3.【後編】廃屋の少女
目が覚めるとそこは不思議な国ーーーなんてこともなく、見覚えのある白い天井が広がっていた。瞼が随分と重いけど、一度開いてしまった瞳をなんとかこじ開けたままにする。状況把握、大事。う、と漏れた声に近くに人が来る気配がした。
「紗枝ちゃん!気がつきました?」
「大丈夫ですか。」
「せおさん…おのさん…。」
心配そうな顔をする妹尾さんと、いつも通りの無表情な小野さん。重たい体を起き上がらせ、周囲を見渡した。ここ庚の事務所だ…。ソファに横になっていたらしい、私の体には毛布がかけてあった。
「私、なんでここに…ケホッ。」
「俺が運んだからだよ。紗枝ちゃん、水飲み。」
渡されたペットボトルを手渡され、受け取る。渡した本人である御堂さんは、水をがぶ飲みしている間も私のことをじいっと見ていた。そこまで見られると、さすがに気になる。潤った喉で、なんですか、と聞いた。
「ねぇ、倒れた時のこと覚えてる?」
静かな声で聞き返される。倒れた時のこと?確か、御堂さんの付き添いで結構歩いて、森みたいなとこ入って…。そう、小屋。ぼろぼろの小屋みたいなのがあった。そして、
「俺がドアを開けようとした時、」
「倒れたんですよね、私。」
後から思い返すと、この時食い気味で答えてしまったと思う。まだ鈍い頭ではそのことに気づかなかった私は、違うことに気を取られていた。違うこと、それは今まで視たものが頭から逃げないように、食い止めていた。確かめなきゃいけないことがある。それを確かめるには。
「妹尾さん。」
「うん?」
「被害者の写真、見せてもらえますか。」
まずは確認しなきゃいけない。
連続殺人事件被害者、5人の子どもたちの写真。その一枚、最後の被害者である女の子の写真を手に取る。黒くてふわふわした髪の毛の女の子。いつもこんなに綺麗に髪の毛を結んでたんだ。じぃと眺める私に、小野さんが口を開いた。
「…それが5人目の被害者です。名前が、」
「アヤちゃん。」
誰かが息をのむ音が聞こえた。それが正解の合図なんだろう。くりくりの瞳を細めて笑う女の子。本当はこんなふうに笑うことができるんだね。写真の頭部分を指でなぞった。ただ、なんとなく。
いつのまにか私の隣に座っていた御堂さんに視線を移す。長い足を組んで、悠々と座る彼は底知れない真っ黒な瞳でこちらを見ていた。
「御堂さん。」
「なぁに?」
「私、あそこ知ってました。あの小屋、行ったことがあります。」
アヤちゃんと、夢の中で。
そう言った言葉にいつのまにか集まっていた庚の人達は顔色を変えた。御堂さんと柊さん以外が。
「うわ、真っ暗ですね。」
「きゃ、虫!ひいーやだやだ!」
すっかり日も傾き、辺りは暗い。先ほどまで居た場所にもう一度戻ってきた御堂さんと私、そして小野さんと妹尾さんも今回は一緒だった。如月さんは「別件がねぇ。」と言って柊さんと事務所で待機している。
懐中電灯の灯りを頼りに草木をかき分けて進む。明るい時には聞こえなかった虫や鳥の声が響いていて、恐怖心を刺激していた。きっと、いつもの私であればびくびくとしていただろう。でも今はそれどころではなくて、黙々と足を動かしていた。
「ついたよ。」
御堂さんの声に全員が目の前を見る。ぽつんと建っている小屋に、初めて見る二人は怪訝そうな顔をした。私は足を動かしてドアまで歩いて行く。小野さんの声が聞こえたけど、御堂さんが止めていた。すみません、素人が出しゃばって。内心そう謝りながらも、ただ意識は目の前のドアにあった。
ドアノブに手を添えて、深呼吸をする。
ぎぃ、と重く響いた音で開いたドアの向こうは、真っ暗だった。鼻をつんざくような臭い。手に持っていた懐中電灯で部屋を照らすと、少しずついろんなものが見えた。
「え、うわぁ…。」
「これ確定ですね…。」
「後で警察に回すからあんまり動かさないでね。」
後ろから入ってくる3人の声が聞こえる。壁に貼られた色褪せた写真、奥に置いてあるブルーシート、棚の上に置かれたたくさんの工具や刃物たち。所々赤黒いのシミがついていて、何が行われていたか嫌でも想像がついてしまった。
「…あ。」
照らされた懐中電灯に写ったのは、壁にかけられた鏡だった。近づいて、鏡にそっと指を伸ばす。つ、となぞると埃が指先についた。そこに写っているのは、誰?私?それとも。
「…きたよ、アヤちゃん。」
ざわざわざわざわ
ほーほーほーほー
がさがさがさがさ
瞬間、全ての音がまるでボリュームが上げられたかのように大きくなった。ぞわりと走った嫌な予感に、庚の3人が構えている。周囲を見渡しながらも、きっと3人の視線は私を入れていることだろう。背中から突き刺すようなものを4つ感じるから。3つは庚。そして、もう1つは。
すう、と息を吸い込もうとした。けど、うまく吸い込まなくてどんどん息苦しくなってくる。きぃぃんと耳鳴りが生まれる。鏡を見る、そこにいるのはーーー。
ごとん、と手から懐中電灯が滑り落ちた。
「【にげなきゃ】」
開かれた出口から飛び出した。手足を思い切り動かして、がむしゃらに走る。暗くて前も見えない中、ひたすらに。逃げなきゃいけない、捕まってはいけないという思いが私を動かした。後ろから誰かが私の名前を呼んでいる。だめ、もう来たの?枝が肌に擦り、痛みが走る。ぬかるみに足を取られて転んだ。起き上がって、捕まっちゃだめ、捕まったらーーーーー。
肺が痛い。肩はずっと動いていて、酸素を求めている。開いた口から唾液がこぼれそうになり、ぬぐった。ふらついた体を支えきれず、あ、倒れる。とどこか冷静な頭で思った。
「ーーおおっと。だいじょうぶぅ?」
場所に似つかわしくない、軽快な声が頭上から降りかかる。そろりと見上げると、いつものような笑いを浮べた御堂さんが立っていた。大きな手で私の肩を掴んで支えてくれていた。
「…ありがとう、ございます。」
「息きれてんなぁ。運動不足じゃない?」
「うるさいです…。」
あはは、と笑う御堂さんの後ろから、ざくざくとこちらに向かってくる足音が聞こえた。草木をかき分けてこちらまで来たのは、少し疲労感が見える小野さんと妹尾さんだった。
「ようやく追いつきました…2人、速すぎませんか。」
「あ!よかった紗枝ちゃんいた!」
もー心配したよ、と頬を膨らます妹尾さんに、すみません、と謝る。そう過ごしていると息も整い、いくらか体力が回復した。うん、動ける。私の意思で。そう確信した私は、御堂さんから離れて歩き出した。
3人は有難いことに私の動向を見守ってくれていた。それに感謝しつつ、複数あるうちのひとつの木に目が留まった。これだ、と何故か思った。幹のそばに座り込み、土に手を差し込んだ。ひんやりとした感触を感じながらも、一心不乱に土を掘り起こした。爪の間に土が入り込んでも、この時は何故か気にならなかった。掘って、掘って、掘って。
どのくらい時間が経っただろう。汗が垂れて気持ち悪いし、手も痛くなる。指や爪も痛い。血が出てないといいなと思いながらも、掘る手は止まらなかった。
その時、何かが指に当たった。柔らかくてがさりとしたもの。その周囲を掘り起こしていくと、徐々に全貌が見えてきた。
ぱっと照らされた光にその物体が明らかになる。色褪せたぼろぼろのビニールシート。手を伸ばしてシートを広げた。
「ーーーーーーっ!」
背後で全員が驚いた気配がした。でも御堂さんはどうだろう。この人はきっとこれが何か、気づいていた気がした。
小屋の中よりも酷い臭いに、うぞうぞと虫が沸いている。目を覆いたくなるような目の前の存在に、涙が止まらなかった。ぼろぼろと頬をつたって落ちて行くぬるい水。目の前にあるのは、きっと、小さな子どもの骨だった。
「ーーーアヤちゃん、迎えに来たよ。」
待たせてごめんね。
ざわめいている森の音。私の泣き声。その中で小さな女の子の声が聞こえた気がした。
***
「戻りました〜。」
「おかえりなさい。」
「スーツはやっぱ肩凝るわぁ。はー着替えたい〜。」
ネクタイを緩めながら椅子に勢いよく座る。御堂さんのスーツ姿を初めて見たから、少し新鮮だった。前髪を後ろに流してセットしている。この人やっぱり綺麗な顔してるんだな。いつもより顔が見えやすい。まじまじと眺めていると、黒い瞳と合った。
「なになに紗枝ちゃん、俺のことがやっぱり気になるの?」
「如月さん、チョコ食べます?」
「え、いいの〜食べる食べる。」
どうぞと差し出したチョコを私も口に入れた。新発売というそれは中々好きな味だった。うん、おいしい。
「紗枝ちゃんもすっかりクマなくなったね〜。」
「はい。毎日ぐっすり眠れます。」
良かったね〜あれこれ美味しい、と如月さんがチョコのパッケージを覗き込む。
これ、そこの目の前のコンビニです。
あ、ほんと?帰りに買おっと。
きゃあきゃあしている私達を横目に、御堂さんはコーヒーを淹れに行った。
「お帰りなさい、御堂くん。」
「柊さん。ただいま戻りました。」
奥の部屋から柊さんと小野さん、妹尾さんが出てくる。柊さんが「どうだった?」と尋ねると、全員が視線を御堂さんに移した。コーヒーを一口飲み、御堂さんは口を開いた。
「DNAは5人目の被害者、橋本綾で間違いありませんでした。お骨も遺族の方に引き渡してます。」
そっと瞳を閉じると、朧げな少女の姿が脳裏に浮かんだ。良かった、パパとママのところに帰れたんだね。
「あの小屋の所有者も、犯人の親戚筋のものでした。警察の調査の結果だとあそこが犯行場所。その後、遺体を発見場所に運んでいたと考えられるそうですね。」
「だから遺体発見場所には思念がなかったんですね。」
「小屋はどうだったの?」
「室内はとんでもない思念の渦でした。」
如月さんの問いに小野さんが答えた。だからドアを開いた瞬間に嫌な感じがしたのか。思い返せば室内に入った瞬間、3人とも視線が鋭かった。
「小屋の対処は完了してるんだよね?」
「はい!」
柊さんの視線の先にいた妹尾さんが頷いた。どうやらこの件は無事に終わりそうだ。視線を感じて目を動かすと、壁に寄りかかった御堂さんだった。
「それにしても、まさか紗枝ちゃんの夢を通して訴えていたなんて、驚きましたよ!」
妹尾さんが私を見る。庚の職員の視線が全て集まり、少し緊張する。結構張り切った行動しちゃったもんなぁ。過去の自分の姿を思い返して、自然と背中が丸まる。
「その節は…暴走してすみませんでした…。」
「素人が首突っ込むと命取りですから。」
「はい…ごめんなさい…。」
「まぁまぁ、小野くん。吉本さんも無事で良かったよ。これからは気をつけてね。」
でも、と柊さんは続けた。
「吉本さんのおかげで綾ちゃんを見つけてあげられたから。良い仕事をしてくれてありがとうございます。」
そう微笑む柊さんに頭を下げる。夢で見たあの子を助け出すことはできなかった。もう終わったことだったから。でも土に埋まったあの子を、少しでも救うことは出来たのだろうか。
とはいえ気を付けてね、危ないのは本当だよ、とウインクをする柊さんに返事を返す。笑顔で頷いた柊さんは、「さ、皆さんお疲れ様でした。他の仕事もお願いしまーす。」と言った。
全員が各々の仕事に戻る中、私も無くなった飲み物を補充しにケトルの置いてある棚にいく。紅茶のティーバックをマグに入れてお湯を注ごうとすると、隣の壁に寄りかかっている御堂さんが「君ってさ。」と言った。
「はい。」
「優しいんだね。」
「……え、急に何ですか。」
「そういうのが、“構って霊”を引き寄せるんだよ。」
不意に届いた鋭い声が胸に刺さった。こちらに向いた黒い瞳はじっとりと濡れてた鴉のよう。どくん、と胸が脈を打った。
「だいたいこういうの、本人が引き寄せてるんだよね。…気を付けなよ。」
死にたくないならさ、と言った彼は私の横を通りデスクに戻っていた。
マグカップを持つ指先と爪の間は、綺麗に土が取り除かれていた。




