406話〜家庭の事情ですわ〜
いつもご愛読下さり、誠にありがとうございます。
またしばらく、他者視点となっております。
鈴華ちゃんの家に向って、僕を先頭にみんなが付いて来る。
正直、僕たちだけで大丈夫かな?って思っていたから、大会運営の偉い人まで来てくれたのは凄く心強い。相手が大貴族だとしても、このメンバーなら何とかなる気がする。
そう思って、前に鈴華ちゃんから聞いていた住所を頼りに走っていると、目の前に大きな屋敷が見えた。
お城みたいに大きなお屋敷は、屋根が玉ねぎ状に丸くなっていて、ちょっと可愛いって思えた。
でも、門扉は大きくて頑丈そうで、突然来訪した僕たちを拒んでいるように見えた。
うぅ…大丈夫かな?
不安でいっぱいだったけど、川村さんがインターホンを鳴らしてちょっと会話すると、すぐに門扉が開いた。
なんでも、この時間に来ることを伝えていたらしい。
良かったぁ。やっぱり、大人の人に着いてきてもらったのは正解だったよ。
屋敷の玄関に着くと、使用人さんらしき人が数人待ち構えていて、真ん中の執事さんが僕達を案内してくれた。
鈴華ちゃん程じゃないけれど、この執事さんもかなり美人だ。背も高くて、蔵人君よりもあるんじゃないかな?なんだか足腰もしっかりしてて、格闘技とかもしていそう。
僕が執事さんを見上げていると、彼女は分厚い扉の前で立ち止まり、静かにノックした。
「ご当主様。お客様をお連れしました」
「ええ。お通しして頂戴」
扉が開くと、凄く豪華なお部屋が現れた。
壺とか絵画とかが立ち並んで、大きな葉っぱの観葉植物が部屋の端っこを占領していた。
その中心で、銀髪の女性が大きな机に座っていた。
「川村副理事長、それにオリンピック選手の皆さん。”遠いところ”から久我家へ、ようこそ」
歓迎してくれている口ぶりだけど、鈴華ちゃんのお母さんからにじみ出る雰囲気は全然そんな感じじゃない。冷たい空気の中にヒリヒリする感情も混じっている気がする。
僕たちのことを、快く思っていないってひしひしと感じるよ。
「時間を作ってもらって感謝します、鈴華選手のお母さん。ワシがアポを取らせて貰った川村だ」
「存じておりますわ、川村副理事長」
笑顔だけど、お母さんの空気が一段とヒリついた。
なんでだろう?川村さんが何か、マズイ事を言ったのかな?さっきから、川村さんの姿に目を細めている様に見えるけど…?
「そんで、今日時間を作ってもらったのは他でもない。お宅の鈴華選手についてだ。なんでも、オリンピック選手を辞退させたいって話だったと聞いとるが?」
「左様です」
お母さんは、その一言だけで口を噤んだ。
それに、川村さんのこめかみがピクリッと動いた。
「左様って、なんでなんです?理由を教えて欲しい。鈴華選手も、他の選手もみんなオリンピック選手に選ばれようと、これまで必死にやっとったんですよ!?」
「川村様。そのように大きな声を出されなくても、私は十分に聞こえておりますわ」
お母さんはやんわりとした口調だけど、目は凄く怖い。なんだか、汚いものを見るみたいな目で、机の上に置かれた川村さんの手を見下ろしている。
それには川村さんも気圧されてしまい、半歩下がった。
それを見て、お母さんは少しだけ表情を緩めた。
「あの子が棄権する理由ですが、家庭の事情ですわ」
「家庭の事情って、なんなんや。鈴華はずっと頑張って来よったんやで?」
堪らず、早紀ちゃんが声を上げる。
すると、お母さんは笑みを消して、冷たい気持ちを表情に現した。
「子供が口を出す問題ではありませんよ」
「何が口出すなや!うちらの仲間の問題やで!それをうちらが聞いて、何がおかし」
「伏見さん」
憤った早紀ちゃんを、蔵人君が止めた。
そして、彼は深々と頭を下げた。
「久我様。大変失礼致しました。深くお詫び致します」
「ふんっ」
蔵人君の頭を見下ろして、お母さんは鼻を1つ鳴らす。
ふてぶてしい態度だけど、少しだけ空気のヒリつきが弱くなった気がする。
「一般の家の出である皆さんには理解が難しいことと思いますが、我が家は古くからの歴史と文化を持つ久我家でございます。嘗ては陛下からの寵愛を賜り、またある時は歴史を大きく動かす一翼を担う事もしばしばございました。このように大きな家を運営する以上、皆さんが想像出来ない難しい事情も多々ございますの。
ですので、皆さんでも分かりやすい様にと、家庭の事情であると申し上げたのでございますわ」
お母さんは一方的に喋り終わると、手を叩いて扉の方を見た。
「お客様のお帰りよ」
「はい。ご当主様」
正面玄関で見かけた使用人さん達がぞろぞろと入ってきて、私達の肩に手を置いた。
「皆様。門の外までお見送り致します。どうぞ、こちらに」
「ま、待って下さい!僕たち、まだ聞きたい事がいっぱいあって…」
僕が視線で訴えかけるも、使用人さん達は視線を逸らして取り合ってくれない。仕方なくお母さんの方を見ると、部屋に入ってきた時と同じ笑みを浮かべていた。
「それでは皆さん。是非とも練習に励んで頂き、オリンピックを盛り上げて頂きたく存じます。一観客として、興味深く見守らせて頂きますわ」
小さく手を振る母親の姿を背に、僕たちは使用人達に引きずられていった。
「なんなんや!あのオバハン!」
早紀ちゃんが憤慨して、つまみ出された分厚い門扉を睨みつけていた。
「ちょっと金持っとるだけやのに、偉そうにしよってからに…。あいつが嫌がる理由がよう分かったわ」
「早紀ちゃん。扉を蹴ったり殴ったりしちゃダメよ?」
ミドリンが心配そうに早紀ちゃんの肩を掴む。今にも突撃しそうだもんね、早紀ちゃん。
でも、その気持ちはよく分かるよ。僕だって、どうやったらこの中に入れるかって勝手に想像が働いちゃうもん。そして、あの母親をギャフンって言わせるところまで、妄想が広がっちゃう。
…どうやってギャフンって言わせるかは、全く想像出来ないけれど。
「済まんな、みんな。ワシが着いていながら、何も分からんかった」
川村さんが小さく頭を下げる。
僕が慌てて「いえいえ」って手を振ると、彼は顔を上げて目を光らせた。
「今回は簡単に追い返されてしまったが、次は何とかしよう。理事長とも相談して、なんとしてでも鈴華選手本人と連絡が取れる様にアプローチしてみせる。だから、みんなは安心して練習に集中しとってくれ」
そう言うと、川村さんは軽トラに乗り込んで去っていった。
その後ろ姿を、僕たちは呆気に取られて見送った。
「凄い人やったな。貴族のオバハンにも、真っ向から切り込んどったし」
「そうだね」
本当に、凄い人だ。僕たちだけじゃ、この門扉を開ける事も出来なかっただろうから。
僕たちが並んで川村さんを見送っていると、蔵人君も「では、俺も」と言って、足早に飛んでいってしまった。
それを、ちょっと不満そうな顔で見上げる早紀ちゃん。
「どうしたの?」
「いやな、なんでカシラはあん時、うちを止めたんやろと思うてな。うちはあのオバハンに、もっとガツンと言うてやりたかったんや。そしたら、鈴華の事ももっと分かったかもしれんやろ?」
「それは、どうかしら?」
ミドリンが人差し指を顎に当てながら、首を傾げる。
「蔵人ちゃんが止めてくれなかったら、もっと荒事になっていたように思えるわ。鈴華ちゃんのお母さん、最初から私達を良く思っていなかったみたいだから、もしも騒ぎでも起こしていたら私達、出禁にされちゃったかもしれないもの」
「ミドリン。デキンってなに?」
「ええっとね。貴女はもう、ここに来ちゃダメよ?って建物や敷地に入れてもらえなくなっちゃうことよ。あのまま口論になっていたら、私達二度と、鈴華ちゃんに会いに来られなくなっていたかもしれないわ」
ええっ!?そんなことになっちゃうの?
なんだか金魚みたいな言葉だなぁ~なんて呑気に考えていた僕は、跳び上がって驚いてしまった。だって、そんなことになったら大変だもの。鈴華ちゃんに会う手段が、本当に無くなっちゃうよ。
「まぁ、カシラの事やから、なんや考えがあると思うとったけどなぁ」
でも、それを聞いても、早紀ちゃんの表情は暗いままだ。
「それにしても、いつものカシラらしくない言うか、ちょっと違和感があるように思うたんや」
そうなのかな?
僕は、蔵人君が消えた空を仰ぎ見る。でも、彼の姿は既に、雲の中に消えた後だった。
冷静に考えてみたら、学校で直接本人に聞けばいいことに気が付いた。明日から普通に授業が始まるんだから、無理して嫌味たっぷりな母親にアタックしなくても良かったんだ。
そう思って登校したんだけど、そこに鈴華ちゃんの姿はなかった。学校にも「家庭の事情で暫く休ませます」って連絡が来たらしい。
僕はとってもびっくりした。だって、学校まで休ませるなんておかしいもの。前に蔵人君が言っていたけど、中学生は勉強する権利が憲法でも定められているんだって。だから、どんなに鈴華ちゃん家が大きくたって、そこは侵害しちゃいけない何かがあるんだよ、きっと。
「まぁ、モモちゃんが言う事も一理あるわね」
「一理じゃなくて、全理じゃないの?ミドリン」
火曜日のお昼休み。僕はミドリンと顔を突き合わせてお昼ご飯を食べていた。
今日の日替わりランチは和牛のハンバーグ。デミグラスソースが濃厚でとっても美味しいんだ。本当だったら僕の隣で、鈴ちゃんも一緒に座って食べていたと思うととっても悲しくなる。
「あのお母さんが義務教育を受けさせないのなら問題だけど、本当に何かの事情があって、数日休ませる程度のは問題にならないわ」
「ミドリンはどっちの味方なのさ」
「客観的に見ていっているのよ」
ミドリンはオムライスにスプーンを入れながら「でも」とその手を止める。
「学校を休ませる家庭のご事情となると、かなり限られてくる。例えば、冠婚葬祭とか」
「誰かの結婚式があるってこと?それともお葬式?」
「学校を休ませるだけなら、そう言う可能性もあるわ。でも、オリンピック選手を辞退させる何かでしょ?結婚式なら、日程が被っていてオリンピック選手を辞退させるってことにもなりえるけれど、今から学校を休ませる理由にはならない。お葬式はその逆ね。オリンピックまで長引くものじゃないわ」
「じゃあ、なんなのさ?」
僕の質問に、ミドリンが「う~ん」と悩みだす。
ああ、不味い。ミドリンにばかり考えさせてしまったから、完全に熟考モードになっちゃった。このままだと、折角頼んだオムライスが冷めちゃうよ。
僕が慌てて「後で良いよ」と止めようとしたんだけど、その前に誰かが飛び込んできた。
「それはね!どうも輿入れの話があるみたいだよ!」
若ちゃんだった。
うどんのトレーを持った彼女が、少し興奮気味に私達の席に不時着した。
「うわっ!何処から湧いたのさ、若ちゃん」
「ひどいなぁ。人を虫か雑草みたいに言うなんて。私はいつでも、困った人の傍にいるよ」
なんか、カウンセラーみたいなことを言う若ちゃん。
「それで、コシイレってなに?お祭りで担ぐ、お神輿みたいなやつ?」
「モモちゃん。輿入れって、簡単に言うと結婚の事よ?」
「うぇええ!?す、す、鈴ちゃん、結婚するの?誰と?く、蔵人君と?」
「違う違う。色々と勘違いをしているから、先ずは落ち着いて話を聞いてよ、モモちゃん」
そんなことを言われても、気持ちがザワザワしちゃって落ち着いてなんていられないよ。
早く話してよ、若ちゃん。
「いいかな?先ず、輿入れの話が来たのは鈴華ちゃん本人にじゃなくて、そのお姉さんに来たんだ」
「なんだ、お姉さんなんだ」
なんか、急に興味が無くなってきた。だって、それだったら鈴華ちゃんが今居ないこととあまり関係がない気がするんだもの。
お姉さんの結婚式に呼ばれているから外に出られないの?
「そのお姉さんに申し込んできたのは、ロシア貴族であるロマノフ家。世界大戦前は帝国を束ねていた元王族の家だね」
「僕でも何となく聞いた事があるよ。ロマノフ王朝だっけ?」
何かのアニメ映画で出てきた気がする。
なんだったかな?時計仕掛けの万華鏡?
「そう。そのロマノフ家。しかも、その名家からSランクの男子を嫁がせるって話が出ているみたいなんだ」
「凄いお話しね。絶対に、裏があるようにしか聞こえないわ」
「うん。裏というか、取り引きがあったみたいだよ。鈴華ちゃんを、ロシアのチームに引き渡すってのが条件みたいなんだ」
「えっ…」
なに、それ…。
僕は驚き過ぎて、言葉が喉に詰まった。
鈴華ちゃんをロシアのチームへって…それって、鈴華ちゃんがロシアに行っちゃうって事だよね?
「なんで、そんな事に…?」
「詳しくは分かってないんだけど、鈴華ちゃんのお祖母様がロシア人だったらしくて、その関係でロシアに引っ張ろうとしているんじゃないかって説が濃厚だね」
「本当にそれだけかしら?少なからず、LAの暴動で顔が売れた事も影響しているんじゃない?」
「そうだね。加えて、CECでユニゾンを見せた事も影響しているんじゃないかって、個人的には思うよ」
えっと、つまり…表向きは、血の繋がりとかで、鈴華ちゃんをロシアのチームに引き抜こうとしていて、本当はアメリカで活躍した鈴華ちゃんに目を付けたって事かな?
それで、お姉さんを出汁にして、鈴華ちゃんとSランクを交換しようとしているってこと?
「何それ。なんか、めちゃくちゃだよ。ロシアとかアメリカとか、話が大き過ぎて訳が分かんないよ」
「そうね。そもそも、国家の機密とも言えるSランクを餌にしてまで鈴華ちゃんを欲しているなんて、ロシアは何を考えているのかしら?」
「そこまでは分からないね。少なくとも、Sランクが関わっている以上、ロシア政府が知らない筈ないし。彼女達が何を求めているかまでは調べが進んでいないんだ」
やっぱり分からないよ。
この前まで一緒に居た鈴華ちゃんが、なんでこんな大変な事に巻き込まれちゃったんだろう。
アメリカでもそうだった。セレナ・シンガーと一緒に拉致されちゃって、暴動に巻き込まれちゃって…。
もしかして、鈴華ちゃんが目を付けられたのって、セレナさんと仲良しだからかな?それとも、蔵人君と1番近いところにいるから?
「そうだ。蔵人君は何て言っているの?」
蔵人君なら、この難しい問題も解決してくれるんじゃないかな?
そんな期待を抱きながら質問すると、若ちゃんは両手を上げて困った顔をする。
「それが、全く捕まらないんだよ。休み時間の度に消えてしまうから、まだこの事も伝えられていないんだ」
「そうね。最近は特に忙しそうだわ。部長に代わって朝練を指揮したり、放課後はメディアの取材なんかもこなしているみたいよ」
「朝練に、取材…かぁ」
そんなの、後で良いと思うんだけど。鈴華ちゃんが居なくなっちゃうかもしれないのに、蔵人君は心配じゃないのかな?
分からないよ。蔵人君の考えている事も。
「おっと。電話だ、ちょっと外すね」
携帯をポケットから取り出した若ちゃんは、ごめんってジェスチャーをしながらどっか行っちゃった。
忙しそうだなぁって、僕たちは若ちゃんの走り去る背中を見ながら、お昼ご飯を再開させた。
させたんだけど、ちょうど僕がハンバーグを頬張ったタイミングで、若ちゃんが猛ダッシュで戻ってきた。
「ヤバい、ヤバい!さっき言ってたロマノフの人、つい今しがた日本に到着したんだってさ!」
「ふぇっ…」
僕は口の中で頬張っていたハンバーグの事も忘れて、大口を開けていた。
そこに、若ちゃんが追加で情報をねじ込んでくる。
「どうやら、鈴華ちゃんの家に向かっているみたい。早く行こう。じゃないと本当に鈴華ちゃん、ロシアに連れていかれちゃうかもしれないよ!?」
蔵人さんにだけでなく、鈴華さんにまでちょっかいを出そうとするなんて…。
ロシアは恐ろしいですね。
「恐ロシアという奴だな?」
………。
「何か言え」