402話〜逃げろ〜
いつもご愛読いただき、誠にありがとうございます。
ちょっと長くなってしまいました(8500字)が、下手に切ることも出来ませんでしたので。
「済まんが、ちょっとずつ読み進めてくれ」
宜しくお願い致します。
夏の太陽が晴れ渡る一面が青い空の下。そこでは、真っ赤な鮮血と焼け焦げた黒い煙が立ち上り、悲鳴と怒号が飛び交っていた。
逃げまどう非戦闘員の記者達。その背に、戦死者達は容赦なく異能力を放出していた。
「殺ス。アグレスを殺ス」
「侵略者、ヲ許スな。日本を、守レ」
誰も彼もが、アグレスに対して強い殺意を抱きながらも、その矛先は逃げまどう一般市民達に向けていた。
何もかもが狂った状況。
その状況に、漸く壇上の指揮官が声を上げる。
「総員!一般市民を守れ!戦死者を…いや、反逆者を拘束せよ!」
「りょ、了解!」「了解!」
軍人達はすぐさま、逃げまどう記者達を隠すように死者の前に陣を敷いた。
だが、そこまでだった。どの隊員も、攻撃に移ることが出来ない。目の前にいるのは、数日前まで苦楽を共にしてきた仲間なのだから。
「くそっ!どうなっているんだ!」
「分からない。死者にドミネーションって効くのか?」
「無理に決まってるでしょ!死体に意志はないのよ?」
「じゃあ何か、新しい異能力ってことか?誰かが死体を操ってるのか?」
「分からないけど…このままだと不味い!もう、持たないよ!」
軍人達が出した防壁は、戦死者達の異能力によって見る見る削られていく。
更に、
「殺ス、侵略者を殺ス」
「日本を守レ。私達の国から出テいけ」
軍人達が躊躇している間にも、棺桶からは次々と戦死者が蘇り、彼女達を囲む包囲網は時間が経つにつれて分厚く凶悪になって行った。
そんな時、
「ぐぁ!」
「な、なんだ!?今度はなんだ!?」
「背後から攻撃!」
敷いた陣の後ろで、爆発が起こった。
見ると、彼女達の後ろでも、フラリフラリと近づく影があった。
それは、
「宮原軍曹!?」
「佐藤少佐!どうして、我々を攻撃するんですか!」
先ほど失神した隊員達だった。彼らも戦死者と同じように、千鳥足のままで異能力を放ってきたのだった。
「やめて下さい!石井中佐!敵は我々ではな…がっ!」
「狙イ撃つ…ゼぇ。侵略者ヲ、全部、なァ…」
その中には、ライフル銃を構える石井中佐の姿もあった。そのライフルは、彼の腕が変形したもの。透視異能力者だった彼は、2つ目の異能力に目覚めていた。
彼らは口々に、「コロス」と「侵略者」の単語を繰り返している。
何なのだろうか、これは。まるで機械神の異能力にも似ているようにも見えるが、もしかして、誰かが言っていた死霊術なのか?カイザー級が近くに居て、それで死体を操っている?
訳が分からず、蔵人も呆然とその光景に固唾を飲む。すると、更に驚くべきことが起きる。
戦死者を埋葬した墓。そこから、腕が突き出したのだ。
ズボッ!
ズボッ!ズボッ!
日に焼けた腕はすぐに真っ白い靄を纏い、やがて地面から這い出てきた。
「アァアアアァアアア…」
「エフゥ…エフゥ…を、クレェ」
「俺…達ニ…もっとぉ、力を…」
「魔力を…クレぇ」
アグレスだ。
いや、正しくは、アグレスになりつつある戦死者達だった。
彼らの体からは所々白い靄が漏れ出し、その靄が掛かっていないところは生前のままの姿で現れた。
それを見て、秋山大将も目を剥く。
「馬鹿な。日下部大尉まで何故…彼は確かに東京大攻勢の際に死亡し、火葬した筈だぞ?なのに何故、肉体が残っているというのだ?」
異常な光景に、誰もが心を乱す。
そこに、戦死者達からの異能力が降り注ぐ。
この場に集まっていた隊員達の方が、戦死者よりも数が多い。だと言うのに、彼女達は押されていた。
混乱していたのだ、彼女達は。自分達と共に戦っていた戦友が、アグレスに成りかけているという事実を前にして。
死地で戦う希望だった、侵略者の殲滅。憎き敵であると教えられてきた侵略者が、自分達と同じ人間であったと言う事実に気が付いて。
彼女達はただ、打ちひしがれていた。
どうしたらいいのか、分からなくなっていた。
ただ1人を、除いて。
「駆けろ!武御雷!!」
雷鳴を轟かせながら、雷門様が軍人達の頭上を飛び越え、近付く戦死者達へと雷撃を突き立てる。
途端に、雷光が地面を走って戦死者の体へと流れ込む。近くにいた者は真っ黒に焦げ落ち、その後ろから駆け寄って来ていた者も痺れて地面に倒れ込んだ。
途端に、雷門様の背後から悲鳴が上がる。
「日下部大尉!!」
「佐藤教官!」
「止めて下さい!雷門少将!その人達は、私の先生だった人達なんです!」
「折角、生き返ったのに…」
涙を浮かべて訴える女性達。
それに、雷門様は雷を落とす。
「目を覚ませ!!」
彼の雷撃に当てられた隊員達は、ピクリと体を跳ねさせる。
雷門様はそれに、ゆっくりと顔だけ振り返る。
だが、何か言う前に、彼の右耳が吹き飛んだ。
「撃つ、俺の…敵ヲ…」
「石井、中佐…」
石井中佐だった。
彼は、雷門様に銃口を向けて、淡々とその引き金を引いていた。
つい先日まで、互いに笑いあっていた戦友であったのに、彼の赤い瞳にはもう、何も映ってはいなかった。
そんな彼を見て、雷門様は小さく呟く。
「最後まで良く戦った。ゆっくりと、休んでくれ」
雷門様が拳を突き出すと、そこから極太の雷撃が走り、石井中佐の体を貫いた。
途端に、彼の体は真っ白い霧となり、空気に溶けて消えてしまった。残されたのは、焼け焦げた軍服だけだった。
彼の最後を見送った後、雷門様は隊員達を振り返る。
「良いか、皆の者。こいつらはアグレスだ。もう、俺達の知っている同期や同士ではない。俺達を、日本国民を脅かす…敵だ」
右耳から血を流し、般若の顔を見せる雷門様。でも、その両目からは涙を流していた。
それを見て、軍人達は生唾を飲む。覚悟を決めて、両手に異能力を出現させる。
だが、
「前に出るな!お前達は守りに徹しろ!」
雷門様の声が、それを押し留める。
彼は涙を払う様に拭きとり、前を見る。雷撃の衝撃から復活しつつある戦死者達へと、厳しい視線を向ける。
「全部、俺がやる。俺の雷撃で、囚われの魂を弔う」
そう言うが早いか、雷門様は光となって地面を駆ける。
戦死者の間をすり抜けながら、その体に極大の雷撃を撃ち込んでいく。
その一撃に撃たれた者は一瞬で丸焦げとなり、白い霧となって消えていく。墓から出てきた者は、白いモヤを吐き出しながら、細かい骨を散らばらせて消えていった。
瞬く間に数を減らしていく戦死者達。
雷門様の圧倒的な火力を前に、あとは時間の問題だと思われた。
その矢先、
バァアンッ!
すぐ近くで、爆発音が聞こえた。
それは、式典会場から少し離れた宿舎。そこで火の手が上がり、白い病院服を着た軍人達が、炎の中を千鳥足で出てきた。
医務室で闘病していた患者だ。彼女達もまた、アグレス化が進行していた。
「総員!迎撃態勢に移れ!」
秋山大将の指示の元、軍人達は隊を2つに分けて、足早に移動を開始する。
だが、死者達は待ってはくれない。防御陣地を構築しようとしていた隊員達に向けて、無数の魔力弾を放つ。
「ぐぁっ!」
「うっ…」
元々が軍人だった死者達の攻撃は強力で、集まっていた多くの軍人達が地面に伏した。
「下がれ!」
秋山大将が一喝し、前線に出てくる。
そして、その両手から極大の炎を吹き出す。
「皆、済まぬ。せめて安らかに眠るのだ」
Sランクの炎を受けて、先頭のアグレスは一瞬で燃え尽きる。
だが、後ろに居た大量の死者達は直ぐに水のシールドを展開し、その炎を受けきった。
「くっ…。2つの異能力。そうか…本当にお前達は、アグレスになってしまったのだな…」
秋山大将は顔を顰め、変わり果てた嘗ての戦友達を睨む。
でも直ぐに腕を振るい、口から炎を吐き出しながら、部隊に防御陣系の再構築を命じる。
彼女の命令に、慌ただしく従う軍人達。
状況は、酷く混乱していた。
先ほどまで喝采が起きていた会場は、怒号と悲鳴、そして嗚咽が響く戦場と化した。
誰もが自分の事で精いっぱいの中、負傷した軍人や記者を誘導する者が居た。
文子ちゃんだ。
「皆さん!こっちです。そこの林の中に防空壕があります!早くその中に逃げ込んで、身を隠してください!」
手を誘導灯に変えて避難先を示す彼女に、負傷者は藁にもすがる思いで従う。
そんな彼女の元に、一発の弾丸が弾着した。
バァンッ!
「文子」
違った。弾丸かと思ったそれは、光になって移動していた雷門様だった。
彼は振り回される文子ちゃんの誘導灯を掴むと、彼女の耳元で囁く。
「逃げろ。なるべく遠くへ」
「っ!」
文子ちゃんは目を見開く。
雷門様も分かっていたのだ。文子ちゃんが能力熱に犯されていることを。このままではいずれ、彼女もアグレスとなる可能性が高いと言う事を。
もしかしたら、そうはならないかも知れない。でも、これだけ多くの患者がアグレスに変貌し、そしてこれだけの凶事を起こしてしまっては関係がない。この状況が収まれば、次は魔女狩りが始まるのは必須。きっと、症状が出ている人は全員が処刑されることだろう。
「でも、そしたら私、誰かを…」
文子ちゃんは震える。自分がアグレスになったら、逃げた先で誰かを襲ってしまうのではと。
そう危惧した彼女に、雷門様はカバッと頭を下げた。
「頼む、文子。逃げてくれ。俺はお前を殺したくない。これ以上はもう、俺が堪えられんのだ…」
それは、雷門様が見せた初めての弱音だった。
悲痛な声を上げた雷門様は、頭を上げると真っ青な顔になっていた。
気丈な態度で隊員達を鼓舞し続けた彼だったが、既に限界であった。親しき友を打ちたくないと思う気持ちは、彼こそが強く持っていた。
弱弱しい雷門様を見て、文子ちゃんも泣きそうな顔になる。
でも、泣かない。グッと歯を噛みしめ、彼女は走り出す。戦場とは反対の方へと、ひたすらに。
「駆けよ!武御雷!!」
その彼女の姿を覆い隠すように、背後では極大の雷撃が幾つも、幾つも閃光と轟音を轟かせ続けた。
場面が切り替わる。
けたたましく泣き叫ぶ蝉の声に、鬱蒼と繁る広葉樹林。その間を涼し気な清流が流れ、清流に沿沿うで林道が続いている。
その林道を、必死に走る少女が1人。
文子ちゃんだ。
息も絶え絶えで、フラリフラリと足取りも覚束無い彼女は、途中で躓いて倒れてしまう。
仰向けになり、何度か荒い息を繰り返す。何度も繰り返す内に呼吸は安らかになっていき、やがて呼吸音が止まる。
でも、直ぐに動き出す。
気だるそうに体を起こし、のそりのそりと沢まで這いつくばって移動した。
どうやら、転んだ手を洗おうとしているみたいだ。
でも、洗おうと清流を覗き込んだところで、
「…えっ?」
彼女の動きが止まる。
覗き込んだ水の中。そこに映っていたのは、何時もとは違う自分の姿であった。
髪は真っ白になり、黒かった瞳は彼岸花の様に真っ赤に染まっていた。
そして口からは、真っ白な霧が漏れ落ちる。
式典会場を滅茶苦茶にした戦死者達と同じ姿が、そこにあった。
「うそ…これが…私…」
手で顔を触ると、白髪の少女も同じように動く。それが、文子ちゃんに現実を突き付ける。
「いやっ!」
彼女は手で水面を叩き、水面の自分を消そうとした。
でも、振り下ろした腕が水面を叩くと同時に、その先で轟音が響き、次の瞬間には目の前の木々が音を立てて倒木した。
驚き目を見張ると、彼女の腕の先から乱反射する腕が続いていて、それが木々を粉々にしていた。
サイコキネシスの異能力。
メタモルフォーゼとは違う、2つ目の異能力だった。
「なんで、こんな力が…それに、この腕はAランクのもの。Cランクの私がこれって、本当にアグレスになっちゃったの?
いいえ、違うわ!私は人間よ!」
叫ぶ文子ちゃん。そこに、物音が聞こえた気がした。
耳を澄ませると、遠くの方で女の子の声が聞こえる。
それが文子ちゃんにも聞こえたみたいで、彼女は顔を青くして、周囲を見渡す。何処かに隠れようとしているみたいだ。
だが、何処にも隠れる場所はない。少なくとも、隠れる前に見つかってしまうだろう。
そう思った文子ちゃんは、異能力を使った。
なるべく小さく、そして、何時も見慣れていた自分の姿を思い描いて、小さく、小さく体を作り替える。
そこに、1組の親子が近付いてきた。
「おっかぁ〜。こっちだよ。こっちで誰かの声が聞こえたとよ〜」
「さっちゃん。小川に近づいちゃダメやよ。濡れたら風邪ひいちゃうべ」
「大丈夫だよおっかぁ。おらが川に落ちるなんて、あっ!見て、おっかぁ!良いもん落ちとるよ」
5歳くらいの女の子が、何かを拾った。
それは、文子ちゃんだった。彼女が変身した市松人形。それを女の子が大事そうに拾い上げた。
「こらっ!幸子。勝手な事をしちゃいけんよ。そんなに綺麗で高そうなお人形やと、きっと落とした人が探しているに決まってら」
「誰もいないよ〜?」
幸子ちゃんが周りをキョロキョロと見回すと、それに釣られてお母さんも見回した。
そして、誰も居ないと分かると、幸子ちゃんは小さな鼻を膨らませる。
「ねっ?おっかぁ。文ちゃんも家に来たがっとるよ?」
「さっちゃん、もう名前まで付けてしまったと?」
「ううん。この子が教えてくれたんよ」
幸子ちゃんが自慢するように、文子ちゃんを掲げる。
すると、お母さんは大きなため息を一つ。人形が喋る筈ないと言わんばかりだ。
「仕方ない子やねぇ。でも、持ち主が見つかるまでの間だけだよ?」
「やったぁ!」
幸子ちゃんは飛び上がって喜び、文子ちゃんに頬ずりをする。
「一緒に帰ろうね、文ちゃん」
親子は来た道を戻っていく。文子ちゃんを抱えて。
その背中が、徐々にぼやけてくる。
窓の中の世界が消え、それをかたどっていた窓枠自体も消えていく。
『ありがとう』
窓があった所から視線を上げると、文子ちゃんが小さく頭を下げた。
窓の中と一緒で、白髪赤眼の少女が、こちらに小さく微笑み掛けていた。
その姿だけを見たら、アルビノ持ちの少女かと思ってしまうが、彼女の体からは白いモヤが漂っており、言葉を口にすると同時に、口からも白いモヤが漏れ出ていた。
それが、彼女をアグレスだと示していた。
それでも、
「貴女は、会話ができるんですね?カイザー級…って事でもないんですよね?」
『私は、私。ずっと、私…』
文子ちゃんは静かにそう言って、微笑み続ける。
その様子に、狂いの兆候は一片たりとも有りはしない。他のアグレス達と違い、殺意に目覚める様子もない。
見た目も思考も、他のアグレス達とは違う。
これは、何故なのだろうか?
Fを直接飲んでいないから?いや、それは無い。
彼女の記憶の中では、Fを飲んでいない隊員でもアグレスに変異していた。大人になって能力熱を発症し、その状態で死亡した場合にアグレスになる事は確定しているみたいだった。
他の可能性としては、文子ちゃんの技術力が挙げられる。
小さな頃から異能力で遊び、それによって軍にスカウトされ、雷門様やツルさんが所属するエリート部隊に配属となった。それだけの技能があったから、心までアグレスに染まらずに済んでいるのではないだろうか。
頼人が子供の頃、能力熱を克服した時と同じように。
そもそも、何故Fを飲んでいない文子ちゃんがアグレスになってしまったのだろうか?
Fを飲み、能力熱を発症した者が全員、アグレスに変容すると雷門様は考えたみたいだし、恐らくそれが真実なのだろ。
だが、Fを飲まずともアグレスになる人が存在するのであれば、F云々ではなく、大人になって能力熱を発症する事がトリガーになっている様にも見えてくる。
Fは、その危険性を大幅に上げているだけなのではないか?
しかしそう考えると、アグレスの情報をどうやって統制しているのかが分からない。
現代だって大人が能力熱に掛かる者は居ると聞くのに、それがアグレスに成ったなど聞いたことが無いのだ。
誰しもなる病なら、幾ら軍が箝口令を敷こうと必ず情報は漏れる。情報技術が発展した現代なら尚更の事。
「文子ちゃ…さん。教えて下さい。何故、貴女は能力熱を発症したのですか?Fでは無くとも、何か特殊な薬剤を摂取されましたか?」
『私は何も、分からない。私はどうして、こうしていられるの?私は、どういう存在なの?』
文子ちゃんの姿が、ユラリと揺れる。これは、機械神の最後と似ている。
夢の終わり。
「蔵人様!」
柳さんが泳いできた。
「蔵人様。そろそろお時間みたいです。この世界が崩壊し始めています。さぁ、早くあちらの出口に」
「ええ。でも柳さん、最後に一つだけ」
蔵人は文子ちゃんを振り返る。歪んでいく彼女に、今回最後の質問をする。
「文子さん。貴女はこの先も生きたいですか?その力と共に、人形のままずっと」
『うん』
文子ちゃんは、大きな笑みを浮かべて答える。
それに、蔵人も笑みを浮かべる。心から安堵の吐息を吐き出した。
「蔵人様」
「ええ、行きましょう。柳さん」
蔵人達は、夢の世界を後にした。
〜〜
目を開けるとそこは、薄暗い部屋の中であった。
酸っぱい畳が腐った匂いが鼻につき、それが戻ってきたのだと教えてくれる。
「あっ、気付いたかな?」
視界の端で、ポニーテールが元気に跳ねる。
若葉さんだ。
彼女の手にはカメラが握られており、随分とホクホク顔になっている。
我々が夢に潜っている間に、色々と撮り溜めしていたみたいだ。
「ああ、今戻ってきたよ。どれくらい経ったかな?」
「そんな経ってないよ。5分くらいじゃないかな?一通り、この部屋の写真を撮り終わったと思ったら、もう動き出していたから」
「そうか」
かなり濃密な時間だったので、数時間は経過しているんじゃないかと思っていたけど…現実では5分程度しか経っていないのか。
なんだか、時間感覚がおかしくなっている気がする。もう今日はお腹いっぱいで、家に帰ったら速攻でベッドに潜り込みたい気分である。
「それでそれで?どうだったの?」
目をキラキラさせた若葉さんが、情報欲しさに擦り寄ってくる。
チワワか。君は。
「うん。文子ちゃんの記憶を見せて貰って、色々と分かった事はある。あり過ぎて、全てを伝えるのは時間が掛かるな」
彼女達に言えない事も多々ある。Fの事とか、アグレスの正体とかね。
「だから、結論だけ先に言うと…文子ちゃんは、壮絶な人生を生きてきたけど、今はこうしてお人形として生きていきたいって思っているってことかな」
文子ちゃんが生きていくと決めた事を、蔵人はとても重要な事と捉えていた。バグを内包している彼女が、そのバグを広めない様に生きてくれる。その事が何よりも嬉しかった。
まるで、同士を見つけられたみたいに思っていた。
「そうなんだ。やっぱり過去の霊が取りついていたんだね」
どうやら若葉さんは、独自の解釈で納得してくれたらしい。
うん。今はその方が助かる。
「まぁ、そんなところかな」
「じゃあ、これで蔵人君の知りたかったことも全部解けた…ってことなのかな?」
「うん。まぁ、全てではないんだけどね」
色々と見えてきたものもあるが、余計に分からなくなった事も多い。
蔵人が困っていると、若葉さんが指を鳴らす。
「なら、他の子にも当たってみるのはどうかな?」
「えっ?他の子?」
「そう。文子ちゃんみたいに、動くお人形さんに」
なんだと?
蔵人は驚きが口から出そうになり、寸前で思い出す。桃花さんが言っていた、若葉さんの小学生時代の事を。
「動く、人体模型か」
小学生4年生の頃、若葉さんが深夜の学校に忍びこんだ話を、桃花さん達がこの宿へ遊びに来た時に話していた。確かその時に狙っていた被写体が、動く人体模型という話だったはずだ。
「おっ。流石は蔵人君。あの会話を覚えていたんだね」
若葉さんはニヤリと笑う。
それに、蔵人も同じように笑みを返す。
「動く人体模型なんて、なかなか聞かない話題だからね。そりゃ覚えているさ」
そして、その話がアグレスに繋がる可能性は極めて高い。アグレスは2つの異能力を有しており、それがメタモルフォーゼである事も多々あるからだ。
静岡の港で戦った奴らは、トビウオやアザラシ、海龍に変身していた。アグレスが変身をするのは珍しい事じゃない。
加えて、人体模型に擬態化していると言う事は、文子ちゃんみたいに理性を保っている可能性も非常に高い。
普通のアグレスなら、異能力を殺人にしか使おうとしない。それは、強烈な殺意を持っているからだ。
だから、人間社会に溶け込んでいるアグレスと言うのは、文子ちゃんみたいな人が多いのではないだろうか?
そのような人達の夢を見れば、何処かにヒントがあるかもしれない。
文子ちゃん達の悲惨な末路を、何故政府はひた隠しにしようとするのかを。
「若葉さん。その学校は何処にあるのかな?もしあれだったら、今からでも入れないかな?」
「行けると思う。東京特区の中だから、急げば午後にも着けるよ」
おお。そいつはいい。
「よし。善は急げだ」
という事で、蔵人達は移動する。
お爺さんに挨拶しようとしたら、台所には誰も居なかったので、蔵人達はそのまま玄関を出る。
固い引き戸を何とかこじ開けようとしている時に、若干の違和感を感じた。
夢に潜る前にはうるさいくらいだった外の声が、今は全くしていなかったのだ。
でも、蔵人は気が付かずに引き戸を開けていた。早く人体模型に会いに行かねばという頭が勝ってしまっていたから。
そして、
「久しいな、蔵人君」
外に出た途端、声を掛けられた。
低く、甘く響く美声に。
「少々、時間を貰えるかな?」
そう言って近付いて来たのは、1人の男性。
「……何か御用でしょうか?ディ様」
陸軍大佐であり、特殊作戦群の指揮官の一条ディーンが、蔵人達の前に立ちはだかっていた。
Fが人をアグレスにする?それとも、能力熱がそうさせる?
「まだ明確には分からんが、Fが危険であることは変わりない」
何故、そんな薬を作り出し、今でも出回っているのでしょうか…。




