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14.小さくなってしまいたい

 シュシュシュシュ……

 ガタン、ガタン……


 そんな音を子守唄だと思って眠りについた。昼間に町の散策に出掛け疲れていたのも睡眠導入に一役買った。それでもぐっすりと眠るには至らず、眠りの浅い時に瞼に光を感じておぼろげながら目を覚ました。朝の様な眩しい光では無く、仄かな暖かい光だった。ランプの光だろうと当たりをつけて、寝台のカーテンの隙間から手を差し入れて覗き見た。ランプの明かりに照らされて浮かび上がった人影は父だった。一人だった。一人で窓を見ながらワインを飲んでいる様だった。


「眠れないか?」


 私が覗いているのに気がつき声を掛けられた。


「目が覚めてしまって。結構寝ました」

「そうか」


 優しく穏やかで、小さな声。皆が寝ているから気を遣ってだろう。


「お父様は寝ないのですか?」

「うん。もう少しこうしてる」

「窓から何が見えるのですか?」


 ワインをちびちび飲みながら窓を見ているが、夜で窓の外は真っ暗だ。私には外の景色が何も見えない。


「窓に映る自分を見てる」

「……お父様はナルシストでしたっけ」

「ははっ。老けたなぁって思って見てた」


 窓の外は真っ暗だから、ランプの明かりのせいで窓には室内が映ったのだろう。


 老いとは誰にでも来るもの。

 私はアンティークが好きだ。新品の物よりも何故か心が動かされる。私の手元に来る前に何処かで歴史を積んで来たのだと思うと、出会えた事を嬉しくなってしまう。特にお祖母様や身近な人が大切にしてきた物だと思えば愛着が湧いてくる。そして大事に大事に扱う事で長持ちする物が多い。

 しかし人は寿命がある。だから老いる。


「当たり前だよな。セリーヌが結婚する様な年齢になったんだから」


 私が大人になる年月を過ごして来たのなら、父も同じ年月を経ている。老いて当たり前。そして私もこれまでは成長と言われてきた年月が、老いの年月に変わるのだろう。


「私、お父様が出先から帰ってくると『ただいま』と言って私を抱き上げてくれるのが大好きでした」

「……そうか」

「当時のお父様も格好良くて好きでしたけれど、今のダンディなお父様も大好きです」

「ははっ。照れるな」


 アンティーク好きだから男性もオジサマが好きって訳ではけっして無いが、様々な経験を経て醸し出される男性の色香や気配りや心配りは素敵だと思う。ジンジャークッキーも父が母の為を思って用意したのだ。小さな事かもしれないけれど、小さな事だからこそ愛情を感じる。小さな愛情を沢山持っているのだ。


「そろそろ寝ておきなさい。また具合が悪くなるぞ」

「はい。お父様も具合が悪くならない様に」

「慣れているから問題無い。もう何年も列車に乗っているからな」


 仕事で家を空ける事は多かった。こうして列車に乗って各地を赴いていたのだろう。だから帰って来た時に嬉しくて父を出迎え抱き上げて貰っていた。


 父に「おやすみなさい」と言ってカーテンを閉じた。ふと、「嫁に行くのか」と呟く父の声が聞こえた。もう父に抱き上げて貰う事は無くなった。重いだろうし。でも沢山して貰った記憶があるだけで心は温かくなる。

 目を瞑った時、ズッと鼻を啜る音がした。音の大きさと音がした方向から、何となく母だったのではないかと思った。



◇◇◇



 あれから三日程クラウディオを見ていない。毎日朝から出掛けており、わざと寝坊している私は家族との朝食にも顔を出さない為に全く会わなくなった。



「クラウディオとキスしたの?」


 お茶を思わず吹き出した。母とティータイムを楽しんでいた時、突然そんな事を聞いてきたからだ。


「してません!」

「でも使用人達が盛り上がっていたわよ」

「なんっ……」

「サロンで見つめ合って手を添えて──」

「してませんっ!」


 詳細に言われるとまた恥ずかしさが湧き上がってきてしまう。掻き消したい記憶なのに思い出してしまう。


「人目につくような場所でするから噂されちゃうのよ。気をつけなさい。使用人達が群がって覗き見してたのをジュークが見つけて注意してくれたのよ。しちゃだめとは言わないけれど、場所は弁えなさいね」


 兄が割って入ってきたのは使用人達に見られていたからなのか。恥ずかし過ぎる。

 それより、嫁入り前の娘に『しちゃだめとは言わない』とはどういう事だ、母よ。


「私にじゃなくて、クラウディオに注意してください」

「したわよ。特にお父様が怒って、嫌がらせの様にセリーヌと二人っきりにならないように朝から夜まで連れ回しているのよ」


 それでクラウディオを見ていないのか。二人っきりにならないどころか顔も合わせていないけれど。


「ジュークは巻き添えでそれに付き合わされているのよ。可哀想に」


 兄よ、ごめんなさい。


「そうだ。貴女には見せたい物があるのよ」


 そう言って母は使用人に大きな箱を持って来させた。一人では持ち難い大きさで、女性使用人二人で一緒に持って来た。

 母がその箱を「よっ」と言いながら開けた。大きい分そこそこの重さがあるのだろう。中からお目見えしたのは繊細なレースとドレスだった。


「これは……」

「貴女の花嫁衣装よ」

「え!?」

「ドレスは元々はお祖母様の花嫁衣装だったものよ。サイズ直しに出していたのが戻って来たの。私の花嫁衣装もあるけれど、貴女はこちらのデザインの方が好きかと思って。それからこのレースはベールね。これはお祖母様の力作よ。今の時代、機械化でレースを編む人は減ってしまったけれどお祖母様はとても上手でね。娘が居なかったから孫娘の貴女の為に編めるのが嬉しかったみたいで、張り切って編んでくれていたのよ」


 レースを手に取り眺めてみる。繊細な柄に手触りが柔らかで透けた私の手が美しく見える。そしてかなり大判に見える。これを一人で編んでくれたのかと思うと嬉しくて、そんな編んでいるお祖母様の姿を想像すると涙が出そうだった。

 こんな綺麗なレースが編めたなんて、教えて貰えば良かった。



 そんな時、賑やかな声が聞こえてきた。


「あら。帰って来たようね」


 父と兄とクラウディオが揃って帰って来た。今日は帰りが早い様だ。


「何をしているの?」


 兄が部屋に入って来て覗き込んできた。


「セリーヌの花嫁衣装を出していたのよ」

「おお。これはセリーヌの好きそうなものだね」

「何で花嫁衣装を出しているんだ。まだ早いだろう」

「まあ、あなたったら。直しに出していたのが戻って来たから見せたのよ」

「クラウディオは見ても過剰妄想はしないようにな」


 兄がふざけてそんな事を言う。あれ以来だから私はどんな顔をして話したら良いか分からず何も言えなかったし、クラウディオの顔を見る事も出来なかった。


「……これを着る決まりがあるのですか?」

「決まりではないけれどセリーヌが好きなデザインかなぁと」

「素敵なドレスだとは思いますが……色のくすみやシミも少し見当たりますのでこれを着るのはどうかなと。他を検討してみても良いかと思いますけど」


 クラウディオの言葉は、私にショックを与えるものだった。


 手にしていたレースをそっと箱に戻して「自室に戻ります」と言って部屋を出た。誰の顔も見る気になれなかった。

 階段を上る手前で名を呼ばれ腕を掴まれた。振り返らなくても声でクラウディオだと分かった。


「この間は悪かった。気まずくなるのは嫌なんだ。だから、避けないで欲しい」


 ああ、そうか。クラウディオは思い違いをしている。


「……クラウディオは私の好みを理解してくれているのだと思ってた」

「え……それは、どういう……」

「腕、痛いから離して」

「ああ!悪いっ」


 パッと反射的に手を離した瞬間に、私はスカートの裾を持ち上げて階段を駆け上がった。息が上がってしまったけれど、そのまま自室までスピードを落とさずに行った。部屋に入って扉を閉めると、そのまま座り込んでしまった。クラウディオは追い掛けて来なかった。



 私のアンティーク好きをよく知っていて、大切な人の大切な物なら何にも変えられない価値があるだろうと言ってくれたのはクラウディオだ。

 私の好みを理解されないのは慣れている。けれど、知ってくれていると思っていた人から否定され悲しかった。期待していたのだろうか。理解してくれる人は居るのだと。


 私はアダン卿に説明する事をしなかった様に、クラウディオにも同じ様に何も言わなかった。あの時はどこかスッキリした気分になれたのに、今日はちっともスッキリしない。悲しみで心が埋め尽くされていた。それに耐える為に膝を抱えた。小さくなってしまいたい気分だった。



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