市立立野宮小学校
『市立立野宮小学校』は、新庄が小学4年生の頃に閉校となった学校である。
新庄が住んでいた地域の過疎化が進み、生徒は小学1年生から小学6年生まで同じ教室で授業を受けていたため、教育の遅れを保護者から心配され、必要に駆られての閉校だった。
生徒はそれぞれ市の大きな小学校へ転入し、無事に全員が高校まで進学できたと聞いた。
立野宮小学校に通っていた頃は、同じ教室にいる友達が家族同然のような関係だったため、転入後は新庄も環境に慣れるまでが大変だったが、何人かの親しい友達ができると、次第に閉校となった小学校のことを忘れてしまった。
――30年以上前の遠い昔の記憶である。
こうして写真が出て来なければ、永遠に思い出さなかったのかもしれない。
そんな反省を含めて、新庄はブリキ缶の中にあった写真を一枚一枚手に取り、記憶の糸をなんとか手繰り寄せようとした。
(それにしてもすごいな……ここまで記録していたなんて)
写真を見ていると、過去の自分が小学校の思い出を残そうと必死だったことが窺える。
教室や施設の一つ一つを丁寧なアングルで撮影し、また手書きでどんな間取りだったか紙に書き込んでいた。
それらの資料を見る度に、新庄は「へ~」とか「ほ~」などの言葉が漏れたので、その姿を妻である香苗は冷ややかな目で見ていた。
「……あの人、写真を見て何をニヤニヤしているのかしら?」
「さあ……?」
香苗と新庄の母親は、首を傾げながら二人で茶を啜っている。
……そんな二人を他所に、新庄はブリキ缶の底に茶色の手帳が入っていることに気が付いた。
(こりゃなんだ?)
手帳を手に取ってパラパラと捲ると、何やら日記のような文体で様々な事柄が記されている。
そして最初のページには、「みんなの願いをかなえる!」という、いささか大袈裟なタイトルがマジックの太文字で書かれていた。
(ああそうか……ようやく思い出したぞ!)
新庄はポンと膝を叩くと、汚い字ではあったが、手帳の内容を目を凝らして必死で読もうとする。
……正直な話をすれば、この資料はゲームづくりのネタになるかもしれないという下心もあった。
だが読み進める内に、新庄の中で子供の頃に捨てた「何か」がムクムクと芽生え出し、その志を引き継がねばならないという想いで今は一杯になる。
また手帳の他に、ブリキ缶には一枚のメモリーカードも入っていた。
それはゲーム機のセーブデータが入ったメモリーカードで、過去に新庄がゲーム制作ソフトを使用し、手帳の内容をゲーム化しようとした記録でもあったのだ。