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4.黄色い傘



「うわぁ、雨が降ってるよ。」

「え!傘持ってきてないわ。誰か入れて〜。」


そんな話し声が聞こえてつられて窓を見た。どんよりと曇った空に雫が落ちてざぁざぁと音を立てている。そういえばニュースで梅雨入りしたって言ってたっけ。ぼんやりとそれを見ていると、隣から友人たちの声がかかった。

「本当だ、結構降ってる。」

「やばー傘持ってきてない。」

「紗枝は?」

「私もない。」

今日の講義は終了してこのあとはバイトがある。できれば濡れずに駅まで行きたい。窓の外を見て、どうしようかなと思考を巡らす。

「(………?)」

視線を感じて、空から地上に目線を落とした。色とりどりの傘が広がる中、鮮明な黄色が目に入った。綺麗な色。なんだか妙に惹かれて、じいっとそれを見る。その傘はそのままそこにあり、他の傘が動いている中、それはそこに止まっていた。不思議に思って目を凝らす。顔を動かして傘からちらりと覗けた、それ。

ぱっと目を逸らした。やばい、危なかった……。先ほど見たものが脳裏をよぎる。

「(…子どもの足だった。)」

大学にいるはずがない存在。思えば外は風も吹いていたのに、あの傘だけ揺れていなかった。ということは、そういうこと。

「紗枝ー?学生課に傘借りに行くけどどうするー?」

「い、いく。」

慌てて荷物を入れたバックを手に取り、窓の外を見ないようにして席を立った。



「あ〜〜〜最悪。雨の日なんてなくなればいいのに……。」

ドアを開くと、如月さんの低い声が聞こえた。初めて聞くその声色に驚く。その声の持ち主である彼女は、デスクに顔を伏せていた。ぽかんと立っていた私に、小野さんが気づいてくれた。

「お疲れ様です、吉本さん。」

「お疲れ様です…。如月さんはどうされたんですか。」

「ああ、吉本さんは見るの初めてですか?如月さん、偏頭痛持ちで雨の日はあんな感じなんです。」

「それは…辛いですね…。」

ごめんねぇとこちらに手を振る如月さんに、ぺこりと頭を下げた。確かにデスクには頭痛薬と書かれたパッケージも置かれている。これは今日はそっとしておこう、と心に決めた。

「あれ、今日傘持ってたのー?」

「妹尾さんお疲れ様です。傘は大学で借りたやつです。」

「ああなるほど!急に降られると困るよねぇ。」

ため息をついて頬杖をつく妹尾さんは、窓の外を見た。降り出した雨は止むこともなく、今日は降り続けるらしい。

「そういえば、柊さんと御堂さんは?」

「2人で外出されてますよ。」

雨の音に混じり、キーボードの音が響く。最近は事務作業が溜まっており忙しなく手を動かしていた。庚は表向きは“心霊・怪異相談所”を装っているので、一般市民の通報も受け付けている。そのデータを全て仕分けて格納しているので、中々の数になるのだ。うーんと固まった体を伸ばしていると、ドアが開いた。

「皆お疲れ様。戻りましたよ。」

帰ってきた2人に各々挨拶をする。全然濡れてないその姿を小野さんも引っかかったのか、あれ、と声をかけていた。

「雨、大丈夫でした?」

「うん、御堂くんが車を出してくれたからね。」

「え!いいな〜帰りにドライブしたいです!」

「ハハ、妹尾は乗せないよ?」

「なんでですか!!」

なんでだろうねぇ〜と言いながらコーヒーを入れる御堂さん。車、運転するのか。あんまり上手くなかったりして…内心そう思いながら、徐々に目の前の仕事に集中していった。




久しぶりに何もない休日。そして久しぶりの晴天。

起床してから気分も良いので、外に出ることにした。

「あれ、紗枝ー?どこに行くの?」

「買い物してくるー。」

「気をつけてね。夕飯までには帰ってくるのよ〜。」

母の声に返事をして扉を閉めた。久しぶりの天気は気持ちが良い。どこに行こうかな、とうきうきした気持ちで歩き出した。

3時間後。

「……えぇ?」

目の前にはざあざあと降り出した雨。バケツをひっくり返したかのような雨量に、思わず声が漏れた。さっきまで晴れてたよね…?雲も出てなかったはず。そう思ったけど、ビルの中にいたから正確にはわからない。すぐに止むといいな、と軒下で休みながらぼんやりと街を眺めた。

折りたたみ傘をさして歩く人。手やカバンを頭の上にかざして走る人。思い切って濡れたまま歩く人でそれぞれな風景。こうして眺めるのも面白いものだった。…あれ。あの人、えっ空のペットボトルに雨を入れようとしてる…?何してるんだあの人…。思いの外捗った観察をしていたときだった。

ーーーーあ。

道路を挟んだ向こう側。そこに小さな黄色が現れた。ゆらりと揺れた黄色い傘。走る車の間から、長靴を履く子どもの足が見える。なぜか視線がいうことを聞かず、そのまま上に動いていく。これ…このまま、見てしまったらどうなるんだろう。ぼんやりとなぜかそう思った瞬間、車のクラクションが私の耳と視線を奪った。少し速くなる鼓動を抑えながら、目の前に止まった音の原因を見る。ウィンと小さな音を立てて窓が開いた。

「やっほ〜、紗枝ちゃん。」

「み、御堂さん。」

「何してんの?雨宿り?」

運転席に座るのは御堂さんだった。いつものようにニヤニヤとした笑いを浮かべてこちらを見ている。黒い服を着て、黒い車に乗るこの人は怪しい人のようだ。…いや、いつもこの人は怪しいな。

「はぁ。」

「突然降り出してきたもんね〜。どっか行くの?」

「行ってきた帰りです。」

「あらら〜。タイミング悪かったね。」

ほら、とハンドルに両手を置いてもたれていた男は、片手をこちらに向けた。綺麗な指が動く。形の良い唇から生まれる声が、雨の音を通り越して耳に届いた。

「こっちおいで。」

そう言って御堂さんは私に向かって手招きをした。


「傘をさした子ども?」

「はい。」

カチカチと音が車内に響く中、私は隣で運転している男に頷いた。へぇ、と相槌を打つ声に、「でも、」と続ける。

「ただ立っているだけなんです。」

「立ってるだけ?」

「こちらを見て、立ってるだけ。」

初めて大学で見た日から、雨の日は必ず現れた。なぜかあの子は私に話しかけもせず、ただこちらを見てるだけ。招かれてるような気もしない。声をかけることもしない。訴えているような気持ちもない。本当にただ、こちらを眺めている。そんな日々が続いていた。それを聞いた御堂さんは、何かを考えているようだった。本職の意見があるなら、是非とも教えてほしい。そんな私の視線に気付いたのだろう。赤信号で停止すると、黒い瞳がこちらを向いた。

「まぁ害がないならいーんじゃない?」

「…そうですね。」

「気をつけなよ。紗枝ちゃんは、優しいんだから。」

その優しいには何を含んでいるのか。…決して褒め言葉では無いんだろうな。

ちなみに運転はかなり上手かった。少しイラっとした。





***



「おはようございまーす……って、何見てるんですか?」

デスクの上にどんと積み上がった荷物に思わず目が奪われた。これは…漫画?可愛らしいタッチで描かれたそれは少女漫画のようだった。

「あ、おはよ〜紗枝ちゃん!」

「あれ。紗枝ちゃん、今日は午前中から?」

「妹尾さん、如月さん。そうなんです、月曜日は全休なので、これからシフトに入ることになりました。」

「そうなのね。助かるわ〜。」

「ところでこれは?」

大量の漫画に指をさすと、妹尾さんが弾んだ声で言った。

「それはね、この前の現場にあった痕跡だよ。」

「痕跡?」

首を傾げた私に、如月さんが口を開いた。

「除霊した現場にね、置いてあったのよ。大体は何も影響ないしそのまま置いておくんだけど。たまに霊の思念が色濃く残るものがあるの。それが痕跡。そして今回はこれ。」

「…漫画…ですか…。」

「その霊、漫画家目指してたみたいよ。」

とはいえこんなに大量の少女漫画。触っても良いよ、という許可があり手に取る。あれ、痕跡というには何も感じない。

「それはね、私が清め済みだから大丈夫!」

「きよめ?」

ピースサインをする妹尾さん。

「こういう痕跡を片付けるのも仕事だからね。庚の職員は皆簡単なお清めが出来るよ。つまり片付け=清めるってことかな。」

「へぇ…凄いですね。」

改めてここにいる人達は普通じゃない力を持っているんだな。そういえば、御堂さんも初めて会った時、簡単に幽霊を祓っていた。除霊師って言ってたもんなぁ…。椅子に座り漫画を読み始めた2人を見る。私達と変わらない人間だけど、この2人にも幽霊を祓う力があるのか。なんだか一気に遠い世界の人に思えた。



「少女漫画ってさ、雨の日に傘を渡すシーンがあるのなんでだろうねぇ。」

外出から戻った御堂さんが漫画を読みながら言った。仕事してください、と小野さんに言われるとに「休憩だよ〜。」と返している。

「確かにそうですよねぇ。王道だと、雨の日に気になる人に傘を渡すとか!」

「あとヤンキーが捨てられた子犬が入った段ボールに傘をかざすとかかしら〜。」

「え、拾うんじゃないんですか?」

和気藹々と始まる会話に耳を傾けながら仕事をする。というか御堂さん、少女漫画なんて読むんだ。…内心バカにしてそうだな?

「でも現実世界に無いですよね、そういうの。」

何故か小野さんの言葉が妙に頭に残った。





「…あ。」

ぽつんと頬に雫が落ちる。今季何回目かの、突然の雨だった。少しずつ強くなる雨に、慌てて屋根の下に入る。手元には生憎、傘はない。郵便局に行くだけだったから軽装備で出てきてしまったのだ。どうしようかなぁ、すぐに止むと良いな。…もう走っちゃおうかな。そう思った時、視界に入った。


黄色い傘。


やっぱり綺麗な色だなって思ったのが最初。そして、それを持つ子ども。長靴を履いた足、レインコートの裾。


ひゅ、と息を飲む。目の前の存在がこちらに近寄ってきたのだ。今まで動かなかったのに。なんで。


近づいてくるそれに、私は体が動かなかった。ただ無防備に、目の前の近づいてくる存在を待ち構えている。きぃん、と耳鳴りがした。ぎゅっと瞳を閉じる。




「ーーーーあれ?」

恐る恐る瞼を持ち上げる。目の前にいたはずの子どもは消えていた。どこに行ったのか。私は助かったのだろうか?疑問が頭を駆け回る中、ふと違和感を感じて、足元を見た。


そこには広げられたままの、黄色い傘が転がっていた。


「…これ。」

そっと手を伸ばして傘を拾う。よく見ると、持ち手のところに黒色で何かが書いてあった。少し滲んでいるそれに目を凝らす。文字がわかった瞬間、あ、と声が溢れた。



《さえ》


それは私の名前だった。





***



「小学校の時、近所の踏切で事故があったんです。…私と同じくらいの年齢の男の子が、雨の日に轢かれてしまったようで。」

人が亡くなると、現場にはその人を思ったお供物でいっぱいになる。件の踏切にも道の脇にたくさんのお花や飲み物、お菓子が供えられていた。

「雨の日にたまたま通りかかったんです。その時、お供物がびしょびしょになっていて……なんだかそれが、悲しくなりました。」

少しでも男の子が悲しまないように。そう思った私は、手に持っていた黄色い傘を置いた。お供物が降り続ける雨で濡れないように。

「祖母に買ってもらったばかりで、お気に入りだったんです。…すっかり忘れてました。」

ぎゅっと傘を握る。いつのまにかお供物は撤去されていた。傘も無くなっていたから、一緒にどこかへ持って行かれたのだな、と当時は考えていた。

「…返しにきてくれたんですかね。」

目を閉じる最後に見た男の子の顔は、笑っていた。






「…そうかもね。」

それまで口を閉じて聞いていた御堂さんはそう言った。


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