441話~どうも胸騒ぎがする~
ファァアアン!
前半戦終了の合図が無慈悲に響き渡り、前線で押し合いをしていたロシア選手達がそれを聞いて、一斉に崩れ落ちた。
限界だったんだ。日本の猛攻に晒され続けていたから。それに加えて、見事に相手の策略に嵌められてしまったことで、体力的だけでなく精神的にも疲弊していた。
【……】
そんなボロボロの選手達を、オルロフ監督は冷たい目で見下ろしていた。そのガラスのような瞳の中に、感情らしきものは見当たらない。
そして、彼女達に見切りをつけた様に視線を切り、後ろで待機していた控え選手に顔を向けた。
【良いか、選手諸君。後半戦開始時からお前達を投入する。分かっているだろうが、負けは許されない。全力で日本の領土を奪って来い!】
【【了解!】】
既にコールド圏内まで追い詰められているのに、彼女達は冷静だ。
それは、まだ逆転の手が残されているから。
黒騎士達の魔力を枯渇させる作戦は上手くいかなかったが、それは元から分かっていた。前半戦での猛攻で、相手を疲弊させられれば十分だった。
我々の作戦はここから。
【ゼレノイ、ラズダ。お前達2人がキーパーソンだ。作戦通りに頼むぞ】
【はっ!了解しました】
「…はい」
オルロフ監督の声が少しだけ柔らかくなり、選手達の最後尾で控えていた2人の選手に声を掛ける。
1人はゼレノイ選手。
Sランクのアクアキネシスで、強力な遠距離攻撃を得意とするフィニッシャー。このチーム本来のエースだ。
そして、もう1人はラズダと呼ばれる少年。
いや、少年だと私は思っている。
その選手は大会が始まる直前に編入されて、フルフェイスの装備を常に着けているので素性が分からなかった。声的には年端もいかない少年であり、日本語しか喋れない日本人だと言う事は分かっているけど、この強豪ロシアに編入できる男子なんて、日本選手団の他に居るとは思えない。
なんでそんな異物を、この精鋭部隊の中に入れたのだろうか。
そして、
【貴女の出番はまだですよ?グレーソル。合図があるまで、ここで待機願います】
「……」
もう1人の覆面、グレーソルと呼ばれる選手についても謎のままだ。少年と同じで、全く素性が分からない。声すら聞いた事がないので、性別も分からない。
でも、フルフェイスを着用していることと、もう一人の少年と常にくっ付いていることから、きっとグレーソル選手も男の子だと思っている。背はラズダ君よりも小さいので、もしかしたら弟なのかもしれない。
兄弟で出場していると言う事は、彼らはユニゾン要員という可能性もある。ロシアという大国が、態々男を、それも他国の人間を入れているなんて余程の事だ。それも切り札として温存するとなると、ユニゾンくらい出来て当然だ。
だが、彼らが兄弟だと仮定すると、もう一つ気になる点が生まれる。彼らに対する監督の態度の差だ。
兄のラズダ選手には多少丁寧に接する監督だが、弟のグレーソルにはバカが付くほど丁寧に対応している。まるで王族に接するかのように、言葉遣いも態度も注意を払っているのが分かる。
本当に王族なのか。でもその割に、何処か避けるような、彼を怖がっているようなそぶりも見せている。
そんなに恐ろしい能力を持っているの?それとも、その子自体に怯えている?
分からないが、兄弟で対応が違うのは明確。そして、2人は監督が認める程の力を持っている可能性が高い。
そう言えば、選手のドーピング検査の時、グレーソル選手の姿だけ見えなかった。そのことについて大会側が言及することはなかったし、今でも普通に選手として登録できている。
…オリンピック会長に根回しをしたのは、この子を入れる為?じゃあ、本当の切り札は、このグレーソル選手なの?
考えれば考える程、謎の存在。
【聞け、諸君。日本は大量の得点を我々から奪ったが、その代償は大きい。彼らのスタメンは多くの魔力を消費しており、交代要員は雑魚ばかりだ。対して、我々はまだ殆どの札を残した状態で折り返している。我々の真価は、これより発揮されるのだ!】
監督は力強く力説し、隣にSランクと兄弟を並べる。
【我々は後半戦、この3人を中心に日本を攻める。諸君らはただ3人を、そして祖国を信じ、祖国には向かう悪しき者達に立ち向かうのだ!】
【【了解!】】
監督の言葉に、選手達はただ従う。彼女達に選択肢はないのだから。
それは、私も同じ立場だから良く分かる。ただ言われるがままに従わなければならないのは、個人ではどうしようもないことだから。
それよりも、気になるのはやはり少年達だ。Sランクと同等の立場で扱われる彼ら…。
なんだか、彼らを見ていると寒気を感じる。
【監督。私はVIP席に戻ります】
【了解しました、カトリーナ社長。フィールドが良く見える特等席で、我らが勝つ様をご覧ください】
【ええ。皆様の勝利を祈ります】
【祈る必要はございません。勝利は目前であり、必然なのですから】
力強く微笑む監督に、私はただ頭を下げて走り去った。
彼らの傍にいると良くないことが起きそうに思えて、足が勝手に動いていた。
私は、とんでもない国に手を貸してしまったのかしら…?
〈◆〉
前半戦を終えて、蔵人達は意気揚々と日本ベンチに戻ってきた。
鶴海さんの考えた作戦が見事に功を奏して、日本領域を70%まで拡大させたから、みんなは喜びを隠しきれないでいた。
それは、進藤監督も一緒であった。
「見事な戦術であったぞ、鶴海。あれはまさに、フィリッポス2世が大躍進を遂げた戦闘、カイロネイアの戦いで見せた戦術であったな」
「おっしゃる通りです、監督。監督もご存じだったのですね」
「ああ、儂も歴史が好きでな。よく戦国時代の戦い方などを記す書物を読み漁っているのだ。それ故に、儂はファランクスの監督を目指し…っと、済まん。貴重なハーフタイムで話すようなことではなかったな」
監督が慌てて首を振り、少し緩んでいた頬をパシンッと叩いて気合を入れた。
普段、自分にも厳しくしている監督だから、少しくらい羽目を外しても良いとは思うのだが…まぁ、選手が集うハーフタイムの時間だからね。そう言うのは、帰りのバスの中ででもしましょう。
「おっほん!兎に角だ、諸君。前半戦は満点の動きであったと言って良い。ロシアの砲撃を全て防ぎ、見事な戦術と連携で相手の前衛を崩した。3人の騎兵隊も、切り込むタイミングを逃さずタッチを3つ奪うことに成功した。これは大きい事だ」
監督の誉め言葉に、みんなは笑顔で頷き合って喜ぶ。一部、獅子王から来ている生徒は驚き顔を見合わせて、難波さんなんてフリーズしてしまっている。
現役世代の選手達は、監督に褒められたことがないのかな?
「だが、決して有利な立場に立っている訳ではないぞ」
やった、やったと喜びで満ちていたみんなの前で、監督の声が硬くなっていった。
彼女の表情は、いつの間にか引き締まったものになっていた。
「相手は3人のAランクを使い潰し、我々の前線を削りにかかって来ていた。その戦略を潰したわけではない。相手にはまだ、Sランクが2人も控えているからな。後半戦は必ず、その2人を出場させて、我々の前線を揺さぶりに来るだろう」
監督の言う通りだ。相手はまだ切り札を切っていない。領域差は大きく突き放すことが出来たが、これで喜んでしまっては糠喜びだ。
特に、2人居る相手のSランクの内、1人は全く情報を得られていない。アクアキネシスのゼレノイ選手であれば、その戦い方や戦歴、好きな物や家族構成なども全部、我らが敏腕記者によって洗いざらい暴かれてしまっている。
だが、もう1人は名前も性別すらも分からない。目撃情報から、もう1人のフルフェイス…恐らく湊音君だと思うが…彼と共に行動することが多く、彼以外とは一切のコミュニケーションを取っていないと言うことくらいしか分かっていない。
情報がないSランク。これはかなり危険だ。今までは情報があったから、事前に対策を練ることも出来たし、工夫と策略で魔力差を覆すことが出来た。
だが、今回はぶっつけ本番。相手の容姿も見えないから、異能力種も分からなければ戦闘スタイルも分からない。ただ攻撃力が高いだけの相手であれば対処のしようもあるが、変わり種の相手だったらかなり不味い。
例えば、テレポーターでみんなの配置をころころ変えてきたり、ドミネーターでみんなを寝返らせたり。ヒュプノスで全員寝かせるとかもかなりヤバイ。睡眠欲だけは、抑えられないからな…。
「諸君らに求められるものは、前半戦以上に柔軟な対応力だ。マクロでの戦術は儂と鶴海が考えるが、各々が目の前で起こるミクロの事象は、諸君ら自らで考え、そして対処しなければならない。良いか?」
「良く分かんねぇーぜ。監督」
鈴華が正直に答えると、監督は肩透かしを食らって、少し表情が崩れた。
済みません、監督。鈴華は正直者なんですよ。
蔵人は心の中で監督に謝りながら、鈴華の方を向く。
「つまりだ。監督が言いたいのは、ただ指示に従うだけじゃなくて、ちゃんと相手や状況を見て、自分でも考えながら攻撃しなさいってことだ」
「うん?そんなの、いつもしているぞ?」
うん。まぁ、君達はある程度そうしているだろう。こんな攻撃をしたらいいんじゃないかと、常に相手の隙を窺っている。勝ちへの道しるべを探求している。
だが、
「今回は、その難易度が上がる。相手の情報が少ないと言う事は、前半戦とは反対に、我々が罠にかかる可能性も十分にあるんだ。ニュージーランドや中国でやったような戦法を、向こうが取って来る可能性もあるんだぞ?」
「うへぇ~。あんなのに引っかかったら、確実にやられちまうな」
うん。漸く分かってくれたみたいだな。
蔵人は安心し、大きく頷く。
「恐らくだが、相手には強力なバッファーやドミネーターがいて、それらに加えて謎のSランクも居る。これらは事前情報には無かった不安要素であり、相手にとっても切り札となるだろう。我々は、それらが作り出すランダム要素も踏まえて後半戦に臨まねばならないぞ。もしかしたら、俺や鶴海さん、海麗先輩がやられる可能性だってある。そうなった場合でも取り乱さず、各々が勝利を求めなければならないんだ」
思えば、これまで桜城ファランクスが体験した負け戦は晴明との一戦だけだった。それは、桜城が強かったという証明であるのと同時に、桜城ファランクス部の弱点でもある。
勝てていれば調子が上がり、前に前にと進んで行ってくれる彼女達。だが、一度負け戦に傾くと、下を向く癖があった。
今までは、蔵人や鶴海さんがみんなのやる気を鼓舞して策を出し、彼女達の顔を強制的に上向かせていた。だが、それが今回も出来るかは分からない。インド戦のように分断される恐れもあるし、晴明の時のように主力が参戦出来ない状況に陥るかもしれない。
個人個人が確固たる意志を持ち、戦況を見極め、考える必要があるのだ。
「だが安心してくれ。君達なら出来る。ここまでついて来てくれた君達は既に、そして常に、自分自身で考えて道を掴む練習を繰り返してきた。それが、今の君の異能力なんだ、鈴華。だから同じだ。同じ様に考えてくれ。この状況を打破するためにはどうするか。どうすればこのチームを勝利に導けるのかを考え続けてくれれば、どんな困難に直面しても貫けるはずだ。自分が信じる、己の道を」
「「「はいっ!」」」
話し終えると、ベンチに集まっていた全員から勢いのある返答が返って来た。
「せやな。うちらは今までもやってきたんや」
「情報が無くても、みんなで考えよう!」
「私も、なるべく色んな策を出しておくわ」
「私は…ごめん。拳で道を作るから、それで許して」
「オイラも許して!」
鈴華個人に言ったつもりだったんだけどね。まぁ、士気が上がったみたいだから良かった
「ボス。あんたはあたしが守る。誰にも、キルなんかさせねぇ」
言葉をかけた張本人も、かなりやる気になっている。
まぁ、ちょっと違う方向でやる気になっているみたいだが、楽観的になり過ぎていた先ほどまでよりは良いか。
「よし。十分に気合いが入ったな」
進藤監督が、バンッと手で大きな音を立て、注目を集める。
「これから後半戦のポジションと幾つかの動きを伝える。このホワイトボードを見ろ」
監督は早口に、Sランクがどう出てくるかのシュミレーションを見せる。
それが終わった直後に、ハーフタイム終了の合図が鳴った。
「黒騎士選手」
フィールドに戻ろうとしたところ、監督に呼び止められた。
何時も自由にさせてもらっていた蔵人は、ちょっとドキドキして彼女の元に急ぐ。すると、
「君はゼレノイの相手をするな」
えっ?Sランクを放置しろと?
蔵人が驚くと、監督はこっちを見ながら小さく首を振る。
「君はもう1人のSランクに備えておけ。ゼレノイは美原と久我で対応させる」
ああ、そういうこと?超が付くほど強力な攻撃力と防御力を持つ海麗先輩と、トリックスターの鈴華がペアを組むのなら、Sランクとも渡り合える。
でも、なんでそんな采配にしたのだろうか?
蔵人が見つめ続けると、監督は顔を寄せて耳打ちしてきた。
「どうも胸騒ぎがする。この試合、何か良からぬ事が起きる予感がする。去年のビッグゲーム。君の試合を初めて見た時と、同じ悪寒を感じるのだ」
…それって、第六感って奴じゃないです?
監督の顔を見ると、いつにも増して厳しい顔だ。まるで、強化合宿の最終日。選考会の後に会った時と同じ表情。
それだけ、我々が心配なのだろう。
「承知しました、監督」
貴女がそこまで危惧するのだ。最大限の警戒心を持つ事としますよ。
蔵人はフィールドへと駆け出す。
すると、
「日本を頼む」
その背中を、監督の声が押した。
蔵人は顔だけ振り向き、大きく頷く。
そのまま、みんなが待つフィールドへと急いだ。
ロシアが何か仕掛けてきそうですね。
グレーソル選手?
「さてな。古いレポートを読み返せば、正体が分かるやもしれんが」
…この膨大な量を?




