3話〜叶うなら、ずっとこのまま〜
いつも通りのある日。
蔵人は相変わらず書斎で使用人に見つかり、ベッドに戻されるイベントをこなしていた。
そろそろ書斎にある有力な書物は読み尽くしそうであった。
後は小説とか料理本とか、求めているのとは違う分野ばかりだから。
だが、その中でも謎が解けていない事象が2つあった。
一つは、この文学書ばかりの棚の中にある一冊の絵本。内容は英雄譚そのものなのだが、蔵人の知らない内容だった。
概要はこうだ。
〈ある時、平和な世界に悪い敵が押し寄せる。それらは街を破壊し、暮らしていた人々を痛めつけた。そんな時、1人の青年が颯爽と現れる。彼は真っ白な髪を振り回しながら、その手に握る光の剣で悪い敵をばっさばっさと斬り倒す。悪い敵は海に逃げるが、青年が投げつけた光の剣が海を割り、悪い奴を全て消してしまった。そうして世界に平和が訪れた〉
その本のタイトルだが〈タケミカヅチ〉と書かれていた。
建御雷とは雷の神様で、三神と呼ばれる程の強力な神様だ。
恐らく絵本の中で描かれている光の剣とは雷撃の事で、海を蒸発させる程の雷とは、自然の物よりもはるかに強力なものであろう。
と、論点がズレたが、こんな絵本が何故この棚にあるのか?と蔵人は不思議に思った。
余程有名な絵本なのか、母親の研究と通ずる何かがあるのか…。
分からない。
そして、もう一つ気になる事は、一部の書物に破られたページがある事だ。
特に多いのが、異能力関係の書物。破られたページは、1冊につき数ページ程度だが、何らかの法則性がありそうだ。だって、語録で見てみると、破られたページに載っているのは、だいたい同じ単語だ。確か…〈マデリーンの法則〉であったか。
これが何なのかは分からないが、恐らく、母親の気に障る法則なのだろう。破られた痕が比較的新しいから、彼女が破ったに違いない。母親の敵対派閥の研究者か?
いや、母親の事はどうでもいい。今は異能力に集中することが先決。
蔵人がそんな風に考えていると、いつの間にかベッドまでの護送が完了していた。
だが、そこまで来て、いつもとは違う違和感に気付く蔵人。
ベッドの中が静かなのだ。
おかしい。
頼人はいる。いるから余計におかしい。
普段、蔵人が抜け出したのを勘づかれる原因は、頼人にある。
彼がお昼寝から目覚めた際、ベッドで1人にしていると、必ず大泣きをする。蔵人か母が近くにいれば泣き止むが、いなければ泣き疲れるまでけたたましく泣き続ける。それをあやそうと使用人がベッドに来る。そこで、ベッドに蔵人がいない事に気づかれる。
今では頼人が泣いたら、使用人の誰かが真っ先に書斎を調べる程に訓練されてしまった。
だが、まぁ、今後は書斎への侵入も減るから、あまり活かされない経験値となってしまうだろう。
おっと、論点がズレた。
そう、頼人が泣いていないのだ。寝てる訳じゃない。彼の目が、こちらを真っ直ぐに射抜いている。潤んだ瞳で、何かを必死に訴えている様子だ。
あれ?ちょっと、いつもより顔色赤くない?
「あぁあああっ!!うっぎゃぁあああ!!」
突然のサイレンが鳴り響いた。
顔をくしゃくしゃにして泣き出す頼人。小さな手を必死に蔵人へ伸ばし…って、お手てがかなり熱いな。いや、彼の全身が熱っぽいんだ。
蔵人は頼人に触れると、その熱がかなりのものである事に驚く。
これは、厄介な風邪をひいたな。
「どうしました?お坊ちゃま?」
執事さんが来た。
あまり使用人の方々の名前を知らない蔵人だったが、この人が使用人の取りまとめをしていると、ここ最近分かった。
「蔵人お坊ちゃま、お兄ちゃんを虐めてはいけませんよ」
どうやら、執事さんは蔵人が犯人と思っているみたいだ。手を掴んで引っ張ったとでも思っているのか?
蔵人は違うと喋ろうとして、やめた。頼人はあうあうしか喋れないのに、片言でも蔵人が喋り出したら色々と不味い事になる。
蔵人は、頼人のおでこに手を当てて、そのまま自分のおでこに手を当てる。当てながら、執事さんを見る。
「え?えっと、手を当てれば、よろしいのですか?」
執事さんは、本当にその解釈で合ってるのか自分を疑うみたいに、首を捻りながら蔵人のおでこを触る。そして、頼人のおでこを触るやいなや。
「あつっ!え、ええっ!?た、大変!」
お医者様を呼びなさい!!と叫びながら、執事さんは部屋を飛び出して行った。
2人だけになったベッドの中で、蔵人は再び頼人と両手を繋ぐ。
さて、大変なことになった。
こうして直接手を触れると、頼人の中の魔力を何となく感じることが出来る。何時もは清流のように感じるそれは、今は濁流。渦を巻き、頼人の中を暴れ回っていた。
これが、能力熱…なのだろう。
蔵人はあの文献の中身を思い出す。
最悪死に至る恐ろしい病。頼人は異能力を使った形跡は無いが、元々魔力が多いので、それだけで発病してしまった可能性がある。
治すには、確か魔力を抑えるか、放出するしかないはず。後者は無理だ。頼人は異能力を意図的には使えない。ならば抑えるしかないが、どうすればいいのか。
蔵人は濁流を前に冷や汗を垂らす。
なんとかしなければならない。彼は、俺を救ってくれたのだから。
蔵人は頼人の右手を取る。
”あの時”掴んで救ってくれた右手を、やさしく掌で包み込む。
とにかく、先ずは何時もの清流に近づけてみようと思い至り、蔵人の魔力を送ってみた。だが、濁流の前には小便みたいな効果しかない。
俺の魔力は小便かよと、内心で落胆する蔵人。
いやいや。落ち込んでいる暇は無いぞ。押してダメなら引いてみるか。
蔵人は、今度は頼人の魔力を自身に引き入れた。
思いのほか、簡単に魔力の行き来が出来てしまった。
おお、こんなものなのかと、蔵人が感心と安堵を覚えていた、その矢先、大量の魔力が蔵人の中になだれ込んで来た。
「ぐっ…うぉおお…」
赤子らしからぬ呻き声をあげて、蔵人は濁流に流されない様に、必死に意識を集中する。
そっちに行くな。こっちを流れろ。一方向に、ただ素直に流れろ。
蔵人は少しずつ乱れた流れを正していく。
決壊しそうになるが、自身の魔力と、ある程度御した頼人の魔力で体の中に堤防を作る。
そうすると、より穏やかに流れる魔力が増え始める。それを、少しずつ頼人の体にも流す。
やがて、濁流は層流となり、頼人と蔵人の中を泳ぎ回る。それを、少しずつ頼人に返していく。
最後に、堤防に使った頼人の魔力も返すと、頼人の中には普段の清流に近い流れが満ちていた。
「あ〜う」
蔵人の目の前には、びっくり顔の頼人。
顔色は、かなり良くなっている。
「ねちゅもしゃがったね。よかった」
安心したからか、急に意識が遠くなってきた。
ああ、でも、こんなことでちゃんと能力熱は治ったのかな?いや、こんな簡単に治らないだろう。早く医者に観て…
そこで、蔵人の意識は落ちた。
〈◆〉
コンッコンッ
「奥様、柳です」
奥様の部屋のドアを軽くノックすると、部屋から小さく「どうぞ」と聞こえる。
執事の柳がドアを開けると、泣きそうな顔で頼人様を抱く奥様の姿が目に入った。
奥様が、柳に問う。
「まだ熱ぽい気がするの。お医者様はなんて?」
奥様が、寝ている頼人様の頬に手を当てて、心配そうに顔を覗き込む。
柳は、訪問してくれた医師の言葉を頭の中に蘇らせる。
「既に魔力は安定しており、すぐに体調も元に戻ると」
「本当に?」
柳の答えに、まだ納得していない奥様。だが、かかりつけ医の彼が太鼓判を押すのだから、本当の事だろう。少なくとも、気休めで嘘を言う様な人ではないと、柳は知っている。
だが、奥様の気持ちも分かる。能力熱は厄介な病だ。インフルエンザやおたふく風邪の様に、寝ていれば治る事もあるが、魔力量が多く、加えて生まれて間もない頼人様では、最悪の結果になってもおかしくない。それなのに、たった半日もせずに治りかけている。成人でも、最低3日は寝込む病だと言うのに。
「魔力の乱れは既に治っており、今は流れが安定しているので、再発の恐れはないとお医者様が仰っていました」
「まぁ、それって、魔力の制御が出来たって事ね!凄いわ!さすが私の頼人!」
奥様は頼人様を抱きしめて喜ぶ。
それを端で見ながら、柳は口を開け、やっぱり閉めた。そして、再び開けようとした所で、
「…どうかしたの?綾ちゃん?」
奥様が、心配そうにこちらを見た。その顔は、1人の母ではなく、旧友の顔だった。
「真紀子…いえ、奥様。その…熱が出た時の事…なのですが…」
柳は、あの時の光景を思い出す。
急いで医者と奥様に連絡するよう、メイド仲間に指示を出し、お湯や清潔なタオルを使用人仲間に準備するよう言いつけると、柳は頼人の元へ急ぎ戻った。
先ずは、他に症状が出てないか。着替えは?飲み物を欲してないか。詳しく調べねばならない。それに、蔵人様もいる。能力熱が伝染る病気じゃないことは分かっているが、万が一を考えて頼人様を隔離するべきと思った。
だが、部屋に入って最初に見たのは、仲良く手を繋ぐ兄弟の姿。
いずれ頼人様は、その類稀なる才能で、蔵人様とも、我々とも別の世界に行ってしまわれるだろう。でも、今だけは仲の良い兄弟でいられる。そう思ったから、柳はすぐに蔵人を引き剥がそうとしなかった。
そして、気付く。頼人様の顔色が、先程よりも良くなっている様に見える事を。反対に、蔵人様が顔を真っ赤にして、何かに抗っている事を。
「あ〜う」
そんな、頼人様の声で柳は正気に戻る。
つい、見入ってしまった。
気付くと、頼人様の顔色は随分と落ち着いていて、逆に蔵人様の顔は疲れが見えた。
何かした。蔵人様が頼人様に何かを行い、それが頼人様の体調を回復させた。
何となく、柳は理解した。
そして、更に驚いた。
「ねちゅもしゃがったね。よかった」
蔵人様が、喋った。
熱が下がって良かったと、少したどたどしくも喋った。まだ、初めての誕生日を迎えていない赤ちゃんが、だ。
有り得ない。
まま、ぱぱ、という一言を発するのも早すぎる時期だ。連語、それも文章として成り立つなんて、早すぎる所ではない。キリストか、ブッダの生まれ変わりと言われても信じてしまいそうだ。
柳はその時のことを思い出しながら、奥様に話す。すると、
「ありがとう。柳さん」
奥様は、笑った。今にも泣きそうな程、悲しげに。
「いいの。そんな風に、蔵人を無理矢理凄い風に言わなくても。蔵人は、蔵人の魔力は全部、頼人にあげちゃったんだと思うわ。そうとしか思えない。そうでないとダメなの。蔵人は普通の男の子として、ここで暮らせる。でも」
奥様は言葉を続ける。頼人様は、いずれ手の届かない所へ行ってしまうと。本家が、これ程の逸材を野放しにはしないと。
だから、今は精一杯愛してあげたいと。
すぐにお別れとなってしまうまでに、限界まで愛を与えたいと。
その間、蔵人様には悲しい思いをさせてしまうかもしれない。だから、
「頼人が行ってしまって、蔵人の番が来るまで、蔵人を、貴女達にお願いしたいの」
奥様はそう言うと、再び頼人様に目線を落とす。
その顔は何処か虚ろで、自分にそう言い聞かせている様に見えてしまった。
〈◆〉
さて、頼人が能力熱に掛かってから暫く経った。
あの日から、蔵人は自身の魔力が少し増えた事を認識していた。というのも、今まで3枚しか出せなかったアクリル板が、直後は8枚まで出せる様になり、今は11枚も出せる様になっていたのだ。
恐らく、大量の魔力を一時的とはいえ体内に流した事で、体中の魔力を刺激し、増加したのではと考えていた。
また、ベッドからの脱獄と読書を控え、一日中アクリル板を操っていたら、新たに2つのアップデートに気付いた。
1つは、操作性。なんと、アクリル板を動かせる様になった。
今までは、1度出すとその場に固定され、数分すると消えていた。だが、今はゆっくりとだが、上下左右に動かす事が出来るようになった。
お陰で、両手足にアクリル板を出現させて、それを移動させるなんてことも出来るようになり、さながらエスカレーターのような移動も可能なのだ。
それも好きな方向に。
何故か、上方向は、一定の高さになると持ち上がらなくなるが、それ以外の方向なら、数十秒好きに移動出来る。
ちなみに、自分よりも重い物、例えばこのベッドを持ち上げようとしたが、ベッドは上がらず、頼人と蔵人の両方を上げたら、12秒しか上がらなかった。
対象が重ければ重いほど、また高く上げようとする程、魔力を消費するようだ。異能力にも、物理法則があるみたいだと、蔵人は思った。
2つ目は、合成。アクリル板よりもさらに分厚い板の生成に成功した。色は向こう側が辛うじて見える位の透明度を持つ鈍色で、蔵人は鉄盾と呼ぶ事にした。
…多分それくらいの強度があるだろうと思って名付けている。
鉄板は、今は1枚しか生成出来ず、鉄板を生成するとアクリル板は1枚しか出せないから、アクリル板10枚で鉄盾1枚分の魔力量を使うらしい。
勿論、鉄盾も動かせる。大きさはアクリル板と同じなので、1枚では殆ど何も乗せられないが、日々魔力は増しているのをかんじていた。いずれはこの鉄板をもっと多く、そして強くすれば、かつての自分と同じように戦える様になるだろう。
蔵人は、別の世界で戦っていた自分の姿に思いを馳せる。正しくは、戦っていた自分が使用していた能力の一部に。
自身を覆い隠す程の大きなタワーシールドに、敵意に自動反応するスモールシールド。
これらが出来て初めて、自分の異能力は戦える力と成るだろう。
蔵人は、当面はこれを目標に、異能力を鍛えて行こうと決心する。
「…うん?」
まただ。また、誰かに見られている感じがする。
この感覚は、頼人を能力熱から救った後から始まった。
実際、誰かに見られているのかとも考えたが、気配はないのだ。まだ赤ん坊だから、以前の様に気配を読む能力がある訳ではないので、気付いていないだけかもしれない。でも、物音ひとつなく始まって、同じく急に終わるのだ。誰か近くにいるなら、物音がするだろう。いや、凄腕の暗殺者であれば、出来なくはないが…
「…まぁ、いいか」
気にしても、仕方ない。
殺意は無さそうだし、あったとしても、今はどうしようも出来ないから放置だ。
諦めとも言う。
〈◆〉
柳は掃除が終わった部屋で直立不動のまま、瞼を閉じた。
あまりの疲労から、立って寝ている訳では無い。
彼女は、視ているのだ。
「今日も蔵人様はベッドから抜け出して、異能力の練習をされている。透明な板…恐らくクリエイトシールドの能力でしょうけど、それに乗って部屋中を移動されている。
以前視た時よりも速度が上がっているし、気持ち動きがスムーズですね。それを見て頼人様がはしゃがれていてますね。なんと微笑ましい。
ああ、頼人様が立ち上がろうとして転びそ…ちゃんと蔵人様が支えてくれました。それもシールドで。クリエイト系であんな動きが出来るでしょうか?浮遊系のリビテーションなら、ああいう動きも出来ますが、クリエイトでは通常、作り出した武具を手に持って戦うものと思っていました。
おや?何か蔵人様が頼人様に話しかけていますね。なんでしょう?
危ない?ハイハイから?
どうやら立とうとした事を注意しているみたいですね。
蔵人様は、既に普通に会話しているので、唇の動きで把握できるのが嬉しいですね。
そもそも、1歳児ってこんなに流暢に喋れましたっけ?いえ、喋れませんね。頼人様は、ようやくママと言う単語を発せられて、奥様が半狂乱だったのですから。それが通常。やはり、蔵人様は規格外。
そもそも、異能力が使える様になるのは、普通は小学生の時。どんなに早くても、3歳の時に力の片鱗が垣間見えるのが精々なのに」
柳は目を開け、近くの椅子に座る。
「はぁ、これを奥様が直視してくれたら、蔵人様への関心が少しでも増えるのでしょう。
でも、奥様は頑なに見ない。絶縁同然で家を飛び出したのに、その男は行方不明。産まれた子供の内、頼人様が類稀なる異能力をお持ちだから、処遇が変わったものの、蔵人様がEランクであるばかりに、今は顔を合わせたくすらないのでしょう。蔵人様がいると、あの人が帰って来ないと信じているみたいですし…」
柳は再び瞼を閉じる。
「あら、今度は床に立って…ダンス?シールドを浮遊させながら手足をバタつかせているわ。うふふ。頼人様も凄いはしゃいじゃって。楽しそうな兄弟。叶うなら、ずっとこのまま…」
柳の閉じた瞼から、静かに雫が落ちる。
〈◆〉
「あきゃ!あっきゃ!」
「らいと、ちがうよ。あそびじゃないよ!これはたいちょくけんだ。みちぇろよ…えい!」
「にぃーに!にぃーに!」
「おい、らいと。またたちあがっちゃだめだよ。すわってみてなしゃい」
「あきゃきゃ!」
柳さんの心つゆ知らず、蔵人は順調に訓練を積み重ねていった。
今更ですが、1話1話の文量は5000文字程度にしようと考えています。
偶に2000文字とか、8000文字とかあるかもしれませんが…(汗)
イノセスメモ:
・マデリーンの法則←母親が隠している怪しい法則。
・主人公の魔力が上昇。アクリル板3枚→11枚。
・アクリル板を移動出来るようになった(ノロノロ)
・アクリル板の上位、鉄盾を作成できるようになった(アクリル板10枚=鉄盾1枚)
・父親は失踪中?←要注意。