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きっかけ(Type-B)

作者: Kei

部屋の床が抜けた。

僕は大量のCDと共に、下の部屋に落ちていった。

したたかに腰を打ち、CDの山に埋まって身動きもできず、もはやこれまでと思っていたところ、下の人に助け出してもらった。


部屋はめちゃくちゃになってしまっていた。僕は下の人にひたすら謝って、当然のことながら壊してしまったものがあれば弁償しますと申し出た。ところが下の人はなんでもミニマリスト?(とか言っていた)で、部屋には余計なものを置いていないから大丈夫だと言う。僕はびっくりして、CDとかアクスタとか生誕グッズとかペンライトとかないんですかと聞いたところ、DL時代だからCDは買わない、アクスタとは何か、誕生日プレゼントはもう貰っていない、さらには防犯用のライトはスマホで代用する、と話が通じない。そこで、部屋を片づけながらアイドルとその応援、つまり「推し活」についてイチから語っていった。


下の人は同じCDが沢山あることについて首をかしげていたが、握手会に参加するために握手券の入ったCDが大量に必要で、しかし同時に処分に困っており、できれば今後の推し活の資金作りのために売れないかなどと考えているうちに床が重さに耐えかねた、という経緯について話すと理解してくれたようだった。


そうはいっても、グッズはともかく推すだけならタダの「推し」さえ持たないぐらいにミニマルな生活をしているなら、僕のような生き方はちょっとヘンに思われたかもしれない。そもそも理解されにくい趣味ではあるけどそれはちょっと悲しい。とはいえ天井を破ったり部屋をめちゃくちゃにしたりでこれだけ迷惑をかけてしまったんだからそれも仕方ない… などと思っているうちに、CDを全部アパートの外に運び出すことができた。


アパート前の道路にはみ出しそうになっているCDの山を見て、これはもう不用品買取業者に頼むしかないと心を決めた。近くの業者に電話をかけて回収料金と時間を聞いて、後は待つだけとなった。


そうして一段落したら気持ちが緩んだようで、下に落ちた時にこれでもかと打った腰が急に痛み始めた。腰をさすっていると、下の人が病院に行った方がいいと勧めてくれた。僕はCDの処理は自分の責任だからと言ってはいたが、痛みがどんどん強くなっていき、どうにも耐えられなさそうだった。そんな僕の状態を察してか、下の人はいつの間にかスマホでタクシーを手配してくれていた。僕は下の人にCDの回収費用を預けて、まもなく来たタクシーに乗って病院に向かわせてもらった。


診てもらったところ、尾てい骨を骨折していると言われた。入院はしなくていいが、回復には最低でも一ヶ月半から二ヶ月程度はかかるとのことだった。先生は僕の体重を見て、その間は絶対安静にしておくように、でないと完治までに数ヶ月かかるかもしれないとクギを刺してきた。


安静にするといっても部屋は床が抜けてしまって住めない。僕は一旦、実家に帰ることにした。

家を出る前に自分の部屋だった場所は妹の部屋になっていた。なので仕方なくリビングに住んでソファーで寝ることにして、そこでアパートの大家さんに電話をかけてかくかくしかじか。すでに下の人が連絡してくれていたようで話はスムーズに進んだ。


翌日から腰の痛みが酷くなり、それから二週間ほどは寝ているしかなかった。しかし徐々に痛みが和らいできたので、真ん中に穴が空いたドーナツみたいなクッションに座ってスマホで推し活を再開した…途端、安静そっちのけで飛び上がることになった。なんと寝てる間にグループの新曲リリースが決まっていたのだ。僕は大急ぎでCDにDVDと全国握手会参加券が付いた初回仕様限定盤を予約した。それからは握手会までに腰が回復するよう願い続けた。


そんな願いが通じたのか、翌月初めには遠出に耐えられる程度にまで治っていた。

当日は早朝から都内に向かった。会場はお馴染みの「東京おしましセンター」だ。随分と早く着いたので、腰を安めることを兼ねてネットカフェで一休みすることにした。久しぶりの握手会に気持ちが高まる。個室ではメンバーのひとりひとりにかける言葉を何度も何度も頭の中で推敲した。


そうこうしているうちに時間が近づいてきたので会場に向かう。

会場周辺にはたくさんの人が集まっていた。同じグループを応援するファン同士、見知らぬ間柄でも不思議な連帯感があるもので、それぞれが熱気を肌で感じて自然とテンションが上がっていく。集まったファンたちのそんな様子が見て取れて、僕も中断を余儀なくされていた推し活現場に復帰した実感がわいてきた。


受付で参加券と身分証明書を提示して手荷物の検査も終えた。そしてこれまで何度も並んだ待機列に並んだ。


僕の順番が近づいてきた。


握手は今回も一瞬で終わってしまった。事前に考えてきたメンバーそれぞれへの言葉も結局、十分に伝えることはできなかった。あがってしまって、しどろもどろになって、挙句にメンバーにフォローされて… これも毎回のことだった。でも不思議と後悔はない。それどころか、むしろ嬉しくさえある。ここまでがいつもの余韻だった。結局、みんなの輝くような笑顔と可愛らしい声、そして柔らかい手、いつもしてくれる離れ際の「ギュッ」とウインク… それらを全身で感じられて満足してしまうのだった。


会場を出て、さっきの光景を思い返しながら歩いていると、前の方に見覚えのある人がいた。

あれは… アパートの下の人…!?


僕は声をかけてみた。


「あのー」


「あっ…! やぁ… こんにちは。」


「どうしたんですか?こんなところで!」


「あぁ、いえ… その、ね。」


「もしかして握手会ですか!?」


「あー、うーん… 実は…」


先月の一件について改めてお詫びしないと、また色々助けてもらったことにお礼を言いたい…と思いつつ、床が抜けた日以降、その機会がなかった。でもまさか、こんなところで会うことができるとは。


下の人はなんだか気まずそうな様子だった。そしてゆっくりと、あの日のあの後のことについて話してくれた。


「実は…あなたが病院に行った後で、部屋の中にCDが一枚残っていたのを見つけたんですよ。それを聴いてみたらなんだかいい感じで。それで、外に出したCDの山から別のタイトルも聴いてみたんですよ。そうしたらどうも気に入ってしまって… 処分するのに悪いと思ってはいたんですが、CDを一枚ずついただいてしまいました。すみません。」


僕は驚いた。と同時に「仲間」を得た喜びから自然に話し始めていた。


「いやーまさかあなたがファンになるなんて!でも最高に嬉しいですよ!あの時はあんまり興味なさげだったし… やっぱりアイドルとか推し活とかマイナーで人権ないのかなって、もしかして馬鹿にされちゃったかなってちょっと心配してたんですけど…でもよかったァ。CD聴いてくれてよかったですよ!だってそれで興味持ってくれたんだし、新曲買ってくれて、応援してくれて、それで握手会も来てくれたんだし。だからここで再会できたんだし!推し活ってひとりでやるのもいいんですけどやっぱり仲間がいるともっと楽しいっていうか、いやゼッタイにそうなんですよ…いろいろ語り合ったり一緒にライブ行ったりできると最高じゃないですか!…」


こうして新しい「推し活」が始まった。

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