5.過去一番の大作
汽車の旅は疲労が溜まるものらしい。
幸いな事に酔いはしなかった。汽車は駅を出て町中を走ると次第に開け、農地の間を通ったり、川に架かる橋を渡ったり、家がポツポツと建っている集落の近くを通ったりした。窓から見る景色は退屈凌ぎに丁度良かった。ただ、汽車の煙がモクモクと凄くて、「窓を開けると顔が黒くなるぞ」と父に言われ、窓の向こうの煙の隙間をぬって眺めなければならなかった。風向きが変わると煙の流れる方向が変わるので良く見え、その時ばかりはじっくり観察していた。
一番辛かったのはお尻が痛くなる事だった。ずっと座っているだけなのだ。気分転換に自由に出入り出来る車両の探検に兄を伴って出掛けた。念の為のボディガードとして。でも列車は揺れるし、通路は狭く人とぶつかるしで、長くは時間を潰せなかった。結局客室に戻って窓の外を眺めていた。
一日汽車に揺られ、空がうっすらオレンジに染まる頃一旦汽車を降りた。この駅で乗り換えをする必要があるので、ここで一泊する。
この駅は東西に延びる路線と南部に行く路線が交わる所だった。駅の隣には蒸気機関車の屋根の付いた家が数棟連なっていた。車両基地が隣接しているのだろう。それから倉庫も建っていた。汽車で運んで来た物を保管する為だろう。
駅のそばには食堂や宿屋が多かった。そしてメイン通りは綺麗に整備されていた。今朝出て来た駅に比べたら大きくは無いが、駅を利用する者や駅で働く者が多く、駅が出来た事で発展した地域なのだろう。
数件並ぶ宿屋の内、一番大きな宿屋に入った。ここも嫁入り先の家にお勧めされ、費用も負担してくれるらしい。
「宿屋の食堂で出される鴨肉料理が絶品なので是非召し上がってください。ワインの名産地も近いので一緒に楽しみ、旅の疲れを癒やしてください」
こう手紙に書かれていた通り、鴨肉料理とワインを楽しんだ。前評判通り美味しかった。
こんなにも至れり尽くせり状態で嫁ぐのが私と言う事に申し訳無さを感じてしまう。嫁いだら私に出来る事を精一杯頑張らせて頂こうと決心した。
◇◇◇
婚約期間がたったの三日で解消となった事は、噂好きの貴族達のネタとしてあっという間に社交界に広がった。解消の原因となった候爵家の大奥様の件は、候爵家の恥となると困ると言い、候爵家から口外しないで欲しいと言われている。慰謝料も貰ってしまった為、周囲から婚約三日で解消の理由を問われても何も言えず、自然と噂の多い私ばかりが嘲笑の的となっていた。
“アンティーク令嬢”“前国王陛下のお気に入り”“絶世の美女カトリーヌの孫”に加えて“婚約期間三日で解消”と、社交界デビューをして半年程で私の肩書が四つになった。
そんな私に興味津々な方々が夜会やらお茶会やらに招待をしてくれ、それに出席すれば陰口を囁かれていた。
正直疲れる。
社交界なんてそんなもん。と、開き直りたいのに気持ちがついて行かない。
もう結婚出来なくても良いかも。とも、思ってしまう。面倒になっていたのだ。
夜会で散々に陰になっていない陰口を囁かれ、知りたがりのおしゃべりさんに婚約解消について追及され、ぐったりとして帰って来た翌日、私は金ペン万年筆を手にして、手紙を書き始めた。
金ペン万年筆も祖母から譲って貰った物だった。金ペン万年筆は高価だ。貧乏伯爵家の令嬢のお小遣いで買うのは無理だが、祖母が結婚する前に買って貰った物だそうだ。
金ペン万年筆は鉄ペンに比べとても書き心地が良い上に錆びにくく、手入れをすればこうして数十年も使い続けられる。その万年筆で手紙を書く相手は、隣国の大叔母である。
祖父はもともと隣国ビリュベルデ候爵家の長男であった。候爵家も貿易を営んでおり、二人は万国博覧会で出会ったのだそう。万国博覧会のチケットを購入出来るとは、両家とも裕福だったのだろう。
万国博覧会で二人は恋に落ち、祖父は嫡男で侯爵家の後継者であったが我がアンジュ伯爵家の婿となり、侯爵家は妹の大叔母が継いだ。そして祖父が継いだ伯爵家は貧乏になり、大叔母が継いだ侯爵家は変わらず裕福。ホント、大叔母が継いで正解。侯爵家、怪我の功名、雨降って地固まる、結果オーライ。
そんな大叔母と初めて会ったのが四年前、祖父が亡くなった後だ。祖父の死によって祖母は元気を無くし寝込んでしまった。そんな祖母の話し相手となってくれたのが大叔母だった。国境を跨いだ距離で暮らし、会ったのも数える程だったらしいが、二人は義理の姉妹としてとても仲が良かった。頻繁に手紙のやり取りもしていた。大叔母は一ヶ月程伯爵家に滞在していた。一緒に息子である侯爵と孫も来て、我が国の視察や商品の買い付けも精力的に行っていた。
大叔母は息子しか生まれなかったそうで、孫も男児だった。なので女の私をとても可愛がってくれた。二年前に祖母が亡くなるまで頻繁に伯爵家まで訪れてくれていたが、亡くなってからは年齢の事もあり隣国の侯爵家から伯爵家まで移動するのが大変となり会えなくなってしまったが、手紙のやり取りを続けていた。
大叔母に社交界デビューをしてからのあれやこれやを報告した。聞いて欲しいと言うよりは、もやもやっとした不満をぶつけたかったのだと思う。
“アンティーク令嬢”なんて、嗜好を皮肉られているのだ。
それに何かって言うと“カトリーヌ”が付きまとう。祖母の事は大好きだけれど、私を祖母と重ねて見るのはやめて欲しい。私は“セリーヌ”だ。“セリーヌ”を無視しないで欲しい。
そんな思いを込めた手紙は過去一番の大作となってしまった。封筒がパンパンになった厚みのある手紙を大叔母に送った。手紙に吐き出したら少しだけ気持ちが落ち着いた。