390話(1/2)~十分に注意しろよ~
いつもご愛読いただき、誠にありがとうございます。
本話から、新章となります。
目が覚めると、庭の方から風を切る音と僅かな呼吸音が聞こえた。
レオさんの朝練だな。相変わらず、訓練に関しては妥協しない人だ。
蔵人は手早く布団を畳み、自前の変装をしてから階下へと降りた。
朝の準備をしようとリビングに入ると、既に誰かがキッチンでガサゴソしている音がしていた。
「(低音)おはようございます」
蔵人がキッチンの入口で声をかけると、背を向けていた彼女が振り返り、小さく微笑み返してきた。
「おはようございます、蔵人様。あっ、いえ、ここでは黒戸お爺様でしたね」
そう言って口を押さえるのは、昨日から音切荘に入居した新入りの柳さんだ。
当初はディ大佐の元で働いていた彼女だが、アメリカの暴動を鎮圧させた事で知名度が一気に上がってしまい、蔵人同様に警備を強化する必要が出てきたのだった。
どうせ警備するなら、同じくらい厳重な警備を敷いている黒騎士と一緒にした方が守りやすいと、今回こうして大野さん達の元へと配属されることとなったのだ。
「(低音)早いですね、柳さん。もう朝の準備を?」
「はい。慣れない家ですので、場所を覚えながらやっていこうかと思いまして」
護衛対象となった彼女だが、ここでの役割は蔵人と同じ家政婦だ。橙子さん達のお世話をしながら、外に出る時はメタモルフォーゼで変装して出掛ける。
柳さんの場合、一般人に顔バレしている訳では無いのだが、有力者達の多くはジャバウォックの事を高く評価しているようで、彼女達が柳さんに無理な接触をしてくる恐れがあった。
他人の夢の中へと入る事が出来て、その夢に干渉出来る。そんな異能力は今までになく、ドミネーション以上に強力な洗脳が可能なのでは?と過大評価されているのだった。
確かに、他人の夢に干渉することは出来るが、そこから洗脳するまでは難しいだろう。精々、その人の夢を改変して、考え方を変えさせる程度しか出来ないと思う。
…それも、洗脳の一種とも言えなくもない。かなり広範囲に影響を及ぼせるし、唯一無二の能力である事には変わりないのだから。
「(低音)私も手伝いますよ、柳さん。探し物が何処にあるのかくらいでしたら、教えられます。何せ、ここでは私が先輩ですからね」
「あら、頼もしいわ。じゃあ、よろしくお願いしますね。先輩」
そんな風に冗談を飛ばし合いながら、蔵人達は朝の支度を進める。
そうしている間に、大野さんも降りてきて、柳さんへの教育講師は彼に引き継いだ。
…何故かって?その方が、2人の為になるからね。
「なんか、いい感じだよね。あの2人」
「(低音)おや?お早いですね、美来さん」
いつの間にか椅子に座った美来ちゃんが、ニマニマ笑みを浮かべながらキッチンの2人を見ていた。
いつも最後に来る3人娘の1人なのに、今日は瀬名さんよりも早起きであった。
何故だろうか?
「う〜ん。なんだろう?何となく勘が働いたんだ。こう、ビビビッて」
「(低音)女の勘…と言う奴でしょうか?」
「そうそう。なんかね、楽しいことが起こるんじゃないかって、ワクワク感があったんだ」
ふむ。流石は美来さん。この特殊部隊で一番のセンスを持つ人。
蔵人も彼女の隣に座り、仲睦まじい2人の様子を見守る。
すると、こちらの様子に気が付いた大野さんが、厳しい顔でキッチンから出てきた。
「あぁ?なんだ?お前ら。気持ち悪い目で見てきやがって」
「私達の事は気にしないで〜」
「(低音)私は洗濯機待ちですよ、大野さん」
美来ちゃんだけでなく、蔵人も笑顔で返すと、大野さんは更に眉間に皺を寄せた。
だがすぐに表情を緩め、片頬を引き上げた。
「そう言うてめぇらだって、仲がいいじゃねぇか。あぁ?」
「うん!おじいちゃん大好きだもん!」
「はっ!お熱いこって」
無邪気な美来ちゃんの答えに、ニヤニヤ笑い返す大野さん。
それに、蔵人は肩を竦める。
「(低音)美来さんに失礼ですよ、大野さん。年の差を考えて冗談を言って頂きたい」
「そうかな?」
蔵人の苦言に、美来ちゃんが小首を傾げる。
「そんなに差はない気がするけど?」
おうふ。
美来ちゃん。君、やっぱり気付いているんじゃないか?
蔵人はポカンとした顔を作って彼女を見詰めるが、美来ちゃんは変わらずにニコニコしている。
美来ちゃんさん。恐ろしい子。
「それではっ!行ってまいりますっ!」
ビシッと敬礼をかます橙子さんの後ろで、蔵人も大野さんと柳さんに向かって頭を下げる。
いつもと同じ登校前の挨拶だが、いつも以上に気合いが入っている橙子さん。
それに対して大野さんも、いつも以上に険しい顔で頷き返す。
「おうっ。十分に注意しろよ。ここら周辺でも、怪しい奴らが増えているからな」
「はっ!」
「爺さんもだぞ?」
「(低音)かしこまりました」
蔵人は反射的にお辞儀したが、内心では「怪しい奴らとは何ぞや?」と思っていた。
でもすぐに、彼の言っていた意味を理解する。
バイクでの登校中、見慣れない人をよく見かけたのだ。
【見てよ!ローラ。日本のコンビニには下着まで売ってるのよ!】
【わお!そのお弁当も素敵ね。まるで宝石箱みたいだわ!】
【貴女が買ったコーヒーも美味しそうね】
【日本だと、未成年者がコーヒーを買っても睨まれないから良いよね。アメリカだと凄い心配されるもの】
蔵人達がコンビニの駐車場で休憩していると、コンビニから出てきた外国人らしき人達が、興奮気味に英語で会話していた。
外国人は彼女達だけではない。この場で周囲を見渡すだけでも、3組の白人女性が目の入る。
その誰もが物珍しそうに周囲を観察し、興奮気味に会話をしている。中には、大きなリュックを背負って、道端のお地蔵さんと一緒に記念撮影している人達もいた。
明らかに観光客だ。
「最近は、外国人の姿が増えました」
蔵人の視線を追って、橙子さんが言葉を漏らす。
何でも、オリンピックが開催される影響で、訪日観光客が増えているのだとか。日本に来たことがなかった人達が、オリンピック開催国と言う事で興味を持ったのだろう。
そう思ったが、それだけではないと橙子さんが首を振る。
「特に、アメリカやイギリス、ロシアなどからの来日客が増えている様です。それも、今週に入って」
「(低音)あー…そう言う事ですね?」
つまりは、CECの影響みたいだ。
あの戦いを観た人達が、日本の秘密を探りに来たのだろう。
そう思ったが、橙子さんは再び首を振る。
「それだけではありません。彼女達は…」
その先は掻き消されてしまった。コンビニから出てきた、白人女性2人が上げた歓声によって。
【ねぇ、ローラ。あそこに男性が居るよ!日本のお爺さんだよ!】
【ホントだ!行ってみようよ!】
2人は諸手を上げながら、こちらへと突っ込んで来る。
そんな彼女達の挙動に、蔵人の前に橙子さんが立ち塞がる。
「そこの2人、止まりなさい!」
凄みのある声で睨み橙子さんに、2人は急停止する。
【おっとっと。彼のボディーガード?それともお孫さん?】
【私達は、彼と記念撮影したいだけだよ?旅の思い出に1枚。それ以外はしないから、ねぇ?良いでしょう?】
ふむ。記念撮影くらいならば良いか。日本の男性と交流する機会なんて、なかなか無いだろうからね。
必死に頼み込む2人の様子に、蔵人は橙子さんの肩を叩いて彼女達の要望を受けることを伝える。橙子さんは心配そうな顔をしていたが、目の前の2人に悪意は感じない。ただの陽気な観光客であるように見える。
勿論、完全にノーガードとはいかない。橙子さんには一旦下がってもらったものの、銃器に変身した右手は構えたままにしてもらう。蔵人も魔銀盾を出して、洗脳やヒュプノス対策をしておく。
【ありがとう!お爺ちゃん!】
【はいはい。3人で撮るから、もうちょっと寄ってくれる?】
銃器を向けられているのに、2人は嫌がる様子もなくスマホを構えて寄ってくる。
アメリカではもう、スマホが主流になっているのかな?
【はい!チーズ!】
【(低音)ああ、少々お待ちを】
3人並んで自撮りしようとする2人に、蔵人は待ったをかけ、橙子さんを手で示す。
【(低音)彼女も一緒に良いですか?私の大切な仲間なんです】
【良いけど、みんなで写るには詰めないといけないよ?】
【私達と体が当たっちゃうよ?】
【(低音)構いませんよ。さぁ、どうぞ】
ということで、蔵人達は4人で肩を組んで、お姉さんのスマホに向かってポーズを取る。
1枚だけかと思ったら、何枚も激写されてしまった。
設定でもミスったのだろうか?
【わぁ!最高!凄く良いのが撮れた】
【お爺ちゃん、神対応過ぎだよ!肩組んでくれるなんて思わなかった!】
彼女達は飛び跳ねて喜んでくれた。
そこまで言ってくれると、こちらとしても嬉しくなってしまう。
【やっぱり、日本の男性って優しいんだね】
【流石はブラックナイトの生まれた国。来てよかったよ!】
うん?どう言う意味だ?
蔵人は2人の様子に首を傾げるが、2人は【ありがと、お爺ちゃん!大好き!】とスキップしながら行ってしまった。
こいつは…もしかして?
蔵人が恐る恐る橙子さんの方を振り返ると、彼女は若干疲れた顔で頷いた。
「彼女達が訪日した最大の理由。それは、日本の男性に会いに来る事です」
なんでも、CECを観た女性達は、桜城の技術力に驚いたのも確かだが、それよりも男子選手が観客に対して丁寧に対応したことに心を打たれたのだとか。
サーミン先輩は手を振り返すし、慶太はぴょんぴょんして反応していたから、日本男子がみんな、女性に対して優しいという幻想を抱いてしまったとのこと。
「黒騎士様の対応も、大変高評価であったと聞いております」
…うむ。そうか。俺も一因なんですね?
せめて彼女達に、日本の男性は小動物系ですよ?と教えられたら良かったなぁ。
蔵人は悔いた。
外国人が日本の男性を見に来ていると言うことで、橙子さんは学校のすぐ近くまで送ってくれた。日本男子に興味津々な観光客が、どんな行動に出るか分からないからだ。
校内まで送られると、流石に潜伏場所が特定される恐れがあるので、通学路から少し離れた場所で下ろして貰う。周囲に桜城生徒の姿は…なし。
「(低音)ありがとうございました、橙子さん」
バイクから降りて、橙子さんにお礼を言う。
橙子さんも降りて、ビシッと敬礼をした。
だが、何時もの「行ってらっしゃいませ!」を言う前に、蔵人の前に立ちふさがった。
そして、
「止まれ!」
再び厳しい声を上げて、片手を突き出した。
銃へと変身した彼女の指先を見ると、またもや白人女性の2人組が、こちらへと近付いて来ていた。
それに、蔵人も構える。
今度の2人は、何処か怪しかった。先程の2人と違い、荷物は持っておらず、胡散臭い笑みを浮かべて足音も立てずにこちらへと忍び寄っていたのだ。
こいつら…一般人ではないな。
蔵人は、橙子さんの背中から2人の様子を窺う。
その視線に、2人はギラつく瞳を返してくる。
「すみまセン。ミチを教えて下サーイ」
「私たち、旅人デース。怪しくはございませんデス。銃を降ろして下さいデス」
片言の日本語と身振り手振りで、必死に怪しくないとアピールする2人。それが逆に、怪しさを際立たせる。
こいつは、大野さんの心配が当たってしまったみたいだな。
長くなりましたので、明日へ分割致します。
「人気となるのも考え物、だな」
こんな有名税は嫌ですね。