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15.血が繋がっているのね

 海の町を出て一晩が過ぎ、列車は山間を走っていた。山肌の線路を通って行く途中、列車が大きくて甲高いブレーキ音を立てて急停車した。それはなかなかの衝撃だった。山間は紅葉が美しく見え、窓からその景色を眺めていたから座席に座っていたが、停車の衝撃で座席から投げ出されそうになり、隣に座る兄に縋り付いて何とか堪えたけれど、座席に背中やお尻を強く打った。


 異変を感じてか客車の通路には他の客が出ている様で、ザワザワとしていた。窓から紅葉を楽しんでいたけれど、ふと下を見れば今居るのは崖の上だった。こんな所で停まるなんてと、思わず唾を飲み込んだ。


 暫く停車していたら、乗務員が各車両に説明に回って来た。どうやら崖崩れがあり緊急停車をしたらしい。比較的見通しが良い所だったので手前で崖崩れを発見出来たおかげで衝突は免れたようだ。ぶつかっていたら脱線していただろう。こんな崖上で脱線したら転落してしまってもおかしくなかった。ほっとした様な、ゾクッとした様な。

 崖崩れは乗務員総出で片付けをしているのだそう。いつまた動き出すか分からない間、この崖上にいるのかと思うと不安になった。


 それなのに父や兄は「待つしかないな」なんて、落ち着いたものだった。これも慣れなのだろうか。


「セリーヌと共に過ごす時間が少し伸びたな」


 だって。喜んで良いのかしら。

 でも少しだけ怖さは軽くなった。わざとそんな事を言ったのかもしれない。



◇◇◇



 翌日、すっかり一人朝食が日課となってしまった私は、誰が何処に行ったのかも分からず、食後に一人でただ呆けていた。暖かい春の日。夏が近付き始め、直接の日差しは少し暑くも感じるが、カーテン越しは心地よく眠気がやって来た。

 それも仕方が無かった。昨夜はあまり眠れなかった。


 しかし寝不足だからと今寝てしまっては、また夜に眠れなくなりそうだ。頭を起こす為にまずは体を起こそうと自室に向かった。自室に飾っている真鍮の花瓶を見た。ライラックの小さな薄紫の花が数個落ちていた。もう変えた方が良いかもしれない。また庭からライラックを拝借して飾ろうかとも思ったが、庭のライラックも沢山花が落ちて薄紫の絨毯が出来ていた。生けて丁寧に切り戻しをしてもあまり日持ちしないだろう。花瓶をお休みさせても良いかもしれない。よく乾かして磨いてやろうと、花瓶を持ち出した。

 厨房にお邪魔して花瓶を磨いた。厨房の使用人は私の遅い朝食の時間が過ぎ、皿洗いも終わって休憩していた。


 花瓶の手入れが終わって部屋に戻ろうと厨房を出た。途中廊下の窓から庭のライラックが見えた。樹の下で庭師が掃き掃除をしていた。沢山の花びらが落ちていた。ふと、サシェを作ろうかと思いついた。ライラックの香りはパウダリーで爽やかな優しい甘さ。心が落ち着くだろうと思った。寝不足の私には丁度良い。

 庭に出て庭師に「サシェを作りたいから花を貰っていく」と伝えると、「ちょっと待っていてください」と言って庭小屋から籠と枝切り鋏を持って来てくれた。花がまだ沢山付いている枝を切ってくれようとしたので「自分でやりたい」と伝えると、「お好きなだけ持って行ってください。ご用があれば呼んでください」と言って、その場を離れて別の庭作業をし始めた。

 ライラックの樹の下は香りが心地良かった。すーっと深く息を吸うとドクドクとゆったりした鼓動を感じる位に体が落ち着いていった。独り占めさせてくれた庭師に感謝だ。 

 真鍮の花瓶を籠に入れ、籠を腕に掛けると鋏を手にし花が付いた枝をクンッと下げてパチンと切った。その衝撃で可愛らしい小さな花が数個落ちた。切った枝を籠に入れ、また枝に手を伸ばした時、その枝がぐっと近付いて来た。

 枝が勝手に動いたのかと、そんな馬鹿なと思ったのも束の間、枝を掴む手が見えた。腕を視線で辿って行くと、クラウディオの顔が現れた。


 げ、逃げたい、と思った。


 思った事は行動として現れるもので、私は後退っていた。そしてそれを察して先手を打つようにクラウディオは私の鋏を持つ腕をガシッと捕まえた。


「逃げるなって」


 昨日も似た状況だったなと思い出した。


「痛いから離して」

「離したら昨日みたいに逃げるだろ」


 バレたか。


「腕を捕まえられるのが嫌なら抱き締めるぞ」


 思わずカッと顔が熱くなった。冗談なのか本気なのか分かりづらいから困る。


「……分かったわ。逃げないわよ」


 私の言葉で腕を掴んでいた手を離してくれた。


「これ、切るんだろ」


 先程切ろうとしていたライラックの枝を再びぐっと下げてくれた。だからパチンと枝を切った。


「花がついたぞ」


 また枝を切った衝撃で花が数個落ちた。その内の一つが私の肩口に落ちたらしい。クラウディオが摘んで取ってくれた。


「あら。その花、ラッキーライラックじゃない」

「ラッキー?なにそれ」

「花びらが五枚のものをそう呼ぶのよ。普通は四枚だから。飲み込むと幸せが訪れるって言われていて、恋のおまじないに使われるのよ」


 そう言った瞬間にクラウディオはその小さな花を口に入れて飲み込んだ。それはもう、ごっくんと。


「食べた……」

「飲み込むと良いんだろ?」

「誰にも言わずに飲み込むのよ。私も居るから効果無いんじゃない……」

「……早く言えよ」


 思わず笑ってしまった。まさか本当に飲み込むとは思わなかった。


「どんな味だった?」

「噛まずに飲み込んだから味は知らない」


 クラウディオの顔を見ると、どこかほっとした様な表情だった。笑い合えている事に安心したのだろうか。


「この花どうするんだ?」

「サシェにしようと思って」

「花瓶に飾るんじゃなくて?」


 クラウディオは私が腕に掛けている籠の中を見て言った。花瓶を持っているからそう思ったのかもしれない。


「花瓶はさっき磨いてきたところなの。ライラックももう見頃が終わりでしょ。飾ってもすぐに花が落ちてしまうと思って」

「そうか……」


 さっき切った枝を籠に入れた。花付きが良い枝を選んだから、サシェを作るにはこれで十分だ。「部屋に戻るわね」と言ってこの場を去ろうとした。これは逃げにはならないだろう。


「セリーヌ」


 名を呼ばれてしまえば止まらなければならない。逃げないと言った手前、無視して去る事は出来なかった。


「昨日は、悪かった。昨日あれから聞いたよ。あのドレスがカトリーヌ夫人の物だとは思わなかった」


 そう言えば、祖母のドレスだとは言ってなかったかもしれない。

 私はもしかして早とちりをしてしまいがちなのだろうか。もっと相手の状況を考えてその瞬間の感情に任せずに冷静になるべきだったのかもしれない。


「……私も、態度が悪かったわ。ごめんなさい」

「俺に腹を立てたなら何に怒ったのか言って欲しい。避けるのは勘弁してくれ」

「……気を付けるわ」

「それに……我が家にもあるんだ。お祖母様のドレスが。お祖母様は結婚式でセリーヌに着て欲しくて、それを楽しみにしているんだよ」


 大叔母のドレスが?

 大叔母がそれを楽しみにしてくれている?それだけ私を大切に想ってくれているという事だろうか。

 クラウディオも大叔母のその気持ちを知っていたから、祖母のドレスを肯定出来なかったのかもしれない。


 クラウディオはスッとポケットから包装紙を取り出し、私に差し出した。円錐に包装されたのは一輪のカーネーションだった。


「もう国に帰らなければいけない。父からも督促が来てしまって。セリーヌを連れて帰るつもりでここに来た。だから、俺と一緒に来て結婚して欲しい」


 真っ赤なカーネーションだ。


 私は動けなかった。


「明後日に帰る。それまでに決めて欲しい」


 急だ。明後日なんて、無理だ。

 急に来たかと思えば、帰るのも急だなんて。何て忙しないのだろう。


 私が動かず花を受け取る事もしないので、クラウディオは花を私が持っている籠に入れた。


「一応、プロポーズのつもりで持って来たけど今は決められないと思うから、昨日の謝罪の気持ちだと思って受け取ってくれたら良い。その花瓶に飾ってあげてくれ」


 クラウディオはこの花瓶に生けるのを見越して一輪だけ買って来たのだろうか。ライラックを花瓶に飾るのかと聞いてきたのも、カーネーションの行き場を気にしてだったりするのだろうか。


 真っ赤なカーネーション。これと同じ真っ赤なカーネーションが花瓶に生けられている記憶を、私は覚えている。


「……お祖父様と、一緒なのね」

「大伯父様?」

「お祖母様が、お祖父様からプロポーズされた時に赤色のカーネーションを一輪貰ったって。それから毎年結婚記念日に赤色のカーネーションが贈られて、この花瓶に生けていたの」

「ああ、我が国では意中の女性にカーネーションを贈るのが一般的だからな」


 クラウディオが少し顔を赤らめた。この頃すっかり変わり気持ちを真っ直ぐに伝えてくる様になって、こうして顔を赤らめるのも久しぶりに見た。それだけこの行為がクラウディオにとって勇気のいる事だったからなのではないだろうか。


「やっぱり、血が繋がっているのね」

「我が家門の習わしじゃなくて我が国の風習だって」

「一輪だけ贈るのも?」

「それは……そうだな……」


 悟ったらしい。祖父もクラウディオも花瓶の事を考えて一輪だけにしたのだ。

 大きな花束を愛の大きさに見立てて贈る人もいる。花言葉に倣って意味の本数分を贈る人もいる。でも二人は花瓶に飾る事を考えて一輪にした。考え方が似ているのだ。


「俺、大伯父様に似てるのか……?」

「まあ、それは大変。侯爵家が貧乏になってしまうかも」

「シャレになんねぇ……」


 本気で嫌がるクラウディオを見てクスッと笑ってしまった。


「大丈夫よ。クラウディオは大叔母様似よ、きっと」


 クラウディオは背が小さかった頃に比べてずっと成長した。語学が堪能でこうして仕入れを任される位一人前として扱われているのだ。


「なら良かった」


 結局私達はその後会話もせずに邸の中へと入って行った。


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