89話~本当に、そうかしら?~
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第5章、逡巡篇を開幕いたします。
楽しく、色々と考えさせられた夏祭りから、早くも数日が経った。
関東大会まで残り3日となった今日。
蔵人達桜城ファランクス部員達は、いつも通り練習に明け暮れていた。
そんな折、
「みんな、集合!」
部長の声が訓練棟に響き渡る。
ちょっと嬉しそうな跳ねた声は、何処か影を落としていた最近の部長にしては珍しい。
心なしか、顔色も良さそうだ。
「報告が2つあります。いい報告と悪い報告、どっちから聞きたい?」
集まった部員に問いかける部長の姿は、何処かイタズラっ子を彷彿とさせる。
かなり珍しい事だ。
少なくとも、部活中にこんなお茶目な喋り方を、蔵人は聞いたことが無かった。
それは皆も思ったのか、佐々木先輩が少し戸惑いながらも、部長の問いに答える。
「どうしたの?随分とご機嫌だけれども。まぁ、聞くのだったら、悪い方がいいかな?私は、美味しいのは最後に取っておきたい派だからさ」
蔵人も、副部長の意見に同意だ。
好物は最後に取っておきたい。
ショートケーキのイチゴ、クリームソーダのチェリー、E缶…最後まで取っておく。
「じゃあ、悪い方から伝えるわよ。本日、関東大会の出場校が出揃ったわ」
部長の言葉に、別に悪い情報とは思えないけど?とみんな思ったが、話が進むに連れ分かってきた。
何時も出てきている強豪校が、一部の県で入れ替わっているらしい。
具体的には、茨城県。そして、神奈川県。
「いつも関東大会で上位に食い込んでいる茨城の常磐学院ですが、今年は3位に転落しています」
「えっ?マジで?去年先輩達をボコボコにした強豪校じゃん」
木元先輩が溜まらず、声を上げた。
どうやら、去年の桜城は茨城常磐学院と1回戦で当たり、コールド負けとなったそうだ。
落ち目と言われていた桜城ファランクス部だが、それでもそれなりの力はあった筈だ。
その桜城を倒した常磐学院。それを倒したのが…。
「茨城県で優勝したのは、筑波中学よ」
「つくば?あの研究ばっかりしているエリート校?」
「学術発表会とかで良く聞く名前だけど、ファランクス部なんてあったっけ?」
先輩達の話では、筑波中のファランクス部は知名度がないらしい。
そもそもファランクス部が無かった筈で、最近できたのではという話だ。
そんな学校がどうして、県大会優勝を果たせたのだろうか?
蔵人達が疑念を込めた視線を部長に送ると、彼女は小さく首を振った。
「詳しい情報は入って来ていないわ。でも噂では、ユニフォームが随分特殊だったそうよ。黒い新装備がどうとかって言われているわ」
ユニフォームが特殊。
蔵人は、天隆選手達が着ていた龍の鎧を思い出す。
蔵人の拳の威力を軽減した優秀な防具を。
なるほど。何か最新鋭の装備を整えて、それで一気に戦力アップをしているのか。
蔵人が納得している頭上で、部長が話を進める。
「そして、神奈川だけど、今年は横浜翠玲は出てこないわ」
「…えっ?」
部長の言葉に、先輩達は固まった。
どうしたのだろうかと、蔵人達1年生が先輩達を見ていると、
先輩達は悲鳴に近い声を上げだす。
「いや、いやいや!翠玲が負けた?去年の関東大会3位の中学じゃん!」
「冨道や天隆にも引けを取らない強豪校が、関東大会にすら出られなかったってどういうこと!?」
「何処が優勝校なの!?」
急に喚き出す先輩達に、部長は暫く静観を決めて、静かになってから口を開いた。
「先ず、翆玲は県大会2回戦で負けたわ。翆玲を下した中学は、そのまま勝利を重ねて、神奈川県大会を見事優勝している。その中学が、如月中学校よ」
部長の解説に、しかし、先輩達の反応は鈍くなる。
首を傾げる人が何人もいた。
「えっ?きさらぎ中?」
「きさらぎなんて、聞いたことな…いや、何処かで聞いたな。どこだっけ?」
先輩達が困惑気味に顔を突き合わせる。
それだけ、神奈川の優勝校の知名度が低いのだろう。筑波中と一緒だ。
少なくとも、ファランクス部においては。
部長が、そんなみんなの様子を見て、おでこに手を当てる。
「貴女達。ファランクスの事しか見えてないの?他の異能力部の動きも見ておかないと、ファランクスはそういう部活から助っ人を募ることもあるんだから」
そう言って、みんなをたしなめる部長。
そんな部長に、ビシッと手を上げる人がいた。
秋山先輩だ。
「はい、秋山」
「はい!如月中は、あの紫電様の学校です!」
ハキハキと答える秋山先輩には悪いが、その紫電様がわから…いや、そういえば、音張さんが確か言っていた名前だな?
蔵人がGWでの記憶を呼び起こそうと眉を寄せていると、周囲の先輩達が黄色い声を囁き始めた。
「えっ!紫電って、あの紫電様!?」
「昨年、全日本で優勝したエレキネシスの方でしょ?」
「そうよ。エレキネシス。でもそんな事より、あの方は超貴重な男性の選手よ!」
なに?男?
蔵人は思考のダイビングから急浮上し、周囲をキョロキョロとする。
この異能力界隈でも、男が活躍しているのか!?
蔵人が、斜め前で座る鶴海さんに聞こうと手を伸ばすと、それよりも先に部長が手を叩いてみんなを黙らせる。
「はい!ちょっと静かに!その如月中だけど、今回優勝した背景には、大幅な戦力アップを行ったことが大きく影響しているみたいなのよ。具体的には、他の異能力部から助っ人を何人も入れていて、去年からメンバーを大幅に変えてきているわ。控えだけじゃなくて、スタメンすら変えてる。有名処で言うと、五十嵐、黒川、戸高の3人」
「えっ、チーム部のレギュラーの?今年のトライフォース(チーム部におけるビッグゲーム)では、確か県大会3位に入っていた気が…」
部長の言葉に、堪らず漏らす秋山先輩。
だが、部長の次の一言で、場は騒然となる。
「そ、し、て。みんながさっき話題にしていた、紫電様とやらもスタメンになっているわ」
一時の静寂。その後、
「「「えええええぇええっ!!!」」」
先輩達の悲鳴が鳴り響く。
「うっそでしょ!?」
「なんでシングル戦の優勝者がファランクスなんかに出てくんのよ!卑怯じゃない!」
「しかも去年の全日本決勝戦は圧倒的だったらしいよ。相手は3年生で、紫電様はまだ2年生だったのに…」
「まるで2年前に君臨してた、冨道の剣聖だよ。そんなの投入とか…うちも、桜城も入れようよ!シングル部の誰か入れてさ」
「無理だよ…もう、選手登録期間終わってるよ…」
先輩達の絶望が止まらない。普段の練習ではとても前向きな彼女達が、こうも動揺するとは。
紫電と言う奴は、相当強いらしい。
そんな負の連鎖を断ち切る様に、部長は手を叩いた。
「はい!以上が悪い報告。みんな、そんなに弱気になってどうするの?私達は都大会優勝校よ。それも、Aランク不在で勝ったんだから、もっと自信を持ちなさい!」
「い、や〜…でもねぇ…」
部長が発破をかけるも、先輩達は燃えきらない。
そんな部員を前に、部長は笑った。
「じゃあ、そんな貴女達に朗報です!いい話の方ね。なんと、うら…美原が帰って来ました!」
海麗と言おうとした部長が言い直し、片手で入口の方を示すと、そこにはこちらに小走りで近づいてくる美原先輩の姿があった。
美原先輩は部長の横に並ぶと、ノータイムで頭を下げた。
「みんな、ごめん!急に帰っちゃって。大事な試合で、エースの私が身勝手な事して、本当にごめんなさい!」
美原先輩は、1度伏せた顔を少し上げ、また深々と頭を下げる。
「良いさ。美原」
「そうそう。別に私達、負けた訳じゃないし」
恐縮する美原先輩に、近藤先輩や佐々木先輩が、優しい声を掛ける。
「それに、ご家族の事だったんだし、仕方ない事じゃん」
「そうそう。こっちは美原がいない間、ちゃんとあんたの席温めておいたんだから」
先輩達の言葉に、美原先輩はようやく頭を上げ始めた。
「美原先輩!お帰りなさい!」
「「「お帰りなさい!!」」」
みんなが拍手で美原先輩を迎えた。
そりゃね。佐々木先輩が言った通り、御家族のご不幸じゃ仕方がない。行かない方がどうかしている。
みんなの拍手で、美原先輩の目が潤んでいる。
「みんな、あ、ありがとうっ…!」
「ちょっと、泣かないでよ」
佐々木先輩が、笑いながら美原先輩の元に駆け寄る。
美原先輩は、ガチ泣きし始めてしまった。
「だって、私が居なくなったら、Aランク、居ないし、えみちゃん達は、最後の夏なのに、みんなに、すごい、迷惑かけちゃったって、思って、も、申し訳なくて」
涙が止まらない美原先輩を、佐々木先輩が抱き寄せようとしたら、横から部長が出てきて、それをかっさらった。
「大丈夫よ、海麗。私達は負けなかったわ。こうして、貴女が帰ってくるまで、しっかりと桜城ファランクス部を守ったわ」
子供をあやすように背中を撫でる部長。
その後ろで、サーミン先輩が頷く。
「それどころか、優勝しちゃいましたからね、俺達。6年振りの快挙らしいですよ!」
「そうそう!優勝よ!凄いでしょ?美原」
サーミン先輩が自慢そうに言うと、佐々木先輩もそれに続く。
「ほらね、大丈夫でしょ?海麗。そんなに根を詰めないで。関東大会では、貴女の力が必要なんだから。ね?」
部長の言葉に、美原先輩は顔を上げて、涙を拭いて、真っ赤な目で笑った。
「うん。任せて」
そんな美原先輩の姿に、部員も安心する。
「良かった。美原先輩が帰って来てくれて」
「美原がいるなら、何とかなるかも?」
「いや、何とでもなるでしょ。こっちにはもう1人、蔵人くんがいるんだし」
「そうそう!対Aランク要員が2人もいる!」
「紫電も目じゃないわ!」
「勝ったな!」
対Aランクって、何?
先輩方の会話が、ちょっときな臭くなってきたなと、蔵人は背中に冷や汗をかき始めた。
それと言うのも、Aランクに勝てた試合の殆どは、蔵人の情報が全くない状態での戦闘であった。
その為、相手は手探り状態からのスタートであり、しかも盾で男でCランクだ。油断もしてくれたから、あれだけ楽に勝てたのだ。
もしも相手が、蔵人の異能力を十分に理解していた場合、勝てるかは分からない。
それに加え、対策までされていたら、きっと負けるだろう。
例えば、AランクとCランクの2人で攻められたりとか、安綱先輩の様な超攻撃型が相手だったりとか。
負け筋は幾らでもある。
ましてや、全日本チャンピオンとなったAランク相手であれば、猶更だ。
そう考えると、これから先の激戦に、美原先輩は必須の存在だ。
蔵人以外にもヘイトが向いてくれれば、相手が取れる蔵人対策は大きく減るだろうから。
蔵人はそう期待しながら、練習に加わる為に一旦更衣室に戻る美原先輩の背を見て、頼もしく思った。
練習風景でも、美原先輩は凄かった。
「海麗!カバー入って!」
「了解!」
美原先輩は、蔵人がこじ開けた大穴を一瞬にしてリカバリーし、更に、侵入していた蔵人と鈴華を牽制し、無力化していた。
蔵人と対峙する美原先輩。その威圧感は、氷雨様にも匹敵するほどのヒリ付きを感じる。
彼女が深く構えるのを見て、蔵人は一瞬迷う。
この構えは、恐らく渾身の一撃。
Aランクの一撃に、蔵人の魔銀盾では耐えきれない。ましてや、相手はあの美原先輩だ。
ここは、新技を試すべき時か?いやでも、後ろには鈴華達が居る。
蔵人は結論を出し、後ろにいる戦友に声を掛ける。
「ここまでだ。撤退するぞ」
「ま、マジかよ!ボスならいけるんじゃないのか?」
「大事を取る。撤退だ」
あまりの猛攻に、蔵人達も自軍に引き返すこととなった。
今まで蔵人の良いようにされてきた先輩達が、一気に攻勢に出られる様になった。
その原動力は、美原先輩によるものだ。
「良いわよ、海麗!凄く良い動き。いつも以上よ!」
部長の褒め言葉は、美原先輩を贔屓にしているから出ている訳じゃない。
その言葉通り、目覚しい活躍をしているからだ。
「当然!都大会の分まで、関東大会では暴れるからね!」
輝く様な笑顔で、美原先輩は額の汗を拭う。
それを見て周りの部員も、自然と引き締まった顔を浮かべる。
例え、相手が他の異能力部から精鋭を引っ張って来ようが、即席の連携じゃ勝てないことを、ファランクス部として長い間練習してきた実力を見せつけてやる。
そう、先輩達の背中が語る。
順調だ。とても。
関東大会に向けた桜城ファランクス部の動き出しは、とても順調に始まった。
「本当に、そうかしら?」
ただ1人、そう思わない人がいた。
鶴海さんだ。
蔵人は、1人不安そうに練習を見ている彼女に、首を傾げる。
「どういうことです?鶴海さん」
「蔵人ちゃん。私にはね、どうしても、これが順調には見えないのよ」
そういう彼女の視線の先には、輝く笑顔を見せる美原先輩と、それに釣られて活気づく先輩達の姿しか見えない。
「そう…ですか?俺には、やっと歯車が噛み合い、本来の桜城ファランクス部が帰って来たんだと、そう、見えましたが」
先輩達のやる気も、動きも研ぎ澄まされている。
それは、地区大会や都大会の頃よりも、更に増して見える。
でも、鶴海さんは首を振る。
「私には、とても正常には見えないわ。先輩達もそうだけど、1番は…」
彼女の目に、部長と楽しそうに話す、美原先輩が写る。
「彼女の動きは、正常ではないと思うわ」
蔵人はその時、鶴海さんの言う事の半分も分かって無かった。
もし、もう少し真剣にこの事を考えて、何かしらの対策を講じていたら、あんなことにはならなかったのかもしれない。
それから数日後の今日。
関東大会当日。
千葉県、アクアラインWTC。
初戦。桜坂聖城学園VS茨城県立筑波中学の試合が始まってから、3分が経過した時の事。
『ああっと!なんという事でしょう!』
フィールドに、実況の悲鳴じみた声が響き渡る。
その悲鳴の先には、青々とした芝生の上に倒れ込んだ白銀の騎士が居た。
その騎士の甲冑には、他の騎士には無い、赤と白のラインが刻まれていた。
『桜坂の3年、Aランク、美原選手がダウンだ!筑波の猛攻によって、地面の上に倒れてしまったぞ!?』
桜城の先輩達の希望を背中に背負ったエース、美原海麗は、奇怪に動く兵器達の間で、苦し気に地面を舐めるのだった。
いよいよ、関東大会が始まります。
「始まるのは良いが、いきなり不穏な動き出しだな。この章の名前も気になる」
逡巡とは、ためらって、決心が付かないことですね。
一体、誰の心が揺らいでいるのでしょうか?
「子供の内は心が揺らぐものだからな」
青春ですね。