84話~よく考えておきなさい~
夏休み。
生徒達は部活に、家族旅行にと、長期の休暇をこれでもかと満喫している時期である。
とても楽しい青春の日々。
しかし、その華々しい時期は、人生という長い道の中では一瞬で過ぎてしまう。
時期を過ぎてしまった人達は、夏だろうが冬だろうが、構わず労働に従事しなければならない。
世間はそういう人達を「大人」と呼び、大人達は嘗ての青春を懐かしく思い出しながら、少しでも夏の雰囲気を味わおうと画策する。
かく言う私こと、朽木万土香もその一人だ。
外では生徒達が弾ける声を上げている中、教員棟の執務室で、冷房の効いた部屋に詰めている。
外に出たいとは思うのだが、2学期に使う資料を作成する為に、パソコンの画面と睨めっこをする必要があるのだ。
夏休み。万土香にとっては貴重な時間だ。
何せ、授業が無いから、その分の時間を書類仕事に回せる。
部活の方は、正顧問であるローズ先生に任せているので、副顧問である万土香は自分の仕事に精を出すことが出来る。
出来るのだが、如何せん、窓から時折見える、部活動で走り回る生徒達の姿を見る度に、数年前まで学生だった頃の良き日を思い出してしまうのだった。
「あ~…私も、学生に戻りたいな~」
そう呟くと、隣に座る南先生に笑われてしまった。
でも、本当の事なのだ。学生に戻りたいという願望は。
「私も若い頃はよく思いましたよ。10代に戻って、海水浴やヨーロッパ旅行に行きたいなって。特に子供たちが夏休みの時って思いがちですね」
「ですよね!」
つい、乗り出してしまった万土香だったが、南先生は優しい目で許してくれた。
たった2歳しか違わないのに、この包容力。
私も見習いたいなと、万土香は1人落ち込む。
と、そこへ、一本の電話が鳴った。
今、この執務室には私と南先生しかいない。他の先生は会議や部活に行ってしまっている。
ここは、先ほどの汚名返上も兼ねて、私が出なければ。
半分勢いで、万土香は受話器を取っていた。
「は~い。桜坂聖城学園中等部で~す」
『あっ、朽木先生ですか?3年2組の櫻井です』
電話の向こう側は、桜城の生徒であった。
何故、名乗っても居ないのに私と分かるの?と疑問に思いながらも、万土香は答える。
「櫻井さんですね?確か、ファランクス部の部長さんでしたよね~?」
『はい。そうです。その櫻井です』
万土香の記憶では、かなり成績優秀な優等生だったと思う。
学力テストは常にトップクラスだし、異能力テストも桜城ランキングも上位の成績を収めていた。
その実績を買われて、2年生の頃にはセクション部の助っ人として参戦し、都大会でベスト8位に入った子。
そのままセクション部にと誘われていたが、本人はファランクス部があるからと断っていたのを良く覚えている。
なにせ、ファランクス部員がセクションに誘われたのに行かなかったから、随分と印象的だった。
普通、異能力部に入る子達はみんな、より人気の高い部にスカウトされるのを夢見ている。
ファランクス部ならセクション部に。
セクション部ならチーム部に。
チーム部ならシングル部に、と。
それでもファランクス部に残りたいと言った彼女は、余程その部活が好きだったのだろう。
しかし、今年のファランクス部は不運だった。
大会中に、大事なAランクが欠場してしまったからだ。
美原海麗。シングル部でもレギュラーを争える位置にいる優秀な子。
安綱さんや風早さんと言う強力なライバル達と比べても、彼女の強さは見劣りしない。
そんな彼女が兼部しているのだから、例えAランクが1人でも、良い所まで行けるだろうと教師の間でも噂になっていた。
しかし、美原さんはお家のご不幸で急遽欠場。
Aランクを欠いた桜城ファランクス部がどうなったかなど、火を見るよりも明らかであった。
「お疲れさまでした、櫻井さん。部活の事ですよね?」
『はい。そうです。都大会の結果報告の為に電話しました。校長先生はいらっしゃいますか?』
やはり、そうだった。
律儀にも、結果を報告してくれたのだ。
もしかしたら、謝るためかもしれない。
今年は、関東大会にも行けませんでしたと。期待に沿えず申し訳ありませんと、わざわざ謝りの電話をしてくれたのだ。
万土香は、一旦胸の中にたまった悲壮感を静かに吐き出し、明るく聞こえるように声を出した。
「校長先生は、今日は出張中ですよ~。でも、大丈夫です。私がしっかりと校長先生に伝えますので、櫻井さんは部員と、何よりも自分をしっかりと労ってくださいね。本当に、お疲れさまでした」
『えっ?あ、はい。それでは、校長先生には、都大会で優勝を果たしましたとお伝えください』
うん?今?優勝を果たしたと聞こえた気がしたけど…。
万土香は受話器ごと首を傾げて、頭の中を整理する。
ああ、そうか。優勝を逃したと言ったのか。私の聞き間違えか!
私ってば、いつもドジばかりだなっと、万土香は反省する。
「分かりました。校長先生にはしっかりと伝えておきますね」
そう言って、櫻井さんからの電話を切った万土香は、しばし電話機の前で佇む。
ファランクスの為にと心身を削ってきた櫻井さん。それでも、ファランクス部は目覚ましい結果も残さずに大会を終えてしまった。
さぞかし堪えているだろう。電話口では気丈に振舞っていたが、涙をこらえていたに違いない。
私が何とかしなければ。
万土香は動き出す。
執務室を飛び出し、教員棟を飛び出して、向かうはシングル部の部室棟である。
彼女達の苦労を少しでも労わねば。それが、教師である私がするべき事だ。
そう思った万土香は、訓練棟の扉を開けて、声高らかに提案する。
「ローズ先生!すみません。ちょっとお願いがあるんですけど!」
〈◆〉
「ちょっと、見てよこれ。凄い細部まで作り込まれているわ」
「チーム部が準優勝した時のトロフィーも凄いと思ったけど、やっぱり優勝は違うよね。金色って、何物にも代えがたいオーラを持ってる気がするよ」
「ねぇ、そろそろ私にも回してよ。さっきから秋山と佐々木先輩しか触ってないじゃん。その優勝トロフィー」
「もうちょっとだけ、もうちょっとだけ触らせて」
帰りのバスの中で、先輩達が盛り上がっている。
優勝した桜城にもたらされた数々の優勝賞品であったが、持ち帰りを許されたのは賞状とトロフィーのレプリカと楯の3つ。本物の優勝杯と優勝旗は返還することになった。
それでも、先輩達は大喜びでトロフィーと楯を愛でまくり、バスの中で回し合いをしていた。
因みに、賞状は部長の手の中だ。
彼女は大事そうに、筒に入ったその証書を両手と双山で守っている。
彼女が守っていなければ、賞状まで先輩達の餌食になっていただろう。
みんなの手に渡ったトロフィー達は、彼女達の手垢や服に付いた泥のせいで、既にレトロ感が出てしまっていた。
そんな先輩達を、普段の部長だったら窘めていただろう。
だが、今の部長は何も言わなかった。
きっと、部長も嬉しいからだと思う。
そんな彼女達とは対照的に、蔵人は疲れた顔をして、胸で躍るメダルに視線を落としていた。
蔵人の隣に座る鶴海さんが、心配そうに声を掛ける。
「大丈夫?蔵人ちゃん。試合で頑張り過ぎたんじゃない?何処か痛かったりする?」
「いえ、鶴海さん。大丈夫ですよ」
そう言って、蔵人は笑顔を取り繕った。
のだが、
「さっすが、カシラやで。CランクでMVPまで取ってもうた。こんなん、シングル部の奴らでも無理やろ」
「閉会式も凄かったよな。最後なんて、観客も敵チームも全員がボスの事祝ってたぜ」
「くっろきし!くっろきし!ってね!」
3人娘の会話を聞いて、蔵人の作った笑顔は崩壊し、疲れた顔で項垂れた。
「黒騎士…なんでそんな二つ名が…若葉さんに付けてもらえば良かった…」
「蔵人ちゃん。大丈夫よ。黒騎士も十分、カッコいいからね?」
優しくなだめてくれる鶴海さんには感謝しかないが、同意は出来ない。
黒と付いているのは良いけれど、ちょっと中二病が過ぎるんです…。
それから程なくして、バスの外に見慣れた光景が広がり、目の前に白亜の城がそびえ立った。
帰ってきたのだ、我が母校に。
バスはファランクス部の訓練棟近くの駐車場に止まり、先輩達から先に降りていく。
蔵人達1年生も、バスの運転手さんにお礼を言ってからタラップを降りて、預けていた荷物を取りに向かおうとした。
したのだが、先輩達がバスから降りてすぐの所で立ち往生していたので、一旦止まる。
先輩達の頭越しに見えたのは、こちらに笑顔を振りまく1人の教師と、その横に佇む1人の生徒。
赤茶色の長髪の先生は、よく異能力合同訓練で教官を務めてくれる先生だ。名前は確か…朽木先生。
「ファランクス部のみなさ~ん!お疲れ様でした~!結果がどうであれ、皆さんが毎日一生懸命に部活動を頑張っていたのを、先生達み~んなが知っています。私達はみんな、皆さんが最後まで戦い抜いた事を誇りに思っています!」
どうやら、朽木先生は我々が都大会で敗退し、関東大会出場を逃したと思っている様だった。
だが、学校には優勝したことを伝えたと、部長がバスの中で言っていた気がしたのだが、どうなっているのか?
そう思って、部長を見ると、蔵人と同じように困惑した顔で先生を見ている。
それでも、朽木先生は硬い笑顔のまま、必死にみんなを元気づけようとしている。
「勝負は実力だけでなくて、運も関わってきます。強い所と最初に当たってしまったり、思いがけないアクシデントがあったりしたら、どうしようもありません。でも、今は負けてしまって悔しいかもしれませんが、いずれこの時がかけがえのない」
「先生」
朽木先生が演説している最中に、隣に立つ生徒が割り込んだ。
それを見て、朽木先生はハッとした顔になり、少し横にズレる。
「私ばかり喋っちゃってごめんなさい。今日は、シングル部の部員も、皆さんを激励してもらうために来てもらいました!ささっ。どうぞどうぞ、安綱副会長。皆さんに一言どうぞ!」
そう言いながら、朽木先生に腕を掴まれた安綱先輩は、苦い顔のまま部長達の前に立たされる。
そして、
「あ~…私の勘違いだったら済まないが、皆さんの手に持たれている物は、もしやトロフィーじゃないかな?」
「そうです!優勝トロフィーです!」
秋山先輩が、少し顔を赤らめながら、安綱先輩に指紋だらけのトロフィーを差し出す。
それを受け取った安綱先輩は、しばらく黄金色に輝くトロフィーを観察すると、隣でポカンと口を開けている朽木先生に視線を投げかける。
「どういう事でしょうか?朽木先生。私は、ファランクス部が都大会を敗退したから、元気づける為に呼ばれたと思っていたのですが?これはどう見ても、優勝杯のように見えます」
問われた朽木先生は、大量の汗をかきながら、手をワチャワチャさせる。
「いや、だって、優火ちゃん。普通考えられませんよ。だって、今のファランクス部にはAランクが居ないんですよ?Aランク抜きでベスト8位に残るどころか、優勝出来るなんてあり得ません!」
「ですが、現にこうして現物がありますよ?」
そう言いながら、安綱先輩は朽木先生にトロフィーを手渡す。
渡された朽木先生は、恐る恐るそのトロフィーに、自分の指紋を上塗りする。
「…本物だ。信じられないよ。どうやって…冨道と天隆が出てなかったの?」
「両校ともいましたし、両校とも私達が倒しました」
部長が溜まらずといった様子で、そう答えた。
若干ドヤ顔なのは、仕方がないだろう。嬉しくて仕方がないのだ。
反面、朽木先生の顔は険しい。期末テストで悩んでいた伏見さんみたいな顔になっている。
「ええっ!?じゃあどうやって勝ったんです?もう、訳が分かりませんよ~」
先生のお目目がぐるぐる回り出す。
このままではトロフィーを落とすんじゃないか?と蔵人が危惧していると、安綱先輩がそのトロフィーを救出してくれた。
「まぁ、大方予想は付くがな」
そう言って、安綱先輩は歩き出し、先輩達を超えてこちらへ、蔵人の目の前で止まった。
赤いメッシュが入った髪が、夏の風に揺られて静かに踊る。
鋭くも優しい目が、蔵人の黒目をしっかりと見据えて、言う。
「君だろ?蔵人」
端的な質問。
だが、言いたいことは分かる。
「過分なご評価ですよ、安綱先輩。その栄誉は、先輩方の努力の結晶です」
蔵人がそう言いながら頭を下げると、胸に吊るしていたメダルが揺れた。
それを見た安綱先輩は、微笑みを浮かべる。
「そうか。過分か。だが、大会運営も私と同じ思いのようだな」
「…そのようで」
蔵人が顔を上げて、苦々し気にそう言うと、安綱先輩はますます笑みを深くする。
「やはり、私の見立ては間違っていなかった。いや、見立て以上だ」
そう言って、安綱先輩はトロフィーを片手で持ち、もう片方の手をこちらに突き出す。
「恥を忍んで言おう、蔵人。是非とも私たちの部活へ、シングル部へ入ってくれ」
「「「えっ!?」」」
安綱先輩の爆弾発言に、蔵人だけでなく、それを見守っていた先輩達、そして、目を回していた朽木先生も一緒になって、驚きが口から飛び出した。
安綱先輩は平然と、言葉を続ける。
「勿論、君の気持は理解しているつもりだ。私達シングル部は、一度君の入部希望を撥ねている。そんな所から誘いを受けても、腹立たしい事だろう。だが、それでも考えて欲しいのだ。君ほどの逸材を、やはり私は…」
「「ちょっと待って!」」
安綱先輩の告白じみたセリフに、今度は部長と先生が待ったを掛ける。
部長が、蔵人の前に立ちはだかって安綱先輩を睨む。
「何言っているのよ、安綱さん!ファランクス部は大事な大会の最中で、蔵人は今やこの部活の大事な戦力。幾ら名門のシングル部とは言え、非常識にも程があるわ!」
部長の苦言に、先生も頷く。
「そうよ、優火ちゃん。ファランクス部は大事な時期だし。それに、彼は男の子で、確かシールドの子よね?防御しか出来ない子を、シングル部に入れるのは酷よ」
2人に睨まれて、安綱先輩は力なく首を振る。
「そうだな。言い方が不味かった。謝ろう、櫻井部長。この話はまた時期を見て、君達の全国大会が終わってから改めて話させてもらう事にするよ」
そう一方的に取り決めて、安綱先輩は去って行く。
朽木先生も慌てながら、その背中に縋りつく。
「ちょっと、優火ちゃん!何勝手に決めてるの?後でローズ先生に怒られるよ?」
「先生。彼はとても優秀な子です。今の内にこの部に引き込まないと、夏休みが終わってからでは、他の部との争奪戦になりますよ?」
「でも、シールドでしょ?」
「彼をただのシールドと侮らないでください。先ず、彼は入試試験でジェネラル級を…」
2人は言い合いをしながら、シングル部の訓練棟の方へと消えていった。
何が何だか分からずに、ポカンと2人の背を見送っていた蔵人は、突然、目の前に部長が現れたのでかなりビックリした。
ど、どうしました?部長。
「蔵人、ちょっと来てくれる?」
聞き方は疑問符が付いているが、これは半分命令だ。
蔵人は素直に、部長の背について行く。
みんなから少し離れた木陰で、部長は歩みを止めてこちらを振り返った。
「蔵人、貴方はどう思っているの?」
主語が無い問いかけだが、先ほどの勧誘についてなのは想像がつく。
蔵人は小さく頷いて、答える。
「私はファランクス部の一員です。ビッグゲームが終わるまで、他の事は考えません」
男でシールダーである蔵人を拾ってくれた、唯一の異能力部。
この御恩を返さずして、他の部活に目移りするなど言語道断だ。
蔵人が力強く返答すると、部長は小さく首を振った。
「それは、貴方の事だから心配していないわ。私が聞きたいのは、ビッグゲームが終わってからの話よ」
終わってからか。
蔵人は一瞬考えそうになり、直ぐに思考を止めて部長を見る。
「変わりません。私はファランクス部員であり続けます。退部させられるか、引退するまでの期間ですけれど」
そもそも、シングル部から正式に入部の依頼が来た訳ではない。
安綱先輩の個人的な要望だし、顧問らしい朽木先生は反対していた様に見えた。
もしも、なんて不確定な先を考えるよりも、今は鍛えるべき時だろう。
更なる高みを目指すために。
「まぁ、貴方らしい誠実な答えね」
そう言って微笑んだ部長だったが、直ぐに真剣な目になり、蔵人の目の前で人差し指を立てる。
「でも、よく考えておきなさい。シングル部に兼部するかどうかを。これは、貴方の問題よ。貴方が選択するべき道。都大会で貴方の実力は良く分かったわ。私から見たら、シングル部でも十二分にやって行けると思うし、もしかしたら全国にも行けると、私は思う。そうなれば、貴方の学校生活…いえ、人生は大きく変わる。私達の事は考えずに、貴方の事だけを考えて、貴方の先を考えて、答えを用意しておくべきよ」
人生、か。
蔵人は、内心で微笑む。
まさか、年端もいかない少女に諭されるとは。
「分かりました、部長。ありがとうございます」
蔵人が頷くと、部長は少し寂しそうな顔をしてから、みんなの所に戻っていった。
蔵人は、そんな部長の背中を見て、思う。
器の大きさとは、歳だけで測れぬものなのだな、と。
朽木先生は、随分とおっちょこちょいですね。
果たした、と、逃したを聞き間違えるなんて。
「人とは、自分が思っている様に解釈することがあるからな」
思い込みと言う奴ですね。それで大きなミスなどをしたらと思うと…怖い怖い。
イノセスメモ:
・異能力部でも、格のようなものがある。シングル部>チーム部>セクション部>ファランクス部←これは全国共通か?もしくは西日本では違ってくるのか?