74話~何がどうなってるのよ!?~
不味い。
櫻井麗子は、手にしていたメガホンが変形するほど握り締めていた。
後半戦開始1分。みんなのヤル気が、空回りしていた。
神谷を敵円柱に送り出す。
そんな思いが、無理な右翼攻めを強要してしまい、桜城前線に防御の薄いエリアが出来てしまっている。
そこを、相手は見逃さなかった。
相手前衛の主力が一気に左翼に動き、そこを集中攻撃し始めた。
溜まらず、桜城前線の左翼は後退し、一直線だった前線が歪んでしまった。
歪んだという事は、その分大きな間隔が開いたという事。
その大きな穴に、足立の前衛が飛び込む。
桜城の領域内に、敵の侵入を許してしまった。
それも、2人。
いや、左翼に気を取られた隙に、中央でも1人許してしまっている。
『カバー!中えい…』
麗子は声を張り上げて、中衛を動かそうとする。
だが、今前線から中衛を引かせてしまうと、前線の状況が悪化するのは目に見えている。
ただでさえ、侵入者との距離がある状態なので、仮令中衛を動かしても、全員を排除するのは先ず無理だ。
とは言え、ではどうするべきか。
麗子は知らず、目線を最後の盾役に向けていた。
蓮華との練習試合で、見事な盾捌きをした1年生に。
駒川との地区大会で、完璧な仕事を果たした男の子に。
「巻島」
その巻島が、ゆっくりと立ち上がったのを見て、麗子は絞り出すような声を漏らす。
もしかしたら。
そんな思いが一瞬湧いてしまい、急いで頭を振って霧散させる。
駒川の時とは違う。
あの時は1人。今は3人も来ているのだ。
彼であれば、1人を相手に時間稼ぎくらいはしてくれるだろう。
それだけの技術は持っており、それだけの期待はしても良い選手だ。
だが、3人は無理だ。
脇をすり抜けられるか、最悪は囲まれてタコ殴りだ。
有望な選手を、こんなところで失う訳にはいかない。
『巻島!神谷!円柱から下がりなさい!』
所謂、降伏という奴だ。
地面にうつ伏せになって、両手を頭の上に回せば、攻撃されないのがファランクスのルール。
直ぐに退場扱いとなり、テレポーターが来てしまうけれど、寧ろそれでいい。
諦めよう。私たちの夢を。
託そう。私たちの後輩に。
そう指示を出そうとした時、
巻島の目に怪しい光を見て、麗子は息を吞んだ。
出かかっていた言葉も、飲み込んでしまった。
神谷のフルフェイスとは違い、口だけを覆った巻島の鎧兜は、その黒い瞳だけは正体をさらけ出していた。
その瞳が、フィールドを見て怪しく輝く。
その輝きは、あまりにも生き生きとしていた。
なんとかなると思っているの?この状況で。
麗子は握ったメガホンの感触を確かめながら、迷う。
確かに、今、迫ってきている相手の内2人はCランクだ。でも、3年生。
仮令技術が抜きん出ている彼でも、訓練量の差は歴然。
仮令、巻島がBランクだったとしても、負ける可能性の方が高い。
中学部活の練習量とは、時にランクの差すら覆すのだ。
そして、先頭を走るのはBランクの3年生。全てにおいて巻島の上を行く存在。
無理だ。
結論を出した麗子は。悔しくて歯を食いしばった。
その時。
巻島が、消えた。
いや、走り出した。物凄い速さで。
『迎え撃つのは桜坂96番!Cランクの、男子!たった1人で、猛然と突き進む足立中の選手を相手にしようとしています!』
実況の言葉に、観客たちは絶叫している。
その言葉は、まるで麗子の心の声だ。
頼むから、相手と接触する前に、巻島をテレポートして頂戴。
いつの間にか、メガホンを胸の高さまで下ろしていた麗子は、両手を重ねて祈るようにそんなことを考えていた。
その矢先。
巻島が、動く。
動く、巻島の手。巻島の拳。
高速回転する巻島の拳が、相手に迫り、そのまま、
相手を殴り飛ばした。
………えっ?
麗子は目をつむり、頭を振る。
違う違う。何を見ているんだ。殴り飛ばされたのは巻島の方だ。何を都合のいい解釈を、
『だ、ダウンです!足立中7番、ダウンです!』
違ってないぃ!どういうことぉお!?
再度、凝視する麗子の前には、四肢を投げ出し倒れ伏す、赤いプロテクターの足立選手が目に入る。
その前で、猛然と構える96番の騎士も同時に。
何が、起きた?
スリップ?
いや、違う。
ダウン、と実況は言っていた。
ファランクスにおいてダウンとは、異能力によって一時的に行動不能となった時に使われる用語。
巻島の異能力が、相手を打ち負かしたと判断された証拠。
そして、
『べ、ベイルアウト!足立中7番、ベイルアウトです!』
ベイルアウト。
間違いなく、巻島が相手選手を医務室送りにした。
それを聞いた観客から、驚きと戸惑いの波が湧き上がる。
その波は、麗子の中でも同じようにうねっていた。
なぜ?どうやって?
彼の異能力は、シールド。それも無属性だ。
何故、守るしか出来ない、異能力種の中でも最低と呼ばれるその異能力で、女性異能力者を倒せるの?
「「おおおお!!」」
そんな彼女の思考は、観客のどよめきによって、断ち切られた。
『足立中23番!ベイルアウト!連続ベイルアウトです!』
そこには、巻島に吹き飛ばされたのであろう、2人目の侵入者が横たわる姿が一瞬見えた。
2人も、上級生を倒した?
しかも、今の相手にはただ殴りかかっただけの様に見えた。高速移動からの攻撃。それだけで、相手の体がくの字に曲がった。
なんで?
彼の異能力は、シールドじゃなかったの?
海麗と同じ、フィジカルブーストだった?であれば、高重量の鎧で動けるのも納得できる。
でも、そんな訳がない。彼は盾を作り出しているのだから。
巻島蔵人。貴方は一体…。
「やりおったわ!さすがはカシラやで!」
「良いぞ!ボス!全員ぶっ飛ばしちまえ!」
麗子の視界が、急に塞がれる。
いつの間にかベンチの最前列に出てきていた伏見と久我が、麗子の前に立ち塞がり、飛び跳ねていた。
2人は、目の前の光景に、全く驚いた様子はない。
まるでヒーローショウでヒーローが活躍するのを応援する子供の様だ。
待っていましたと、ヒーローが勝つ事を分かっていたかのように。
他の皆も、知っていたのか?彼に、こんな力があった事を。
麗子は、周りを見る。
あんぐりと口を開けた、2・3年生達が見えた。
良かった。この2人だけか。
麗子は少し安堵した。
安堵したのもつかの間、
「「「わぁああ!!」」」
割れんばかりの歓声と、拍手が沸き起こる。
「なに!?今度は何なの!?」
周りの声に負けじと声を張り上げ、目の前の二山に問いかける麗子。
伏見が振り向いて、頬を紅くしながら叫ぶ。
「カシラが!前線に突っ込んで!敵さん全部吹っ飛ばしよったんです!」
「何がどうなってるのよ!?」
伏見の説明で全く要領を得られなかった麗子は、少しヒステリー気味に言葉を吐く。
すると、放送が説明してくれる。
『足立中11番!ベイルアウト!……続いて、18番、26番ベイルアウト!5人続けての連続ベイルアウト!桜坂中、96番、止まりません!信じられません!これが本当に、男子なのか!?』
「「「良いぞ!良いぞ!96!」」」
『パパパー!パパパー!パパパパパッ!パパパー!パパパー!パパパパパッ!』
「「「吹っ飛ばせぇ〜!おーじょう!おーじょう!おーじょう!」」」
放送に続けて、自軍応援団から降りかかる応援歌と声援。
それを受けてか、二山の隙間から見える我が校の選手達の動きも、随分と良くなっている。
いや、ただ単に人数差が効いているのだろう。
今、桜城は13人のフルメンバー。対して相手は5人欠いた8人。
ベイルアウトした場合、選手の交代は、ベイルアウトした直後から2分経たないと出来ない。
つまり、後100秒以上は桜城が有利な状況で戦えるという事。
仮令海麗が居なくとも、この戦況なら何とかなるかもしれない。
後は、当初の作戦を実行するだけ。
そのキーパーソンである神谷は…あれ?どこ行った?
麗子が自軍の円柱辺りを探していると、周りから悲鳴に近い声が複数上がる。
「なに、今度はどうしたの?」
「部長、あれ…」
2年の遠藤が指さす先には、相手のAランクと対峙する蔵人の姿が。
背筋が凍った。
なんで、Aランクがそんな所に?佐々木と秋山は?
そう思って自軍の前線に目をやると、そこには黒焦げた装備を纏って倒れ伏す2人の姿と、2人のテレポーターがいた。
遠藤が、教えてくれる。
「相手の1番が、急に大きな炎を出して、なんか龍というか、ヘビみたいなやつで。先輩達、一瞬で燃やされて、そのまま、蔵人くんの所にそのヘビを放って」
つまり、今まで温存していた力を一気に解放して、変わりつつある流れを引き戻そうとしているのか、あの01番は。
『巻島!下がりなさい!Aランクよ!』
麗子はメガホンを握りしめながら、張り裂けそうな声で叫ぶ。
本気のAランクに、敵う筈がない。
今睨み合っているのだって、相手が慎重になっているだけ。
やろうと思えば、一瞬で消し炭にされる。
AランクとCランクの差は、抗いようのない差があるのだ。
『巻島!』
「「良いぞ良いぞ!おーじょうっ!良いぞ良いぞ!おーじょうっ!」」
ダメだ。聞こえていない。
周りの歓声が凄すぎて、声が届かない。
しまった。
これなら、鶴海をベンチに座らせておくべきだった。
もしくは、テレパシストを勧誘するべきだった。
今更な後悔を繰り返していると、麗子の目の前にいた2人が駆け出して、コートの縁ギリギリの所でなにか叫んでいた。
多分、今自分が出した指示を伝えているのだろう。普段このような雑務をしたがらない2人、特に久我がこんな風に積極的に動いてくれるとは、少し嬉しい。
だが、巻島は動かない。
それどころか、構えだした。
迎え撃つ気か。
でも、今の状況では不利だ。
相手は攻めて来ないだろう。
時間だけが過ぎ、ベイルアウトの交代要員が補充され、我が校は再び不利となる。
また、巻島自身も、3分間でレッドカードを受けることになる。
まぁ、その時間が来る前に、我が校のコールド負けとなる。そもそも、Aランク相手に3分も耐えられる筈もない。
そう、頭では冷静に理解するが、心が騒めく。
佐々木達と同じような目に、男子を遭わせてしまう。
そんな事になるくらいなら、ここで…。
そう思った麗子は、自分の監督席を振り返る。そこに置かれた、一個の銃に目線を落とす。
これを撃てば、試合が終わる。未来ある芽を潰さないで済む。
麗子が半分、その凶器に手を伸ばしかけた時、
状況が一変した。
「「「わぁああああ!!!」」」
桜城側の観客が一斉に湧いて、振り返った麗子も、フィールドが桜城色に戻っている事に一瞬で気付く。
神谷がいつの間にかセカンドタッチを成功させていた。
「「やったぁああ!!」」
桜城ベンチも、一気に熱を帯びる。
巻島が開けた大穴に、神谷がしっかりと反応して、セカンドタッチを取ったようだ。
巻島の大活躍に、選手だけでなく観客も全員意識を取られていたので、比較的容易に実行できたのだろう。
これで、時間的余裕が生まれた。
今、神谷に対応出来る相手選手はいない。
この状況で、前線にいる桜城の誰か1人でも円柱役にしてしまえば、試合も勝てる。
ただ一つ問題がある。
大きな問題だ。
相手のAランク。このエースを誰が抑えるのか。
今抑えてくれている巻島が、どれだけ耐えてくれるか。
それによって、この試合の結果が変わってきてしまう。
予選敗退か、関東大会出場かという、天と地の結果が。
「お願い、蔵人」
1秒でも良い。何とか、何とか逃げ切って。
麗子はいつの間にかメガホンを置いて、両手を目の前で組んで神頼みをしていた。
そして、Aランクと蔵人の攻防。
鞭のように操る炎に、蔵人はかなり翻弄されている。
だが、次第に避けるのが上手くなっていく彼は、とうとう反撃に出始める。
そして、相手の防御を掻い潜った盾が、相手をあと一歩のところまで追いつめた。
攻撃は避けられてしまったが、かなり効いている。このままのペースで行けるなら、何とかなるかも。
そう思ったのも、相手が立ち上がるまでだった。
膨大な量の炎が、Aランクの周りに生まれ揺蕩う。
「良いぞ!ボス!行けるぞ!」
「逃げるんやカシラ!Aランク、マジギレしてるで!」
伏見の言うとおりだ。相手を本気にさせてしまった。
Aランクの猛攻。
一瞬でもその炎に捉えられれば、全身黒焦げは必須。
最悪、消し炭になってしまう。
もしも、体の半分以上が無くなってしまったら、クロノキネシスの時間遡行すら効かなくなってしまう。
もう駄目だ。棄権しよう。
そう思い、銃を手に取った麗子だったが、その時、何とか相手の射程範囲外に逃げ出せた蔵人の姿を見て、銃の引き金に掛けた指を外す。
…逃げたと言うか、後ろ向きに飛んだ様な気がするけど、そんなハズ無いわよね?
しかし、折角命からがら逃げられたのに、蔵人は何故か火中へ飛び込んだ。
「な、なんでや!」
「ヤバいって!戻れボス!」
麗子も、前の2人と同じ気持ちだったが、前線から蔵人達に駆け寄る2人が見えたので、察する。
援軍が来たから、攻めに転じたのだ。
だが、すぐに状況は悪化する。
援軍に気づいた01番が、奇襲攻撃を防いでしまった。
失敗だ。
「あかん!」
「戻れ!ぼ…えっ」
久我の声が、途中で途切れる。
麗子も、息を止めた。
Aランクに向かっていた蔵人が、消えた。
と思ったら、01番の目の前に現れ、
炎が、01番の目の前に生まれ、
また、蔵人が消え、
蔵人が、相手の腹部に、拳を突き立てていた。
何が、起きた?
何が、起きている??
なんで、01番が倒れているの?
麗子の頭の中が疑問符でいっぱいになっている間に、Aランクが立ち上がった。
その姿は、最早戦えるとは到底思えない程に痛々しく、彼女から立ち上る炎の塊も、最早形にすらならない儚い物であった。
早くテレポートさせてあげてと、敵ながら思ってしまう程の姿。
それでも、懸命に前を向き、大空に吠える姿はとても格好よく、そして、流石の貫禄だった。
そんな相手のエースは、ゆっくりと、ゆっくりとそのままの凛々しい姿で、
地面に倒れ伏した。
試合がまだ終わっていないのに、フィールドは時間が止まったかの様な静けさに、一瞬包まれた。
そして、
『じゃ、ジャイアントキリング!!足立中3年、Aランクの柴田選手を倒したのは!桜坂聖城学園!1年!96番のCランク男子です!』
「「「うぇええええ!?」」」
「「「うぉおおおおおおお!!!!!」」」
動き出す、時間。
淡々とした何時もの放送じゃなく、少し興奮した様な、まるで実況の様なマイクの後、困惑と歓喜の歓声が爆発した。
「Aランク倒しちゃったよ。しかもCランクだって!」
「しかも1年で、男の子?本当なの!?」
「ねぇ!どうやって勝ったの!?途中ヒヤヒヤだったから、僕、目瞑っちゃったんだよ!ねぇってば!」
「ジャイアントキリングなんて、初めて見たわ。ああ、生でって意味ね。テレビでは、見たことあるけど、でも、ほぼ1対1でってなると…」
観客達の声が上から幾つも降って来るが、麗子の頭には半分も入ってこなかった。
とても今、他人の言葉を解釈する余裕がない。
麗子の頭の中は、酷く混乱していた。
Cランクが、Aランクを、たおした?
たおした?
倒した!?
倒されたじゃなくて、倒した!?
やっと頭の中で線が繋がった時。
パンッ!パンッ!
乾いた破裂音が2発、フィールドを駆け抜けた。
銃声。
これは…!!
『あっ、今、足立中の監督が空砲を撃ちました!棄権です。足立中棄権です!試合しゅうりょおおお!!!』
そんな言葉が振りかかって来た。
棄権。
試合中でもゲームを終わらせることの出来る、監督だけが持つ権限。
麗子が何度も迷った、最後の引き金。
余程危険な相手と当たった時か、この試合の様に、完全に流れが傾き、後は選手を消耗するしかない時に発令される事がある。
Aランクまで潰され、6人も欠員を抱え、それが全て1人のCランクによって引き起こされたとなっては、チームの士気は成り立たない。それ故の決断だろう。
何はともあれ、これで4回戦、準々決勝進出が決まり、同時にベスト8位に入ることが出来た。
つまり、関東大会出場の権利は勝ち取ったのだ。一安心ではある。
だが、次の相手は冨道学園。そして、もし決勝まで行ったら、恐らく天川興隆学園との戦いだ。
明らかに、足立中よりも厳しい戦いになる。
まぁ、それはそうとして。
「色々聞かないといけないわね。蔵人にも、貴女達にも」
麗子の目には、フィールドで抱き合う3人の1年達を見据えていた。
「勝ったな」
はい。Aランク相手に、ギリギリの勝利でしたね。
「ギリギリか。ここで満足する訳にはいかんな。まだまだ強いAランクも、そしてSランクという奴らもこの世界にはいるのだからな」
そうですね。
でも主人公は、そこも何か考えているみたいですよ。
イノセスメモ:
ファランクス東京都大会3回戦。
桜城 VS 足立 … 桜城領域46% VS 足立領域54%
試合開始14分12秒で足立中棄権により、桜城勝利。