1.私の嫁入り道具は花瓶です
ガタゴトと馬車に揺られる私の手元には、馬車の窓から射し込む光を少し鈍く反射させた真鍮製の一輪挿しの花瓶がある。
私の嫁入り道具だ。
細い取っ手のついた水差しタイプで、スリムな球根みたいな形状をしており、注ぎ口がチューリップの葉の様である。この花瓶にチューリップを一輪飾ると、凛とした存在感のある美しさと、花弁と花瓶の可愛らしい緩やかな丸みと真っ直ぐな葉脈をした葉のフォルムの調和を堪能出来る。
元は祖母の花瓶だった。祖母が祖父から贈られとても大事にしていた花瓶だ。それを私が譲り受けた。いつも何かしらの花を挿していたが、今回嫁入り道具として持って行く為に念入りに私が磨いた。普段から緑青が出来ない様に外側は水滴を残さない事に気を付けていた。内側は水を入れるので仕方が無いけれど、ドライフラワーを飾って水を入れない事もあったが、もはや多少の緑青は味わい深さを感じていた。それら普段の手入れや使い方を祖母から教えて貰っていたから、使用人に任せる事無く自分で丁寧に磨くと、くすんでいた表面に輝きが少し戻った。この位が丁度良い。このアンティーク感が祖母を思い起こさせる。
その花瓶を持って、私セリーヌ・アンジュは嫁入りする。今日から数日掛けて嫁ぎ先の家まで行くのだ。
◇◇◇
事の始まりは一年前。
十六歳になった私は秋の終わりにデビュタントを迎えた。貴族令嬢の義務だと思い、流れに任せて社交場へ足を踏み入れた。夜会とか舞踏会とかに興味は無かったけれど、ドレスや宝飾品や扇子といった物にはこだわっていた。
我が家はちょっと貧乏な伯爵家で、代々貿易商を営んでいる。貧乏な貿易商なんて、何て商才が無いのだろうかと思う。
それでも昔は貧乏では無かったらしい。伯爵家の一人娘だった祖母が祖父と結婚し、祖父が家業を継いでから業績が傾いたそうだ。祖父の好みで購入した海外製の骨董品が驚く程売れなかったらしい。祖父は骨董品が大好きだったが見る目は無かった様で、海外で仕入れる際に何度も高い値段をふっかけられ、そのままの値段で購入するものだから利益なんて出る訳も無く、いや寧ろ仕入れ値より安くとも売れたらラッキーで売れずに在庫ばかりが増えていた。故に邸の倉庫には骨董品が溢れかえり、そこでよく兄と鬼ごっこをしたものだ。
そんな家で育った事もあり、私は骨董品の様な歴史を感じさせる古い物が好きになった。貴族令嬢達が流行りのドレスを求めて人気のデザイナーに仕立てを依頼する中、私は祖母のドレスを手直しした。そして貴族令嬢達が流行りのデザインや流行りの宝石をあしらった宝飾品を身に着ける中、私は祖母の時代に流行ったチョーカーを身に着けた。扇子もそう。何度も使用されくたびれた様子の扇子を好んだ。
明らかに周囲と違う風貌の私は社交場で目立った。いや、浮いていた。遠巻きにされまともに話し掛けられる事も無く、友人も出来なかった。いつからか“アンティーク令嬢”と呼ばれる様になった。
きっと皮肉を込めたのだろうけれど、私は寧ろ喜んだ。アンティークが好きだから大歓迎だった。
そんな私に転機が起きたのが、初めて出席した年末に開かれた王宮の舞踏会だった。転機と言っても良い意味では無い。
その日も私は祖母のドレスに祖母の宝飾品を身に着け、それに似合う様に髪型も昔の流行りのアレンジをしていた。
そんな姿をした私を前国王陛下がご覧になり、涙を流されたそうだ。
は?……だった。
近衛騎士の方が突然私に声を掛け、「前国王陛下がご令嬢と引見されたいとの事です」と言った。一緒に居た父や母、兄までもが私と共に驚いた。まさかの呼び出しである。断れる訳も無く、皆で疑問を抱え震えながら前国王陛下の元へ向かい、拝謁をした。
「おおっ……カトリーヌ……」
残念ながら私の名はセリーヌだ。狂ったのか?だから退位されたのかもしれない。
前国王陛下はそこそこのお年で、ゆっくり立ち上がるとふらふらと私に歩み寄って来た。近衛騎士がお体をお支えしようと近付くのを止め、私の目の前まで来ると私の両腕を掴み「カトリーヌだ……」と言って抱きついた。
いや、もう、吃驚だった。私だけじゃない、父も母も兄も近衛騎士すらも、その場に居た人全員が吃驚していたと思う。いくら王族といえど、令嬢にいきなり抱きつくのは宜しくない為、慌てて近衛騎士が離れる様に説得にあたった。
前国王陛下は私から離れても「カトリーヌにまた会えるとは……」と涙ぐみながら私を見つめていた。
カトリーヌとは、どうやら祖母の事だった。祖母は若かりし頃絶世の美女と謳われていたらしい。そして前国王陛下は祖母に恋をしていたそうだ。しかし伯爵家の一人娘である祖母を妃とするのは叶わず、結局祖父に持っていかれてしまったのだそう。その祖母に私が瓜二つで、さらに当時を思い起こさせる様な祖母のおさがりを身に纏っていたから余計に叶わなかった恋心が再燃してしまい、その結果の行動だった、らしい。
前国王陛下の興奮ぶりが激しく、心臓への負担を考え宮医からこれ以上の引見は危険と判断され、私達は拝謁を終えた。
私達家族は祖母の過去を思い掛けず知り、そして前国王陛下の奇行を目にしてしまい、笑って良いのかどうかも分からず、疲労感いっぱいで早々に舞踏会から帰った。
それから暫くして王宮から、前国王陛下の側妃にとの話が来た。
は?……である。
私、カトリーヌじゃないけど!?セリーヌだけど!?