第五話
私は緒川君にお姫様抱っこの体制で抱えられていた。
影の一撃により吹き飛ばされた私は、空中で緒川君にキャッチされたようだった。
私が彼を見上げても彼は影から一切目を離さなかった。
影を見るとその拳はアスファルトにめり込み、地面はえぐれていた。
それに巻きこまれて私の自転車は大破してしまっていた。
私は運よく投げ出されたと言ったほうがいいみたいだ。
でもこの体勢はなかなか恥ずかしい。
「あ、ありがとう。緒川君」
「なんで此処にいるんだ?」
「緒川君を一人に出来なかったからだよ」
はっきりとした口調でそう言った。
彼は軽くため息を吐いて影の化け物を見据える。
「今から帰れなんていえないしな」
「ひどい。せっかく来たのに」
「あいつの速度にお前がついていけてないから今お前を一人にするのは危険すぎる」
「あ……」
そうだった。私はあいつがいつ正面に回りこんでいたのか全く分からなかった。
確かにそれではただの邪魔にしかならない。
「ごめんなさい」
「いや、いい。お前が少し我慢してくれれば」
彼はそう言い、私を抱えたまま走り出した。
すごい速さで周りの景色が過ぎていく。
「緒川君、どこに行くの?」
「駅の近くに廃ビルがあった。あそこなら誰にも迷惑がかからないうえに広い。此処よりいい場所なんだ」
「私、力にはなれそうにない?」
「いや、そんなこと無い。もう十分だ」
「私はどうしたらいいの?」
「あそこなら隠れられるところもある。そこで隠れてろ。あいつは影の在る者と視界の中にいる者をターゲットにしてるから、多分花井は隠れれば平気なはずだ」
そうか、私があいつを目撃してからしばらく何事も無かったのは認識すらされてなかったからだったんだ。
逃げ出して初めて見つかったんだろう。
「ねぇ、緒川君…」
「ん?」
「あの、その、おんぶにしてもらえないかな…?」
「おんぶ?」
「あの、恥ずかしくて…」
「別に俺はいいけど、おんぶにしたら花井は俺にしがみついて胸を俺の背中に押し付ける形になって、俺が花井の胸の大きさが分かると言う事になりかけ…」
「このままでお願いします!!!」
「まぁ、我慢してくれ」
私は顔を真っ赤にしていたが、彼はなんとなく楽しそうに話していた。
正直、笑っていられるような状況ではなかったが、確かに彼は笑っていた。
だが、楽しい時間もそれまで。
影は後ろから明らかに近づいてきていた。
「緒川君、上!!」
「っ!!」
私が緒川君に叫ぶと同時に、緒川君は十字路を右折して避けた。
影が高く飛び上がりそのまま私たちをつぶそうとしたのだ。
十字路のアスファルトがえぐれる。
それにしてもあの化け物の俊敏さには恐れ入る。
あの巨体にしてあの速さ。そしてアスファルトをえぐるパワー。
一撃でも食らえばアウトだろう。
「うがあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
影はうなり声を上げえぐれたアスファルトの破片を投げつけてくる。
あんなの食らったら絶対にヤバイ。
「右!!」
「は?」
「いいから、右に避けて!!」
「わ、わかった」
さっきまで走っていたところにアスファルトが飛んできた。
危機一髪。緒川君は化け物に対して背中を向けているから気がつかなかったようだ。
「あぶねーーー」
「また来た、左!!」
アスファルトは次々に飛んできては私達の横を転がったり破裂したりしていた。
私もこのスピードに目が慣れてきたのでサポートとしてちゃんと役に立てていた。
私がふと息を吐いた瞬間影はアスファルトではなく、車を掴んでこちらに投げつけてきた。
すごい勢いで飛んでくる車、ライナー気味な直線運動だったがその勢いは全く衰える気配などなく、まっすぐに飛んできていた。
狭い道を左右に避けてどうこうなるものじゃない。大きすぎる。
「緒川君、車が飛んでくるよ!!」
「花井、しっかりつかまってろよ」
「えっ?うわっ!!」
彼の言葉に戸惑った私はいきなりのことに驚いた。
彼は高く飛び上がった。いや、ただのジャンプなのかも知れない。でも彼は私を抱えたまま家の屋根に飛び上がりそのまま今までの道のひとつ向こうの道路に着地した。
着地の時、私は衝撃に耐えられるように力んでいいたのだが、全くそんな衝撃など無かった。まるで夢の中で高く高くジャンプしたけど全く体になんの負担も無いような感覚。アレに近い気がした。
「大丈夫か?」
「う、うん」
「よし、あと少しだ。行くぞ」
彼はそう言いまた走り始めた。
影の姿はない、だいぶ差が開いたようだ。
でも、さっきみたいな事になりかけないので気をつけなくてはいけない。
周りは相変わらず静かだった。聞こえるのは彼の足音と息遣いの音、そして風を切る音だけだった。いつの間にか日は少しずつ傾き、少しだけ空がオレンジになり始めていた。
いつの間にこんなに時間が経っていたのだろう。
「花井……」
不意に緒川君は話しかけてきた。どことなく声が沈んでいる。
「ごめん……」
私はその時、何に謝っているのか分からなかった。
自分は助けられている。別に何かされたわけではない。
強いて言うならこの出来事に巻き込まれていると言うことだけだが、これは私が自分で首を突っ込んだ結果だというのに、彼はこれに謝っているのだろうか。
これすらも彼にとっては罪なのだろうか。
私はその時どう答えたらいいのか分からなかったが、いいよ。とだけ答えた。
それが正しかったのかは分からなかったが、その時はそう言うべきのような気がした。
やがて見慣れた駅を通り過ぎ、フェンスとkeep outと書かれた看板で囲まれた廃ビルに着いた。学校の校庭とまではいかないがとても広い空き地と、建設途中で残されたままのビルがそのまま残っていた。
普通ならこんなものを放置したままなんてありえないのだが、ここはある会社が三階建てのスーパーを建設しようとしていたらしいのだが、建設途中に会社自体が解体されて即日撤去になり、作りかけのビルを壊すだけの金も無かった社長が夜逃げしたため、そのままの状態で今も残っているそうだ。
多分この広いスペースは駐車場にでもなる予定だったのだろう。
確かに此処ならあの化け物と戦うのには向いているのかも知れなかった。
彼は私を木陰の中で下してくれた。
「ここから出るなよ。花井」
「え、緒川君は?」
「あいつと闘う」
彼はそう言い目線を今まで走ってきた方へ向けた。
すでに化け物はフェンスを破って広場に入ろうとしている。フェンスが壊れる。
「いいか、ここから出てくるなよ!!」
待って。と言う私の言葉は彼に届かなかった。彼は影に向かって突進していった。
今までとは違う。彼の走った後の地面がほんの少しえぐれてしまう程その走りはすさまじかった。
そのまま影の顔面に飛び蹴りをくらわした。
だが、影は少しよろけるだけ。すぐにその怪力を駆使して彼を攻撃し始めた。
一発、二発、三発。影の攻撃は空中を切り、地面を砕いていたが、彼はそれを避けてカウンターと言わんばかりにその手や足、体に攻撃を加えていた。
きっと私が攻撃してもあの化け物には虫に刺されるほどのダメージにすらならないだろう。いや、絶対にそうだ。
影の在る緒川君でしかあの化け物に対抗することは出来ないだろう。
彼の向上した身体能力があってこそのものだろう。
彼は次々に攻撃していた。化け物がどんなにすごい怪力でも触れもしなければなんの意味もない。
「ぐおぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!!!!」
影が叫び、渾身の力を込めて拳を地面にたたきつけた。
地面が吹き飛ぶ。緒川君はすばやくそれを避け、影の後頭部に右足で回し蹴りを入れた。
きれいに入った。影の首は鈍い音と共に垂れ下がり、頭が首の筋肉だけでぶら下がるような形になった。首の骨が折れたのだ。
化け物にできた最大のチャンス。
緒川君は高く跳躍し、そのままかかと落としをを入れた。
崩れ落ちる影、彼は化け物を倒した。
彼自身も意外そうな顔をしている。
私はその様を見て木陰からとび出した。
「すごいよ緒川君!!!!」
素直にすごいと思った。彼は息を激しく切らしていて自分のした事にまだ信じられないと言った顔をしていたが、やがてこちらを見て手を振ってくれた。
私はその時、本当に気がつかなかった。
普通なら気づいたのだろう。だが私も緒川君も安心感に包まれて見落としていた。
影が消えていなかった事に…
ドッペルゲンガーは普通、再起不能になったら闇に消えていき、最後には完全に消失するものだった。
少なくとも私が倒してきたのはそうだった。
だが、あの化け物は消えてなどいなかった。
あの化け物もドッペルゲンガーと同様の存在なら、アレの存在も消えなくてはおかしい。
その事にふと気がついた瞬間、緒川君は横なぎに振られた腕に吹き飛ばされた。
2人の間に生まれた油断。影はそこを見逃さなかった。
ゆっくりと起き上がる影、いや影の足取りもふらついていた。
多分それは依然として垂れ下がっている頭の所為かも知れない。
「緒川君!!!!!」
「あ……う……」
思いっきり飛ばされた彼は吐血し、瀕死の状態だった。
軽く見ただけでも内臓破裂、右足骨折、もしかしたらもっとやばいかも知れない。
明らかに助からないであろう怪我。
影はふらつきながら近づいてくる。
私には闘える力が無い。彼は瀕死。
Game over…脳の奥から湧き出てくる言葉。
私は彼の前で両手を広げてたった。彼を庇う様にして影に向かい合った。
最後くらい役に立ちたかった。
「に…げろ。花…井…」
彼が私の後ろで小さく言った。もう喋るのもきついはずなのに。
「いやだよ。緒川君残していけない。私じゃ緒川君を担いで走れる力も無いし、あの化け物を相手にできる力も無いの」
だんだんと影との距離が無くなる。
死が、近くなる…
本音を言えば心のそこから怖かった。
でも……
「私は逃げない!!!!!」
影は腕を私達目掛けて振り下ろした。
ああ、ここまでか…
結局最後まで緒川君に迷惑かけただけだったな…
私、ダメダメだったな…
私は目を閉じていた。
当然ながら一寸先は闇。
何も見えない。
でも私の死はもう目の前にまで迫ってきている。
……衝撃がこない。
もう死んだのかな。
即死したから気がつかないのかな?
「あきらめるのはまだ早いんじゃないのか?」
突如そんな声がした。
目を開けるとそこには一人の男の子がいた。
年恰好は私と同じくらいで制服姿だった。
同じ高校の制服。
その声の主は影の怪力を片手で受け止め、こちらを見つめていた。




