魔族の少年のことだけなんですがね」
イアンと呼ばれ答えた青年は、バレッドの正面に座っていた。
黒く短い髪は真っ直ぐに伸びていて、白いブラウスに黒のカーディガン、灰色のスラックスという出で立ち。
「その昔、一段目に住んでいたとある男性が、魔族や戦士族との共存を嫌がるほかの人間達と共に下段に移りました。勿論、魔族や戦士族を連れ出すのは禁止でしたし、それを望む者も居ませんでしたから、移ったのは人間だけ――というのは、皆さんご存知ですよね。ただ、その男は魔族の女性との間に子を授かっていて、彼はその相手の女性と子供をこっそり下段に連れ込んでいたんです」
「……いまいち要領を得ないな。魔族の女性との間に子をもうけた、ということは、その男は少なくとも魔族には嫌悪感を抱いていなかったのではないのか? であれば、一段目に残れば良いものを、なぜわざわざ下段に移ったんだ」
疑問を呈したのは、バレッドの隣に座っているウォレア。濃紺のシャツに、白のスラックスを穿いている。
「さぁ、そこまでは知りません。任務遂行上、必要となる最低限の話しか伺っていないので。一段目は人間にとって住みよい環境とは言い難いですし、それが嫌になったのかもしれませんね」
「一段目に残ってる人間のお前がそれを言うか」
イアンの発言に苦笑したのは、彼の隣、ウォレアの正面に座るロード。
皆がラフな服装で居るのに対して、一人だけ堅苦しい軍服姿だ。
「とにかく、そうして隠れていた二人の魔族の存在は、後に下段の住民の密告によって陛下の知るところとなりました。すぐに揃って連行すべきところですが、陛下はその男の嘆願を聞き入れて、譲歩して〝定められた年齢になるまで〟という条件付きで、黙認して差し上げたそうです」
「嘆願、なぁ……」
イアンの説明に、バレッドはいまいち釈然としない面持ちで呟く。
もしそれが本当ならば、何故ラクアはその両親に捨てられ、サテライト家に居るのか。
「そしてこの前がその期日で、迎えに行くのに貴方がたが駆り出された、というわけですね。魔族や戦士族はこの国の大切な宝ですから、その力を下段で潰す訳にもいきませんし」
「……疑問に思う部分が無い訳ではないが、話は分かった。しかし、そのやり取りがあったということは、ベルガモットの両親が今何処に居るか、そちらは把握出来ているんだな?」
ウォレアは半ば確信を持って聞いたのだが、イアンは表情を曇らせて、
「……いえ。実は、その後連絡が取れなくなってしまって。幸い、ラクア君の方はすぐに見つけることが出来ましたが、ご両親は未だ捜索中なんです」
「おいおいマジかよ? そりゃマズいだろ。父親は人間だから良いとしても、魔族の母親は放っておいたら前の事件の二の舞になる可能性だってある」
「彼らがそれを理解していない筈が無いだろう、あまり言ってやるな」
「いえ、バレッドさんの言う通りです。他の暗行御史が今この時も捜索を続けている筈なので、吉報を期待しましょう」
「さいで。じゃあまぁ、坊主の方はそういうことにしとくけどよ、嬢ちゃんの方はどういう経緯で下段に居たんだ?」
バレッドの質問に、またもイアンは浮かない顔で答える。
「彼女の素性については、貴方がたの報告を受けてすぐに各方面に確認しましたが、原種負けした父親のことも含め、誰も何も知らないようです。今度、ステラさんに直接お話を伺いに行こうかと。正直に話して貰えると良いのですが」
「あの人は大丈夫だろ、俺らに対しても友好的だったし。多分下段に連れ込んだ理由だって、坊主の親と似た様なもんだろうしな」
「確かに彼女に関しては、夫や娘のことを心から大事にしているように見えたな」
「それを聞いて安心しましたよ、本当にただ傍に居たいという理由だったのなら、重々酌量の余地がありますからね。まぁ、先の事件の原因を作ったという点では、ある程度お咎めもあるでしょうが。……その件については、お二人もお疲れ様でした」
「原種負け絡みの事件に関われるのは、こちらとしては本望だ。かといって、喜ばしいことでも無いがな。――事後処理で何か収穫は無かったか?」
真剣な眼差しのウォレアに対し、イアンは首を左右に振って答えた。
消沈するバレッドとウォレアに、ロードが苦言を呈する。
「お前らの気持ちはわかるけど、見てるこっちの気にもなってくれよ。原種負けの事件に自ら首突っ込むような真似、本当なら許したくないんだからな」
「……お前が私達を心配してくれる気持ちは素直に有難い、だが――」
「あーはいはいわかってるって、言ってみただけだ」
やれやれと言いたそうに肩をすくめるロードに、ウォレアが申し訳無さそうに謝罪する。
そのやり取りを眺めつつ、イアンはこの場に居る皆の気持ちを代弁した。
「今回の件と言い、原種負けが周囲に与える影響は少なくありませんね。……早くなんとかしなければ」
*
「一体どうなってる!!」
同刻。ノブリージュ王立学院地下、研究所区画。
真っ白な室内に設置された飾り気の無い長机を、無精ひげを生やした男が苛立たしげに叩いた。
彼の周囲には白衣を身に纏った者や軍服を着た者、一見ただの民間人とも思える者など、多種多様な人々が集まっている。髪の色だけが、黒で統一されていた。
「これで何体目だ? 原種の数には限りがあるんだぞ! この調査のためにどれだけの金と手と時間を割いてると思ってる!」
「面目もありません。しかし、何の手がかりもない状況で、居るかどうかもわからない敵を探すのは、なかなか骨の折れる作業でして」
「ほう? そうか、なるほど、〝そんな難しいことは出来ない〟と言いたい訳だな? 言っておくが、もしこの計画が破綻したら、今日この日までに積み重ねてきた血と涙は全て水の泡、俺たちは揃って仲良くあの世行きだ。己の生涯を無駄にしたくなければ、泣き言を言う前に手と頭を動かせ、この無能どもが」
「肝に銘じておきます。――そういえば、この前の一件は結局どうなったので?」
群れの中の一人がそう言って、他の者に目配せした。
白衣を着た男の一人が、それに答える。
「〝下段で起きた〟という点を除けばいつも通りですよ。現場の処理は居合わせたイアンさんを中心に、お手透きの軍の皆さんがやってくれました。もちろん司法解剖はこちらが担当しましたが、まぁ今回も〝例のモノ〟が綺麗さっぱり一掃されているということが分かるだけでしたね。――いやぁ、どんな魔法を使えばあんなことが出来るんでしょうかね? やはり疑わしきは魔族ではありませんか?」
「原種負けで死んでいるのが戦士族だけならば、少しはその意見を聞き入れてやる気も起きるがな。そんな分かりきったことすら覚えていられないほど貴様の頭はお粗末なのか? その魔族様に記憶力を分けてもらってくるといい」
「言ってみただけです。あまりにも成果が上がらないので、たまにこうしたジョークを飛ばさないとやってられないんですよ」
「ふん。まぁいい、首謀者の目星ぐらいはついている。――あの男、情けをかけてやった恩を、よくぞここまで仇で返せるな。見つけ出したら八つ裂きにしてやる」
「いやぁ、まだ不慮の事故って可能性もあるんじゃないっすか? 〝例のモノ〟だって人の手で作ったものなんすから、完璧って訳じゃあないでしょうよ」
私服姿の男の発言に、無精髭の男は面倒臭そうに答える。
「それは一番最初に疑った。博士にも直接そう言った。だがそれは有り得んと断固否定された、大層ご立腹でな」
「それで信じたんすか?」
「半々だ。あまりじーさんの機嫌を損ねるのは好ましくない。扱いづらい年寄りは嫌いだが、あの頭脳はこの計画の要だからな」
「ええ。それに博士の腕は帝国も認めるものですよ? 事故の可能性が全く無いとは言いませんが、極めて低いと思っていいでしょう」
「うーん……、でも下段の皆さんの仕業だとして、事件は今回のことを除いて全部一段目で起こってるんすよ? それってつまり、警備を掻い潜って一段目に来てるってことじゃないっすか。パレス要塞の皆さんは、そのへんどうお考えなんすかね?」
発言権は最初に喋っていた軍服の男へと戻った。
侮蔑の意味を込めて投げかけられた問いに、男はあからさまに気分を害しながら、
「そうですね、認めたくはありませんが、我々の働きが足りないということなのでしょう。自己の体裁を守るための発言を許されるのであれば、ずぶの素人である筈の下段の皆さんの潜入を見落とすほど、我々の眼は悪くないとだけ言わせていただきたいのですが」
「俺もそう思う。だがな、事実こうして事件は起こってる。軍に協力者がいる可能性もあるだろう」
「その確認は随分と前に終わった筈ですが?」
「その確認も完璧とは言えんだろうが。――もういい、可能性の話をしていてもキリがない、とにかく今は対策を取るのが先だ。博士から連絡は?」
無精髭の男の視線は、軍服の男から白衣の男へと移る。
「まだですね。年度初めですし、お店の方が忙しいのでしょう」
「くそったれ! 何が店だ! あんなもんは計画達成までの仮住まいに過ぎんだろうが! こっちを優先しろ!!」
「それには同意権ですが、私には伝える勇気がありませんので、ご自身の口からお願いしますね」
「…………、ああくそっ」
「まぁそう気を落とさずに。連絡を待つ間、やれる事はまだあるでしょう? 下段に現れた謎の戦士族さんの出所の調査だとか、二人の興味深いお子さんの観察だとか。――あの子たち、下段で妙な話を吹き込まれていないといいですね?」
無精髭の男は、馬鹿にしたように軽く笑って、
「ガキ二人に何が出来る? ――まぁ、念には念をだ。おい、聞いているか?」
この話し合いが始まってから初めて、壁際で俯いていた少年へと声をかけた。
「これがお前の初仕事だ、しっかりやれよ」
一度も言葉を発していなかった少年は、覇気の無い声で答える。
「……わかってるよ」