1.日常の中に潜む、非日常。
例えば、街頭の隣。道路の真ん中。階段上。色んなところにアレらは潜んでいる。自分と一緒に居てくれる人を探して。ーーーそう、ほらここにも。
「…え、紗枝!」
肩を揺さぶられて、沈んでいた意識が浮上する。視界には友人の顔が映っていて、少し機嫌を損ねてしまったようだった。眉間に皺を寄せており、慌てて謝罪をする。
「ご、ごめん。ぼうっとしてた。」
「もう、またなの?紗枝はいつも違うところを見てるんだから。」
まぁいいけど、と口を尖らす友人に苦笑いが漏れる。違うところを見ている、それはあながち間違ってはいない。この友人は変なところで鋭いのだ。
それでね、と話し始める友人に相槌を打ちながら、ちらりと視線を戻す。道の真ん中でぼんやりと立っている、土器色の顔にスーツ姿の男性。一見顔色の悪い人が道の真ん中で立っているように見えるけど、周囲の人は気にも止めずに歩いていた。ーーーそう、男性の体を通り抜けて。
ばくばくと動く動悸を抑えながら、友人の会話に意識を集中させる。どうか、気づかれませんように。あの幽霊から。
小さい頃から変なものがよく見えた。人間や動物、そして姿が無いもの。それらは外や内、全てに存在していて、ただこちらをじっと見てくるだけ。とはいえ、恐ろしいものは恐ろしい。いつからか気づかないふりを覚えるようになった。それだけで対処できるものばかりでは無いけれど。
目の前の人の何かが私の足元に落ちた。真っ白いハンカチ。気づかずに歩いていく最中に、慌てて拾い上げて駆け寄る。
「あの、落としましたよ。」
あ、間違えた。
私はそう思って自分の行動を悔いる。覗き込んだ顔は、真っ黒く窪んでおり瞳も口をパーツが全て無かった。ただ深淵がこちらを見ている。手元に持っていたハンカチは、どろりと溶けて手から滑り落ちていった。
⦅ミ エ ル ノ ネ⦆
きぃんと耳鳴りが響く。同時にそう聞こえ、背中を翻して走り出す。動け、走れ。背中から友人の戸惑う声が聞こえたけど、構う暇はなかった。止まるな、振り返るな。ぞわぞわと背中を逆撫でられたような感覚に、頭がパニックになりそう。人の波を掻き分け、路地裏に入る。
「…はぁっ!はっは…っ。」
細道をジグザグに走り回ると、ふと嫌な感覚が抜けたのを感じて足を止めた。肺が痛いくらいに酸素を求めている。体がふらつき、壁にもたれた。油断した…わからなかった。後ろ姿もただの人間だったし、落ちていたものも確かにハンカチだった。だけど今思い返すと、友人が落ちているものに何も反応を示さなかった。…それが答えだったのかもしれない。
「…連絡、入れないと…。」
カバンからスマホを取り出して電源をつける。案の定入っている連絡に指を滑らそうとした。
⦅ミ イ ツ ケ タァ⦆
耳鳴りと同時に聞こえる声。これ、近い。どこから。声が聞こえる方向に振り向く。そこには視界いっぱいに広がるーーー飲み込まれそうなほど真っ黒い顔。
あ、だれか、たすけて。
「ーーはい、そこまで。」
ちょきん、と何かが切れる音がした。そして目の前にいたモノがぱぁんと破裂したかのように消える。…私、助かったの?そう認識したとたんに体から力が抜けて、座り込んだ。砂利の地面が、足に食い込んで痛い。…私、生きてる。
「そこの君、大丈夫?」
「…え。」
にこりとこちらに向かって笑う男の人。この人が急に現れて、白くて細い手であれの肩に手を乗せていた。さらりと揺れる黒い髪に、細身の男性。この人が…消したの?くるくると流れる思考に、声が降り落ちた。
「ねぇ、大丈夫って聞いてるんだけど。」
「あっ…大丈夫、です。」
「そう。なら良かったよ。」
じゃあねと背中を翻す姿に私は慌てて手を伸ばした。裾を掴んで引き止めると、驚いた声をあげて振り返る男性の瞳の中には必死な顔の私が写っている。仕方ないじゃないか。こんな人に初めて会えたから。
「お願いですーーーー貴方のこと教えてください!」
…言い方を間違えたのも、必死だったから仕方ない。
「はははははっ!」
「ちょっと、笑いすぎです。」
「だってあまりにもナンパみたいだったからさ。」
おかしくってと目尻の水分を拭う男性に、恥ずかしくなって顔を俯かせた。それでも裾から手を離さない私に、「君の名前は?」と聞かれる。
「吉本紗枝です。…貴方は?貴方は、何者なんですか。」
アレを消した貴方は一体何者なの。
そんな意図を込めた質問を彼は汲んだのだろう。こちらに向かって笑う顔は白々しい。ざあ、と大きな風が私たちの間を通り抜けて、裾を掴んでいた手が自然と離れた。
「御堂蓮。除霊師さ。」
「ただいま帰りましたー。」
扉が開かれると、テレビで見るオフィスのように机が並んでいた。御堂さんに案内されたソファに座る。初めて訪れた“職場”という場所に少し緊張する。そわそわと周囲を見ている私の前にお茶が置かれた。
「はい、どーぞ。」
「ありがとうございます。」
「そんなに緊張しなくても、取って食ったりしないよ。」
くすくすと笑われて頬に熱が集まった。なんだかこの人、人を馬鹿にしてくるというか。奥の扉が開く音がして視線を移す。のそりと出てきた影に、御堂さんが声をかける。
「柊さん、お疲れ様でーす。」
「御堂、おかえり。」
くるくるのパーマに眼鏡をかけた男性がこちらを見る。その瞳に見られた瞬間、ぞくりとしたものが走った。まるで体の中を見られている感覚。思わず強張った体に気づいたのか、柊さんが「突然ごめんね。驚かせてしまったようだ。」と瞳を閉じて笑った。
「初めまして。僕は柊一真です。」
「初めまして…吉本紗枝です。」
私の向かいのソファに座る柊という男性を見る。先程まで開かれていた瞳は閉じられていた。なのにソファまでぶつからずに歩いていたし、置かれていたお茶を何事もなく飲んでいる。見えていないはずなのに、なぜか見えているようだった。
「吉本さんは、この世のモノじゃないものが視えるんだね。」
どうして分かったんだろう。驚いた私に微笑みながら、柊さんは言葉を続ける。
「僕の瞳はね、そういうのが分かるんだ。」
さっきは変な感じがしただろう?と伝える彼に、納得する。だから寒気のような感じがしていたのか。今は瞳を閉じているからか、感じない。
「…物心ついた時から見えていました。あれは何なんでしょう。」
「その前に、この世界の仕組みについて教えようか。」
仕組み。そう繰り返すと、うん。と柊さんは頷いた。
「この世界はね、霊的な層が重なって存在しているんだ。」
「レイヤー?」
「うん、霊的な層とかいて霊的な層。層は大きく2つに分かれていて、普通の人々…君や僕達が暮らす世界は表層とする。」
そして。
「アレらは普段、未練・情動・記憶が残る領域に住まうモノ。その世界を僕達は幽界…裏層としている。その2つの世界が、層のように重なって存在しているんだ。」
「じゃ、じゃあアレらは…?」
「裏層に住まうべき幽霊達だね。あまりにも思いが強すぎると、表層に飛び出してくるんだ。」
幽霊。きっとそうだろうとは思っていたけど、確定した事実に目眩がした。ざっと顔色が悪くなった私に、柊さんは苦笑した。
「ほとんどの人間は霊を視認できないんだよ。だけど、一部の人間は霊に干渉する資質…つまり霊質を持っていて、視認することができる。」
視認…つまり視ることができること。「君はこれに該当するね。」と続けられた言葉に、手を握りしめる。周りがわからない存在をなぜ私は視る事ができるのか。唐突に知ることができた事実が胸を突き刺した。
「飛び出してきた霊は、本能から自分の望みを叶えようとするんだ。そしてそれは、表層の人々を脅かすことがある。特に霊質を持つ人がターゲットにされやすい。」
心当たりは多かった。視線を合わせてしまうと、飛びかかってくる出来事に、幾度となく身の危険を感じた。だから目を合わせないように暮らしていたのだ。
「それらの被害が拡大しないよう、管理・監視する組織が秘密裏に建てられたんだ。それが僕達。」
庚
国に認可された霊障対策機関であり、必要に応じて除霊・調査・護符開発を行う。
脳のキャパを超える情報に飲み込まれそうになる。まさかこんな組織があるなんて。自分の知る世界はまだまだ狭かったのだ。戸惑う私に、柊さんは「驚いたよね。」と眉を下げて笑った。
「そこにいる御堂も能力は優秀な庚だよ。」
「ちょっと柊さん。能力も、でしょ。」
「失礼。性格も能力も、だ。」
コーヒーを啜る御堂さんはにやりと笑い、それを見た柊さんは肩をすくめた。御堂さんに視線を移し、幽霊を消していたことを思い出す。そうか、除霊をしたのか…。不思議に思っていたことが分かり、すこしだけ頭がすっきりとした。
「それにしても吉本さんは、随分と霊質が高いね。」
「高い…?」
「うん。随分と霊からの干渉を受けてきただろう?」
柊さんからの問いに頷いた。小さい頃は対処もわからずに、霊に弄ばれていた。命の危険に晒されたこともある。そんな私を家族はとても心配してくれていた。祖母や母は、特に。
「小さい頃はとても。今はできるだけ…無視するようにしてます。」
「でもさっきは霊の罠にまんまと引っかかっていたけどね。」
飛んできた言葉に言葉が詰まる。飛ばしてきた相手はこちらを見ながら笑っていた。まるで人を馬鹿にしているような顔。まだ出会って少ししかたっていないけど…この人とは仲良くなれない気がする。そんな険悪なムードを察知した柊さんは、私たちを見て苦笑していた。
「どんなにこちらが気をつけていても、霊達は色んな手を尽くしてくる。吉本さんを助けることができて良かったよ。」
「…ありがとうございました。」
とはいえさっきは本当に危なかった。大きな暗闇に、終わりを覚悟してしまいそうになったのだ。暫くは生きた心地はしなかった。
とはいえ、と柊さんは言葉を区切った。
「吉本さんは稀に見るくらい、霊質が高い人間だ。これからもきっと悩まされることだろう。…だからね。」
にこ、と笑って足を組む。
「吉本紗枝さん、君をここで監視対象として預からさせてもらおう。」
監視対象。
一般的に注意深く見守る、または観察される対象を指す。思わず身を固くした私に、柊さんは焦ったように言葉を続けた。
「あのね、あまり身構えなくても大丈夫。何も怖いことをするわけではないから。ただ君に何かあればすぐに連絡をくれればいい。」
あとは…そうだねと指を顎に当てて、考えている様子の人物。よし、という言葉に柊さんは顔を上げた。
「吉本さん、ここでアルバイトしない?」
アルバイト?
そう、アルバイト。
繰り返した言葉は空耳ではなかったようだ。笑顔で頷く柊さんに目をまん丸にしていると、声が飛びかかった。
「柊さん、本気?この子対抗手段ないんだよ。」
「だからこそだ。ここのメンバーと過ごす間は安全が保障されるだろう。」
「俺たちに面倒を見ろって?」
「その代わりに事務作業や雑用を片付けてもらおう。」
ほーらWin-Win!と笑う柊さんに、御堂さんは苦虫を噛んだ顔をする。肩身が狭い話題に口を挟まず、成り行きを見守る。そんな私に気がついたのか、柊さんはこちらに問いかけた。
「吉本さんはどう?ちゃんとお給料も発生するから、悪い条件ではないと思うけど。」
「有難いとは思うんですけど…。」
人が引っかかる。ちらりと御堂さんを見ると、柊さんは「そうだよね〜…。」と頭を抱えた。
「まぁ、親切な子たちもいるから。女性もいるし、どうかな?」
そう言われて考え直す。ちょうどアルバイト先も探していたし、なにより身の安全を保障されるならぜひお願いしたい。ただ、あの人がいる。うーん、と頭を悩ます私。苦手な人と、身の安全。どちらを優先すべきか考えた結果。
「…よ、よろしくお願いします…。」
割とすぐに答えは決まった。意気揚々と柊さんが出してきた書類にサインをする私。それを離れた場所から見ていた御堂さんはため息をついていた。
***
「柊さん、ちょっと無理矢理すぎない?」
「なにがだい?」
「あの子、コッチに引き込む気でしょ。」
「引き込むなんて言い方は悪いな…。…御堂も何か感じただろ?」
「……。」
「沈黙はイエスと捉えるよ。…吉本さんの体質は貴重なものだ。」
あくまで今のところは保護だよ、という言葉が2人の空間で響いた。




