93話~土下座しても、許さない~
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ここから数話、視点が変わります。
蔵人達が巨大ロボットと激戦を繰り広げた、その日の夜。
櫻井部長が何とか確保した高級ホテルの一室で、美原海麗は1人、ベッドの中で沈んでいた。
考える事は、昼間の試合の事。
都大会で迷惑をかけた仲間達に、いい所を見せようと張り切った矢先に起こした失態。
味方が危険な状態だからと、麗子の指示も聞かずに突っ走ってしまい、気付いたら、仲間と切り離され、集中攻撃を喰らい、強制退場となってしまった。
本当に、何をしているのだろうか、私は。
「はぁ…」
知らず、ため息が零れる。
あの後、何度吐いても晴れる事ない胸の中のモヤモヤは、時間が経った今でも、胸の中を渦巻き続け、海麗の身体中で重くのしかかっている。
こんな状態では、明日の試合に臨めない。しっかりと食べて寝て、英気を養うことが自分の、みんなの為だ。
それは分かっている。
分かっていても、食べることなんて出来ない。
胃の中が重すぎて、何か食べたら吐いてしまいそうだ。
そもそも、体が重くて起き上がるのも辛い。
みんなの顔を思い浮かべたら、余計に。
考えれば考える程、海麗の体が更に、高級な極厚ベッドの中へと落ち込んでいく。
そんな時、部屋のドアを叩く音が、部屋中に響いた。
コンッ、コンッ。
誰だろう?
海麗は閉じていた目を開ける。
…麗子だろうか。
また、夕食を誘いに来てくれたのかもしれない。
さっきは要らないと素っ気ない返事をしてしまった手前、無視するのもどうかと思い、海麗は返事をする。
「麗子?夕食はいらないって言ったでしょ?今は食べたくないんだよ。一人に、させて…」
かなり低く、不機嫌な声が喉を過ぎていった。
思いの外、気分が外に出てしまったと、海麗は起き上がり、横を向く。
そこには、海麗が沈んでいるのと同じベッドがもう一つ並んでいて、麗子の私物が、ベッドの端の方で綺麗に並んでいる。
今、麗子と会ったら、自分の中のモヤモヤを思いっきりぶつけてしまいそうで、海麗は怖かった。
自分でも、何がなんなのか分からない状態。
こんな状態で、なんでも受け止めてくれる麗子の顔を見たら、言葉だけでは済まなくなるかもしれない。
だから、自分の中のモヤモヤが収まるまで、せめて就寝時間までは独りで考えたい。
海麗は、体を起こした状態のまま、再び目を閉じる。
だが、ドアの向こう側の人物が声を発したことで、目を見開く。
その声は、
「美原先輩。僕です、巻島蔵人です」
「えっ、まきしま、くん?」
麗子でも、愛美や他の3年でもなく、なんで、1年の、それも男子の巻島君が来たのだろうか。
男子が1人でこんな所にいることが、そもそも信じられなかった。
別に、海麗の居るフロアが男子禁制という訳では無い。
訳では無いが、このホテルの殆どは選手と学校関係者で占められている。つまりは、ほとんどが女性客。
男性からしたら、猛獣の折に入り込んでいるようなもの。
例え複数人で来ていたとしても、とても怖い思いをしているはず。
それを、男の子が1人で?
「どうして、きみが…?」
そう思って、海麗が蔵人に声をかけようとしたとき、頭に響いたのは、昼間の実況。
ベイルアウトして、医務室の中で聞いた、会場の悲鳴。
そして、歓声。
『エースを失った桜坂、防戦一方です!いや、これは既に前線が崩壊しかけている!エースを失ったことで、桜坂選手達に大きな動揺が見られます!右翼では筑波Aランクの藤田選手が、中央ではグレイト2に乗った2人が桜坂前線に猛攻を浴びせています!ここまでかぁ!ここで都大会1位も食われ…あっ、えっ!?右翼が持ち直したぞ!?急にシールドが大量に展開されて、藤田選手の攻撃を受けきっています!更に、中央と左翼では、桜坂の前線が前に出た!ベンチから何やら指示を受けている模様!これは、持ち直した。桜坂前線が持ち直したぞ!』
自分が居なくなった穴を、誰かが塞いでくれている。
そう聞いて、海麗は焦る気持ちを抑えきれなかった。
ベッドから這い出し、今すぐにでもフィールドに戻りたかった。
でも、一度退場した試合に戻る事は許されず、焦る気持ちが一層空回りした。
そんな時に、
『何という事だ!?Aランクの攻撃を、Cランクが受けきっているぞ!?96番、Cランク、桜坂の…うぇえええ!?男!?96番は男の子ぉおお!?!』
『信じられません!突然現れた巨大ロボット。そのあまりにも規格外の攻撃に、フィールドはハチャメチャに壊され、最早ファランクスの戦いとは言えない程の惨状が繰り広げられています。しかし!それでも!彼は戦う!96番!96番が果敢にロボットに攻撃を加え、その攻撃をシールドで受けきっているぞ!信じられません!こんなこと、男の子が、Cランクが出来るわけがない!訳がないのに、今、目の前でそれが起きています!』
『おおっと!動きがあった!ロボットが、埋没したぞ!?穴?穴が開いていた?一体どうやって?おおっと、ロボットが少年に向けて、何やら腕を突き出しているぞ!そして、少年は盾に囲まれ、それが高速回転している!』
『決まったぁあああ!!ロボットに大穴を開けて、少年が、黒騎士が円柱にタッチしたぁああ!!試合終了!試合しゅうりょぉおおお!勝ったのは、桜坂聖城学園!東京1位の桜坂が、見事に巨大ロボット集団に勝ちましたぁ!その立役者は、あの謎の少年、黒騎士様だぁ!凄いぞ黒騎士!これは、今大会も大荒れになる予想だぁ!少なくとも、今すぐ大会運営は黒騎士様を退避させてくれぇえ!会場中の女性達が、目をギラ付かせているぞぉお!』
熱に浮かされるように叫ぶ実況と、観客席の声援が次々と聞こえて来た。
その歓声を聞いている内に、海麗の内側でくすぶっていた焦りは落ち着き、逆に冷たく重い物が胃の中に落ちてきた。
結局、海麗が抜けた穴は塞がれて、関東大会1回戦は見事、桜城の勝利で幕を閉じた。
その立役者は間違いなく、今ドアの前で立つ男の子。
1年で、男子でも、彼ならこんな所、危険でも何でもないのかもしれない。
彼のような、真のエースであれば。
「何か用なの?悪いけど、私今疲れているの。放っておいてくれない?」
喉の奥から飛び出した言葉はとても尖っており、そしてあまりにも滑稽なものだった。
それを自覚した途端、海麗は、自虐気味に笑う。
「いやいや、何言ってるんだろうね、私。疲れている訳ないのにさ。だって、試合でもただ寝てただけだし。君の方がよっぽど疲れているよね。ごめんね」
自分で言っていて、目の奥が熱くなってくる。
後輩にこんなこと言って、情けない。相手は男の子だ。
それなのに、八つ当たりみたいなことして、恥ずかしい。
でも、言葉が止まらなかった。
「…こんな私なんかの相手してないで、君はちゃんと休んだ方がいいよ。明日も、君が頑張れば、勝てるんでしょ?」
どうしても、言葉に棘が出てしまう。
本当は、蔵人君に余計な心配をしてほしくないだけなのに。
役立たずな私を相手にして、明日の試合に影響が出て、それで、桜城が負けたりしてほしくないだけなのに。
どうしても、心のモヤモヤが治まらない。
イライラが、勝手に喉から飛び出してしまう。
「私なんかいなくても、勝てるでしょ?都大会の時みたいにさ!だから行ってよ。もう行ってよ!放っておいてって言ったでしょ!」
最低だ。こんなのって。
きっと、明日には部内のみんなが、私に幻滅している。
海麗の頭の中では、朝食会場で自分に白い目を向けるチームメイトの顔が、まるで今目の前に居るかと思うくらい、鮮明に浮かんで見えた。
しかし、その光景は、蔵人の次の言葉で薄くなる。
「美原先輩。先輩がいないと、関東大会は勝てませんよ。筑波中の試合では、前線が崩壊寸前でした。みんな、貴女が居ないことに大きく動揺しています。僕では、それを抑えられません。貴女の培ってきた信頼が必要なのです。特に、如月中には紫電が居ます。全日本レベルの相手には、貴女でないと対応できないのです」
とても静かで、冷静なその声に、海麗は余計に心がささくれ立つ。
「何言っているの?昼間の試合見たでしょ?私は、何の役にも立てなかったんだよ?それどころか、足を引っ張ったんだよ!?もう少しで、そう、君がいなかったら勝てなかった。そうでしょ?君も分かっているんでしょ!?」
海麗は、いつの間にかベッドから立ち上がり、蔵人が裏にいるであろうドアの前に立って、ドアに向かって叫んでいた。
「もう私は、桜城のエースでも何でもない!ただのAランク、魔力が多いだけの空手バカだよ。桜城のエースは!本当のエースは、君だよ…」
海麗はドアに拳を打ち付けようとして、でも、途中で気力がなくなり、そっとドアに手を添える。
言葉にして、ようやくわかった。
もう、私がここにいる意味はない。
寧ろ、迷惑が掛かる。
医務室まで見舞いに来てくれた麗子を足止めしてしまったのも私だ。
顔を見に来てくれただけなのに、私が情けない顔をしているからずっと励ましてくれていた。
彼女は監督なのに、みんなに指示を出さないといけない立場だと分かっていたのに、心配をかけてしまった。
ここに居れば、また同じことをしてしまう。
朝早くに、ここを去ろう。
帰ってくるんじゃなかった、と海麗は手を握りしめる。
「ありがとう、やっと、分かったよ…」
気づかせてくれたドアの向こうのエースに、小さくつぶやく。
海麗は、少しだけ、胸のモヤモヤが薄まった気がした。
答えが見つかった気がして。
しかし、蔵人は続ける。
「いいえ、エースは貴女ですよ、美原先輩」
「…違うよ。私は、もう、戦えないよ。君が、蔵人君が、桜城を引っ張って行ってよ。お願い」
「………はぁ…」
しばしの沈黙の後に返ってきたのは、重い、短いため息。
ドアの向こうから、蔵人の呆れたような、疲れたような声に、海麗は苦笑いをした。
彼にまで幻滅されてしまった。ここまで来てくれた優しい子にまで。
でもそれでいい。
ほら、もうわかったでしょ?私は君が気に掛けるほどの存在じゃないよ。分かったらもう行ってよ。
そう笑った海麗の顔が、
次の、蔵人の発言で、
凍り付いた。
「沖縄で、ご実家で何があったか知りませんが」
沖縄。
その言葉で、頭の中にすごい勢いで風景が流れる。
青い海と白い入道雲。
瓦屋根の大きな家。
そこに集った、家族、親戚。
その中央には、笑顔の祖母。
いつも優しくて、空手を教えてくれている時は厳しくて、かっこよくて、憧れの祖母が、一枚の写真になって笑っていて、その元には、白く、小さな人が居て、祖母の面影を何処か残したその人は、棺に入っていた。
あれだけあった覇気も、美しく伸びた肢体も、太陽のようにあたたかな笑顔も、そこには残されていなかった。
おばあちゃん。おばあちゃん。おばあちゃん!
「おばあ様一人なくなった”だけ”で、そこまで落ち込みます?」
蔵人の言葉で、海麗は、思考が戻ってくる。
いま、なんて言った?
どく、どくどく、どくどくどく、と、耳の奥からどす黒い感情が音を立てる。
だけ?だけ!?だけって言いったの?!
海麗は、ドアを乱暴に開け放つ。
そこには、少年が一人、冷めた目でこちらを見ていた。
溜まらず、怒りが口から飛び出す。
「なんて言った?」
「………」
「何も知らない癖に、私のおばあちゃんに、なんて言った!!」
海麗が睨みつけても、声を荒げても、少年は一切表情を変えず、ただ黙ってこちらを見ていた。
海麗は溜まらず、握った拳を振り上げた。
異能力を全く込めなかった拳は、あっさりと蔵人の手のひらの中に納まってしまう。
構わず、もう反対の手を上げる海麗。
そんな様子を見て、蔵人は片頬を引き上げる。
「そんなに僕が気に食わないのでしたら、本気でやり会いましょうよ」
「…えっ?」
蔵人は変わらず口を歪めながら、海麗の拳を包む手から、少し力を抜く。
「提案ですよ。ここでただ殴ったところで、先輩の気持ちも晴れないでしょう?でしたら、本気で、異能力込みでやり合いましょう。それで、僕が負ければ、先ほどの言葉を全面的に謝罪します。ですが、もしも僕が勝ったなら、明日からの試合、美原先輩も出てもらいますよ。もちろん、エースとしてね」
「…なに、言って…?私は、Aランクよ?正気?」
いくら試合で活躍しているとはいえ、所詮はCランク。今までの試合のように、誰かのサポートがある状態での戦闘じゃない。
圧倒的な魔力差の前に、本気で勝負が成り立つと思っているの?本気で、勝てるなんて思っているの?
海麗の疑問に、蔵人は顔色を一切変えずに頷く。
「ええ。正気です。貴女はAランクですが、今は心ここにあらず。抜け殻です」
蔵人は、一歩前に出て、海麗を真っすぐに見る。
鋭すぎる眼光が、海麗の中を覗き込む。
「中身のない抜け殻が相手だったら、勝機はこちらにある」
蔵人の目は、真っすぐに海麗を捉えていた。
真っ黒な瞳かと思っていたが、その底が知れない暗闇の中に、薄っすらと紫の灯が輝き出す。
暗く、深く、どこまでも底に落ちていきそうな、そんな怪しい瞳。
踏み込んだら、地の底まで真っ逆さまになるのではと思うほどの恐怖。
海麗は、蔵人の手を振り払らう。
いつの間にか、足が勝手に動き、一歩、後退していた。
それを見越してか、蔵人があざ笑うかのように言葉を続ける。
「怖いのですか?その程度なのですか?貴女にとってのおばあ様とは」
蔵人の言葉に、萎みかけていた胸の中の熱が、どっと押し寄せてくる。
海麗は、一歩、また一歩、蔵人に近づき、額が当たるくらいの距離で、蔵人を睨む。
「土下座しても、許さない」
「分かりました。貴女が勝てば、僕の処分はいかようにもなさってください。煮るなり焼くなりお好きなように。さぁ、こちらです。とっておきのステージをご用意しました」
蔵人が平然と言ってのけて、歩き出す。
海麗も、それに少し遅れて、彼の背を追った。
「あ お り よ る」
煽ってないですよ。
恐らく、美原先輩を焚きつける為にやっているんだと思いますよ?
「それくらいは分かる。だが、分かっていても苛立たしい」
主人公。演技力はそれなりにありますからね。
「経験値だけは高いからな」