71話~俺は明日へ向かいます~
ご覧の皆さま、お待たせ致しました。
第4章の開幕です。
開幕いきなりですが、8000字オーバーです…。
7月21日。夏、真っ盛り。
いつの間にかセミ達がけたたましく鳴り競う新緑の公園で、今、中等学校異能力ファランクス東京都大会が開かれようとしていた。
武蔵野WTC。
その敷地の中央に位置する競技場に、東京都中から集められた60校余りの実力校達が、ずらりと並び立つ。
彼女達は、関東大会へ進めるたった8校を決める為、日々過酷な練習に耐えてここまで来ていた。
そんな選手達の中で、白いジャージに身を包んだ一団が、色とりどりのユニフォームを装着した選手団の中を優雅に、そして堂々と進んでいく。
それを見て、周りの参加者達が目の色を変える。
「来た。桜城よ」
「かつての優勝候補筆頭…今では見る影もないけどね。去年って確かベスト8だっけ?足立中といい勝負してたって聞いたし、天隆と冨道には大きく離されたわよね」
「しかも、去年の3年生が抜けて、Aランク居なくなったとか。今年は兼部の子が1人だけらしいわ」
「8年前の関東大会優勝からドンドン落ちてるよね。12年前までは全国大会でも西の名門と渡り合っていたって聞いてたのに」
「桜城は他の異能力部が強いからね。そっちに選手取られてるって話じゃん?ウチもそうだけど、他の異能力部とファランクス部に掛ける情熱が違うっていうかさ」
「知ってる。確かAランクは入学前に半強制的に誘われるとか。ファランクス以外の異能力部に」
「今年はもしかしたら、ウチら勝てるかもよ」
「ないない。あの桜城だよ?せめて関東大会は出るでしょ?じゃないと桜城のファランクス部無くなるんじゃない?」
「言えてる〜。名門なのに都大会で敗退はどうなの?とか言われて、めっちゃ怒られそう」
四方八方から桜城の噂話が聞こえてくる。
好き勝手言っているが、事実も多く混じっている。
現に、昔よりも弱くなっているというのは、時折部長の口からも零れ聞こえていることだ。
Aランクが美原先輩だけと言うのが、弱体化の主因らしい。
昔は、ファランクス部だけでも3人はAランクがいて、更に兼部の人も合わせると5人は登録していたとか。
Aランクが要と言われるファランクスで、多種多彩なAランク異能力者を揃えるということは、それだけ戦術が増えて勝利に近づくということ。
美原先輩のフィジカルブーストだけでは、直ぐに対策を取られてしまう。それが、桜城ファランクス部の弱体化の原因と言われていた。
だが、果たしてそうだろうか?
「集合!」
部長の号令が、湿気を含んだ空気を割いて、疑念を抱いていた蔵人の耳にも届く。
蔵人は思考を切り替え、情報収集を終わりにした。
「選手はユニフォームを装着後、準備運動から開始。1年はドリンクと訓練用具の準備。他の部員は応援席に移動して応援の準備」
「「「はい!!」」」
全員が一斉に動き出す。
統率が取れた動きは、真っ白なジャージも合わさって、とても綺麗に見える。
その動きは、試合でも発揮される。
『ファ〜〜ン!!試合終了!領域75%以上で桜坂聖城学園のコールド勝利です!』
「「「わぁああああ!」」」
WTC競技場の中で、アナウンスと共に歓声も木霊する。
総合体育館の公園で行われた地区大会とは違い、WTCの競技場は桜城の第一競技場並みに大きく、観戦者用の客席がずらりと並んでいる。
その観客席には、学校関係者らしき人達が前列に詰めかけて座っている。ファランクス部の部員、学校の吹奏楽部、応援団等だ。
その後ろの席には、一般人らしき人達もちらほら見かけるが、そちらの方は随分と寂しいものだ。
特区は異能力が盛んとは言え、やはりファランクスはマイナーなのか。
だが、先輩達の熱意は変わらない。
第1回戦は、桜城のコールド勝ちだ。相手は公立の中学校で、連携もあまりとれておらず終始こちらのペースであった。
今回はトーナメント戦なので、今日の桜城の試合はこの1戦でおしまい。結局、蔵人の出番は無かった。
今日はこのまま学校に帰って、明日からの試合相手の情報を皆で共有する。
明日は去年の都大会ベスト16位になった足立中学校とも当たるらしい。
昨年はギリギリ勝てたと言われる学校だ。
それでも、初戦を快勝した先輩達の雰囲気は明るい。
部員全員で大型バスに乗り込み、学校まで1時間足らずの小旅行を楽しむ。
はずだった。
「今日の試合、凄かったね!」
「殆どあたしらが攻めてたもんな。こりゃ、優勝もあり得るんじゃないか?」
西風さんが興奮気味に声を上げ、それを受ける鈴華の口調も自然と軽くなっている。
帰りのバスの中、話題は今日の試合の事で持ち切りだ。みんなは、どれだけ桜城のファランクス部が強かったかを振り返り、思い出を若干美化しながら語っていた。
「やっぱウチらの先輩は強いなぁ。特に美原先輩。あれは向かうとこ敵なしや」
伏見さんが言う通り、やはり美原先輩の強さは別格であった。
相手にAランクが居なかったのもあるが、相手のBランクが3人がかりで抑えようとしているのを、ちぎっては投げ、ちぎっては投げて、近づく者の殆どをベイルアウトにしていた。
美原先輩の本気パンチは、相手に触れていなくても吹き飛ばしていたからね。これがAランクかと蔵人も舌を巻いたものだ。
美原先輩が作り出した大穴に、先輩達が追撃して、更にサーミン先輩がファーストタッチを決めて、相手校の前線は機能を停止していた。
試合前に散々好き勝手言っていた他校の生徒も、きっと明日からは下を向くだろう。
そんな風に、バスの中は楽し気な雰囲気に満たされていた。
だが、その楽し気な雰囲気が急に変わった。
「あら?何かしら?」
鶴海さんが、バスの前の方を見て、呟く。
「どうかしました?鶴海さん?」
蔵人も釣られて、前を見る。
バスから見える外の風景に、特に変わったは無い。予定通り学校への道をひた走り、もう少しで見慣れた風景も見え始めるところまで来ていた。
変わっていたのは、バスの中。
バスの最前列。そこで、先輩達数人が前席の背もたれに身を乗り出して、何か騒いでいる。
勝ったことで浮かれているのかと思ったが、それにしては、聞こえてくる声に楽しげな雰囲気は無くなっている。
「誰か、体調でも悪くなったのかしら?」
「それにしては、動揺しすぎに見えますが…」
鶴海さんと蔵人が首を伸ばしていると、隣の席で鈴華達3人も中腰になって前を見る。
「なんだ?バス酔いか?あたしは平気だぞ」
「自分、神経図太いもんなぁ」
「んだと!この!」
「ちょっと!僕を挟んで喧嘩しないでよ!」
こんな時でも、鈴華達は楽し気にじゃれあっているが、まぁこっちは放置で。
蔵人はパラボラ耳をそばだてる。すると、聞こえて来たのは部長と美原先輩の声。
「ひっく、くうぅ。ひっく、お、おばぁちゃん…」
「海麗、大丈夫よ。今から行けば、きっと間に合うわ」
「無理だよ!だって、ひっく。私の実家、沖縄だよ!」
「今から飛行機に乗れば大丈夫よ。運転手さん!そこで私達を降ろして!タクシー拾うから!」
「レイちゃん…」
「大丈夫よ、海麗。私も一緒に行くわ。空港までだけどね」
「うん…ありがと…」
切羽詰まった部長の声と、泣き声の美原先輩の会話が、途中からであったが聞こえた。
断片的な情報だが、どうやら、身内に不幸があったらしい。それで、美原先輩が沖縄に急遽帰宅するということのようだ。
これは…不味いな。
桜城ファランクス部唯一のAランク。彼女が暫くの間、不在となる。
蔵人は、明日明後日の試合に思いを寄せて、眉をひそめた。
次の日。
午前10時26分。
『試合終了!赤領域54%、青領域46%!赤軍、桜坂聖城学園の勝利です!』
第2回戦が終了し、桜城の勝利で終わった。
だが、勝った先輩達に笑顔は無い。
相手は今年久しぶりに都大会出場となった大川中学校。
部員の誰もが名前すら知らない弱小中学。そんな所と接戦の勝負をしてしまった。
相手校には失礼だが、先輩達は全員がそんな思いを抱いているのだろう。いつも明るいサーミン先輩ですら、俯きかかっている。
それも仕方がない。大黒柱であった美原先輩がいないだけで、桜城選手の動きは明らかに悪くなっていたのだから。
美原先輩は、あの後直ぐに実家へと旅立ったらしい。
今朝方、美原先輩から部長に電話で連絡が来たらしく、都大会は出られないと言う事と、繰り返し謝罪の言葉を述べていたと、部長は辛そうな顔で報告していた。
「さぁ!みんな!気持ちを切り替えて!午後の3回戦は昨年ベスト16の足立中よ!」
部長の張り上げた声も、何処か元気がない。
美原先輩の事が心配なのか、彼女が抜けたチームの立て直しに悩んでいるのか、その両方か。
今回相手の大川中は、Aランク1人とBランクが2人で、Bランクが1人足りないチームだった。それでも、やはりAランクがいない桜城はかなり苦戦を強いられた。序盤なんて、相手のAランクに前線がかなり押され、得点が逆転された時もあった。
何とか部長が入ったことにより、その後持ち直したが、次の足立中はフルメンバーで来る。
そう考えると、先輩達は昨日までの様な明るい声ではしゃぐ事は、とても出来なかった。
蔵人は、試合の後片付けを伏見さん達と終えて、応援席に戻ってきた。
するとそこには、応援していた西風さんと鶴海さんの横に、林さんと若葉さんが座っているのが見えた。
林さんが、トランペットを片手に抱えながら、蔵人に小さく手を振る。
「あ、巻島君、お疲れ様」
「うん。林さんも、応援ありがとう」
先程の試合、桜城の吹奏楽部が終始演奏をしてくれていたのを、蔵人達は聴いていた。
フィールドに立った訳では無かったが、試合中に心が落ち込むことなく戦い続けられたのは、彼女達のお陰だと蔵人は思っていた。
「うん。えっと、聞いたよ、Aランクの先輩が出られなくなっちゃったんでしょ?」
心配そうに見上げる林さんに、蔵人は固く頷く。
「お家のご不幸でね。仕方がないさ」
「そうなんだ。次の相手も、強いって、聞いたよ。その…勝てそう?」
遠慮がちに聞いてくる林さん。
蔵人が怒るとでも危惧しているのか。
やはり、彼女は男子が怖いらしい。
そう思った蔵人は、彼女を安心させる為に、ニヤリと笑った。
「ああ、勝つよ。必ず」
「お、その顔いいね。頂き!」
しかし、林さんを安心させる為に浮かべた顔は、蔵人が放った勝気な言葉と相まって、とても獰猛な笑顔に写ってしまった。
第3回戦は、昼をかなり過ぎた時間に始まった。
出場する先輩達は全員、昼食は軽い軽食で済ませ、戦闘モードに入っていた。中には、食事が喉を通らない先輩もいたみたいだ。
だが、今フィールドで相手校の選手と対峙する先輩達を見るに、それらがマイナスに働くことはないだろう。みんないい目をしている。
『只今より、赤軍、私立桜坂聖城学園と、青軍、私立足立中学校の、試合を開始致します』
場内放送が告知を広めると、早く始めろ!とでも言うかの如く、観客席からの歓声が一気に湧き上がる。
その歓声の波は、ベンチで座る蔵人の体を揺らす程にエネルギーを内包していた。
そう、蔵人はこの試合もスタメンでは無かった。
野球ドームのベンチの様に、観客席の下に入り込んだ控え席で、伏見さんと鈴華と一緒に席を温めている。
自軍円柱には、鹿島先輩とサーミン先輩が張り付いている。
地区大会で2人が組んだ時は、鹿島先輩がサーミン先輩とわざわざ距離を取っていたが、今はそんな様子は無い。2人とも、前線に並ぶチームメイト達を心配そうに見つめている。
「あれが相手のAランクみたいやな。舐められたもんや、殆ど防具着とらんやないか」
伏見さんの呟きの先には、簡素なプロテクターを体だけに付けた女子生徒が立っていた。夕焼けの様に輝くオレンジ色のショートヘアが、彼女の存在をAランクであると示している。
位置で言うと前線の左翼。彼女の周りは、背番号の若い選手が集まっていた。
つまり、主力が固まっているのだ。
やけに左翼寄りに戦力を集中させているな。一点突破で速攻でも仕掛ける気か?
それを阻止する為か、桜城もBランクの先輩達を5人とも左翼に回している。
「なぁ、ボス。Aランク相手に抑えられると思うか?」
珍しく、鈴華が心配そうに聞いて来た。
だが、その疑問は、直ぐに答えが帰ってきてしまった。
試合が始まって1分もしない内に、桜城の左翼が押され始めた。
『左翼に弾幕集中!佐々木と下村!突っ込むな!01番は近づけさせなければ良い!』
部長がメガホンを片手に、声を枯らさんばかりに指示を飛ばすが、先輩達の動きは悪い。
普段ならば瞬時に指示を体現して見せる彼女達は、今は相手の攻撃を防ぐだけで手一杯と言った様子。
現在、相手のAランクに対して、桜城のBランク2人で当たっているが、見事に翻弄されている。炎を自在に操る相手のエースに、先輩達は近づく事さえ叶わない。
そして、Aランクが放った強力な一撃に、Bランクの先輩達が跳ね飛ばされる。
彼女達が居た場所は、今や空白地帯。
つまり、
桜城前線に大穴が空いてしまった。
そこを見逃す程、相手は甘くなかった。
空いた桜城前線の穴から、相手選手が3人、飛び込んできた。
『迎撃!』
部長の鋭い指示が飛ぶ。
それに素早く反応した桜城遠距離役の先輩方が、円柱へと疾走する相手選手達に向かって無数の礫をばらまく。
だが、捉えらえられたのは2人だけ。最後の1人には弾は届かず、そのままファーストタッチを許してしまった。
「「「うぉおおおお!!!」」」
「「「あぁあああ…」」」
盛り上がる足立中側観客席。
落胆の声を漏らす桜城側観客席。
『足立中、ファーストタッチを決めました。背番号、12番、3年、島田選手』
「「ゆうきちゃーん!」」
相手側から盛大な歓声と、管楽器達が奏でる応援ソングが鳴り止まない。
タッチを成功させた相手の12番は、嬉しそうに両手を振りながらそれに答え、悔しさで顔を背ける桜城選手達の間を、悠々と走り過ぎるのであった。
その劣勢のまま、試合はハーフタイムに入る。
『2分間のハーフタイムです。コートチェンジ後、後半戦です。只今の支配率。青軍、足立中、61%。赤軍、桜坂、39%。です』
「ここから巻き返すには、セカンドとサードを取る必要があるわ」
ベンチで熱弁を振るう部長の言葉に、しかし、先輩達は目線を上げない。
無視している訳じゃない。顔を合わせられないんだ。中には、目を真っ赤にしている先輩もいる。
そんな中、
「部長!」
声を上げたのは、サーミン先輩だ。
「俺にやらせてくれ!俺が両方取ってきてやる」
サーミン先輩が、かっこいい。
蔵人は、少し感動していた。
多分、先輩達の中にも、そう思っている人はいっぱいいるだろう。だって、みんなの目が、少し生き返っている。
そんなサーミン先輩に対して、部長は、
「ダメよ」
冷徹に、一言で斬り捨てた。
これにはサーミン先輩も食ってかかる。
「な、なんでだよ!こんなに押されてたら、正面からじゃ勝てないだろうが!その為に俺がいるんだろ!?」
「落ち着きなさい、神谷。貴方が決めるのが1番可能性があるって、私も思うわ」
「じゃ、じゃあ!」
「でも、貴方を送り出すには、相手前線に大穴が必要なのよ」
穴。すなわち、相手前線にサーミン先輩が通れるほどの隙間を作る。
その穴は、かなり大きくないといけない。サーミン先輩は透明化できるだけで、防御力は紙装甲である。
絶対に安全な人道回廊を構築しなければならないのだ。
これが出来ないと、透明にしかなれないサーミン先輩は、前線に捕まって何も出来ないまま終わってしまう。
それはすなわち、桜城の奇襲攻撃が不発に終わるということ。
正道で押し負けている現状、この攻撃まで潰されれば、桜城の夏はここで終わってしまう。
絶対に決めなければならない攻撃。だから、
「だから、貴方1人でやろうとするのはダメ。ここにいる全員で神谷を送り出すの」
そう言って、部長はサーミン先輩から視線をそらし、未だに目を伏せる選手達に正対した。
「みんな、顔を上げなさい。ここで負けていいの?もう限界なの?私達は、あれだけ苦しい練習を積み重ねて来た。仮令Aランクがいなくても、私達なら出来る。そうでしょ?」
部長の言葉に、先輩達の顔が少し上を向く。
「何としても相手の前線を崩しなさい!後半は、死にものぐるいで挑むのよ!」
部長は、前線組に活を入れる。
「「「はい」」」
先輩達が、しっかりと顔を上げて、部長を見ていた。
丁度その時、ハーフタイム終了の鐘の音が響く。
部長は強い瞳の光で、選手達を見渡して、一言。
「桜城の名前、見せつけてやりなさい!」
「「「はい!」」」
その言葉に、先輩達は立ち上がり、フィールドへ。
「鹿島。ちょっと待って」
しかし、鹿島先輩だけ部長に呼ばれ、立ち止まった。
「後半は交代よ。ありがとう」
「はい。了解です」
鹿島先輩は静かに頷く。
これはもしかして。
蔵人がそう思うと同時。
「巻島」
部長から呼ばれる。
「巻島、交代よ。貴方には…」
歓声が聞こえる。
「「わぁあー!!」」
管楽器と大ドラムの音が、空を勇ましく響き渡る。
『パパッパパッ パパッパパッ!』
『ドン、ドン、ドンドンドン!』
フィールドを震わす、選手達の怒号が駆け抜ける。
「スイッチ!」
「秋山!集中しろ!」
「遠距離!左翼!ぼーっとすんな!」
「押せぇええ!」
蔵人は遥か先で繰り広げられる攻防の一線に、笑みを浮かべる。
先程まで見ていた光景が、まるでスクリーンや液晶を見ていたかの様に感じるほど、ここは現実だった。
音だけじゃない。
夜露に濡れた芝の匂い。
湿気を含んだ夏の風の感触。
観客席から聞こえる女性達の熱い声。
あらゆる刺激が、この緊張の舞台を盛り上げている。
これが戦場。
中学生という、まだまだ子供である彼女達の戦いは、しかし、異能力という強力無比な力によって、一歩間違えれば確実な死に繋がる、苛烈な戦場に昇華している。
緊張感が張り詰める、確かな死地。
懐かしい匂いだ。
蔵人は、いつの間にか片手をその戦場の方に伸ばし、少しでも多くの感覚を拾おうとする。
そんな蔵人に、
「おい、蔵人」
後ろから声がかかる。
サーミン先輩だ。
「なにぼーっとしてんだよ。前を見ろ。そろそろやべぇぞ」
サーミン先輩の視線の先。そこは、二校の精鋭達がぶつかり合う前線の様子があった。
サーミン先輩を送り届ける。そう誓った先輩達は、必死に相手前線に食らいつき、1㎝でも広く、相手の隙間を作り出そうと異能力を奮っていた。
だが、それは相手も同じ。
相手のAランクを中心に、桜城の前線に確実なダメージを与え、徐々に、徐々に、桜城の左翼が自軍側に押し込まれ始めた。
相手前線に穴は出来そうにない。逆に、こちらの前線が今にも決壊しそうになっている。
「先輩達、焦ってるな。あれじゃ、右翼に穴を作る前に、こっちの左翼が突破され…ちっ!」
サーミン先輩は言葉を切り、舌打ちした。
先輩の目線の先。見ると、そこには2人の選手。
ユニフォームは、赤が目立つ。
相手校、足立中の選手だ。
桜城の前線が、突破されてしまった。
『足立中、7番と23番、前線を突破しました!中央からも11番が突破しました!』
「不味い。中衛の先輩達、右翼に集中しすぎてて、左翼の敵に追いつけないぞ。くそっ!誰か、誰かカバー出来ないのかよ!」
サーミン先輩が焦ったように視線をさ迷わすが、それに叶う選手を見つけることは出来なかった。
後半戦開始から、先輩達は相手前線への攻撃に集中しており、中衛も含めて中立地帯で攻撃を行っていた。
更に、遠距離役の先輩達は右翼寄りの配置にしていたので、前線を突破した相手選手へ攻撃が届く先輩はいない。
今、蔵人達と侵入者達との間には、誰も壁となる者がいない。
それは即ち、独走。
相手からしたら、円柱へのタッチという大チャンス。
こちらとしては大ピンチだ。ここでタッチされれば、相手領域は75%を超える。
それは即ち、桜城のコールド負け。
『桜坂前線は動きません!動けません!足立中の3人、止まりません!誰も阻もうとしない芝の上を駆け抜けていきます!このまま円柱まで一直線か!?』
「くそっ!」
サーミン先輩が、地面を蹴る。
折角綺麗に整備された芝生が、茶色くなる。
でも、誰も咎めないだろう。感情的になる彼の気持ちが、蔵人には分かった。
感情的になった彼は、俯く。
「くそ…くそ…入賞も出来ないのか…くそ…。都大会で終わり…」
小さくうずくまり、顔を覆う鎧兜の顎部分から、悔しさが滴り落ちる。
それでも、彼の片手は円柱を触れ続ける。
最後まで諦めない、彼の意思を感じる。
それを見て、蔵人は静かに立ち上がる。
「…おい」
サーミン先輩が、蔵人の様子に気付いて声を掛ける。
だが、蔵人は答えない。
触れ続けていた片手を下ろし、一歩を踏み出した。
「おい…蔵人。どこ行く気だよ」
「迎撃します」
短い答え。
だがその一言で、サーミン先輩は声を荒げる。
「やめろ蔵人!無茶だ!相手は3人で、しかも、先頭の奴はBランクだ!無理なんだよ、勝てる訳がねぇんだ。俺達の夏は、ここで終わったんだよ!」
鬱憤を晴らすかのように、サーミン先輩は叫ぶ。
この世界の不条理を。
ランクが高いことで全てが決まる、この世界の真理を叫ぶ。
「先輩」
蔵人は立ち止まり、その悲痛な叫びを上げる先輩に、顔だけ振り向く。
「先輩。ここで立ち止まっていても、何も得られないと思います。無茶だ無謀だと嘆いたところで、何かが変わる訳じゃありません。だから俺は行きます。掴み取るために。勝利を、可能性を。俺は…」
蔵人は再び前を向く。こちらに駆け寄る、3つの敵影を真っすぐに見据える。
そして、大きく一歩、踏み出す。
「俺は明日へ向かいます」
イノセスメモ:
・神谷勇…桜城2年生。Cランク、リフレクター。光を反射することで透明化することが出来る能力。体だけではなく、着ている服や手に持った物くらいまでは透明化出来る。攻撃を受けるなどすると、透明化は解けてしまう。いつもはお調子者だが、根は熱い男である。上に姉が2人いる。