425話~分かちなさい~
8月26日。
ファランクスU18本戦、2回戦。
試合開始まで残り30分を切った現在、蔵人達日本チームは入場ゲート前で待機していた。直ぐ近くには、本日の対戦国であるインドの選手達がリラックスした雰囲気で赤と紫色が合わさった派手な装備を装着し始めている。
もうそろそろ入場が言い渡される時間の筈なのだが、そんなペースで準備していて間に合うのだろうか?
【どうかなさいましたか?日本の白騎士さん】
蔵人が横目でインドチームの心配をしていると、向こうから声を掛けられてしまった。
声の方を見ると、蔵人と同じく、口元を綺麗な布で隠したインド美女が小首をかしげていた。
その大きな瞳だけで、相当の美人であることは想像できる。そして、そのたおやかで美しいブラウンのロングヘアが、彼女を高ランクのソイルキネシスであると主張していた。
そのインド美女に向き直り、蔵人は小さく頭を下げる。
「これは、失礼しました。皆さんの装備が鮮やかでしたので、つい目を奪われてしまいました」
【おや?男性の選手でしたか】
インド美女は僅かに目を開き、そして笑みを浮かべた…様な気がする。
【日本の男性に褒めて頂いたのは初めてですわ。もしかして、私の事をご存知?】
知っているかと問われたが、背番号を見ないと正確には分からない。昨日の若葉さんから貰った情報も、全部装備を着た状態のものだったから。
でも、その立ち居振る舞いから、彼女が高貴な方である事は想像が付く。"日本の"男性に褒めて貰ったのは初めてと言うことは、男性自体の褒め言葉は初めてではないのだろう。普通の女性みたいに、舞い上がった様子もない。
それに、彼女の装備だけ金色が混じっている。別にインドに限ったことでは無いが、金色はロイヤルカラーだ。特に、国の代表であるオリンピック選手がそれを着用していると言う事は、国のえらい人達からも認められている可能性が高い。
身分制度が厳しいインドであれば、特にその可能性が高まる。
なので、蔵人は深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。無知な者で、貴女様の名前を存じてはございません。貴女様が高貴な身分のお方である事は想像が付くのですが」
【あらあら。そのように謝らなくて結構ですよ。クイズの様に聞いてしまった私が悪いのですから】
インド美女がそう言ってくれるので、蔵人はゆっくりと顔を上げる。
それを、大きな瞳で興味深げに見詰めるインド美女。
【日本人は謙虚と聞いていましたけど、男性もそうだとは思いませんでした。流石は日本。我が国のヒーローですわ】
ヒーローって。
確かに、インドが独立をする際に、日本はインドと共に戦った。結局その反攻作戦は失敗に終わるが、その時に日本軍が整備した道路や水道などは何時までも使われ、日本を好意的に思ってくれるインド人が結構いた覚えがある。
だが、それは第二次世界大戦が起きた世界での事。
この世界でも似たような事があったのだろうか?
【ねぇ、ナディア。貴女もそう思わない?】
蔵人が心の内で首を傾げていると、インド美女が近くで装備を装着していた黒髪の少女に話しかける。
黒髪少女は慌てて装備を置き、美女の元に駆け寄った。
【はい。ラニ様の言う通りです。どの国の男性も、横柄か卑屈かのどちらかですから】
【そうね。特に、中国とアメリカの男性が酷かったわ】
楽しそうに会話する2人。そのお陰で、2人の素性が分かった。
ナディアと呼ばれた少女は、Bランクの遠距離アタッカーだ。パイロキネシスによる精密射撃で、局地戦から集団戦まであらゆる状況に対応できる万能ガンナーだと評価されていた。
そして、そちらの美女の名前が、ラニ・パルマール。彼女こそが、インドチーム唯一のSランクだ。
「選手の皆さん!あと5分で入場です!整列の方を宜しくお願いします!」
大会スタッフから、そんな声が掛かる。
しまった。俺が話しかけてしまったから、余計にインドチームの着替える時間が無くなってしまった。
蔵人は再び、頭を下げる。
「申し訳ありません、パルマール選手。お忙しい時に話しかけてしまって」
【構いませんよ。私の着替えなど、直ぐですから】
そう言うラニ様は、ただ手を伸ばしてくるりと後ろを向く。それだけで、周囲のインド選手達が手際よく、彼女の装備を装着し始めた。
何と言うか、大貴族の朝を連想させる。本人はただ突っ立っているか歩きながらでも、周囲のメイド達が着替えさせてくれるアレみたいだ。
それだけ、ラニ様が着替えさせられることになれているという事だろう。それだけのご身分と言う事でもある。
蔵人が改めて警戒すると、装着し終えたラニ様がこちらを向く。
【日本には確かに恩義がございますが、試合で手を抜いたりは致しません。どうぞ貴方達も最後まで、全力で挑んでくださいませ】
「ええ、勿論。我々にとっても、その方が助かります」
蔵人が大きく頷くと、ラニ様は涼しい顔で列の先頭へと行ってしまった。
全力で”挑んでください”か。
蔵人は笑みを零す。彼女の言葉の端々から、こちらを下に見ているのが丸わかりだったから。
やはりインドは、日本を警戒していない。五大列強以外は敵ではないと思っているのか、それともこちらにDランクが2人編成されていることが原因か。
どちらにせよ、油断してくれているのは良い事だ。その分だけ、こちらが動きやすくなる。
「では、日本選手団から入場をお願いします!」
という事で、準備が整っている日本からの入場となった。
蔵人達が入場すると、観客席からは多くの声援が送られてくる。ニュージーランドに勝ったからか、日本やアメリカだけでなく、他国からも声を掛けて貰えるようになっていた。
「鶴海さん、ちょっといいですか?」
整列して、インドチームが入場するのを待っている間、蔵人は鶴海さんに話しかけた。
「あら?どうかしたの?」
「ええ。先ほど、インド選手に話しかけられまして、日本に恩があるって聞いたんですよ」
史実と同じ動きがあるのか、蔵人は確かめたかった。
すると、
「ああ、それはインドの独立が関係しているんだと思うわ。世界大戦の後、イギリスとインドの仲介役として、日本が尽力したって歴史書には書かれているから」
世界大戦が終結した後、異能力という新しい兵器を持った植民地は、独立の為に立ち上がった。その中に、インドも含まれる。
インドは1800年代からイギリスの植民地にされていて、苦い経験を幾度も積み重ねていた。そんな中、現地民に強力なSランクやAランクが生まれた事で、イギリスに反旗を翻そうとした。
そこで、当時エネルギー分野で協力していた日本に、イギリスは共闘を持ち掛けてきたらしい。
だが日本は、中国に散々やられた経験もあった為、インドとの戦闘を望まなかった。漸く軌道に乗り始めた発電事業も止めなければならないし、また経済に大打撃を受ける可能性があった。インドとの独立戦争は、リスクが大き過ぎたのだ。
そこで日本はイギリスを説得し、インドとの戦闘を回避させた。下手に血を流すよりも、ここは3か国で友好貿易協定を結びましょうよと、イギリスに実利を取らせたのだ。
「その他にも、日本はインドの経済支援もしているそうよ。道路を作ったり、水道を整備する為に軍を送っているって話も聞くわ」
「なるほど。だから恩人なんですね」
軍を送っているのは、インフラの為だけじゃないかもしれないけど。
とにかく、史実日本を超える支援がインドに施されていることが分かり、選手や観客のインド人からも友好的な態度を示される理由は分かった。
でも、それは握手をし終えるまでであった。握手を終えると同時に、彼女達から笑顔は消えた。
鋭い、戦士の目になった。
『握手を終えた互いの選手達が、ポジションに着きます。日本はオーソドックスな4-4-4-1の構えで来ました』
実況の声を聞きながら、蔵人は自軍を振り返る。
彼女が言う通り、教科書通りの配置だ。
前衛:蔵人、西濱、米田、海麗。
中衛:鈴華、伏見、西風、理緒。
後衛:鶴海、Cランク3人。
円柱:円。
近距離攻撃も遠距離攻撃も、防御も出来る万能な構えだ。デメリットとしては、円柱の待機得点は殆ど得られないこと。円さんの配置も、相手が特攻してきた時の備えである。
『対するインドチームは、かなり歪な構えですね』
『そうですね。以前の日本チームを彷彿とさせる構えです』
インドの配置はこうだ。
前衛:ラニ様。
中衛:ナディアさん。他6名。
後衛:3名。
円柱:3名。
解説者が言うように、以前の日本や桜城を思い起こさせる配置であった。
ポジション的に、ラニ様が俺の役割をする位置だが…。
蔵人は、1人で最前線に立つインド美女に視線を向ける。彼女は、随分と落ち着いた様子で立っていた。
その余裕から、今までの試合と同じ戦法を取ってくるのだろうと蔵人は予想した。
そして、それは当たった。
ファァアアン!
『試合開始!』
試合開始の合図と共に、蔵人は目の前に水晶盾を並べる。
それに遅れること数秒、盾の向こう側で大きな魔力が動いた。
痺れる程の、Sランクの魔力。
「警戒して!みんな!」
鶴海さんが声を上げる。Sランクの魔力で攻撃されたら、この水晶盾なんて紙くずみたいに吹き飛んでしまうから。
でも、Sランクの魔力は飛んでこなかった。
代わりに、巨大な何かが聳え立った。
【分かちなさい。聖なるスメール】
『出ました!ラニ選手の巨大防壁!高さ5m、厚さ2mの分厚い土壁が、フィールドのど真ん中で聳え立ちました!これは凄い!これはデカい!流石はSランクの異能力!』
『黒騎士選手のシールド・ファランクスも見事ですけれど、やはりSランクの生成物は別格ですね』
解説者さんの言う通り、相手の防壁はこちらとは比べられない程に大規模で、そして強固だ。
『日本チーム、突然現れた巨大な壁に、早速遠距離攻撃を仕掛ける!早い!判断が早い!まるで知っていたかのようだ!』
『事前に把握していたんでしょうね。ラニ選手の土壁は、今までの試合でも使われて来た戦法の一つです。日本選手団の情報収集能力はかなり高い。ですが、知っていてもこの壁を崩すことは困難だ』
『日本チームの遠距離攻撃が、次々と巨大な壁に突き刺さる!ですが、壁は全くの無傷だ!表面が多少焦げたくらいで、傷一つ追う様子もない。なんて強固な壁なんだ、ラニ選手の防壁!』
『Sランクの魔力で出来た壁ですからね。CランクやBランクの攻撃ではビクともしないでしょう。同じSランクの攻撃でないと厳しい。厳しい戦いになりますよ、日本チームにとって、このインド戦は』
放送の声を聴きながらも、蔵人達は遠距離攻撃を続ける。だが、本当に全く歯が立たない。強固過ぎて、ホーネットも土壁の表面で空回りしている。
この固さ、久しぶりだ。まるでワンオーを相手にしたときみたいだ。
いや、それ以上か。
蔵人は数枚の水晶盾を手元に寄せて、構える。この壁を崩せるのは、ミラブレイクしかないと考えて。
そう思っていたのだが、その壁の上に人影が見えた事で、ミラブレイクの構築を止めた。
『おおっと。巨大な壁の上で、インド選手達が構え始めました。これは?』
『壁の裏に階段が出来ていますね。彼女達はそこを登って、壁の上に出たのでしょう。背番号的に、中衛の7人か』
『その7人の中衛が、一斉に遠距離攻撃を開始した!これは苛烈!5mの高所から撃ち下ろされる遠距離攻撃に、日本チームが襲われる!』
『黒騎士選手が盾を持ち上げて防いでいますね。盾を動かせるから、こうして高所からの攻撃にも耐えられているようです。ですが、これで日本チームの攻撃の手は薄くなりました』
『インドチームがかなり有利な状況での撃ち合いとなりました!日本チーム、必死に壁上へと攻撃を向けますが、高さが邪魔して攻撃が当たりません。逆に、インドチームは上から俯瞰できるからか、的確にシールド・ファランクスの内部を攻撃する!』
こいつは中々に厳しい。
蔵人は、シールド・ファランクスを掲げながら歯を食いしばる。
実況者さん達は防いでいると言っていたが、こうして高所から攻撃されると受け流しが殆どできない。相手はナディアさんの様なBランクも遠距離部隊に投入しているようで、時間が経つにつれて水晶盾が悲鳴を上げ始めている。このまま撃ち合いを続けていたら、前半終了の合図が鳴る前に魔力が尽きてしまう。何より、相手の遠距離攻撃を防ぎきれるか分からない。
これは、早めに手を打たないと。
「黒騎士君!」
蔵人が、何とかミラブレイクを出せないかと考えていると、声が掛かった。
海麗先輩だ。
「私が前に出るから、少しの間だけ援護してくれないかな?」
そう言う彼女の四肢は、既に真っ黒く変色していた。
部分的なSランク化。
なるほど。これなら。
「了解しました、海麗先輩。貴女に、3枚の水晶盾を付けます。タイミングを見て飛び出してください」
「そこは大丈夫。鶴海ちゃんが合図をくれるから」
ほうほう。やはり鶴海さんの作戦だったか。
蔵人はチラリと後ろを見て、遠距離部隊を指揮する鶴海さんの姿を捉える。
「分かりました。僕も、その合図に従う事にします」
そのまま、蔵人と海麗先輩が構えていると、日本側の遠距離攻撃が再び激しくなってきた。壁上に向かって幾つも魔力弾が飛んで行き、濃い弾幕を作り出す。
それに、相手の遠距離役は一瞬怯んで、濃厚だった弾幕が一瞬止まった。
「「今だ」」「今よ!」
鶴海さんの合図より1テンポ早く、蔵人達は動き出していた。海麗先輩の足が地面を蹴りだし、物凄い速さで土壁へと走り込む。その彼女の頭上を守るように、水晶盾を追従させる。
【砲撃対象変更!あのクリスタルシールドを狙いなさい!】
【【はいっ!】】
頭上から、ナディアさんの声が聞こえた。その号令の数秒後には、海麗先輩に向けて砲撃が集中した。
蔵人は向かわせていた水晶盾を3枚重ね。その隙間にEランクの緩衝材を生成する。
2重奏のランパートだ。Bランクの攻撃でも、容易に突破は出来ないぞ。
『日本チームの特攻!エースである美原海麗選手を投入した!速い!』
「「「わぁあああああ!!」」」
「「「う・ら・ら!う・ら・ら!」」」
『インドチームの集中攻撃が、美原選手へと飛来する!だが、全て彼女の頭上で防がれている!これは黒騎士選手の特殊盾、ランパートか!?』
『ランパートでしょうね。Bランクのナディア選手とサラスワティ選手の攻撃を受けても、全く壊れる様子がありません。Cランクのクリスタルシールドの様に見えますけど、これは黒騎士選手のランパートでないと出来ない芸当です。彼の特殊盾の防御力は、Aランクのダイヤシールド以上の性能です』
「「「わぁあああ!!」」」
「「「くっろきし!くっろきし!」」」
ランパートは完全に相手の攻撃を受けきっている。
それを見て、海麗先輩も安心したように壁に集中する。壁の目の前で大きく足を開き、腰を落として黒く変色した右腕を大きく引いた。
そして、その拳を思いっきり撃ち出した。
「チェストォオオオ!!」
渾身の一撃。その衝撃が壁に伝わり、その巨大な土の表面が一瞬波だったように見えた。
そして次の瞬間には、壁の一部に大きなヒビが発生し、その部分の土が崩壊した。
ボロ、ボロボロと、海麗先輩の拳に耐え切れなくなった魔力が消えるように崩壊し、彼女が殴った所を中心に、2m程の大穴が空いた。
「今よ!」
背後から鶴海さんの号令。
その声と共に、蔵人の横を2つの影が通り過ぎた。
桃花さんと、理緒さんだ。
『何と言う事だ!Aランクの美原選手の一撃で、Sランクの大壁に大穴が空いてしまった!なんて攻撃力!やはり日本のウララはSランク並みの攻撃力を持っていたのか!?』
『その大穴に、西風選手達が飛び込みましたね』
『おおっと!日本の速攻だ!桃花選手と剣帝選手が物凄い速さでインド領域を走る、走る!走り抜ける!殆どの選手が土壁の上に居るインドチーム、これに対応できない!後衛の3人を抜き去って、桃花、剣帝ペアはインド円柱へ一直線だ!』
『インドの遠距離チームは、日本の前線を抑えないといけないですからね。既に土壁の補修は終わっているみたいですけれど、日本のウララを土壁から引き剥がさないと、また壁を壊されてしまいます』
「「「わぁああああ!!」」」
「いけぇ!ももかぁ!」
「剣帝さま!あと少しですよ!」
壁の向こうで、桃花さん達が頑張っているみたいだ。こちらも彼女達の援護をしよう。
蔵人達は引き続き、壁に向けて猛攻を仕掛ける。相手を前線に引き付けて、桃花さん達の邪魔をしないように。
でも、
『西風選手の攻撃で、円柱役の2人が吹っ飛んだ!剣帝選手も1人を切り伏せて、見事ベイルアウトに持ち込んだ!そして…2人同時にタッチ成功!ファーストタッチとセカンドタッチを、日本が先制したぁ!』
「「「わぁあああああああ!!!」」」
「「「にっぽん!チャチャチャ。にっぽん!チャチャチャ」」」
桃花さん達は、2人だけでタッチを成功させたみたいだ。日本側の応援席が、物凄い声で彼女達の偉業を讃えている。
やがて、土壁に小さな穴が生成され、そこから2人の少女が帰って来た。
外傷は…なさそうだ。
「お疲れ様!2人とも!」
海麗先輩も前線に戻って来て、タッチを成功させた桃花さんの頭をグリグリと撫でる。
それに、桃花さんも嬉しそうに「やりました!」と報告を上げる。
うんうん。これは幸先の良いスタートだ。
そう思った矢先、相手側に動きがあった。
巨大な土壁が地面へと戻っていき、向こう側に鮮やかな装備を着たインドチームの姿が見えたのだ。
防御しかしていなかったインドチームが、その防御を捨てた。
これは、新たなステージに上がったようだ。
蔵人はそう直感で感じ、水晶盾を構え直した。
インドの戦法は、防御と攻撃を両立したとても厄介な物でしたが…。
「美原嬢の力は、それ以上であったな」
やはり、情報は大事ですね。




