400話(1/2)~沖縄だ~
今週は恐らく、過去の話になるかと思います。
「過去と言うべきか、文子嬢の見た夢と言うべきか」
「あら?それってチョコレート?」
「はい。お父ち…お父さんが送って来てくれて」
陸軍宿舎の食堂の一角で、文子ちゃんとツルさんが楽しげに頭を付き合わせていた。
その手には、可愛らしいパッケージに包まれた粒状のチョコが乗っかっている。
それを、ツルさんが1粒摘み上げて眺める。
「こんな物が普通に口に出来るなんて、凄い時代になったわね。私が子供の頃なんて、ウージを齧ってた思い出しかないわ」
「えっと、おツルさん。うーじってなんですか?」
「ああ、ごめんね。サトウキビの事よ。沖縄では、サトウキビをウージって言うのよ」
「あっ、そっか。おツルさんって沖縄出身でしたものね」
「そうよ。と~っても風が強い所よ」
今のツルさんの見た目は、30代後半くらいに見える。
宿舎が木造であったり、立てかけられた看板の文字が右から左に書かれている所を見るに、この時代が1950年よりも前な可能性が高い。だから、ツルさんの子供時代とは、1910年くらいだと思われる。
「サトウキビを齧るって、なんだかパンダさんみたい」
そう言って笑みを浮かべる文子ちゃんは、また少し大人っぽくなっている。正式な軍服を来ていることからも、彼女が成人していることが分かる。
「パンダの方が綺麗よ。私が子供の頃は、野山を真っ黒になるまで駆けずり回ってたんだから。地元じゃ、黒いキジムナーだって恐れられていたくらいだよ?」
「ええっ!?それ、本当ですか?今のおツルさんからは想像も出来ないですよ」
「本当よ、本当。小さい頃はじゃじゃ馬娘だって、地元では有名だったんだから」
ガランと空いた大きな食堂に、2人の笑い声が響いた。
かなり年の差がありそうな2人だが、そうして笑い合う姿は、仲睦まじい姉妹や親友の様にも見える。
そんな風に談笑していた2人の元に、足音荒く隊長さんが近付いてきた。
「そのままでいいから聞いてくれ。漸く、俺達にも出撃命令が出た。2人とも、あと1時間で出発の準備をしろ」
「はっ、はい!」
文子ちゃんは緊張気味に答えるも、その対面のツルさんは首を傾げる。
「どうしたんです?隊長。やっとの出撃なのに、随分とご立腹じゃないですか」
「ああ、そりゃなぁ。色々と…思う所があるんだよ、今の大本営 (当時の最高司令部)にはな」
「色々…ですか?」
文子ちゃんが不思議そうに聞くと、隊長さんは周囲を見回した後に、小さく頷く。
「命令が遅すぎるんだよ。俺が男のBランクで、鶴曹長が元豪族の娘だからって理由だけで、前線から遠ざけ過ぎだ。アグレス共の侵攻が激しいこのご時世に、隊員を遊ばせておく余裕はこの国に無いはずだ。だというのに、あいつらはまだそんな選り好みをしている。前線の状況が分かって無さ過ぎだ」
唸るように喋る隊長さんに、文子ちゃんが少し震える。
そんな彼を抑えるように、ツルさんが優しい声で肯定した。
「そうですね。でも、そんな私達まで駆り出されるって事は、次の戦場はかなり旗色が悪いんじゃないんです?」
「ああ、まぁな」
ツルさんの問いかけに、隊長さんはふいっと顔を逸らし、素っ気なく返した。
それに、ツルさんは目を細めた。
「何を隠しているんです?隊長」
「ああ?隠してねぇよ。ただ、怒っているだけだ。大本営の奴らにな」
「嘘ですね。貴方がそうやって目を逸らすのは、本心を知られたくない時の癖です。私達が向かう先を、隠しておきたいんじゃないですか?」
強い光を携えたツルさんの瞳に、隊長さんは気圧された様に目を伏せる。暫くの間、彼は床の木目に視線を沿わせていた。
そして、ふぅ…と息を吐いて顔を上げる。
憂いた瞳を、ツルさんの視線にぶつける。
「俺達が向かうのは…沖縄だ」
「えっ…」
隊長さんの告白に、文子ちゃんが言葉を漏らす。
沖縄。
さっきまで楽しげな話を聞いていた場所なだけに、ショックで顔色を強張らせた。
それを見て、隊長さんは苦虫を噛み潰した。
「だから、言いたくなかったんだよ」
「そう?私は聞いておいて良かったと思いますよ?沖縄なら、地の利が私にあります。向こうへ着くまでに、2人にもいろいろと教え込めますし」
そう言って、明るい笑みを浮かべる鶴さん。
そんな彼女を、隊長さんは睨んだ。
「嘘はやめろ、鶴曹長。生まれ故郷が戦火に巻き込まれていると聞いて、平気な訳ねぇだろ。俺達の前くらい、取り繕う必要はねぇんだぞ?」
「大丈夫ですよ、隊長。私は軍人になった時に、故郷を捨てたんです。だから、東京だろうと沖縄だろうと、北海道だろうと、私にとっては同じ日本です。私達が守るべき、愛すべき祖国の一部に代わりありません」
ジっと見つめ合う、隊長さんとツルさん。
やがて、隊長さんが「そうかよ」と折れて、正面玄関で待つように指示を出してから、食堂を去った。
「さっ、行きましょう?文ちゃん」
「は、い…」
2人も、食堂を出ていった。
場面が、ぼやけていく。
次に見えてきた風景は、晴れた沖縄の姿だった。
青々と茂った亜熱帯の木々が振れ、白い砂浜に太陽の光が反射する。まだ4月にもなっていないというのに、空気は夏の空気を漂わせていた。
そして、何処までも広がる青い海からは、吐き気を催す程のアグレスの大軍団が、海から次々と現れていた。
バッサバッサと、窓枠の近くで音がする。
見ると、小さな子供くらいある大鷲が羽ばたいており、首からスピーカーの様な物を吊り下げていた。
文子ちゃんだ。
彼女が変身して、部隊の上で伝令役を買って出ていた。
その首のスピーカーから、叫び声が聞こえる。
『近付けるな!アグレスを港に近付けるな!』
『市街地まで距離がほとんど無い!絶対に、ここから先を通すんじゃない!この中城湾を最終防衛戦線と心せよ!』
スピーカーから響く指揮官の声に、隊員達は「分かってるわ!」と言わんばかりに魔力弾を撃ち込む。その魔力弾により、浜辺に上がったばかりのアグレスが散り散りになり、霞となって消えていく。
残ったのは、アグレスの体に着いていた装備のみ。その装備も、アグレスが消えると同時に錆が広がっていく。
だが、その金属片もすぐに、後から上がってきたアグレスの群れに押し潰されて、見えなくなった。次から次へと押し寄せるアグレスの波は、徐々に、徐々に沖縄の領地を侵攻していった。
しかも、
【オォオオオオオ!!】
轟くような声が、そのアグレスの大波を更に前へと押し上げている。
ジェネラル級。
今回の侵攻には、複数の強力な個体も付随していた。
漁村でみた侵攻の何倍もの規模の軍団が、沖縄を亡き者にしようと迫っていた。
「18番隊から21番隊は前に出ろ!23特戦隊はそのサポートだ!近接格闘でアグレスの大盾部隊を蹴散らせ!」
「第8連隊は左翼を援護射撃!アグレスの遠距離部隊を前に出させるな!」
「大盾連隊!前進せよ!迫って来るアグレスを押し返せ!」
アグレスの猛攻を受ける日本陸軍であったが、何とか押し返そうと躍起になっていた。
だが、時間が経つに連れて戦況は悪化する。
「遠距離部隊の魔力損耗が激しい。このままでは援護射撃が途絶えてしまうぞ!」
「第18戦隊壊滅!死傷者多数!19、20連隊も崩壊!左翼が崩壊します!」
「1番隊から11番隊までとの連絡途絶!我々、第32軍が分断されました!このままでは各個撃破されます!至急、救援を要請して下さい!」
「こちらに救援を急いで!もう持たないよ!」
「衛生兵!衛生兵!」
兵士数は圧倒的にアグレスの方が上で、奴らを幾ら倒しても終わりが見えなかった。
このままではまた、みんなが呑み込まれてしまう。
そうとでも思ったのか、大鷲に変身していた文子ちゃんが踵を返す。地上から容赦なく放たれるアグレスの砲撃を避けながら、目と鼻の先にある司令部へと向かっていった。
きっと、援軍でも要請しようとしているのだろう。
でも、そんな彼女の遥か頭上を、一筋の光が通り過ぎていく。
そして、白で埋まっていた地上にその光が、業火が降り注いだ。
その途端、地上から極太の火柱が上がる。かなり離れた場所に居た文子ちゃんでも、上昇気流で吹き飛ばされそうになる。
そして、目にする。火柱が上がった場所に、1人の女性が立っている所を。彼女が降り立った場所には、大きな空間が出来ていた。アグレスを全て燃やし尽くしたことで出来た安全地帯だ。
彼女はそのまま、真っ赤な髪を靡かせて颯爽と戦場を闊歩する。まだ海から迫り来る大波を前に、悠々とした様子で向かう。
そして、腰に差していた短刀を引き抜く。迫り来るアグレスに向かって勢いよく振りかざした。
その刀の動きに合わせて、炎が躍る。真っ黒に燃える火炎の刃が、彼女の目の前に迫っていたアグレスの群れを一掃してしまう。二太刀振りかざすと、その炎が長く広く燃え広がり、海の中から顔を上げたばかりのアグレス共も一瞬で灰燼と化してしまった。
たった2振りの抜刀で、真っ白だった砂浜に色が戻った。
その様子を見た兵士が、歓喜の声を上げる。
「「「おぉおおおお!!」」」
「流石は、秋山大将閣下だ!」
「一瞬だ。一瞬で、戦況をひっくり返してしまった!」
「なんて火力。これがSランク。日本に8人しかいない、最高位の存在…」
歓喜に震え、あまりの威力に呆然とする軍人達。その間を、秋山大将は何食わぬ顔で通り過ぎていく。
過ぎながら、小さな声で指示を出す。
「総員、私の打ち漏らしたアグレスを掃討せよ」
「「「おぉおおお!!」」」
秋山大将の指示に、兵士達は息を吹き返して浜辺へと突撃していく。その彼女達の姿に、先ほどまでの絶望感は一切見られない。この戦いが勝ったものだと、誰もがそう感じていた。
Sランクの彼女達さえいれば、我々が負けるなんて無いと、本気で安心していた。
そんな彼女達を背に、秋山大将は本陣へと戻っていく。
文子ちゃんもその背についていくと、秋山大将は自身専用の垂れ幕へと戻ろうとしているみたいだった。
でも、その手前で躓きそうになっていた。
「くっ…」
「危ない!」
咄嗟に、文子ちゃんが変身を解いて大将の体を支える。
間一髪、大将は何とか態勢を戻して、自分を支えた小さな女の子に目を細める。
「君は?」
「あっ、第2特務隊の文子です。あの、大丈夫ですか?秋山様。お顔の色が優れないようですが…?」
文子ちゃんの言う通りだった。大将の顔は青く、唇は震えて脂汗までかいていた。
かなりの苦痛を耐えている様子であった。
「問題ない」
しかし、大将はすぐさま態勢を戻して、唸るようにそう言った。
そのまま、逃げるように垂れ幕の中へと入っていった。
そんな彼女が去った後も、文子ちゃんは暫く垂れ幕の入り口を見詰めていた。
そこに、
「文。どうした」
金髪を短く刈り上げた隊長さんが、焼け焦げたマントを畳みながら話しかけて来た。
文ちゃんは一瞬迷うそぶりを見せたが、正直に今あった事を話す。
すると、隊長さんは「ちっ」と舌打ちをした。
「そうか。やはり秋山大将閣下は無理をされていたのか」
「無理?ですか」
「ああ…」
文子ちゃんが聞くと、隊長さんは曖昧な返事をするだけで、再び来た道を戻っていった。
バチバチと、爆ぜる闘気を身に纏い直して。
文子ちゃんはそれを見て、首を傾げる。きっと、隊長さんが言った「無理」の内容を考えているのだろう。
そんな彼女に、再び声が掛かる。
ツルさんだ。
「どうしたの?文ちゃん」
「いえ、その」
文ちゃんが状況を説明すると、ツルさんは「ああ」と心得た表情となる。
「きっとそれは、大将閣下を心配しているのよ。威風堂々とされている秋山様がよろけたり、顔色を青くされていたと聞いて」
大将の症状はまさに、魔力欠乏症。
彼女は先ほどの戦いで、魔力を使い過ぎたのだろう。
そう考えて、隊長さんは口を噤んだのだ。この事を下手に広めてはいけないと考えて。
「6段は強大な力を発揮される分、回復までに1週間以上かかるとされているわ。もしも閣下が前線から退かれた場合、戦況はかなり厳しものになるでしょうね…」
「それじゃあ、私達は負けちゃう…んですか?」
「文ちゃん。あまり直接的な言い方は良くないわ。ここには何処に誰の耳があるか、分からないんだから」
ツルさんは文子ちゃんを嗜める。
だが、その後戦況は、彼女達が危惧する方向に進んでいくのだった。
長くなりましたので、明日へ分割致します。