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メディアの覇者たち ―20年後に明かされる買収劇の真実―第6章~終章

 ここから物語はいよいよ佳境を迎えます。若き経営者が挑んだのは、常識を覆す巨大な買収劇。その裏で動いていたのは、資金の論理、法律の盲点、そして時代の流れでした。

 第6章では「決断」の重みと内部の葛藤が、第7章では「均衡の崩れ」と熾烈な攻防が、そして終章では「20年後の真実」が描かれます。読者の皆様にとって、単なる企業小説を超え、日本社会の縮図を映す物語として受け止めていただければ幸いです。

第6章 対峙、そして影の囁き

第1節 重苦しい対面

 二月下旬。都心の一角にある高級ホテルの応接室には、冬の午後の柔らかな光が差し込んでいた。しかし、そこに座る二人の間には、外の陽光とは対照的な重苦しい空気が漂っていた。

 テーブルの片側に座るのは、放送局グループの会長・氷室久遠。濃紺のスーツに身を包み、姿勢を崩さぬまま、氷のような眼差しで相手を見据えていた。

 向かいに座るのは、IT企業を率いる鳳谷隆真。まだ三十代前半の若さを保ちながらも、この数週間の激闘でやつれ、眼の奥には疲労と焦燥が刻まれていた。

 しばし沈黙が続いたのち、鳳谷は硬さを和らげようと、不意に口を開いた。

 「氷室さんは……かつてあの『南極物語』のプロデューサーだったんですよね。」

 軽口めいた言葉を投げかけたが、氷室の表情は微動だにしなかった。その瞳は鋭く、若き挑戦者を射抜いていた。

 「君の奇襲は見事だった。」

 氷室の声は低く、冷ややかだった。

 「だが、二十年をかけた私の悲願を、三十分足らずで踏みにじろうとした代償は、軽くはない。」

 鳳谷は言葉を返そうとしたが、喉が張り付いたように声が出なかった。氷室の一言一言が、鋼鉄のような重みを持ち、彼を押し潰そうとしていた。

 応接室の時計の針が静かに進む音が、二人の間に流れる緊張を際立たせた。

 外では日常の喧噪が広がっているはずなのに、この空間だけは異次元のように時間が凍りついていた。

 若き挑戦者と老練の守護者。二人の「正義」が、ついに直接ぶつかり合う瞬間が訪れたのだった。


第2節 不意の報せ

 応接室の重苦しい空気を破ったのは、鳳谷隆真の携帯電話だった。沈黙を裂くように震え続ける振動に、彼は慌てて画面を覗き込んだ。表示された発信者名に、思わず眉をひそめる。

 「失礼します。」

 氷室久遠の鋭い視線を意識しながら、鳳谷は席を立ち、部屋の隅で通話ボタンを押した。

 「……どういうことだ?」

 受話口から流れてきた声は、幹部の一人のものであった。

 「紫垣ファンドが……戦線を離脱します。これ以上の株式買い増しはしないと。」

 鳳谷は耳を疑った。

 「馬鹿な……あれほど強く言っていたはずだろう。最後まで一緒に行くと。」

 「彼は……『これ以上は無益だ』と。『自分は金を稼ぐために動く投資家であり、理想を掲げて戦うつもりはない』とも言っていました。」

 通話を終えた鳳谷は、しばらくその場に立ち尽くした。全身の力が抜け、背後に漂う氷室の圧力が一層重くのしかかってくるように感じられた。

 席に戻ると、氷室は静かに口を開いた。

 「どうやら君は、一人になったようだな。」

 言葉は短いが、その響きは鋭く胸を刺した。

 鳳谷は唇を噛みしめた。自らが信じてきた同盟は、砂上の楼閣にすぎなかったのか。

 彼の胸中に、かつてない孤独の影が広がり始めていた。


第3節 決別

 鳳谷隆真は、応接室を出るとその足で紫垣義道のオフィスへ向かった。外の街は夕刻の光に包まれていたが、彼の胸中は重く沈んでいた。

 紫垣は机に山積みになった書類の間から顔を上げ、淡々と告げた。

 「来ると思っていたよ。」

 鳳谷は声を震わせて問い詰めた。

 「なぜだ、紫垣さん。俺たちは同じ夢を見ていたはずだ。フジの牙城を崩し、新しいメディアを築くと……。」

 紫垣はゆっくりと椅子にもたれ、目を細めた。

 「夢? 私は投資家だ、隆真君。金を増やすこと以外に意味はない。あのとき君が光って見えたのは、利を得られる可能性があったからに過ぎない。」

 「じゃあ、あの連携は……」

 「利用しただけだ。」紫垣は冷ややかに言い切った。

 「君は熱に浮かされ、未来だの正義だのと語った。だが、私は違う。計算して、利益が出なければ引く。それだけのことだ。」

 鳳谷の胸に怒りと虚無が同時に広がった。拳を握りしめ、喉から言葉を絞り出す。

 「……俺を見捨てるのか。」

 紫垣は視線を逸らさずに答えた。

 「君が失敗したからでも、裏切ったからでもない。単に、これ以上は儲からないからだ。」

 その瞬間、鳳谷の心に走ったのは怒りではなく、深い孤独だった。

 かつて背中を預けた同志は、実のところ最初から同志などではなかった。金という冷酷な物差しでしか動かない存在に、情も信義もなかった。

 鳳谷は無言で立ち上がり、背を向けた。扉を閉めた後も、紫垣の冷たい言葉が耳の奥に残り続けていた。


第4節 謎の訪問者

 その夜、鳳谷隆真はホテルの一室に戻った。窓の外にはネオンが瞬き、都会の夜は眠ることを知らない。しかし、彼の胸中は孤独と焦燥で凍りついていた。紫垣義道との決別は、心の支えを根こそぎ奪い去ったのだ。

 ドアをノックする音が響いた。時刻は午後十一時を回っていた。身構えつつ扉を開けると、そこには見知らぬ中年の男が立っていた。黒いコートに身を包み、落ち着いた目をしている。

 「突然すまない。私はアラビア太郎の息子だ。」

 思いがけない名に、鳳谷は言葉を失った。その名は金融の世界では伝説とされ、過去に数々の仕手戦で暗躍した男を指していた。

 「父は君の動きを見ていた。忠告を伝えに来たんだ。」

 男の声は低く、しかし妙に重みがあった。

 「氷室を怒らせるな。あの人間は、怒りを力に変える。君はまだ若い。ここで負けを認めた方がいい。引けば未来は残る。」

 鳳谷は険しい表情で睨み返した。

 「負けを認めろというのか? 俺はここまで来たんだぞ。」

 男は小さく首を振った。

 「君がまだ理解していないことがある。あの男の背後には、法律も、銀行も、政界すら動かす力がある。正面から挑めば、潰されるのは君だ。」

 そして、冷ややかに付け加えた。

 「良くないことが起きるかもしれない。」

 その言葉を残し、男は踵を返して去っていった。廊下に残った足音が遠ざかるにつれ、鳳谷の胸に暗い影が広がっていった。

 ホテルの窓から見下ろす街の灯りは、いつもよりも不気味に揺らめいていた。


第5節 影の余韻

 ホテルの部屋に戻った鳳谷隆真は、ベッドの端に腰を下ろした。先ほどの男の言葉が頭の中で何度も反響していた。

 ——「氷室を怒らせるな。」

 ——「良くないことが起きるかもしれない。」

 胸の奥に鈍い痛みが広がっていく。紫垣義道との決別、そして謎の訪問者の警告。孤立感はかつてないほど濃く、重く彼を押し潰そうとしていた。

 テーブルの上には、昼間に交わされた株式の取引記録が無造作に置かれていた。朝には栄光の証だった数字が、今は呪いのように見えた。二九・六三%——それは筆頭株主であると同時に、彼を標的に仕立て上げる烙印でもあった。

 鳳谷はグラスに注いだ水を一口含み、苦笑した。

 「負けを認めれば未来が残る、か……。」

 しかし彼には退くという選択肢がどうしても呑み込めなかった。退けば、これまで築いたすべてが瓦解する。夢も、誇りも、仲間も。

 窓の外には無数の光が瞬き、東京の夜を彩っていた。だがその光は、彼にとって救いではなく、むしろ幻惑のように思えた。

 深夜零時を回っても、鳳谷は眠れなかった。枕元の時計の針が刻む音が、妙に大きく響き、彼の不安をかき立てた。

 暗闇の中で、鳳谷は自問した。

 ——自分は本当に「覇者」になれるのか。

 ——あるいは、すでに罠の中に落ちているのではないか。

 答えのない問いが、夜明けまで彼を苛み続けた。


第6節 決意の影

 翌朝、ホテルの窓から差し込む光は鈍く曇っていた。鳳谷隆真は一睡もできぬまま、白んだ顔でカーテンを開け放った。街の喧噪はいつも通りに始まっていたが、その音はどこか遠く、別世界のもののように響いた。

 鏡の中に映る自分を見つめながら、鳳谷は深く息を吸った。頬はこけ、目の下には濃い隈が刻まれている。それでも、その瞳の奥には消えない炎が残っていた。

 ——退けば未来が残る。

 謎の男の忠告が、なお耳の奥でこだましていた。しかし鳳谷の胸には、それとは逆の声が響いていた。

 ——ここで退けば、すべてを失う。

 テーブルの上に散らばる書類をかき集め、彼は丁寧にカバンへと詰め込んだ。資金繰りは厳しく、氷室の包囲網は一層強まっている。それでもなお、彼は諦めるつもりはなかった。

 「俺は必ず、世界を変える。」

 その言葉は誰に向けたものでもなかった。自分自身に言い聞かせる呪文のようなものだった。

 氷室の壁は高く、紫垣の離反は痛手だった。謎の訪問者の予言も不気味に残っている。だが鳳谷は、孤独を受け入れ、その孤独を力に変えようとした。

 彼の背筋は伸びていた。弱さと恐怖を押し隠し、その内側に燃え残った炎だけを抱きしめて。

 外の曇り空は重く垂れ込めていたが、鳳谷の胸中には、まだ決して消えぬ決意の影が灯り続けていた。


第7節 嵐の予兆

 昼前、鳳谷隆真はホテルを出て、取引先との会合に向かっていた。タクシーの窓から見える街は、いつもと変わらぬ賑わいを見せている。だが彼の心には、どこか不吉な靄が立ち込めていた。

 信号待ちの車内で、彼はふと新聞の一面に目をやった。そこには「ライブリンク、買収劇の行方不透明」と大きく見出しが躍り、解説欄には氷室会長の固い決意が書き連ねられていた。社会の視線は、すでに彼を「若き挑戦者」ではなく「孤立した異端者」として描き始めていた。

 胸の奥が冷たくなるのを感じながらも、鳳谷は視線を逸らさなかった。

 「俺は負けない。」

 呟いた言葉はかすれ、車内に消えていった。

 だが、その矜持を試すかのように、再び携帯電話が震えた。取引先の担当者からの連絡は短かった。

 「すまない、今回は見送らせてもらう。」

 通話が切れた後、鳳谷はしばらく端末を握り締めたまま動かなかった。背後で何かが音もなく崩れ落ちていくような感覚があった。

 ——良くないことが起きるかもしれない。

 昨夜の謎の男の言葉が、再び鮮明によみがえる。

 タクシーは静かに動き出し、雑踏の中に消えていった。空は鉛色に曇り、風は強まり始めていた。まるで嵐の訪れを告げるかのように。


第7章 偽りの逮捕、真実の深淵

第1節 突如の報

 二〇〇六年一月十六日。冬の冷え込みが厳しい朝、東京の街に衝撃のニュースが駆け巡った。

 「ライブリンク本社に強制捜査──」

 その速報は、NHKのニューステロップとして画面下に流れた。唐突に突きつけられた文字列は、視聴者の目を釘付けにし、瞬く間に社会全体を騒然とさせた。

 都心にそびえるライブリンク社本社ビルにも、その報せは稲妻のように走った。執務フロアにいた社員たちは一斉にざわめき、鳳谷隆真のもとへ駆け寄った。

 「社長、ニュースで……強制捜査と……。」

 「しかし、ここには誰も来ていません!」

 鳳谷はデスクに置かれたテレビを見つめた。画面には、彼の会社の名前が大きく映し出されていたが、実際に捜査員が踏み込んでくる気配はなかった。本社は静まり返り、ただ社員たちの動揺だけが広がっていく。

 「これは……いったい、どういうことだ。」

 鳳谷の脳裏に、数か月前の出来事がよみがえった。氷室との対峙、紫垣の離脱、そして謎の男の警告。すべてが一本の線で繋がっていくように思えた。

 ニュースが「経済事件」と強調すればするほど、鳳谷には別の確信が深まっていった。

 ——これは、あの買収劇の延長線上にある。

 窓の外には、冬の冷たい光が広がっていた。だが彼の胸中は、それ以上に冷たく重い闇に包まれつつあった。


第2節 不可解な静けさ

 強制捜査の速報が全国を駆け巡ったその日、ライブリンク本社には異様な静けさが漂っていた。報道各社のカメラがビルの外に集まり、緊迫した様子を伝えていたが、社内に踏み込んでくる捜査員の姿は一向に現れなかった。

 社員たちはテレビと窓の外を交互に見やりながら、不安げに囁き合った。

 「ニュースでは家宅捜索中と出ているのに……」

 「ここには誰も来てない。どういうことなんだ。」

 鳳谷隆真は役員室で腕を組み、じっと画面を見つめていた。報道アナウンサーは淡々と「粉飾決算の疑い」や「証券取引法違反の可能性」と読み上げていたが、どの事実も具体的ではなかった。

 「一体、何を根拠に……。」

 電話を取った秘書が小声で報告した。

 「捜査員が入っているのは、系列の投資子会社だけのようです。本社には来ていません。」

 鳳谷の目が鋭く光った。

 ——ならば、なぜニュースは本社強制捜査と打ったのか。

 その違和感は、ただの手続き上の齟齬ではなく、意図的な演出のように感じられた。彼の胸中で一つの確信が形を成していく。

 「これは……経済事件じゃない。氷室を怒らせた、その報いだ。」

 呟きは、重い石のように部屋の空気を沈ませた。

 テレビに映るテロップは赤々と瞬き、社会に衝撃を与えていたが、本社の内部には妙な静けさが続いていた。

 それは、嵐の前の静寂に似ていた。


第3節 直感と恐れ

 翌朝、ライブリンク社の役員室には緊張した空気が漂っていた。新聞各紙の一面は「ライブリンク強制捜査」の大見出しで埋め尽くされ、まるで会社がすでに罪を認めたかのように描かれていた。社員たちの表情は沈み、電話口では取引先が次々と契約を見直すと告げてきた。

 鳳谷隆真はその紙面をじっと見つめ、ゆっくりと息を吐いた。

 「……これは経済事件じゃない。」

 傍らにいた側近が戸惑ったように問い返す。

 「どういう意味でしょうか。」

 「俺には分かる。もし粉飾や取引法違反だけが理由なら、こうも大掛かりに報じられるはずがない。あの日、俺が日本放送を奪いに動いた、その瞬間から始まっていたんだ。」

 鳳谷は目を細め、遠い記憶を呼び起こすように続けた。

 「氷室を怒らせた。それがすべてだ。彼を敵に回した時点で、こうなることは決まっていたのかもしれない。」

 部屋の隅に沈黙が落ちた。社員も役員も誰も言葉を発しなかった。

 鳳谷の声だけが静かに響き続けた。

 「俺は確信している。フジの頂点に挑もうとした、それが罪だ。……もし何も仕掛けなければ、俺は今も自由だった。」

 拳を握りしめる指が白くなり、机の木目に爪が食い込んだ。

 恐怖と悔恨、そして奇妙なほどの納得がないまぜになり、彼の胸を満たしていた。

 逮捕という現実が迫っている。それでも彼には、この不可解な物語の背後に潜む「真実」を直感するしかなかった。


第4節 囁かれる影の部隊

 役員室に再び秘書が駆け込んできた。手には内密の報告書らしき封筒を抱えている。息を整えぬまま差し出された紙には、短い文言が並んでいた。

 「……氷室直下、荒らし担当部隊?」

 鳳谷隆真は目を細めて読み上げた。

 文面には、買収劇の最中から特定のチームが密かに動いていたと記されていた。表向きは法務や広報を担う部署でありながら、裏ではライブリンクの行動を監視し、金融機関や取引先に揺さぶりをかけていたという。

 「つまり……彼らは最初から俺を潰すための布陣を敷いていたのか。」

 低く呟いた声に、周囲の役員たちは顔を見合わせた。

 「会長直属の部隊だとすれば、どんな情報も彼に直接届くことになる。法や規制の網をくぐり抜けてでも、妨害は徹底されるでしょう。」

 鳳谷の胸に重いものが沈んだ。氷室の怒りは単なる感情ではなく、組織的な力として形を成していた。彼は一個人として戦っていたつもりだったが、相手は国家に匹敵する規模の影響力を背にしていたのだ。

 窓の外を見やると、冬の空はどんよりと曇り、街並みは灰色に沈んでいた。

 「これが……俺の戦ってきた相手の正体か。」

 声には悔恨と畏怖が交じっていた。

 そのとき彼は悟った。自分が挑んだのは、単なる企業買収ではなく、巨大な権力の構造そのものだったのだと。


第5節 手錠の冷たさ

 一月二十三日の朝、曇天の空の下で警視庁の車両がライブリンク社本社の前に横付けされた。玄関ホールにいた社員たちが一斉に振り返り、息を呑んだ。

 スーツ姿の捜査員たちが列を成して押し入り、役員フロアへと向かう。鳳谷隆真は役員室でその足音を聞き取りながら、椅子に深く腰を掛けていた。覚悟はすでに固まっていた。

 ドアが開き、捜査員が無言で入ってきた。

 「鳳谷隆真さん、証券取引法違反の疑いで逮捕します。」

 冷たい金属の感触が両手首を締め付けた瞬間、彼の胸に去来したのは怒りでも恐怖でもなく、深い諦念だった。

 廊下に並ぶ社員たちは声を上げられず、ただ目を伏せてその光景を見送った。外では報道陣のカメラが一斉にシャッターを切り、フラッシュが白い光を放った。

 連行される最中、鳳谷は窓の外に広がる街並みを一瞥した。

 ——俺が挑んだのは、メディアの未来だった。だが、彼らは未来よりも現在を守ることを選んだ。

 その思いが胸をよぎったとき、足元に差し込む光がやけに眩しく見えた。

 それは敗北の光であり、同時に彼に課された試練の光でもあった。

 車両のドアが閉まり、街の喧噪が遮断された。

 こうして、鳳谷隆真の闘いはひとつの結末を迎えた。だが、それは物語の終わりではなく、真実の深淵への入口にすぎなかった。


終章 残された問い

第1節 取材ノートの前で

 2025年、都心の小さな編集室。机の上には古びたファイルと、びっしりと書き込まれた取材ノートが積まれていた。ひとりのジャーナリストが、その紙束を前に深く息をついた。

 ——二〇〇五年のあの買収劇から二十年。

 彼が追い続けたのは、単なる経済事件ではなかった。メディアを巡る「正義」と「欲望」の衝突であり、その裏に潜んだ人間たちの怒りや恐怖、そして見えざる力の存在だった。

 ノートの端には、かつて当事者から聞き取った言葉が残されていた。

 「氷室を怒らせたこと、それがすべてだ。」

 「未来を信じていたのに、仲間は金の匂いに消えた。」

 「良くないことが起きるかもしれない──あの言葉は、予言だったのか。」

 ジャーナリストはペンを置き、窓の外に目をやった。そこには、かつてテレビが支配していた景色とはまるで違う、スマートフォンとネット配信が主役となった世界が広がっていた。だが、人々が求める「情報」と「物語」は二十年前と変わらず、むしろ混迷を深めているようにも見えた。

 果たして、あの闘いは誰の勝利だったのか。

 氷室か、鳳谷か、それとも彼らを傍観しつつ仕組みを操った見えざる存在か。

 記録を読み返すほどに、答えは霞の向こうへ遠ざかっていく。

 ジャーナリストは小さく呟いた。

 「メディアの覇者は、いったい誰だったのか。」

 その問いは、今もページの隙間に残されたまま、未来へと投げかけられていた。


第2節 未来への眼差し

 ジャーナリストはノートを閉じ、窓際に立った。

 目の前に広がる街は、無数のスクリーンと配信チャンネルに覆われていた。二十年前、テレビ局の支配力を脅かした「異端の挑戦」は、形を変えて現代の常識となっている。

 だが、彼は心の奥で疑問を拭えなかった。

 ——本当に、あの闘いは未来を拓いたのだろうか。

 ライブリンクの挑戦者は敗北し、氷室の守護者も第一線を退いた。だがその空白を埋めたのは、外資系の巨大プラットフォーム企業だった。テレビでもネットでもない、新たな覇者たちが人々の視線と時間を独占し始めている。

 「結局、誰も真の勝者にはなれなかったのか。」

 ジャーナリストは独りごちた。

 机の上には、未整理の取材メモが残されている。そこには「政治との結びつき」「金融機関の影」「報道の偏向」といった文字が走り書きされていた。二十年前の買収劇は終わったが、その延長線は今も続いている。

 人々は今日もニュースを信じ、映像に心を揺さぶられ、そして見えぬ力に知らぬ間に操られている。

 メディアとは何か。誰が未来を形作るのか。その問いは、決して過去のものではなく、今この瞬間の社会をも照らしていた。

 ジャーナリストは最後に取材ノートを手に取り、ページの余白に一行だけ書き記した。

 「覇者は常に変わる。だが問いは残り続ける。」

 その筆跡は強く、震えながらも、未来への眼差しを宿していた。


 ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。本作は、実際の歴史に着想を得ながらも、フィクションとして「もしも」を徹底的に掘り下げた物語です。

 登場人物たちの決断や苦悩は、単に経営の世界に限らず、私たちの日常や社会の在り方にも通じるテーマを孕んでいます。メディアとは何か、権力とは何か、そして未来を選び取るのは誰なのか。本作を通じて、少しでも考えるきっかけになればと願っています。

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