5話〜なかなか面白い使い方ね〜
蔵人達が通されたのは、畳が敷かれた大広間だった。
普段は襖で区切られているであろうその部屋は、今はその襖も取っ払って、一流旅館の宴会場みたいになっている。
中央には長机が2列に連なって設置されており、その机には、既に何名かが座っていた。
今、蔵人が立っている一番奥側の上座に座っている着物姿の女性は、多分、駐車場に鎮座していた高級車の所有者だろう。
彼女達よりも更に奥には、畳1段分高くなった上座が設けられて、周りより豪華な机が1つと、その両脇に小さな机が2つ並んでいた。
柳さんは蔵人を降ろすと、奥の方から挨拶をするようにと耳打ちをしてきた。
蔵人は頷くと、なるべく座っている人が少ない列から奥へと侵入していく。
と、またもや背後に柳さんの気配を感じなくなった。
振り返ると、柳さんが部屋の端っこに立ち、こちらを心配そうに見つめていた。
そうか。ここから先、柳さんは来られないのか。
蔵人は柳さんに1度頷いて見せ、上座へと歩みを進める。途中で数人、後ろを通させてもらう必要があったが、「後ろちちゅれいしましゅ」と言うと、目尻がとても下がった顔で会釈された。
そんなこんなで、漸く目的地に到着した蔵人。目の前には、上座に座った、随分と偉そうな座り方をする女性と、その横でじっと正座する男性がこちらを見ている。
蔵人は、なるべく姿勢を正して、しっかりと腰を折って挨拶した。
「しちゅれいしましゅ。ご挨拶に伺いまちた、巻島真紀子の次男、蔵人でしゅ。ほんじちゅはよろしくお願いいたちましゅ」
女性は少し驚いた顔をして、暫く蔵人を値踏みするように見回した。
少し口が開いている。美人が台無しだぞ?
かなり鋭い目だ。やはり、かなりの強者なのだろう。
偉そうだが、隙のない座り方をされていたので、恐らくこの中でいちばん強い方だろうと予想していた蔵人だったが、それが正しいとこの目が語り掛けて来ていた。
暫く吟味された後、女性の目は少しだけ柔らかくなり、蔵人にぎこちない笑みを向けた。
「そう…ご丁寧にどうも。巻島流子よ。こっちは旦那の彰男。貴方が、真紀子の大事な“例の男の子”?」
例の子…それは、つまり噂になるくらいの子。魔力ランクAの奇跡の男の子の事だろう。
蔵人は首を横に振る。
「申し訳ありましぇん。Aランクである兄の頼人は、かじぇで来れましぇん」
そう言うと、流子は再び眉を顰めた。
「貴方、今幾つ?」
「今年で2しゃいになりました」
「…2歳?」
そう言うと、流子さんは蔵人から視線を外し、彰男さんを振り返った。
彰男さんが静かに首を上下に振って肯定したのを確認すると、蔵人に向き直って、硬かった表情を破顔した。
「これからよろしくね。蔵人君」
そう言いって、差し出される流子さんの右手。
蔵人も、半分反射で右手を出し、彼女と握手する。
案外優しい人なのかなと、蔵人は少し安心していた。
だが、安心したのもつかの間、結んだその手を、なかなか放そうとしない流子さん。
えっ?なんでだ?
蔵人は訝しみ、流子さんの方に視線を上げて顔色を伺う。
すると、
「弟さんの方は、最低限の魔力しかないと聞いていたのだけれど、違ったかしら?」
「は、はい。僕は、Eまいなしゅでしゅ」
蔵人がそう答えると、再び後ろを確認する流子さん。そして、再び頷く彰男さん。
なんだ?彰男さんは心が読める異能力者なのか、もしくは嘘発見器みたいな異能力なのか?
流子さんの意図も、彰男さんの異能力も計り知れず、蔵人は眼を白黒させる。
そんな蔵人に再び向き直った流子さんは、とても含みのある笑顔を向けてきた。何か、よからぬ事を考えている黒い笑みだ。
「蔵人君。帰る前に、またお話しましょうね」
そう言って、手を離す流子さん。
どうやら、一区切りついた様なので、蔵人は再度「しちゅれいしましゅ」と言ってその場を離れる。
やはり、こういう大きな家には煩わしい人も数多く在籍しているのかも。なるべくなら、流子さんのような裏のある人間とは距離を保ちたいものである。
蔵人は、最初の挨拶だけで萎えそうになっていた。
だが、今回の目的は年始の挨拶回り。あの母親の代理とはいえ、一族との交流を蔑ろにするのは得策ではない。ここは、当たり障りのないように、穏便に過ごす他にない。
蔵人は意を決し、さて、次に挨拶するべき人は誰であろうかと周りを見渡す。すると、その場にいた全員がこちらを見ていた。それも、目を丸くして。
なんだろう?何かやらかしたのか?でも、流子さんの様子からは、こちらが失態した様には思えないのだが。
まぁ、もし間違っていたとしても、2歳児なので許してくれ。
蔵人は開き直って、挨拶回りを続けた。
決意を新たに挑んだものの、その後は、目尻こそ下がる人はいっぱいいたが、流子さんと比べたら淡々と挨拶が進んでいった。
そうして、蔵人はやっと下座の席に戻って来ることが出来た。
挨拶中にも会場入りする親族がいたので、その度に順番を変えて挨拶した。その結果、今は殆どの席が埋まっている。凡そ30人くらいか。
殆どが流子さんと同じ30代に見え、偶に20代、40代が混ざっている様子であった。長机1脚に5人程度が座っている。かなり余裕を持った配置だ。それだけ料理が出てくるという事か?
集まった人達を改めて盗み見ると、奥に行く程、煌びやかな着物か、質の良さそうなスーツを着ている人が目立つ。
逆に、蔵人の近くには、落ち着いた服装で、肩身を縮めた女性が多い。
旦那さんを連れているのは、流子さんを初めとした奥の方々だけのようだ。
ちなみに、子供は蔵人だけだ。1番近い世代は、流子さんの近くに今座った20前後のお姉さんか。流子さんに似て目が鋭く、厳格そうなお姉さんだ。流子さんのお子さん…いや、妹…?
挨拶に行くべきか。蔵人が少し迷っていると、奥の襖から火蘭さんが出てきて、一礼してから全体を見渡して、言った。
「当主様の御成です」
そう言うと、皆に背を向け、出てきた襖の方に深く礼をする火蘭さん。それに習うように、宴会場の全員が、佇まいを正して伏礼する。蔵人も1拍遅れたが、慌ててそれに習う。
蔵人の頭上で、何人かの人が入ってきたのが分かる。その内の1人に、ヒリヒリする様な、強烈な何かを感じる。強者の圧力と言うべきか、オーラと言うべきか。兎に角、この世界に来て1番の強者が、今、蔵人の頭上に居るようだ。
「お直り下さい」
火蘭さんの声に、蔵人は恐る恐る周りを見ると、皆が体を起こしていたので、再度それに習う。
奥の上座には、3人の女性が座っていた。
1番右、70代位のお婆さん。
皺が深く刻まれた顔には、柔和な笑顔が浮かび上がっており、その反面、ピンと伸びた背筋は、1輪の百合を思わせる。
目線も、佇まいも隙がない。
真ん中。兎に角鋭い視線を皆に降り注ぐ30代と思わしき女性。
強烈な威圧感は彼女の物か。
決して色鮮やかでは無い深い蒼の着物なのに、まるで大河の如く深く、美しい佇まいとなっている。
1番左は、まだ10代の高校生?位の女の子。
流子さんの前に座る女性よりも、おっとりしている印象だ。それでも、綺麗な佇まいは、ただの少女では無い事を表すかのようだ。
上座近くに、火蘭さんが歩み寄り、口を開く。
「御当主、巻島 水龍 氷雨様。先代、巻島達様、若様、巻島 瑞葉様。おな〜り〜」
な〜の辺りで、再度深々と礼をする火蘭さん。皆も合わせて礼をする。
蔵人もほぼ同じタイミングで礼をしていた。
大丈夫。もう慣れたのだ。
顔を上げると、視線を感じる。場所は、目の前から。
つい、視線の先を追うと、瑞葉様と目が合う。
ああ、大人ばかりの空間で、子供が居ることが珍しいのかな?
そう、蔵人が思っていると、
彼女が、微笑んだ。
まるで太陽が咲いた様に、彼女の背後にキラキラエフェクトが散りばめられた幻覚が見える程の、素敵な笑顔。
すぐに視線を皆に戻した瑞葉様。だが、蔵人はかなり長い時間見つめ合っていた様な気がした。
流子さんや御当主様とは違った圧…の様なものだろうか。兎に角、一瞬意識が飛びかけた。
「皆さん、新年早々のお忙しい中、こうしてお集まり頂き、とても嬉しく存じます」
御当主様が口を開く。嬉しいと言ってはいるが、目線からは集まった皆を見透かすかのような、鋭い視線を乱発している。
簡単な挨拶だけかと思ったが、彼女の話は多岐に渡り、1時間くらい喋りっぱなしだったのではと、蔵人は思う。
また、さっきみたいに意識が飛ばないように、目を瞬いてやり過ごすのに苦労した。
氷雨様の話を要約すると、こうだ。
世界は異能力の発展に積極的であり、異能力者専用の装備開発や、高ランク異能力者の確保に躍起である。
これは資金が多いアメリカや、人口の多い中国といった列強が出来る事であり、機械に頼ったり、いたずらに人口を増やすだけでは人を、国をダメにする。
日本は日本本来の良い所、諦めない大和魂を心に自身を磨き続けなければならない。
だが、今の日本は保守的で、世界に置いて行かれないことばかりに必死である。
今日本に必要なのは、従来の魔力量増強の鍛錬は当然として、徹底した上位能力者の選別である。
その為には、特区において、更に上位組織を作り、魔力量Bランク以上を囲い、徹底して育てる必要である。
そして、優秀な遺伝子を残し、将来は強大な魔力を持つ者ばかりの国とするべきである。
「先ずは我ら巻島家が、この国の見本となるよう振る舞わなければならない。皆もそのつもりで精進する事を願う」
そう言い終わると、周囲は一斉に拍手と感嘆の吐息を吐く。
彼女の言っている事は理解できる。この国の、世界が追い求める魔力量の増強と言う思想に、強く影響を受けているのだろう。
だが、そうなると俺は全くの用無しということになる。分かっていた事だが、それは空しい物だ。
蔵人は手を叩きながら、苦笑する。
その後は、先代様がとても短く「新年おめでとう」を丁寧にご挨拶され、瑞葉様も「皆さんに会えて嬉しい。来年も息災で会いましょう」と和やかにご挨拶され、宴会となった。
いや、ほんとに長かった。足も痺れて、感覚がとうの昔になくなっていた。
おせちや大きな魚、鳥の丸焼きや高そうな酒瓶が次々と運ばれ、支給係の男性が端に座った。これで料理は揃ったらしい。
でも、皆さんの目の前のグラスには、まだ何も注がれてないですけど?
そう思っていると、蔵人と同じ下座に座っていた女性達が立ち上がり、自分達と同じ列の1番奥から、お酒を注ぎ出した。
なるほど。下座、つまりは1番下っ端が注ぐスタイルなのね。そして、蔵人の列で1番下っ端って…
Eランクの蔵人。
って、呑気に足を痺れさせている場合じゃねぇ!
蔵人は急いで立ち上がる。
隣の女性が、蔵人が立ち上がった拍子にビクッとこちらを向いて、どうしたの?と不思議そうにこちらを見た。
だが、今は急いでいるので無視させてもらうぞ!
蔵人は、机のビール瓶の大瓶を引っ掴んで、そのまま奥に…。
って、瓶おもっ!?
2歳児の筋力では、こいつを持ち上げることも出来ん!
これは、マズい。
いや。ならば!
蔵人は瓶の底にアクリル板を貼り付け、浮かせることで瓶を持ち上げた。
うん。これならお酌も可能である。
蔵人はそのまま、後ろごめんなさいと無言で会釈を繰り返しながら、何とか流子さんの所まで到着した。
さて、ではお酌をと、机を見た蔵人は驚いた。
あれ?流子さん、既にビールが注がれたグラス持ってますね?なんなら、ここの周辺の人、彰男さん以外はみんなグラスの中が満ちてるね。
…どうやら彰男さんが、注いで回ってくれたみたいである。
そうだよね。よく考えたら、2歳児にビール注がせるはずないものね。
また、やってしまった!
「あら、可愛らしい給仕さんね。こちら注いで下さる?」
蔵人が恥ずかしさに絶望していると、流子さんが、いつの間にか空になったグラスを蔵人に向けて振っていた。
一瞬、注がれたビールを飲んだのかと思ったが、いや、まだ乾杯前であった。よく見たら、彰男さんのグラスと入れ替えた様だった。
なんと有難い。
蔵人は零さない様に、更に大瓶にアクリル板を付けて安定性を増し、ラベルが相手に向くようにしてゆっくり注ぐ。
…うん、泡があまり無いが、勘弁してくれ。零さない様にするので精一杯だった。
「ありがとごじゃいましゅ」
態々注がせてくれてありがとう、と蔵人は流子さんに軽く頭を下げる。
ホントは、体面を保たせてくれた流子さんの優しさに、もっと頭を下げて報いたかったが、これ以上はビールが零れてしまう。
どういたしましてっと、直ぐに返されるかと思った蔵人だったが、しかし、なかなか流子さんは言葉を返して来ない。
どうしたのかと顔を上げて見てみると、
「なかなか面白い使い方ね」
流子さんはちょっと黒い笑みを浮かべて蔵人を、蔵人の持つビール瓶を、それに張り付く透明で目視し辛いアクリル板を、じぃっと見ていた。
二歳児が一人で挨拶回りしたら、それはそれは、注目されるでしょう…。
イノセスメモ:
・アメリカ、中国が列強となっている←二大列強ということか?
・日本は世界に置いて行かれている?←技術力は史実レベルだが、軍事力(異能力)が原因か?