4話〜蔵人でしゅ。2しゃいでしゅ〜
頼人の能力熱事件からは暫く、平穏無事な日々が続いた。
頼人はスクスク成長し、この前とうとう立ち上がる事が出来た。勿論、蔵人のサポートも無しにである。
また、言葉も話せる様になってきた。
最初に話した「にぃーに」から「にぃーに、しゅき」と二言繋げで話せる様になった。未だママの次にしゅきが繋がった試しはなく、蔵人は少し優越感に浸り、その時の母は久しぶりに蔵人を真っ直ぐに見ていた。
少し、いや、かなり悔しそうであった。
それはいいとして、頼人は、蔵人の言葉にも反応を示すようになっていた。
「頼人。絨毯は食べちゃダメよ。歯茎が痒いなら、こっちの積み木を噛みましょうね。こっちは口に入れても良いように出来てましゅからね」
「あい!」
こんな風に。
余談だが、蔵人の言葉はかなりしっかりした。
まだ『さ行』が怪しいのだが、他はゆっくりとだが喋ることが出来ていた。頼人相手に随分と話し込んだのが良かったのかもしれない。頼人も、それで良い影響が出ている様だ。
母親は相変わらずである。…いや、最近は頼人への溺愛というか、依存がより悪化している。
お金をかけて体を調べたり、有名な講師を雇って習い事をさせている姿をよく見かけるようになった。あの能力熱に侵されてから顕著になった。
頼人が子供部屋に帰って来る度、嬉しそうに今日あった事を報告してくれるので、何を習ったかは大まかに知ることが出来た。詳細まで分からなかったのは、頼人が「おっきいおみず、ばーんってなった!」と、解読困難な報告をするからだ。
帰って来る時はとてもご機嫌の頼人だったが、部屋から連れ出される時はその真逆であった。ぐずるし、何なら泣き出す。あまり習い事はお気に召さないらしい。というか、拘束されるのを嫌う年頃なのだろう。
だからだろうか。最近、頼人が母親に抱かれるだけでぐずる様になってしまった。逆に、蔵人とは常に手を繋いだり、何かと接触しようとする。
蔵人に対する母親の態度は変わらない。蔵人にとってはとても有難い事に、自由気ままに放置してくれる。
だがその分、執事の柳さんが構ってくる様になった。
「蔵人様。お出かけのお召し物は如何なさいます?」
「おまかせしましゅ!」
その度に、幼児言葉でたどたどしく答える蔵人。
「2歳のお誕生日なのですが、何かご希望の物はございますか?」
「しょれ本人にきk…ごほっごほっ…おまかせしましゅ!」
こんな感じで、やけにこちらに確認を取ってくる。頼人には「おねむの時間ですよ〜」って赤ちゃん言葉なのに。
やはり、あの視線はこの人なのだろうか?だとしたら、幼児言葉で話す必要はないかもしれない。
そんな事を思いながら日々を過ごしていると、いつの間にか蔵人は2歳を過ぎていた。家の中では、そろそろ年末の準備をしなければ!と師走で走り回るメイド達を眺める時期となっていた。
そんな折、
「柳さん、頼人は風邪をひいたみたい」
突然、母親が切り出した。
あまりに突然に、蔵人と遊んでいた頼人を持ち上げると、そんな風の宣ったのであった。それも、かなり棒読みなセリフであった。
勿論、頼人は元気いっぱいだ。蔵人とまだ遊んでいたいみたいで、しきりにその腕から逃げようと、体をピーンッと突っ張っていた。
頑張れ、頼人。
蔵人が心の内で兄を応援していると、頭上からため息が吐き出される音が聞こえた。
柳さんだ。
「奥様。本家に行きたくないからと、そのような嘘を…。通用するとお思いですか?」
「嘘じゃないわ。また能力熱かもしれない。こんなに体が仰け反っているもの」
そりゃあんたを拒絶してんだ。
蔵人に呆れ顔を向けられているとはつゆ知らず、母親は大根芝居を続ける。
「これでは、年始に本家に行くのは無理よ。きっと”ヒサメ様”もそう言って下さるわ」
「しかし、ここ2年も顔を出していらっしゃらないではないですか。一昨年、去年は頼人様達が産まれたばかりという体面があったからいいものの、今年は流石に挨拶なしというのは難しいですよ」
「でも私、本家とは絶縁されている様な者だしぃ…」
「使用人まで送って下さっているんですから、それは通用しませんよ」
柳さんに諭されて、母親は子供のように口を曲げる。
その様子を、蔵人は完全に呆れ顔で見上げる。
2年も顔を出していなかったり、絶縁されてるとかって不吉なワードが聞こえてきたが、この人大丈夫なのだろうか?実家と揉め事があるのかも知れないが、挨拶くらいはした方が良いと思うがね。
そう思っていたら、母親と目が合ってしまった。しかも彼女は、蔵人を見て何かを思いついたように、パッと顔を輝かせていた。
うわっ。これは、何か嫌な予感。
蔵人が顔を歪ませる上で、母親は高らかに声を上げた。
「だったら、私達の代わりに蔵人が行けばいいのよ」
「何でしょうなる!?」
おっと、つい突っ込んでしまった。
「えっ?今の…この子が、喋ったの?」
流石のこの女も、目が点になってしまった。
マズいマズい。
「あい?」
ダメもとで、可愛らしく首を傾げる蔵人。
「奥様!?蔵人様だけでどうやって挨拶をするのです?」
お、柳さんが話を進めて有耶無耶にしようとしてくれてる。グッジョブですよ!
「勿論、蔵人1人じゃないわ。柳、貴女も一緒に行くの」
「なっ…使用人が…挨拶にっ!?」
柳さんは、それ以降喋れなくなってしまった。
それから少し経って、年が明けた。
その日、蔵人は柳さんと共に車に揺られていた。
蔵人は助席で、柳さんが運転してくれている。
驚いたことに、この世界の車は電気自動車が基準となっているみたいで、ガソリン車は殆ど見かけない。
勿論、バスも大型トラックも殆ど電気だ。ガソリンスタンドなんて見当たらない。あるのは電気スタンド。それもタダ同然の価格であった。
その為、とても静かな排気音と共に、蔵人達は閑散とした住宅街を離れ、高速に乗る。
視界に映る風景は、段々と緑の割合が減ってビル群が目立ち始めた。
恐らく、郊外から都心に近づいて来ているのだろう。我々の出発点は茨城県の南部辺りで、今は東京に入るところ。
そんな時、高速の途中で大きなゲートが前方を塞いでいた。
いや、ゲートと言うより壁だ。魔物が蔓延る異世界で、王都を守る巨大な外壁に似ている。
その壁の一部に高速道路が続いており、道路が収束する所に検問が敷かれていた。近づくに連れて、その物々しさが目に入る。完全武装した軍人が何人も立ちはだかっており、奥の方には装甲車や巨大な二足歩行ロボットの様な物まで鎮座していた。
「パスポートを」
30分くらいの検問渋滞を待った末、我々の車に1人の軍人が近寄って来た。
軍人さんは、柳さんが窓を開けると、機械的に手を差し出してくる。
ヘルメットで顔も何も見えないが、声から兵士が女性であることが分かる。
柳さんは言われた通り、三通の手帳と1枚の小さな紙を渡す。ファイルに入ったA4用紙とパスポートと…母子手帳?それに、小さい紙は名刺位の大ささだ。それが何かは蔵人の位置からは確認できなかった。
軍人さんはパラパラと紙に目を通し、名刺を一瞥すると、また機械的に質問を投げかけてくる。
「目的は」
「観光です」
「滞在予定は」
「2日程度です」
柳さんも端的に答えると、軍人はサッと三通を窓から差し出す。それをすぐに受け取る柳。名刺は…あ、軍人がポケットに仕舞った。柳さんも既に、車を発進させる準備をしていた。
「問題ない。1週間以内に退去するように。良い日を」
「ありがとうございます」
全く感情を感じない受け答えをラリーした軍人さんは、それが当然の様に次の車へと向かってしまった。
柳さんもすぐに車を発進させて、壁の中へと入っていく。
「今のは特区の検問です。蔵人様」
振り向いて、過ぎ行く検問を見ていた蔵人に、柳さんが解説してくれた。
特区。本で読んだ。特別管理地区。高ランクだけが住まう小さな集落。
そんな想像をしていた蔵人だったが、どうも違うようだ。柳さんの説明では、日本の各地に特区があり、その一つがこの東京特区。広さは史実の東京23区が全て入る程。
他にも、大阪特区や福岡特区などがあり、特区が無い都道府県には特別地域という物もあるそうだ。
つまり、この日本の中心が特区という事であり、高ランクが国を支配しているという事。
この国は、何処まで高ランク異能力者を優遇するんだ?
蔵人は辟易し、車窓へと視線を逃がす。
そこから景色を伺うだけでも、黒戸が知っている東京と、蔵人の目の前に広がる東京特区の違いがよく分かる。
端的に言ってしまうと、緑が多い。今は足立区辺りだと思うが、ゴミゴミした下町はなく、綺麗な高級住宅街と、整備された道路と街路樹が等間隔に整列している。
流石に新宿辺りは高層ビルも目立つが、至る所に公園が設けられていて、人混みも少ない。もっとスーツ姿のサラリーマンばかりだったと思ったが、色とりどりの服、髪色の女性達が優雅に歩く姿ばかりが目立つ。
蔵人は車の窓を開けて、空気をいっぱいに吸う。
うん。やはり自分が知っている東京の匂いではない。ガソリン車が電気自動車に置き換わっただけで、ここまで大気がきれいになるものだろうか?
「特区の空気はいかがですか?」
柳さんの問に、蔵人は笑顔で答える。
「おいちい!」
蔵人達は暫くして首都高を降り、高級住宅街をノロノロと走った後、1軒の豪邸へとたどり着いた。
柳さん曰く、ここが目的地の“巻島本家”だそうだ。うん。見事な日本屋敷だ。巨大な門を過ぎても、母屋が遠い。
柳さんは駐車場の端っこに車を停める。
駐車場の入り口付近には、既に何台かの高級車が我が物顔で停まっていた。
駐車場の空きはまだまだあるのだが、それでも端に停めなければいけないのは、柳さんが遠慮しているからか、それとも本家の圧力なのか。
蔵人は柳さんに抱き抱えられながら、長い石畳を進む。自分で歩くと提案したが、珍しく拒否されてしまった。柳さん曰く、それだと彼女が同行する意味が無くなってしまうらしい。
つまり…そういう事か。
蔵人は想像していたのとは大きく異なるだろう挨拶回りの予感に、苦笑いを浮かべた。
そうして歩くこと、数分。母屋の門の前には2人の男性と、着物を着た綺麗な女性が立っていた。
蔵人はそこで、柳さんから降ろされる。そして、柳さんは半歩下がった。
ああ、やはりそういう事ね…。
蔵人は、事が自分の想像通りに動いていることに肩を落としていると、着物の女性が近づいてきた。
「ようこそおいで下さいました。お名前を頂けますでしょうか?」
蔵人の後で控える柳さんは、前に出る気配すら見せない。
つまりは、そういう事。
蔵人は、明るいワインレッドの髪を後ろにまとめた女性を見上げる。
そして、声を上げる。
「巻島真紀子の、代理で来まちた。蔵人でしゅ。2しゃいでしゅ」
つまり、柳さんはこの場ではあくまで使用人。挨拶の全ては蔵人が担うのだ。
てっきり、柳さんが挨拶すると思っていた蔵人は、2歳児に重荷を背負わせた母親の姿を思い浮かべて、思わず嘲笑を浮かべてしまった。
その意趣返しでは無いが、2歳児なのでご容赦願いたい思いを込めて、年齢まで含めて申告したのだった。
だが、それは思わぬ方向で効果的であった。
蔵人の発言を受け、門番3人の目尻がこれでもかと言わんばかりに下がり、女性は座って蔵人に目線を合わせてきた。笑みが溢れんばかりに浮かんでいる。
「お待ち申し上げておりました、蔵人様。本家筆頭執事を仰せつかっております、巻島火蘭でございます。本日は我々が精一杯尽くさせて頂きますので、どんな事でも仰って下さいませ」
そう言うと、火蘭さんは立ちあがって1歩下がる。代わりに、廊下で控えていた男性が正座して、こちらに首を垂れる。
「お部屋までご案内致しますので、どうぞこちらへ」
そう言われたので、蔵人が玄関に入ろうとすると、再び柳さんに抱き上げられてしまった。ああ、挨拶の為に一旦降ろしたのね。
そう思っていると、柳さんが蔵人を抱き寄せて囁く。
「あの火蘭様を骨抜きにされるとは、流石は蔵人様です」
顔を離した柳さんを見上げると、微笑んでいた。
もしかして、柳さんは俺を試していたのか?
蔵人は肩眉を上げて、柳さんに苦笑いを返した。
イノセスメモ:
・主人公は2歳になった。
・この世界の車は電気自動車が主流←時代に対して技術進歩が歪。
・特区は巨大な壁と強力なセキュリティシステムで守られている。
・色とりどりの服装と…髪色?←要検討事項。




