第六話
--油断していたわけではなかった。
本気でやった。本当に殺す気で。向こうは俺を殺そうと闇雲に腕を振り回すだけだった。
ちゃんと見て、避けて、本気で攻撃すれば勝てない相手ではない筈だった。
実際、思いのほかうまくいき、後一押しのところまでいけたのだ。俺はこの日で死ぬ覚悟までしてきてたんだ。
首の骨まで折った。かかと落しも確かな手応えを感じた。
もう、倒したと思ってしまったのが俺の敗因か…
丈夫な筈の体もぼろぼろだ。体の右側は完全に逝った。
感覚がしない。血も止まらない。
ああ、こんな死に方か…
花井が駆け寄ってきた。
なんて顔してんだよ。お前…
俺はいいからさっさと逃げろっての。
おいおい、なんか俺の前で両手広げて突っ立ってる場合か!
逃げろって!逃げてくれ!!
あいつは視界にさえ捕らわれなければ逃げられるのに、花井まで死ぬことなんて無いのに。
口が動かない。
花井!!!!!
「に…げろ。花…井…」
「いやだよ。緒川君残していけない。私じゃ緒川君を担いで走れる力も無いし、あの化け物を相手にできる力も無いの」
頼む!!!
逃げてくれ!!!!
「私は逃げない!!!!!」
影は腕を私達目掛けて振り下ろした。
ちくしょう、ここまでか…
「あきらめるのはまだ早いんじゃないのか?」
突如そんな声がした。
その声の主は影の怪力を片手で受け止め、こちらを見ながらそう言った--
「死ぬ事は逃げる事と一緒なんだぜ?」
彼は続けた。私達を見据えながら。
「それとも投げ捨ててしまうほどの覚悟しかなかったのか?」
挑発の言葉。普段ならこんな幼稚なことに腹を立てたりははしない。でも、私はその言葉が非常に腹立たしかった。
「そんなわけないじゃない!!」
「まだ生きてやりたい事があるか?」
真顔で言われる。そんなの答えるまでもない。
「当たり前でしょ!?私はまだ、何もしてないもの!!」
「そっか。分かった」
彼は私に軽く笑顔を見せた。
「え?」
「助けてやるよ。お前も、そいつも」
私はこの人が何を言っているのか分からなかった。
でもその人は言うが早いか影の化け物を拳で殴り飛ばした。片手で。
その足元には、影。
この人も影を持っていた。
「ふぅ。やれやれ、あいつも酷だな」
ふと横からそんな声が聞こえた。
背中まで伸びた髪をひとつにまとめたその姿は柔らかな印象を受けるが、どこか落ち着いたような、浮世離れしているような、そんなものを感じる女の人が立っていた。
「許せよ。不器用だが悪気があるわけではないんだ。あいつは」
そう言い彼女は影と戦っている男の人から目を離し、瀕死の状態の緒川君の方へ歩み寄った。
やさしくその頬に手を触れる。
「ふふ。大してうまくソーマを扱う事なんてできてなかったのに、なかなか頑張ったじゃないか」
「あ、あの…」
私が声をかけようとした時、不思議なことが起こった。
緒川君の頬に触れていた彼女の手が少しずつひかりだし、見る見るうちに緒川君の傷が治っていったのだ。
かすかに私の頬を風がなぞり、彼女の手の光に包まれていくのを感じる。
やがてひときわ強く光は輝き、その光が消えた時には緒川君の傷はなにも無かったかのように完治していた。
「すごい…」
私は目の前でお起きた奇跡にただ感嘆の声を上げることしか出来なかった。
「なにをしたの?」
「見ての通り回復させたのだが、そうだな…魔法のようなものを使った。とでも言おうか」
彼女がそういった直後、緒川君はその目を開けた。
「どこか痛むか?」
「いや…もう平気みたいだ」
まだ信じられないというような顔をして緒川君は彼女にそういった。
「影は!?」
「安心しろ。もう終わったみたいだ」
あわてたように言う彼を彼女は軽くなだめた。そして視線をあの男の子へ移した。
男の子はこちらに向かって歩いていた。その後ろで崩れ落ちる影。
緒川君を瀕死にした化け物はあの男の子に傷ひとつつける事も出来ずに倒れた。
「ったく、首が折れてんのに厄介だったぜ」
「お前の腕がまだまだだって事だ。精進なさい」
「手厳しいな」
素性の分からないこの二人はそんな風に笑っていた。
「ねぇ、あなた達は一体なんなの…?」
2人に話しかけようとした時、急に緒川君が私にしがみつき、そのままむき出しになっているビルにジャンプした。
いきなりで驚いたが、すぐにそれは私を助けるためだと気付いた。
まだ終わってなどいなかったのだ。
首の骨が折れ、今にも消滅しそうなほど弱った影。
だが、奴はまだ私達を殺そうとしていたのだ。
さっきまでいたところは影の腕力でへこみ、周りの木々や地面そのものをばらばらに粉砕させていた。
ここに来てさらに破壊力が増している。
今度こそ影も本気なのだろう。
先ほどとは比べ物にならないような動きだった。
「うわっ、やべっ!」
「おい斉藤。アレをどう説明する?」
「言い訳をさせてください」
「いいだろう。三文字でなら許してやる」
「感無量」
「貴様は一体何に心動かされたと言うのだ!?」
私達の横でさきほどの2人が言い争っていた。
今まで気がつかなかったが、あの斉藤とか言う人の着ている制服。
紅梅高校の制服だった。
この人、うちの高校の生徒だったんだ…
「あ、ありがとう緒川君」
「いや、いい。それよりもどうなってんだ。何であの化け物はまだ生きてる?」
確かに。
普通の生物であるなら首が折られた時点でもう終わりなはずだった。
影が普通でないのはわかっている事だが、あの状態は異常だ。
首は垂れ下がり、体が動くたびにゆれていて、斉藤と言う人の一戦ですでに体は引きずるように動いていた。
影の歩いた跡に黒い物体が残りすぐに蒸発していく。
よく見ると体のいたるところから液体のように何か垂れている。
影そのものが溶けるように垂れているが、化け物は依然としてその姿を保ちつつ、いきなり視界から消えた私達を探している。
「あいつは『ジョーカー』。この影踏みゲームの主催者が用意したトラップだ」
女の人が影を見ながらそう告げる。
「影を持つものを追い。始末する。その視界で捉えた者を敵とみなして攻撃する非常に気象の荒いドッペルゲンガーだ」
「ジョーカー…」
緒川君が呟く。
その姿を一瞬だけ見て彼女は空を見てはき捨てるように言った。
「全く、このゲームを考案した者の用意周到さには頭が下がる。本当に嫌な奴だ」
「どういう事?」
「あの化け物の存在。あれはこのゲームが持つ秘密のひとつらしいんだ」
斉藤君が答えた。
「ドッペルゲンガーに殺されると、その人はこの世から消える。歴史上そのものからな。自分に殺されるって言うのはそう言う事なんだ」
下で影は地面を殴りつけていた。首が折れた所為でうまく視界が働かないのだろう。
自分で何を壊しているのかも分からないのか、その怪力で今度は木をなぎ倒している。
「普通、自分のドッペルゲンガーは他人を襲わないから自分にさえ会わなければ誰のドッペルゲンガーと遭遇してもなんの心配も無い。だが、人は普通に生活してても死んでしまう人なんてたくさんいる。そうしてあの化け物が現れるんだ」
「え、どういう事?」
「おい、説明を端折るな斉藤、いくつか大切な事が抜けていて私でも分かり辛いぞ」
「悪かったよ。つまりだな、本体を殺すため生まれたドッペルゲンガーが、自分の手で殺せなかった。または何らかの理由で本体が死んでしまった場合。その影は幽鬼となる。ただ存在理由をなくした人形、虚となってそのまま現世に留まり続けるんだ」
「それが、あの化け物」
「それが、『ジョーカー』なのか…?」
私の後に緒川君が言う。
「厳密に言えばちょっと違うんだ」
「虚だけ、つまり単体でなら別に害はない。だが、虚は理由を求めてさまよい、形になる。それが『ジョーカー』だ」
「影を持つ者を追い、始末する存在。つまり、運よく影を取り戻した者はジョーカーに狙われるようになる」
「私がさっき皮肉を込めて嫌な奴だと言ったであろう。全て思惑通りな訳だ」
「好きに抵抗してもいいってのは多分、自然とこうなるって計算された上での事なんだろうな」
このゲームは最低だ。
影をドッペルゲンガーにされた挙句に命を狙われ、もし影を取り戻してたとしても待っているのは地獄だけ。
ジョーカーはどれだけ倒しても消える事は無いだろう。
影に殺されずに違うところで誰かが死ぬ。
事故死や寿命、病気色々だ。
それを食い止める事など出来るはずが無い。
たった一体でもこんなに強いのに、こんなの結局最後にあるのは死だけではないか。
「最低…」
「そうだな。私も同感だ」
女の人はそう言い目を伏せる。
「今この人間道で起きている出来事は史上初の大事件だ。人間にソーマを操る物などほんの一握りだった筈なのに、このような事態が起きてしまっている」
「ソーマ?」
「さっきの魔法みたいな力の事?」
「まぁ、今はそう思ってくれていて構わない」
私の言葉に軽く笑いながら答える彼女はなんだかきれいだった。
「斉藤、奴をどう見る?」
「肉体的に倒すのは無理なんだろうな。さっきの緒川のかかとに俺の攻撃で倒れないとなるとソーマでしか倒せない相手って事になるのか?」
「正解だ。どうやらジョーカーは『アントニム』に少し似ている存在のようだ。多分、あの体もソーマ体なんだろう」
私にはこの2人が何を言っているのか全く分からなかった。
アントニムとかソーマとか聞いたこと無いよ。
あと、斉藤君は緒川君の名前知ってたんだ。
「アントニム。対義語か。」
緒川君が呟いた。
「ほう。なかなかどうして…実に博識ではないか」
「けっ、悪かったなぁ。俺は知らなかったよ」
「わ、私も…」
「なに、気にする事は無い。斉藤のおつむよりも双方の方がいいだろうからな」
「おい、由良。言っておくが俺は成績は学年一位だ」
「……っ!!(私なんかよりいい)」
「……っ!!!(全然馬鹿じゃないじゃねぇか)」
「……っ!!!!(極度の変態馬鹿騒ぎだと思っていたのに)」
「おいなんだその反応は。2人の反応は分かるが由良のは許せないぞ?」
「斉藤の事を本物の変態馬鹿祭りだと思っていたのだが、仕方が無い。案外馬鹿では無いと言うわけか」
「わかりゃいいんだよ」
「今日からお前は変態祭りだな」
「それただの変態だろーーーーが!!」
女の人、由良さんの中で斉藤君=変態になった瞬間でした。
「おい、なんか様子が変だぞ?」
下を見ていた緒川君がジョーカーを指差して言った。
見るとジョーカーは動いてこそいなかったが全身が震えているようだった。
まるで全身に力を入れて力んでいるような光景。
「う、ぅぅ、ぶるぁぁあああ!!!!!!!!!」
ジョーカーが一際大きな声を上げた瞬間、全身から黒い触手のようなものが放たれた。
触手と言うより細い手のようなもの。いや、あれもまさにあいつの手なのかも知れなかった。
その手はいっせいに私達に伸びてきた。
「散れ!」
由良さんの掛け声を合図に皆それぞれ避けた。
由良さんはより上階へ、私と緒川君は地面に、そして斉藤君は影にそのまま突っ込んで行った。
「おらあああああああああああ!!!!」
触手を手で掃いながらそのまま地面に着地した彼にジョーカーはその怪力を振るった。
左からパンチが繰り出される。
「ふん!!!!」
斉藤君はそのパンチを避けるどころか逆にそのパンチに自分の拳を叩き込んだ。
ぶつかり合う拳。
私は彼の事をどう思っていたのだろう。
その光景を見て私は彼は死んだと一瞬思った。
だがそんな事は無かった。
ぶつかり合った瞬間、ジョーカーの左手が破裂し、とび散ったのだ。
ジョーカーは彼との拳合わせにより左腕を失った。
そしてその本体はただうめくだけだった。
「すごい!!」
「花井、此処にいてくれ」
「緒川君?」
「行って来る!」
緒川君は私を建物の柱の影でそう言い、戦闘に参加していった。
先ほど回復したばかりだと言うのに、もっと速く走って。
触手など追いつかない。追いかけてはいるのだが捉える事などできないようだった。
そのまま一直線にジョーカーに向かって突進する。
ジョーカーは残った右腕を振り上げ、緒川君をつぶそうとするが斉藤君にはじかれ見当違いなところをついてしまう。
緒川君はそのまま懐に入り、垂れ下がった頭を思い切り蹴り上げた。
吹き飛ぶ頭部。
だがジョーカーは触手をお腹の部分から出して緒川君を捕まえ、右手で斉藤君を掴んだ。
「やべっ!」
「頭まで無くした状態でなんで動けるんだ!?」
「きっとこやつは体のどこかに核を持つ個体なのであろう?」
由良さんが喋りながら大きな鎌を一閃する。
右腕と触手が切れ、解放された二人はすぐにジョーカーから距離をとる。
「おそらくあの触手が真ん中辺りから出てるところを見るとそのどてっぱらを切断してやればよさそうだな」
由良さんは残虐な笑みを浮かべながら言った。
あんな鎌どっから出したんだろう…
だがもう決着がつきそうだった。
由良さんにはもう弱点が分かっているようだし、すでに相手は両手と頭も失っている。
皆怪我ひとつ無い状態でジョーカーを追い詰めたのだ。
私は胸を撫で下ろしていた。
一瞬の油断、気の緩み。何度ジョーカーの前で失敗したのだろう。
私はその時、後ろからジョーカーの触手が迫っていた事に全く気がつかなかった。
それは他の3人も同じだった。
影の在る者を狙うジョーカー。
影を持た無い者は襲わない。
それもおかしな話だった。
私がジョーカーから初めて逃げた時、私は確か襲われた。
ジョーカーの攻撃に直撃しなかったものの、私は飛ばされ、緒川君に助けられたからよかったものの、本当ならあれでもう死んでいたかも知れない。
あれはただ運がよかっただけだ。
そもそもジョーカーが影の無いものは襲わないと誰が言ったと言うのだ。
…誰も言ってなどいない。ジョーカーはその目に映るものを襲う化け物だった。
ただその習性として影の在る者を狙うだけ。
自らの本体を殺す事の出来なかったドッペルゲンガーの成れの果て…今分かった。
勘違いをしていた。
ジョーカーのことも。
何故緒川君が化け物と言われ続けていたのかも。
皆にはあれが見えていないのだ。
この化け物が、ジョーカーが。
普通に皆にもあの化け物を皆が見えていたなら報道されていない訳がない。
私達には見えていても、普通の人には見えてなどいなかったのだ。
だから皆も緒川君を化け物と言い、罵り、蔑んだのだ。
周りの人には真実が見えないのに、高谷君は化け物に殺されたとただ一人その真実を知っていて生きている緒川君の事を化け物だと判断したのだ。
分からなかったから。緒川君の言っている事が本当か嘘か分からなかったから。
常識の範疇でしか考えられなかった皆は高谷君を殺した化け物は緒川君自身の影だと思い込んだのだ。
今やっと分かった真実。
でもそんな事を思ってももう仕方も無い事だった。
もう過ぎてしまった事だし、何よりも…
今、私達は本当のピンチに陥っているから…




