64話~蔵人君でしょ?~
西風さんの家に来ると、いきなりお姉さんらしき人がいて、しかも、お隣のお姉さんと言うから、蔵人はかなり面食らってしまった。
どうも、そこら辺も特区ならではの事情があるらしい。
兎にも角にも、蔵人は西風さんの部屋に通してもらい、後から来た白井さんも揃った所で、勉強会をスタートさせた。
と言っても、皆そこまで勉強ができないと言った事はなく、ある程度の宿題は既に終わっていた。
Cランクは受験組だからね。地頭は良いみたい。
ただ、面倒な奇問難問や、自信の無い分野の問題だけが歯抜けで残っていたので、蔵人と若葉さんを先生として、皆で考えた。
そう、若葉さんも宿題は終わっていた。
てっきり、この3人は全員、宿題が終わっていないから集まったと思っていたが、そうではなかったらしい。
では何故、若葉さんはこの会に参加したのだろうか?
「あ、雪ちゃん、ここの和訳はこれが動詞だから、〈私が道路を横切った時に〉ってなるんだよ」
「むー。むつかし」
若葉さんの指摘を受けて、白井さんが英語の文章に可愛らしいメンチを切っている。
若葉さんは英語や国語の成績が良いみたいで、蔵人よりも的確だ。逆に、数学は少し苦手なので、数学のテキストは所々虫食い状態であった。
蔵人はそんな2人の様子を見て、自分の考え過ぎだと悟った。
友達と会うのに、特別な理由なんていらないだろう。
それから2時間くらい勉強を続けていると、凡その宿題は終わってしまった。後は、漢字の書取りくらいで、これも数ページで終わる。
現在、昼を迎えたばかりである。午後からはフリータイムとなりそうだ。何をするか。
そんなことを蔵人が考えていると、部屋のドアがノックされて、玄関で挨拶したお姉さん、田中晴菜さんが顔を出した。
「お、お昼ご飯作ったから、巻島君もどう、です?」
「ありがとうございます」
おお、そう言えば昼飯の事を考えていなかった。
ご相伴に預かって良いのかな?俺だけじゃあるまい?
蔵人が心配して他の3人を振り返って見ていると、晴菜さんが続けた。
「桃花達も早く来て」
そう言って、そうそうに部屋を出ていく晴菜さん。
「私達には聞かないんだね…」
西風さんが小声で抗議すると、白井さんが立ち上がって西風さんを見る。
「行かないの?」
「…行くけどさぁ」
お昼ご飯はすき焼きだった。
お昼から豪勢だなと思ったが、これが特区の通常レベルなのだろうか?
タレも自家製なのか、絶妙な味わいが凄く食欲を刺激して、米が進んで仕方がなかった。
蔵人が美味しいと太鼓判を押すと、晴菜さんはとても喜んで、自分が作ったと報告してくれた。
やはり特区の女性は、お料理上手である。
「男の子からそんな事言われたの初めてだよ」
と、輝く笑顔でお礼を言い返された。
美味しいと、本音で言っただけなのだがね。
余程、男子との接点が無いのだろうか?
蔵人が疑問に思い、晴菜さんの中学は何処かと聞くと、公立の地元中学だと返答が帰って来る。
そこでは、男子の割合が桜城とは桁違いで、一学年に数人しかいないのだとか。学生の総数自体が桜城とは違う物の、それでも、男子の割合は10%には満たず、クラスメイト全員女子というクラスもあるのだとか。
だから、さっきから猛禽類の様な目をしているのね、晴菜お姉様は。
午後からは残った宿題を終わらせて、その後は数学の難問について話し合っていた。だが、段々と普段の授業で難しかった所の話題となり、その次は夏休み前に控えている期末テストの話となり、段々とクラスメイトの噂話や、部活の現状についてまで話が次々とシフトして行った。
つまり、お喋りタイムへ突入したのだ。
お喋りの途中で、蔵人が白井さんに視線を送る。
「そう言えば、昨日頼人に会って聞いたんだけど、白井さんが仲良くしてくれているみたいだね、頼人の奴と」
丁度、部活の話題の最中だったので、蔵人が話を振ると、白井さんは少しの間ポカンと口を開けた。
あれ?違ったのか?
蔵人は一瞬焦ったが、白井さんはゆっくりと頷いた。
「頼人様、よく助けてくれる。この前、靴紐結んでくれた」
白井さん自身は頼人に頼りっぱなしだから、仲良くなったのかと聞いた時に呆けてしまったらしい。
彼女からしたら、仲良くなったというよりも、親切な頼人に手間を掛けさせてしまっていると思っていたみたいだ。
だが、頼人自身はそう思っていない。少なくとも、嬉しそうに報告する彼の顔を見た蔵人はそう思っている。
彼の周りは、気の抜けない事が多い。常にプレッシャーをかけてくる人ばかりだから、気の抜ける相手がいると、それだけで心は軽くなる筈だ。
「迷惑なんかじゃないさ。君との時間が、あいつにとっても大切な時間になっている。俺はそう思う」
だから、白井さんの存在は、多分、頼人にとっても大切な筈だ。
「だからこれからも、あいつと仲良くしてやって欲しい」
「うー…うん。わかった?」
首をコテンと斜めに傾けながらも、一応承諾する白井さん。
今はまだ、どうしたら仲良く出来ているのかが分からないのだろうな。
お喋りをしていると、時間はあっという間に過ぎて行った。
時刻は16時。日は長くなってきているが、そろそろいい時間だ。
蔵人達は西風家をお暇することにした。
玄関で挨拶しようとしたのだが、西風家の女性陣はマンションのエントランスまでお見送りに来てくれた。
すんごいVIP対応だ。申し訳ない。
「本日はありがとうございました。お昼ご飯もオヤツも美味しかったです」
オヤツは紙に包まれたバームクーヘンだった。
絶対高い奴だろうと思ったが、既に切れ目を入れて人数分のお皿に移して持ってきてくれたので、「いや結構です」なんて断ることも出来ず、美味しく頂いてしまった。
重ね重ね申し訳ない。
次回来る時は、しっかりとお土産を持ってこなければ。
リュックの中に入っているもう一本のバームクーヘンの重みを感じながら、そう強く思う蔵人。
蔵人が一礼すると、西風さんのお母さんが軽く手を振り返してくれる。
「いえいえ。今日は来てくれてありがとうね。また何時でも来て頂戴ね」
「巻島君!またお昼作るから、絶対来てね!」
お母さんの横で、晴菜お姉さんも手を振っている。
目が怖いんだよ。絶対2人っきりになったらいけない人だ。
「ありがとうございます。またお邪魔します」
そんな感情は、おくびにも出さないけれど。
蔵人は西風家総出の見送りを受けて、若葉さんと白井さんと共にマンションを出る。
特区って、まだまだ知らない一面を持っているのだなと、実感させられた1日だった。
「あっ、そうだ」
帰り道。蔵人は若葉さんと2人で歩いていた。
白井さんは、マンションを出た所でお迎えの車が来ていたので、それに乗って帰って行った。
彼女は、蔵人達も送ると申し出てくれたが、蔵人は飛んで帰った方が早いので遠慮した。
そしたら、若葉さんも遠慮した。多分家の人が迎えに来るのだろう。
そう思っていたら、
「ちょっと歩こうよ」
と、若葉さんが蔵人を連れて歩き出した。
そして先程、何かを思い出したみたいに呟いて、携帯を取り出した。蔵人の横に並び、画面を蔵人にも見えるように、手元まで少し上げた。
「これ、読める?最近話題になってるスレなんだけど」
そこには、某匿名掲示板の様な文字の羅列が表示されていて、何かを議論していた。
蔵人は、少し懐かしいなと思った。
この手の電子掲示板は、以前の世界でも存在しており、リアルタイムで更新される生の情報はかなり有益な物も存在した。ちょっとおバカな企画を興していたりもするが、中には、バグの初期現象を探知するに至った超有難い情報もあったので、黒戸の中では好印象のサイトであった。
そんな掲示板で、今現在話題となっているのは…。
「これ、龍鱗って人のスレなんだけど」
「ほぉ。りゅうりん、さん」
蔵人は、少し興味がある風に聞き返し、画面を見る。
「そそ、で、その龍鱗って人」
画面が切り替わり、文字列から一枚の写真が躍り出る。
そこには、先日のダンジョンダイバーズの洞窟内の監視カメラで撮られた画像。切り抜きされた画像は、龍鱗の全身がくっきり写っていた。
また画面が切り替わる。
今度は携帯で撮った写真だ。でも、龍鱗のじゃない。腕だ。腕のアップ画像。その腕は、
「正体は、蔵人君でしょ?」
蔵人の、腕だ。
教室での写真。これは、何時の写真だ?
そうだ、これは安綱先輩との邂逅を記事にしていいか聞かれた時だ。女子生徒に刺されるかもと本田さんに忠告されて、こうすれば刺されないとみんなに見せた時の写真。
蔵人は、画面から顔を上げて、敏腕記者を見る。
「何故、そう思う?」
蔵人は、ゆっくりと聞いた。
これが彼女の冗談や、当てずっぽうなら、もっと大袈裟に返した。冗談キツイって!とか、話が見えないんだけど?とか言って。
でもそうじゃない。彼女の顔は、確信を持っている人間の顔。蔵人にあえて聞いたのは、さながら最後の確認だ。
「先ずはこの写真。前に見せてくれた時のだけど、覚えてる?」
「ああ、こうすれば刺されないって見せた時のだろ?よく撮っていたな」
蔵人が褒めると、腕を組んで誇らしげに笑う若葉さん。
「ふふん。記者なら当然さ」
それで、と、彼女は続ける。
「もう1つは、蔵人君の登校スタイル。いつも飛んで登校しているよね?」
「良く知ってるね。学校周辺では必ず、スケボースタイルに切り替えていたのに」
「登校中の生徒の中に、見てた人がいてね。警察にも聴取したら、蔵人君の名前が上がったし」
警察…そういえば、変な飛び方をしていたら、職質されたな。
あの女性警官から情報を引き出したというのか、この娘は。
蔵人が若葉さんを恐ろし気に見るが、彼女はそれには構わず、自信満々に推理ショーを続ける。
「最後は掲示板の情報だよ。異能力種はアーマーかシールド。幼少期は男子でアンリミ大会に登録していて、特区外から来た。そして、魔力ランクがDからCに上がっている。これを繋ぎ合わせれば」
「(高音)なるほどね。私に行き着くって事ね」
突然の声変わりに、若葉さんが目を瞬かせた。
蔵人は口の中にシールドを展開し、龍鱗の声を作り出していた。
何故か?
そんなの、せめて彼女の驚いた顔くらい見たかったからである。
もう、言い逃れは出来ないからな。
「……へぇ。そうやって声を作っていたんだ」
彼女の目が怪しく輝くが、もう怖くはない。
後ろめたい事なんて無いからね。
「細分化したシールドを喉と口に展開して、反響させる事で声を作っている。擬似ボイスチェンジャーとでも言おうか」
蔵人は声を戻しながら解説する。まだまだ練度が低く、若干違和感がある声質ではあるが、市販の変声機よりはマシなレベルだろう。
おっと、そんなことはどうでもいい。大事なのは、彼女の真意。
「それで、この情報を公開しても良いかを聞きたいのかな?」
彼女が蔵人をわざわざ呼び出したのは、その為なのか。
蔵人はそう問うた。
しかし、若葉さんは指でバッテンを作る。
「違います。そんな勿体ない事はしません」
彼女曰く、謎は謎のままの方がいい場合もあるらしい。彼女なりのジャーナリズムなのだろう。
それは良いとして、では…。
「では、何故わざわざ俺を呼び出してまで、龍鱗の正体を定めた?勉強会なんて回りくどい催しまで開いて」
勉強会をセッティングしたのも、蔵人を呼んだのも若葉さんだ。これが偶然だとは到底思えない。十中八九、彼女が仕掛けた罠である。
そうして、見事に罠にかかった蔵人。だが彼女は、折角美味しいネタを仕入れたのにも関わらず、市場におろさないと言う。
で、あるなら。更なる利用価値を、この蔵人という海龍魚に求めているのだろう。
そう思う蔵人に、若葉さんが真剣な顔を向ける。
「蔵人君、私はね、この世界の真実が知りたいんだよ」
『この世界が隠す真実。それが、君なの?』
「31話で言っていたセリフだな」
彼女が追い求める”真実”とは、一体何なのでしょう?