13.どうしてなんだろう
日が傾いて山々の間に沈む夕日が海に色を映し出した頃、私達は蒸気機関車に乗る為に駅に向かった。これから寝台列車に乗り、首都まで行く。
また体調不良と闘うのかと思うと少し憂鬱だけれど、乗らなければ目的地には着かないので乗るしかない。まさかやっぱりお嫁には行きませんなんて言える筈ないし、ここから実家の伯爵邸の方が遠い。
でも父から頼まれた兄が、酔いを軽減させてくれるらしいとジンジャークッキーを調達してくれた。日中町の散策に出掛けた時に買っていたのだ。
酔ってからだと口に出来なくなるかもと、列車が走り出す前に母とジンジャークッキーを食べた。シナモンの香りが口に広がり、後味に辛味を感じた。
そして町が薄暗く、灯り始めた店の明かりが夢幻的な雰囲気を創り出しているのを動き出した列車の窓から眺め、次第に町を抜けると暗闇の中を走って行った。
◇◇◇
先日クラウディオと出掛けた時にオーダーした靴が届いた。祖母の靴に良く似たデザインで、試着してみると指の周りに少しだけ余裕があった。きっと形が変わってしまった足の指がちょっとでも戻る様にとその為の幅を計算して作ってくれたのだと思う。一流の仕事人の技術は凄いなぁと感心した。
「靴届いたのか?」
外出していたクラウディオが丁度帰って来た。
「ええ。素敵な靴をありがとう」
私は立ち上がって靴を見せ、くるりと一回転してみせた。
「とても動きやすいわ」
「そうか」
クラウディオは私に近付いて来てお辞儀をした。
「え?」
「一曲お願いします」
「何で?」
「試し履きだと思って」
「踊るの?」
「嫌か?」
「曲無いよ?」
「曲は無くても踊れるだろ。足が痛くなったら直ぐに言えよ」
何だか踊る流れになってしまった。嫌と言う訳では無いからクラウディオの手を取ると、手を引かれてサロンに連れて行かれた。そしてそのまま流れる様にステップを踏み始めたのでそれに合わせ踊り始めた。
クラウディオの良い様に流されてしまっている感が否めない。
おそらく足が痛くならない様に簡易なステップを選んでくれている。でもそのゆったりと踊るのが照れくさく感じてしまう。踊っているというよりも、密着しているという感じがしてしまうからだ。おかげでクラウディオの顔が見れずにいた。
「もうすぐ社交シーズンも終わりだろ?まだ何処かの夜会に行くのか?」
頭の上から話し掛けられ、チラリとクラウディオを見上げた。こんなにも背が高かっただろうかと思う程、少し見上げただけではクラウディオの顎辺りしか見えず、視線を合わせるには見上げる姿勢が辛いなと感じた。
「夜会にはもう行く予定は無いわ」
「それは良かった」
「良かったの?」
「やきもきしないで済む」
「何よ、それ」
「行ったら何処ぞの男に誘われるだろ」
「私、あまり誘われないわよ」
「そんな事は無い」
「そんな事あるわ」
「馬鹿な男が多くて助かったかな」
「何よ、それ」
相変わらず口が悪いな。
「セリーヌはカトリーヌ夫人のドレスを着ているんだろ?だから時代遅れで野暮ったく見えるんだろうな」
「まあ、失礼ね」
「だから馬鹿なんだよ。身に着けている物で価値を決めつけ、本人の価値や魅力に気が付かない」
「褒めてるの?」
「勿論。お前は綺麗だ。絶世の美女と言われたカトリーヌ夫人にそっくりなんだぞ。それに俺が一目惚れしたくらいだからな」
直球な言葉に恥ずかしくなって顔を伏せてしまう。クラウディオが照れているかどうか確認する余裕も無い。
「クラウディオこそ、ダンスの誘いがあるんじゃないの?」
「まあ、娘と踊ってくれってのは、ままある。令嬢から直接誘われたものは適当な理由をつけて断った」
ありそうだと思った。クラウディオは侯爵家の跡継ぎ。しかも安定した高収益のある家だ。加えて見目も良い。親としても娘としても大歓迎だろう。
「ヤキモチか?」
「するわけ無いでしょ」
「何だ、残念」
やっぱりクラウディオの良い方に流されている。からかわれている。ちょっと悔しくなって「もういいわ。足も大丈夫」と繋いだ手を解いて一歩離れてお辞儀をしてダンスを強制的に終えた。そしてサロンに置かれているソファに座った。促した訳じゃ無いのに、クラウディオもソファの私の横にドカリと座った。
「セリーヌは自分から誘った事あるのか?」
クラウディオの顔は見てないけれど、声のトーンがちょっと低い気がする。
「無いわよ」
「良いなと思った男は?」
「んー……アダン卿くらいかしら。アダン卿からいつも誘ってくれていたわ」
「アダン卿が初恋なのか?」
「初恋はお兄様よ」
「は?ジュール?」
「だって、私にとって一番格好良い人はお兄様だったもの」
そう。兄は美しい顔立ちをしているのだ。それこそ絶世の美女だったお祖母様の血を受け継いで、とても整った顔なのだ。幼い頃は女の子に間違われる位に可愛らしかった。
「それは恋にカウントするのか?」
「どちらでもいいわ」
「面食いなのか?」
「どうかしら。近くにお兄様みたいに格好良い人が居たらそうなっちゃうのかもしれない」
「俺は?俺はセリーヌからしたら格好良いか?」
そんな質問をしてくるなんて、やっぱりクラウディオは私を動揺させようとしているのだ。
思う壺になるものかと、クラウディオを見つめ返した。
「格好良いわよ」
照れればいいのにと思って言ったのに、クラウディオは満足そうにニヤッとした。私の思い通りになかなかいかない。
「そう言えば、学院はどうしたの?今年卒業じゃなかったっけ。大学は?」
質問に答えるとクラウディオに流れを持っていかれてしまうので、こっちから質問する事にした。動揺させてやろうと、ソファの背もたれに頬杖をつき、首を傾げてみせた。この間行ったカフェ・コンセールで見掛けた、甘い雰囲気を出していたカップルの女性がこんな風に色気を出していた。
クラウディオは一瞬固まった素振りを見せたが、真似して背もたれに頬杖をついた。
「卒業資格が取れたからこっちに来たんだ。セリーヌがプロポーズされたなんて知らせてくるから、大慌てで資格を取った」
……私のせいじゃない。
「大学は行かない。語学は充分学べたからな。仕事は父から教わっているし。それに、大学に行っている間に知らない男にセリーヌを奪われたらかなわない」
またそんな事を言う。あんなに恥ずかしがっていたクラウディオは何処に行ってしまったのか。一度吹っ切れるとこうも甘い言葉を簡単に言えてしまう様になるのだろうか。
負けるものかと視線を逸らさずに反対に首を傾げた。
「知っている男になら奪われて良い訳?」
「知っている男も駄目だ」
クラウディオは手を伸ばしてきた。クラウディオの手が優しく私の頬に触れた。ドキッとして、体が動かなくなってしまった。
「俺以外駄目だ」
昔から知っていて、何度も顔を合わせているのだ。会話するのに視線を合わせるのは普通の事で、どんな顔をしているかなんて思い起こせる位に覚えている。
それなのに今更顔を見つめて狼狽える程にときめくなんてどういう事なのだろう。知っている顔なのに知らない顔に見えるのはどうしてなんだろう。
「おい、こら。こんなとこでイチャつくな」
はっと我に返ると、サロンの入口に兄が立っていた。
それからは慌てて立ち上がると逃げる様に兄の横をすり抜けサロンを出て自室に駆け込んだ。そのまま寝台に突っ伏すとシーツが冷たく感じ、顔が火照っているのがよく分かった。流されてしまった自分が恥ずかしく、さっきの事全てを無かった事にしてしまいたいのに頭から消えてくれなくて、暫く顔を上げられなくなってしまった。