天の書
彝 ー眞究竟眞實義ー 掌篇之輯#7 第七輯
小春日和の長閑な或る日のこと、薙久蓑町の雑居ビルの一階で書肆を営む天平普蕭は、彼の店内で古書を様々に物色しながら、京浜文學の冊子を眺めては歎息し、冬芽書房から出版された熱田五郎(本名:澁谷天珍児)の『さむい窓』を手にとっては、色褪せた表紙の水色や、さらさらと手書きされた、味わい深い簡略な表紙絵などを眺めて捲り、ページが日焼けでボロボロになっていることを楽しんでいる、そんなふうにしか見えない後輩の平衛隆臥に訊いた、
「君は、色々書いているようだが、誰に見せるでもなく、公募に応募もせず、投稿サイトに投稿する訳でもなく、親しい友にも読ませない。君は、一體、何をしているのか。どうして書くのか。どうしようと云うか。何のために書くか」
隆臥はぼんやりした虚な眼で顔を上げ、
「何ですか」
と尋ねた。無精髭を生やし、髪はボサボサ。いつもよれよれのデニムのズボン、ポケットの縫いを補強する銅製リベットにはツヤがない。冬はセーター、春秋はスウェットかロンT、夏はTシャツ。靴下は履かない。靴はいつも薄汚れた布のバッシュー。要するに服は上下含めて五着(つまり、穿くのは一年中同じデニム)、靴は一足(サンダルを靴と数えていいなら二足だが)。
やや垂れ気味の大きな二重瞼がぼうっとした感じを与える。いい方に考えればラテン系の人のようでもあるが、ラテン系の人とは似ても似つかない。
「小説書いて誰に読ませたいか訊いてるのさ」
面倒臭くなってそういうふうにまとめた。
暫時、隆臥は呆然としていたが、
「誰のためでもありません。
僕の読者は神です。神に読んでもらえれば最高です。書くことは、天に公開するためです。神のために書いています。作品が、内容が崇高で偉大で眞であれば、人に読まれることは必須ではありません。
だから、できれば神の言葉で書きたいのです。眞實の言葉で書きたい。
神に読んで戴きたい。人間に読んでもらっても意味がない。
人はただ自分に都合のいいものを自分のために肯定するだけです。自分を表明できるものを評価するだけです。
人の評価は気まぐれで、時代によって変わります。永遠ではない。
僕の読者は神です。神のために、永遠の評価のために書きます」
普蕭は咳払いをした。
「僕の友達は、天易真兮や同源叭羅蜜斗や天之哥舞伎や彝之〆裂たちを始め、奇人ばかりだが、君も極めつけのキの字だな。
人間の言葉じゃなくて、神の言葉で書きたいのか。神のために書くというのは、まあ、ギリわからなくもないが」
隆臥はもう聞いていなかったが、独り言のように、
「人間の言葉は偶然からできた自然の産物だ。鳥の囀りや風の音のようなものだ。空っぽで、空疎で、意味がない。偶然にしかず、効果でしかない。本質や實體がない、イデアιδέαがない。
ただの合図で、その合図が出れば、心的な納得感情が湧くスイッチに過ぎない。中身は空っぽだ。辣韮のようにどこまでも皮ばかりで、剥けば最後は何もなくなる。問えば、虚しい答しか返って来ず、無限に問いが続いて、行き着く究極の確固たる正解がない。
空疎な空転を繰り返して、實がない」
「相変わらず大きな独り言だな。君、それはドクサ(思い込み・独断・臆見)だよ。よく考えてみたまえ、その決めつけはどこから来たんだ?
それこそ空疎なものに過ぎない」
隆臥は暫時、意味を考えてぼうっとしていたが、
「そのとおりですが、科学的に現實を観察すれば、そうとしか見えません」
普蕭は唇を曲げた皮肉な笑みを浮かべて言う、
「見えたものが見たとおりに眞實ならばね」
隆臥は項垂れた。
「それを言うと、もう何も言えない、何も行動できない、行為できない、思考不能です。何もできない」
普蕭はキャラに似合わず、腹を抱えて笑った。
「できなくないさ。實際、今できてるじゃん。結局、人生ってそういうことなのさ」
……でも、まあ、それが空疎さを感じさせる中枢なんだが。
「別に誰も困っていなよ」
普蕭が俺にそう言った。そうだなと俺も思った。