01.お茶でもどうですか?
私は今、人生で最も真剣に『不動明王』になろうとしていた。しかし、その決意とは裏腹に、膝と膝が猛烈な勢いで衝突を繰り返している。
ブルブル、というよりは『ブゥルルルルッ!』という凄まじいエンジン音のような震えが、布団の隙間から漏れ出している。
「帰りたい……魔王城に帰りたい」
洞窟の中に、私の震えた声が反響する。少し離れた位置で固まっている少年が、耐えかねたように口を開く。
「その……。俺、見なかったことにするからさ?」
「うっ……。ありがとう」
私は涙を拭いながらお礼を言い、布団から顔を出す。すると、中性的な整った顔をした少年と目が合った。
「まさか、ダンジョンを作る場面に出くわすなんて」
少年が戸惑いを含んだ声で呟く。彼は、どうするのが正解なのか迷っているようだった。
私は羞恥心から、再び大粒の涙を流す。顔面が完熟トマトとなり、ただただ情けなく視界を潤ませる。
「だって、だって……。周りに誰もいないと思ったんだもん!」
私はそう叫ぶと、黒歴史となるであろう先ほどまでの出来事を思い出した。
私は父である魔王アズルから、戦争中の敵国に「恐怖のダンジョン」を作るよう命令された。
ダンジョンで敵の戦力をおびき寄せて、倒す。与えられた任務はそれだけで、いたってシンプルだ。
問題があるとすれば私の辞書に『勇気』という文字がなく、あるのは『生存』と『中途半端な言い訳』だけということだ。
だが、父上はそんな私だからこそ適任だと言って、私を敵国のど真ん中へと単身送り込んだ。
右も左も分からない異国の地に放り出され、せめて安全な場所を手に入れたいと焦り、周囲を警戒することなくダンジョンを作ったのだ。
それだけであれば、百歩譲ってよかっただろう。
しかし私は、私の指先一つで操作できる世界の出現に万能感を覚えていた。合法的な麻薬と言っても過言ではない。
高揚感が暴走してわざと音程を外した歌を口ずさみ、意味の分からないヘンテコなダンスを踊ってしまったのだ。
当然、それは背後にいた少年に目撃されていた。さらに最悪なことに、私は高らかにポエムまで詠唱してしまったのだ。
「ふっ……ここは私が創りし絶対領域」
なにがサンクチュアリなのだろう。穴があったら埋まりたい。
背後に人の気配を感じて振り返った瞬間、私の顔は茹でたタコなど比較にならないほど赤くなっていたはずだ。
私と目が合った少年は、見てはいけないものを見てしまったような顔をしていた。その表情は、洞窟の中で踊り狂う魔族を偶然見てしまった哀れな少年そのものだった。
地獄のような回想を終えて、私はもう一度布団の中へと潜る。このまま消えてしまいたい。
しかし、顔をうずめていても状況は何も変わらないと、私は意を決して体を起こす。
「お、お茶でもどうですか?」
「えっと……?」
私の言葉に、少年の百戦錬磨の困り顔がさらにランクアップし、伝説級の困り顔へと進化を遂げた。
「魔族と人間、出会えば殺し合い……っていう常識は一旦忘れましょう!なぜなら私は最弱!よって、全力で命乞いさせていただきます!お助けください!」
床なら『ゴンッ』と響くはずの音が、『ぼふっ』という情けない音に変わる。
私の額は枕の底まで深く沈み込み、謝罪というよりは、ただ二度寝を熱望している魔族のポーズにしか見えなかった。
「いやでも……。分かった。ダンジョンコアを俺に渡すんだったら見逃してやる」
「それはできないんです。魔王様から、失敗したら国外追放するって言われてるんです。実質されてるようなものですけど」
私の目尻が再び涙で濡れる。このままでは、殺されてしまうかもしれない。
「お前、見た目は人間と変わらないんだから、この国のどこかで普通に暮らせるはずだ。……俺との関わりを全部捨てて、遠くへ行けよ」
「それも無理なんです。魔王の娘ですから」
「はぁ!?」
少年の琥珀色の瞳が『魔王の娘』という単語を聞いた瞬間、カシャリと音がしそうな勢いで、目の奥に黄金の貨幣が埋め込まれる。
「嘘です!嘘!私はどこにでもいる一般魔族です!お姫様が洞窟の中で奇天烈なダンスを踊るわけないでしょ!?」
「それは……確かに」
少年が納得したように頷く。それはそれで傷付くのだが、危機を切り抜けられたのだからよしとしよう。
「私を生かしておけば、ここをあなた専用の『永久資源採掘場』に作り替えますから! 魔物は外に出さない、鉱石は掘り放題。どうです? 今日ここで私を殺してはした金を得るより、一生遊んで暮らせる利権を手に入れる方が、賢い選択だと思いませんか!?」
少年がお金が好きであることを見抜いた私は、全力で投資対効果を説明し始める。すると、少年の瞳が面白いように輝いていく。
「めっちゃいいじゃん」
少年は背後に『にんまり』という太字の効果音が見えそうなほど、顔の筋肉を緩ませた。あからさまな下心が顔に書いてある。
「でしょ!?あなただけじゃなくて、この国も潤いますしね!」
「ああ……。その通りだ。うん、素晴らしい!」
少年から差し出された手は、握手というより捕獲だった。万力のような力で固定され、私は自分が一匹の生け捕りにされた魚になったような気分になる。
「俺はユーマ。これからよろしくな」
少年――ユーマは金貨の山を見るような、熱烈な視線を私に向ける。
「わ、私はアグネス。アグネス・モルデント。……よ、よろしく」
もしかすると私は、金の亡者という名の悪魔と契約してしまったのかもしれない。
額から、まるで壊れた蛇口のような勢いで冷や汗が噴き出した。私の体内水分バランスは、今この瞬間、確実に崩壊した。




