錆びた断片~もう少しだけ見せてくれないか~
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
今回は主人公視点ですが、蔵人でない視点で始まります。
「随分と錆びついた断片だな」
年代物ですね…。
酷い匂いがする。
壁や天井に生えたカビと、古い皮の匂いだ。
名前も知れない葉を巻いたタバコモドキと、安酒を呑んだ男たちから漂う酸っぱい匂いもする。
酷い匂いだが、どこか懐かしい。
そんな匂いに、古い記憶を思い起こしながら、俺は目を開ける。
目を開けると、目の前に古ぼけた机の表面が見えた。
その上に、食べかけの黒パンが、水っぽいシチューの中に埋没したままになっている。
そうか。
食事の途中で、寝てしまったのか。
顔を上げると、そこには薄暗い空間が開いており、古いランプと開けっ放しの窓から射す太陽光が室内を鈍く照らしていた。
暗く、湿っていて、カビ臭い空間。
それでも、そこにいる男どもからは、吠えるような笑い声が響き、陽気な手拍子がそこら中から聞こえる。
安酒を浴びるように飲みながら、千鳥足で歩く者。
顔も知らない奴と腕相撲をして、小銭を巻き上げる者。
やけに煙たいタバコモドキを吹かしながら、弦楽器を奏でる者。
受付のギルド嬢に絡もうとして、警備の冒険者に吹き飛ばされる者。
そんな奴を見て、笑いはやし立てる者達。
懐かしい光景が、目の前いっぱいに広がっている。
いや、いつもの光景か。
俺は、ふやけて少し柔らかくなった黒パンをひっつかみ、齧り付く。
味はイマイチだが、これが一番安く、腹持ちが良い。
可能であれば、この水シチューにカレー粉を入れたいところだが、ここでは出来ない。
冒険者達は鼻が良い奴が多いから、いくら酷い匂いが蔓延していようと、目ざとく気付かれるかもしれない。
俺は仕方なく、袖口に手を突っ込み、小さく開けた亜空間からこっそり塩を摘まみ出して、それを水シチューの中へと振りかける。
黒く錆びたスプーンでよく混ぜてから口に運ぶが…うん。全然変わらないな。
なんでだ?
『済まないが、君。Eランク冒険者のクロードという奴を探しているんだが』
俺が首を傾げていると、そんな会話が向こうの方から聞こえてきた。
そちらを見ると、受付に腕を乗せた大男の姿が見えた。
街中のギルドの中であるというのに、完全武装したままのその男は、受付嬢が指さす方を見て、歩き出す。
そして、俺の目の前で立ち止まる。
『君が冒険者のクロードかい?私はグラディエル領軍、第三衛兵隊16番小隊の隊長、ゴルディアスだ』
それは知っている。
傷だらけの甲冑を身にまとい、見上げる程大きな体に良く日に焼けた険しい顔の大男。
彼は、この交易都市グラディエルの兵隊さんだ。
普段は郊外のパトロールや魔物退治などを行っている第三衛兵団に所属していて、冒険者と共に任務に当たることもある。
冒険者も郊外での活動が主だからね。協力してクエストをこなす事もままあるのだ。
ここが交易都市であるが故に、道中の魔物討伐などを頻繁に求められる冒険者。
彼らの協力無くして、この都市の安全な交易ルートは維持できないのだ。
この話は、今、目の前にいるディアス隊長達から聞いた話だ。
彼が今から持ち掛けてこようとしている魔物討伐の共同クエスト。このクエストの最中は、結構暇な時間も多く、色々と貴重なお話も聞けたのだ。
『クロードです。よろしくお願いします』
だが、俺は淡々と返す。
顔見知りではあるけれど、彼とは”初対面”だ。
この時は。
案の定、ディアス隊長はいかつい表情のまま、小さく頷く。
『実は、君に折り入って相談がある。仕事の依頼だ。今度、我々はサザムの森へ遠征に行くのだが、君にも同行してもらいたい。君は、その、便利な能力を持っているのだろう?』
隊長の言葉は後半になるにつれて、とても小さくなり、囁くように俺に問うてきた。
それでも、俺は小さく頷く。
彼の言っていることは、俺が先ほど使っていた、この亜空間の事だ。
この能力を使って、大量の物資運搬を願い出ている。
最も、彼らは俺の能力を、アイテムボックスと勘違いしているみたいだが。
俺が頷くと、より厳しい視線を向けながら、隊長が強面を近づけてくる。
『君には、我々の兵糧を運んでもらいたいのだ。食料や水、酒とかが主になるだろう。武器や火薬、魔道具は我々で運ぶ。勿論、君達が収納できなかった分の食料も運ぶから、全てを君達に背負わせるつもりはない。少しでも多くの食料を持ち込みたいから、君達アイテムボックス持ちに打診しているのだ』
強面を続ける彼に、俺は『分かりました』と端的に了承の意思を示す。
だが、ディアス隊長は表情を変えず、寧ろ不安そうにこちらを見つめてくる。
『今回の我々が領主様から受けている任務は、森から頻繁に出現し始めたコボルトの討伐だ。恐らく、森の中で異常繁殖しているのだろう。報酬の面に関しては、今回の遠征の結果次第で多少は変わる。討伐した魔物から得られた利益の一部を、君達にも分配するつもりだからだ。だが、最低でも大銀貨5枚は確約すると、お達しが来ている。遠征は6日間を予定している。どうだろうか?悪くない話と思うが?』
おっと、まだ話が続いていたか。
俺は改めて、『分かりました』と声を発する。
正直、もうかなり昔の出来事なので、当時の俺がいつ、何を言ったかなんて覚えていない。
…覚えていたところで、ここでは意味がないのだがな。
だって、ここは…。
俺の答えを受け取った隊長は、この時に初めて顔を綻ばせた。
『そうか、受けてくれるか。いや助かる。実を言うとな、他の冒険者達からは断られてしまったのだよ。君達の能力は希少だからな。そんな不安定な報酬では納得できないと、拘束時間が長すぎると言われて尽くな。だから、本当に助かる』
そう言って、嬉しそうに俺の肩を叩く彼は、面倒見のいい叔父さんの様に見えてしまう。
『紹介しよう。私の隊の者達だ』
そう言って、隊長が手を広げると、そこにはいつの間にか隊のみんなが揃っていた。
完全武装のその人達が、陽気にこちらに手を振っている。
ちょっとやんちゃで、いつもトラブルを引き起こす赤毛の剣士。
いつも眠そうにしていて、でも実力は確かな釣り目の魔術師。
冷静な判断を下し、決して外さない一撃を見舞う、青髪長身の弓兵。
陽気で女に弱いけど、決して相手の探索に引っかからずに尾行する、小柄の斥候。
そして、紅一点の可愛らしいヒーラーさん。
たった数日の付き合いだったが、彼らと過ごした日々は、とても楽しい思い出でいっぱいだ。
赤毛の剣士が拾い食いをして、食中毒で1日お休みしたり。
釣り目の魔術師が寝ながら川に落ちて、周囲を探索したり。
居酒屋の看板娘のプレゼントにと、こっそり花を摘んでいた斥候が隊長に怒られたり。
弓兵と隊長が目玉焼きの焼き方で喧嘩をし始めて、殴り合いにまで発展したり。
ヒーラーさんが俺と談笑しているのを、赤毛君が嫉妬して斬りかかってきたり。
それを返り討ちにしたら、隊長から衛兵団にスカウトされてしまったり。
兎に角、色々なハプニングやイベントが盛りだくさんの日々だった。
その日々がまた送れる。
俺はそう思うと、心が締め付けられるように痛んだ。
そして、
『隊長。その任務は、放棄してください』
俺は言った。隊長に向かって。
『サザムの森に居るのは、コボルトなんかじゃありません。白狼です。大きくて、獰猛な、Aランク指定の魔物です。幾ら兵士を集めようと、幾ら強力な魔道具を準備しても、我々では勝ち目がありません。我々は…』
笑顔を向け続ける小隊のみんなに、俺は声を絞り出す。
『我々は、全滅します』
俺の悲痛な叫びに、しかし、彼らは笑顔を曇らせることなく、うんうんと頷いている。
まるで、こちらの声が聞こえていないかの様に。
まるで、ただ俺の記憶を繰り返すだけのホログラムの様に。
いつの間にか隊長たちは、その手に木製のジョッキを構えて、安酒が零れるのも構わずに、それらを打ち付けて乾杯をしている。
『よ~し、みんな!今回は上手い飯がたらふく食えるぞ!』
『『『うっしゃあ!』』』
『それもこれも、ここにいるクロードのお陰だ!クロード、これからよろしくな』
隊長はそう言って、ジョッキを持っていない左手をずいッと、俺の前に差し出してくる。
俺は、その大きな手をじっと見つめる。
ただの記憶だと分かっていても、目の前で破顔する隊長達の姿は、とても暖かくて、尊かった。
彼が伸ばした手は、何処までもリアルで、触れたら、また楽しかった日々が帰って来る気さえした。
いや、違う。
取り戻すんだ。
あの楽しかった日々を。
俺は、隊長が伸ばした手のひらを見つめる。
今度は、俺がしっかりと戦って、全力で戦って。
仮令この世界にバグが増えようとも。
仮令どんな犠牲が出ようとも。
この笑顔を守る。それだけの為に全力を尽くそう。
あの時出来なかった事を、今。
俺は、左手を伸ばす。
隊長の左手を取って、あの日々に戻るために。
俺は隊長の大きな手を掴み、
〈◆〉
掴んだはずの左手は、空を切った。
手を伸ばした先には、何もなかったから。
嗅ぎなれた悪臭も、男たちの喧騒もなく、あるのは静かないつもの部屋。
朝陽が差し込む寝室の天井が、ただ見えるだけであった。
蔵人は静かに、伸ばした手を引き戻し、それを目の上に乗せる。
「久しく見ていなかったな。彼らの笑顔を」
蔵人はそのまま、独りごちる。
恐らく、昨日の出来事のせいであろう。
Sランクの雷門様との邂逅。そして、彼の功績である災害対応の噂。
史実の被爆地と同じ場所で、テロが起きたかもしれない事実。
蔵人はあの後直ぐに、若葉さんに電話した。
だが、流石は若葉さんだ。彼女は既にその噂を知っていた。
おばあ様と同じように、隠蔽された災害であるからと、しっかりと調べていたらしい。
彼女が調べても、やはりたどり着けなかった事件の真実。
テロが起きたのか、本当に災害だったのか、分からない事件。
おばあ様と同じ、世界が隠した真実かもしれなかった。
電話を終えても、蔵人は思考の海に潜ったままだった。
歴史が繰り返すのだとしたら、この世界はこれからどうなるのか。
史実の様に、核戦争が起きてしまうのか。
それとも、バグによって滅びるのか。
色んな引き出しを開けた状態で寝てしまったから、あのような夢を見たのかもしれない。
いや、寧ろあの夢は、蔵人にとってはいい夢であった。
懐かしい顔に出会えたから。
もう二度と会えない人達に会えたのだから。
でも、願うのなら。もう少し我儘を言わせてもらえるのなら。
「せめて夢なら、夢の中だけでも、もう少しだけ見せてくれないか…」
小さく呟く、蔵人であった。
黒戸の手記:
グラディエル領軍第三衛兵団…交易都市グラディエルを守護する衛兵団の一つ。任務は都市郊外の治安維持であり、主に盗賊や魔物を狩ることが仕事。冒険者と似た仕事であるため、冒険者と共に任務にあたることも多い。その為、隊員は元冒険者も多い。冒険者時代に腕を見込まれて、スカウトされて隊員になるのだ。
白狼…Aランク指定の魔物。白銀の毛並みは鋼鉄よりも硬く、剣だけでなく魔法も弾く。四肢の爪はナイフのように切れ味が良く、一薙ぎで衛兵団の鎧を切り裂いた。
攻防優れた難敵だが、対処方は幾らでも考えられる。
急襲されたあの時も、躊躇せずに鉛玉でも叩き込めば、内臓が破裂して殺すことも…(ここから先は消されている)