82話~いますよ。貴女の近くにも~
『見て見て!これ、お母さんがお誕生日に買ってくれたんだ!可愛いでしょ?』
女の子が、白いワンピースを両手に持って、嬉しそうに飛び跳ねている。
私もそれを見て、自分の事の様に嬉しかったのを覚えている。
この子は、るいちゃん。
苗字は、覚えていない。
同じ幼稚園に通う子で、小さい頃はよく遊んでいた。
私が河崎財閥の令嬢だからと、周りの子は及び腰になっていて、この頃から友達は1人もいなかった。
そんな私に、物怖じもせずに接してくれて、いつも一緒にいてくれた初めての友達。
大切な友達。
彼女といると、私は普通の子供に戻ることが出来た。
とても大切で、とても暖かくて、
貴重で、かけがえの無い時間。
もう二度と、取り返せない時間。
場面が切り替わる。
何処かの公園。
ここは…そうだ。るいちゃんに連れられて、幼稚園の近くの公園に探検に来たのだ。
その公園で、私は3人の子供に囲まれている。
見たこともない子達。
多分この辺に住んでいる一般の子供達だ。
その女の子達が、自分達に何か言っている。
なんて言っていたっけ?
忘れた。
とにかく、うるさかった。
そして、私はその3人の内の1人に突き飛ばされた。
ここは私たちの場所だ。
彼女は確か、そういう風に言って、怒っていたと思う。
そんな事、今まで一度もされた事がなかった私は、目の前が真っ赤になって、気付いたら、突き飛ばした子を浮遊させていた。
私は、そのままその子をポイッと投げ捨てて、壁に叩きつけた。
そしたらその子、動かなくなっちゃった。
軽く振り回しただけなのに、そんなに強く当たるとは思わなくて、確かこの時は、怖くなったんだ。
でも、他の子が突っかかってきたので、下げそうになった手をそのままに、その子も浮遊させる。
今度は砂場に飛ばしたので、放り投げても大丈夫だと思った。
だけど、その子は運悪く、淵の石段に頭をぶつけて、大泣きしてしまった。
その子の頭から血が滴り落ちて、砂場の砂に黒く浸み込んでいったのが見えた。
最後の1人が、私に向かって言った。
この言葉は良く覚えている。化け物って言ったんだ。
だからもう、私の中にあった恐怖は無くなって、代わりに体の中が怒りでいっぱいになってしまった。
その子に、手を向ける。
その子は、顔を引きつらせていた。
少し、気持ちが晴れた。
でも、許さない。
異能力を使おうとしたら、るいちゃんがその子の前に立ちふさがった。
だめって、言ってた気がする。
そんな事しちゃダメだって。
でも、私の力はもう止まらなくて、るいちゃんも、最後の子も、一緒に飛んで行った。
2人は、遊具の鉄筋に体を打ち付け、動かなくなった。
彼女達の頭から、赤い何かが零れ落ちていた。
真っ赤で、真っ赤な液体が、真っ赤に洋服を汚していた。
誕生日プレゼントに貰った、真っ白なワンピースを。
私は、動けなかった。
体が石のように固くて、重くて。
冷たくて。
場面が、変わる。
目の前には、お母様がいた。
お母様は私の頭を撫でていた。
お前は悪くないと、繰り返し繰り返し、呪文のように唱えていた。
私は、たぶん泣いていたんだと思う。
るいちゃんを傷つけた。
それが悲しくて。
居たたまれなくて。
どうしてこうなったのか、分からなくて。
『美遊はAランクなんだから、低ランクの子と遊んじゃダメなんだよ』
泣き止まない私に、お母様は言った。
Aランクは特別。
選ばれた存在。
それ相応の子と遊ばないといけない、と。
『るいちゃんはCランクでしょ?もっと良い友達を探してあげるから』
私は、この言葉に反抗したと思う。
るいちゃんと友達でいられなくなる。そう聞こえたから。
そしたら、
お母様の表情が、変わった。
お母様はおもむろに立ち上がり、一枚の大きな紙を取ってきた。
コルクボードに止めてあった、一枚の画用紙だ。
るいちゃんの誕生日に2人で書いた、2人だけの絵。
幼稚園で飼っている動物さん達と、お花畑と、中央には私とるいちゃんが、手をつないで笑っている絵だ。
その絵を、大切な絵を、
お母様は、破った。
ビリビリッと、
ビリビリビリと、
これでもかというほど、小さく、醜く、破り散らかした。
『いい、美遊。よく聞きなさい』
お母様は、その大切だった物をゴミみたいにまき散らした後、鋭い目で私に言った。
『BランクもCランクも、貴女の前では、この紙屑よ!紙屑の様に、切り刻まれるだけの存在なの!』
切り刻まれる。
血を流し、倒れ伏し、恐怖するだけの存在。
低ランクから見たら、Aランクは、そういう存在。
化け物。
だから、私には1人も友達が出来なかった。
出来たらいけなかったんだ。
彼女達の様に、切り刻まれてしまうから。
私は理解した。
理解したと同時に、涙が止まった。
その目には、もう、一滴の涙も残っていなかった。
一かけらの輝きも。
私が近づいたら、彼女達が危ない。
私に触れるな。
私に近づくな。
私は、Aランクなのだから。
視界が、切り替わる。
白い靄のようなものが晴れた先に見えるのは、青空。
青空が一面に広がり、薄い雲の筋が下から斜め上に向かって真っすぐ伸びている。
生ぬるい風がそよぐと、土と若葉のにおいを運んできた。
ここは……そうか。
美遊が理解すると同時に、周りの音も聞こえるようになってきた。
『前半戦終了!両校の領域支配率は、桜坂が77%、天隆が23%。よって、この時点で桜坂のコールド勝ちです!』
「「「わぁああああああ!!!」」」
興奮した放送の声と、それに答えるような観衆の大歓声が、受け入れがたい事実を美遊に突きつける。
コールド、負け。
天隆は、負けたのか?
天下を統べる龍が、落ちぶれた騎士に?
そんなっ!
美遊は起き上がり、立ち上がろうとして、途中で手首と背中に酷い痛みが走り、再び地面に座り込む。
そこから、フィールドを見渡す。
自軍領域では、前衛の天隆選手達が地面に膝をつき、泣いている。
その奥、円柱付近では、桜城の選手達が互いに抱き合って、飛び跳ねて勝利を喜んでいる。
その様子を見て、漸く、気を失う前の映像が脳裏に映し出される。
負けたのか、天隆は。
私も、負けた?あのCランクに?
美遊は、俯きかけた顔を上げ、桜城領域を睨む。
あいつは、あの男は何処に?
すると、自分に近づく影が一つ。
男だ。
だが、奴ではない。
黄色のワッペンと、白Tシャツの真ん中に、大きく〈STAFF〉の文字。
テレポーターだ。
そいつは、美遊の前で立ち止まり、手を伸ばしてきた。
いや。
「触らないで!」
美遊が痛みに耐えながら立ち上がり、キッと彼を睨みつけると、テレポーターの手が止まり、怯えたように数歩下がった。
ここで強制退場など、されてたまるか。
それでは完全に、敗北者だ。
テレポーターが困惑した顔で話しかけてくる。
「貴女を医務室まで運ぶように、し、指示が出ています。骨を折っているかもしれないし、頭を強く打っていたら、後々大変なことに…」
「私が大丈夫と言っている!低ランクが私に触れるな!」
美遊が鋭く睨みつけ、手をかざすと、テレポーターは顔を引きつらせて、更に一歩引いた。
自分が浮遊させられると思ったようだ。
大会運営に手を上げるほど、美遊は考えなしではない。ちょっとした脅しだ。
こんなことで恐れるなんて、やはり低ランクはか弱く、そして、私は…。
俯きかける美遊に、もう一度声が掛かる。
「本当に大丈夫ですか?」
別の声。
また、誰かが美遊を心配して、声を掛けてきた。
「うるさいわね!大丈夫って言ってる!」
美遊は、振り返りながらそっちに手をかざす。
そこには、探していた96番が立っていた。
目の部分だけが開いた兜から、少し鋭い目が、驚いたように丸くなって、美遊を見ていた。
だが、直ぐにその目は優しく弧を描き出し、
「あっ、これはご丁寧にどうも」
そう言って、何を思ったのか、かざした美遊の手を取って、握手してきた。
「対戦、ありがとうございました、河崎先輩。試合中に色々と失礼を申しましたが、お許し頂けたら幸いです」
美遊の威嚇にも、全く畏怖の様子を示さない少年を見て、美遊は呆気にとられていると同時に、少し馬鹿らしくなった。
そうだ。この少年は、曲がりなりにも私に勝ったのだ。
「ふふっ」
そう。この子は私に勝った。このAランクの私に。
そして、私の威嚇にも動じない。
そんなの、低ランクの反応じゃない。
それは紛れもなく、彼が…。
急に笑い出した美遊を、少年は眉を顰めて見つめてくる。
それに、美遊は微笑み返す。
「全く、やられたわ。桜城が、美原以外にもAランクを隠し持っていたなんて」
美遊の言葉に、少年は更に眉を顰める。
その様子に、美遊は首を振る。
「隠さなくてもいいわ。貴方、Aランクなんでしょ?クリエイトシールドでAランクなんて、見たことなかったからビックリしたわ。異能力種最下位と呼ばれているのに、高速回転する盾?あんなことも出来るなんてね」
そう、彼はAランクだ。
男性でAランクが出てくるなんて考えもしなかったから、意表を突かれた。
Cランクだと思って対応していたから、油断していた。
もしも、Aランク同士の戦いと分かっていたら、例え男子で、1年生でも、最初から本気で相手をしていただろう。
今回の敗因は、自分の、いえ、天隆の情報収集不足だ。
相手の事を、たかが桜城と高を括って侮ったことがいけなかった。
「今回は私達の完敗ね。でも、次はこうはいかないわよ」
都大会優勝の栄誉はくれてやろう。しばしの栄華に浸るが良い。
だが、関東大会は必ず、その翼をへし折り、今度は桜城を、96番を地面に叩き落とす。
美遊の心が幾分か晴れて、少年との握手を解いた時、少年は少し声のトーンを下げて、言った。
「河崎先輩。私はAランクではありません。Cランクです」
「ふっ、この期に及んで、まだ隠そうとしてるの?」
頑なに自分を隠蔽しようとする彼に、美遊は笑いをこらえながら微笑む。
しかし、美遊の言葉に、少年は首を振る。
「先輩。私はCランクです。仮に、私がAランクでしたら、桜城は規定違反で出場できません。Bランクが5人出場していますから」
出場規定は厳しく、少しでも違反していると出場できない。
ましてや魔力量の規定なんて、とても厳しく監視されている。
それくらい、美遊であれば当然理解していた。
「それは…そう、Bランクの中に、Cランクを混ぜたんでしょ?なるほどね。桜城は手の込んだことをするわね」
それでも、理解しない。
したくない。
無理がある設定と分かっていても、理解など、出来ない。
掲示板を見れば、両校の選手の背番号とランクも出ている。
それが分かっていても、見ることは出来ない。理解してはいけない。
「先輩。そんなこと、本気で出来るとお思いですか?」
少年が、真っすぐこちらを見つめて、ゆっくりと、諭すように言う。
「私はCランクです、先輩。Cランクのクリエイトシールド、巻島蔵人です」
「嘘よ!」
途端、美遊は吠えた。
「そんなの、嘘よ」
嘘でなければならない。
でなければ、今までの自分は、あのお母様の教えは、なんだったのだろうか。
今までの辛い人生に、何の意味があったというのだ。
「…嘘よ…」
全てが否定されているような気さえして、美遊は胸が締め付けられた。
手が震え、同じくらい足が震えたと思ったら、急に力が抜けて、ペタリとお尻が芝生を踏む。
視界が、歪む。
爆発しそうな感情が、しかし、何処にも行けずに、目から溢れてくる。
「先輩」
少年が、蔵人が、いつの間にか俯いていた美遊に目線を合わせ、覗き込むように見ていた。
その紫色の目は、ナイフの様に鋭く、でも、確かに暖かくもある瞳だった。
「CランクがAランクを超えられないなんて、誰が決めたんですか?」
「それは…それが、この世の常識よ!そう決まっているの!そう決まっていて…」
疑問になんて思ったことはなかった。
それが正しいと、お母様から聞いていたし、実際に私の目の前にいる者達はみんなそうだった。
Aランクに勝てるCランクなんていない。
いてはならない。
いてはいけない。
それなのに、
今、目の前にいる、この男は、
「先輩。CとかAとか、上位とか下位とか、そんなのは人間が付けた記号です。見やすいように付けたレッテルです。そんなもので全てを測ることは出来ません。そんな記号で決めつけてはいけないんですよ、人を、人生を!」
蔵人は手を握り、美遊は歯を食いしばる。
「…じゃあ何?私は間違っていたの?貴方は、そう言いたいのっ!?」
歯と歯の間から漏れたのは、悔しさとやるせなさ。自分を全否定する彼への、拒否反応。
だが、彼は、
「いいえ。貴女の考えは間違っちゃいない。それがこの世の常識です。常識は、従わねば己が非難される物。だけど、常識は変化する。いつの日にか壊される。この世が異能力の世界になった様に」
蔵人は真っ直ぐに見つめてくる。
美遊の揺れる、大きな瞳を。
「常識に囚われたままでは、いつか常識から取り残される。ならば、いつか壊さねばならない。突き破るんだ、常識と言う、己の殻を」
「そんな事…そんな出来る訳がないわ!」
出来る訳ない。自分には。弱い自分なんかには。
目を伏せそうになった美遊。
そんな彼女に、蔵人は言う。
「出来ますよ、先輩」
「出来ないわ!貴方は分かってないわ!この世界はランクが全て。ランクの壁は、越えられないのよ!」
「いいや違う!」
蔵人は立ち上がり、声を高らかに宣言する。
言われた美遊は、顔を上げる。
蔵人を見る。
右腕をめいいっぱい空へ向けた彼を見上げる。
「この空を見てください!青く澄み渡るこの空はどこまでも自由で、その先の宇宙に果てはない。この宇宙のどこに、貴女を阻む壁がありますか?」
「そら?」
何を?と問い見上げる美遊に、蔵人は笑いかける。
凄くいい笑顔で、こう言った。
「貴女が何かに囚われていると思うのは、それは世界じゃない。貴女の心だ!心が作った壁に、ただ押しつぶされそうになっているだけ。そんなもの、今すぐにでも取っ払えるんですよ!たった一つ、こう思うだけで!」
蔵人の瞳が、淡く輝く。
天を突き刺す人差し指まで、太陽の光で輝く。
「世界に限界は、ねぇんだぜ!ってな!」
天井がない。
ただ、その言葉を聞いた、それだけの事。
そう思う美遊だったが、自分の中で何かが変わった気がした。
心に重くのしかかって居たものが、歯車に挟まっていた邪魔なものが外れ、カチャリと何かが動き出した様な、軽い気持ち。
蔵人の指先に導かれて見上げた空は、今まで見たどの空よりも、蒼かった。
頬を、熱い思いが伝う。
美遊は咄嗟に俯いて、顔を拭く。
何故だか自然と、笑みが零れる。
「貴方みたいなCランクも、いるのね」
10年前のあの時に、この人に出会えていたら、自分の人生は変える事が出来ただろうに。
美遊は後悔した。自分がしてきた事に。
チームメイトに、仲間に、酷く当たってしまった。
もう、取り返しがつかない。つく訳がない。
「いいえ。違います」
しかし、蔵人は首を降る。
そして、天を指していた手をゆっくりと下げて、指し示す。
美遊の、後ろを。
そこには、
「「河崎様!」」
「「美遊様!!」」
駆け寄ってくるチームメイト達が居た。
「いますよ。貴女の近くにも」
蔵人の言葉に、しかし、美遊は返す言葉がなかった。
ただ、込み上げるものを抑える為に、俯くしかできなかった。
美遊がチームメイトに囲まれている内に、蔵人は自分のチームに戻って行った。