10.冗談でも茶番でも
宿屋から町へと繰り出した。石畳の坂道を歩くと、賑やかな声があちらこちらから聞こえてきた。美味しそうな良い匂いもする。道ですれ違うのは異国の人ばかり。まあ、国境を超えて来たから当然といえばそうなんだけれど。好奇心から来る高揚感を隠しきれずキョロキョロとしてしまう。
「あまりにも観光客の雰囲気を出すとスリに遭うぞ」
「私はお金全然持って無いけどね」
兄がそれもそうか、なんて顔をしている。
「──それと、これからこっちの言葉を使うぞ」
「……──この国の、人間のふり?」
さっそく言葉を改めた。言葉を話せると言ってもさほど流暢には話せない。祖父の影響で覚えはしたが、父や兄の様に頻繁にこちらの国に来て商売で言葉を使っていないので慣れていない。
「──この町は特にあまり歓迎されないからな、我が国の人間は」
「──何か、された事あるの?」
「──母国語を話していたら『侵略者が』って石を投げられた事がある。当たらなかったから良かったけどな」
我が国がこの町を襲撃したのは数十年前。当時を知る人もまだ居る事だろう。深い恨みを持つ者が居てもおかしくは無い。それが子孫に受け継がれている事もある。襲撃により多くを破壊されたと聞いたが、ここまで綺麗な町に復興しているのは凄い事だと思う。
これからこの国で暮らすのだからこの国の人間になりきる為に言葉の練習と思う事にした。
気を取り直して運河に架かる橋を渡ると、建設途中の大きな建物がそびえ立っているのが良く見えた。兄曰く大聖堂だそうだ。完成したら町のシンボルになりそうだ。
この国の首都からこの町は離れているけれど、大聖堂が完成したらまた来られるだろうか。この大聖堂がそびえる町を見てみたい。その頃には、私もこの国の言葉が今よりも流暢になり、この国の人間らしく振る舞えていると良いなと思う。
◇◇◇
クラウディオも交え家族皆で食事を取った。クラウディオのとんでも発言の後、兄が一旦落ち着こうと言ってクラウディオを客間に引っ張って行った。暫く滞在するので荷物を置かせたりコートを脱がせたりとなんやかんやさせてくれたらしい。そしてお茶を出して誰から何を言うのかの牽制タイムの後、父と母が合流して食事の時間となったのだ。
「クラウディオはセリーヌを嫁として連れて帰るつもりで来たそうだ」
「はい?」
和やかな食事を期待していたのに、兄はそうじゃないらしい。いきなりの事に父が驚いていた。
「あら。クラウディオったら、まだセリーヌの事好きだったのね」
「買い付けに来たんじゃないのか」
母まで兄と同じ様な事を言う。
「娘さんを僕にください」
「ちょっと待って!何勝手に言ってるのよ!」
「そうだぞ。買い付けに来たんだろ」
「あなた、ちょっと黙って」
「必ず幸せにします」
「クラウディオはこんなキャラじゃなかった筈よ!」
「クラウディオは子どもで素直になれなかっただけよね。悪くない話よ、セリーヌ」
「お母様!?」
「背も伸びて格好良くなって立派になったわね」
「ありがとうございます」
「お母様を味方につけないで!」
母は面食いなのかもしれない。確かにクラウディオは格好良いか格好悪いかで言えば格好良い部類だ。
「確かに背は伸びたな。すぐムキになる所はあまり変わっていないけど」
「ジュールの背は追い越したぞ。散々チビだ何だと言われていたけれどもう言えないぞ」
「お前、そんな口を聞いて良いのか?俺はセリーヌの兄だぞ?もし結婚したら義兄になるんだぞ?」
「……おにいさまの、おっしゃるとおりデス」
ここでムキになって怒らなくなっただけ成長しているのかもしれない。顔は引き攣って眉間にシワが寄っているけれど。不本意なんだろうなと誰だって分かる。アダン卿との会話を思い出したので本当に紙が挟めるか試してみようか。辺りを見てもテーブルに紙は無い。ナプキンくらいか。
「何してるんだ、セリーヌ」
ナプキンを持って立ち上がった所でクラウディオに気付かれてしまった。
「なんでもないヨ、クラウディオ」
ドレープを直して椅子に座り直した。
「セリーヌが嫌がっているのに結婚を勝手に進められないな」
「お父様……!」
味方が出来た。
「あなたったら。悪い話じゃないじゃない」
「確かにそうだけど。でも相手がクラウディオってのが……」
「分かる。何か、頼りないって言うか」
「分かりました。大丈夫です。この滞在期間に納得して頂ける様にします。セリーヌにも受け入れて貰える様に努力します」
多分、お付き合いしている方とかに言われたら嬉しいのだろうけど、何しろクラウディオなので何の茶番だと思ってしまう。これ、本気で言っているのだろうか。
「という訳で明日はデートしよう、セリーヌ」
「え?」
さらっとデートに誘われた事に驚いてクラウディオを見れば、また眉間にシワが寄っていた。こう言う時って爽やかな笑顔を浮かべて誘うものじゃないのだろうか。もしくは恥ずかしがったりとか。でもクラウディオは怒っていると誤解されてもおかしくない表情で断るなオーラ全開で圧を掛けて来ている。だから仕方無く「はいはい」と答えてしまった。
翌日本当にデートに出掛けた。目的地が何処だか分からず、ただクラウディオにエスコートされるままだった。
そして到着したのは靴屋だった。
「ここ?」
「中に入るぞ」
店内に入ると広いフロアの壁にショーケース棚が置かれ、その中に整列して靴が飾られていた。良く磨かれているのだろうか、靴がピカピカに輝いていた。
接客してくれる店員に促され、いくつかある半個室に案内された。他の半個室は引かれたカーテンがタッセルで下側だけ上げられており顔は見えないものの、貴婦人が子連れで靴を試着していたり、夫婦で足の計測をしたりしているのが見えた。
「何で、靴?」
「お前、自覚無いのか?」
「ボロボロってこと?でもお祖母様の物で凄く気に入っているのに」
「セリーヌがアンティーク物好きなのは良く知っているけど、靴は足に合う物を履けって。足痛いんじゃないか?」
ぎくりとしてしまう。
クラウディオが店員に「足の計測を」と言って店員が私の足から靴を脱がせて「まあ……!」と驚いた。
「足の形が変形してるじゃないか」
クラウディオの言う通り、少しサイズの小さい祖母の靴を履いていた為に指が内側に寄っていた。普段邸で過ごしている分には気にならないが、出掛けて歩いたり夜会でダンスを踊ると痛みを感じていた。でもそんなものだと思っていた。
クラウディオは足の計測を終えると店員に今日履いて来た靴に似たデザインで靴を作る様にオーダーした。それから既製品の靴で足に合う物を幾つか持って来て貰い、試着をした。
試着をして気に入った靴をそのまま履いて店を出た。新しい靴を履いて歩くのが少し気恥ずかしく思った。
「足が痛いの、どうして分かったの?」
「外出先ではそんな素振りを見せずに姿勢良くしているけど、邸に居る時は気が緩んでいるのか体重が掛かり過ぎない様に歩いているだろ」
「いつ、気がついたの?」
「二年位前か」
「二年もずっと黙っていたの?」
「……靴は、一緒に歩むとか、プ、プロポーズ的な意味があるから、贈るのはどうかと思っていたから……」
そこで照れるんだ。
「別に贈らなくても、忠告だけでも良かったんじゃないの?」
「俺が、いつか、贈りたかったから……」
「ありがとう」
「え。それって……」
「プロポーズに対してじゃ無いわよ。靴を贈ってくれた事に対してよ」
「……」
クラウディオは顔を赤くしながら眉間にシワを寄せている。恥ずかしさを我慢しているのかしら。
「嫁として連れて帰る」だなんて突然言われたけれど、ずっと私に気があったのに何も言えなかったクラウディオなりにもの凄く勇気を出した事だったのだろうか。顔を赤くしているクラウディオが素な筈だ。冗談でも茶番でも無いらしい。
クラウディオの隣を歩いて肩の位置がまた変わった事に気が付く。私よりも低い背で、私が見下ろしていたのに。靴をプレゼントしてくれる様な紳士になって、私を嫁にすると言う。
どうしたものかと、私は当惑してしまった。