387話〜長いようで短い遠征だったわね〜
目が覚めるとそこは、豪華なスイートルームにあるキングベッドの中だった。
適度に沈むベッドの心地良さで二度寝をしたくなる気持ちが瞼を重くするものの、簡易キッチンから聞こえる楽しげな声を聞いた途端にその重さが無くなった。
パチッと目を覚まし、そして急いでパラボラ耳を発動する。
キッチンから、2人の声が聞こえた。
「恵美達を指していきなり、可憐で美しい花…だなんて言い出してよぉ。だぁから、あん時は俺も慌ててなぁ。ほんと、爺さんからは目が離せねぇぜ。女を相手に、無謀なことをしでかしてくれるからな」
「蔵人様らしいですね」
楽しげな会話のラリーをしているのは、大野さんと柳さんだ。カチャカチャと高い音がするから、洗い物でもしながらなのかな?今の話題はどうも、自分の事らしい。
仲睦まじい2人の様子に、蔵人は嬉しくなって聞き耳を立て続ける。
すると。
「ぐがぁああっ!」
爆音が耳をつんざいた。
蔵人の横で寝ていた慶太が、大きなイビキを上げたのだった。
いきなりの攻撃に、蔵人は耳を押さえるが、怒ったりは出来ない。慶太が気持ち良さそうに寝ているのもあるが、出歯亀をしていた自分が悪いのだから。
耳が回復した蔵人はベッドから抜け出し、カーテンを少しだけ開ける。
外は清々しい青空が広がり、上がったばかりの朝日が眩しい太陽光を地上へと降り注いでいた。
最高のフライト日和。これならば今日、予定通りに帰国出来そうだ。
蔵人が視線を下ろすと、そこには慌ただしく道を行き来する人々の姿があった。
通勤ラッシュの波に乗る者。ごみの収集に奔走する者。道路工事で交通誘導灯を振り回す者。
平日の朝だから、人々は忙しそうだ。我々はお土産を買って飛行機に乗るだけだが、彼女達は仕事である。
大変だとは思うが、彼女達がこうしていつも通りの朝を迎えられた事は、奇跡的なことだと思う。
カイザー級アグレスによって引き起こされた暴動から、今日で2日が経った。暴動が起きた当日の夜は特区の中もかなり慌ただしく、CECの特別セレモニーも中止となった。蔵人達も、アマンダさんの取り計らいで軍の施設で休ませてもらう事となった。
カイザー級を倒して、みんなが悪夢から解放されたとはいえ、奴の影響が完全に無くなったのか分からなかったからだ。奴のドミネーションが、奴の死後に発動する後発タイプでないとは言い切れなかった。
それに、奴の他にも仲間がいる可能性もあった。カイザー級はそうそう現れることはないが、奴の影響で他のアグレス共が呼び寄せられるかもしれなかった。だから、アマンダさんの配慮は有難かった。
でも結局、それ以降アグレスの目撃情報はなく、奴は単独犯であったと判断された。
ゲームでもそうだったらしいからね。奴を倒した途端に操られていた人達が解放され、それ以降は暫く戦闘は起こらなかったと聞く。
そういう所は、ゲームと同じだ。だが、違う部分も多々ある。
そもそも、発生場所が異なる。
ゲームであれば東京特区で起きていた今回の暴動事件だが、現実ではここ、LA特区で起きた。それ故に、操られた人数もこちらの方が多く、治安も段違いに悪いここでは、被害の拡大スピードも早かった。
パンを買うように銃を買えてしまうし、コンプトンの街の中は麻薬で汚染されていた。だからこそ、カイザー級も操り易かったのかもしれない。
ただ被害者数でみれば、ゲームと比べて大幅に抑えることが出来た。今回の暴動でも、重傷者数はかなりのものだったと聞くが、死者の数は暴動の規模の割に驚く程少なかったと報道されている。
初期消火が出来たからね。ゲームとはそこが大きく違う。ゲームでは何度もアグレスに襲撃されて、軍が疲弊していた。そこに攻め入られたから、特区も落とされてしまった。
また、カイザー級がロシア語を話した事も異なる部分…と言うより、新情報であった。ゲームではカイザー級と悠長にお話なんて出来なかったらしいから。
加えて、奴がアメリカ人を憎んでいると言うのも。
奴が消される直前に放った幾つかの言葉。柳さんが言うには、今回の襲撃が失敗した事を悔やみ、アメリカ人に対して強い負の感情を持っている風な言葉だったそうだ。
確かに、奴がこちらに負の感情を抱いていたのは感じていた。悪夢の中で奴と対峙した時、最後にランスを放った奴は【ペテン師ども!】と叫んでいた。
何のことかあの時は分からなかったが、柳さんのその情報を加味して考えると、あれが奴の抱くアメリカ人への負の感情なのかもと思える。
林さんからはそんな情報は一切なかった。聞いてないだけかも知れないが、少なくとも、奴が特定の国を憎んでいるなんて情報があれば、真っ先に教えてくれそうなものだ。
これは、帰国して直ぐに、彼女と会談する必要がある。
「むぉ~…チキン~…ロブス、たぁ~…」
慶太は夢の中でもお食事中らしい。昨晩のディナーでは、口いっぱいにターキーとロブスターを頬張っていたから、その夢でも見ているのだろう。
一昨日の夜は緊張状態に包まれていたLA特区だが、昨日の夜にはすっかり元通りの日常が流れ、蔵人達もホテルへと帰還することが出来た。
そこで、事前に慶太がお願いしていた祝勝会が行われたのだった。
CEC優勝と言うことで、ホテル側も大奮発してくれた。ホテルの1番大きな会議室を貸し切って、豪華なディナーと様々な余興を用意してくれたのだ。
机に乗り切らない料理に、食欲旺盛な慶太達は諸手を挙げて突っ込んでいき、有名マジシャンのマジックには、鈴華が目を輝かせて乱入していた。
なかなかにカオスな優勝パーティーだったが、笑いが絶えない楽しい会であった。鈴華の誘拐や暴動のせいで暗くなりかけていた部員達も、すっかり元通りに見えた。
まぁ、元に戻ったのは部員の内心だけだと思うがね。
蔵人は「ふぅ」と小さなため息を吐き、ホテルのエントランスへと視線を落とす。そこには、ホテルの生垣に潜む影や、広大な駐車場に停められた大型のバンが見えた。そのバンの上には、巨大なパラボラアンテナが取り付けられている。
テレビ局か。朝もはよからご苦労さんです。
「あら、おはようございます、蔵人様」
柳さんの声で、蔵人はカーテンを閉めて彼女に振り返る。
「おはようございます、柳さん。大野さん」
彼女の後から現れた大野さんにも挨拶を送ると、彼は少し気恥しそうに「おぅ」と返事をして、少し目を鋭くする。
「今日くらいゆっくり寝てたら良いだろうによ。昨日だって、散々引っ張り回されただろ?」
「ええ、まぁ、昨日は色々ありましたけど…」
蔵人は昨日の事を思い出して、苦笑いを浮かべる。
それに、大野さんが「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「まぁ、お前はいつも早起きだからな。あんまり、普段のスタイルを崩すのも良くねぇ。もうそろそろ朝食の時間だろうからな。先に…」
「朝食!?」
「朝食」の2言で、慶太が飛び起きた。
嘘だろお前。昨晩、あんなに平らげたってのに…。
「慶太。お前さんもう、朝食を食うつもりか?」
「食うよ!オイラ、朝食いっぱい食う!お腹ペコペコだもん!」
凄いな。昨晩あれだけ食べたのに、もう腸内が整っているらしい。普通なら、胃もたれでもするだろうに。
これが若さか…。
蔵人は、頬を殴られた気分になる。
「うふふ。では、会場に向かいましょうか」
と言うことで、1階の朝食会場に向かったのだが、入り口で立っていたスタッフに入場を拒否されてしまった。
何故に!?
驚いたが、チーフらしき人が説明する。
【皆様は影響力を多大にお持ちの為、会場を分けさせて頂きたいのです。最上階に特別な朝食会場をご用意させて頂いておりますので、どうぞこちらに】
多大な影響力、ねぇ。
蔵人は苦い顔をしながらも、スタッフに連れられて最上階へのエレベーターに乗る。
そして、
「おぉ!凄いよこれ!」
「ええ、これは絶景ですね…」
柳さんが絶句する程の光景が、目の前いっぱいに広がっていた。
身の丈を超える大きなガラス窓が、360度張り巡らされた展望階。そこには陽光が降り注ぎ、そこからはLA特区の全貌が見渡せた。
まるで空を飛んでいる様に思える特別会場は、結婚式や特別な食事会で使われるらしい。それが、今回の朝食会場で使われていた。会場内には、美味しそうな音と匂いで満たされている。
…慶太の驚きは、どちらかというと手前の料理に向けられた賛辞の様だ。
「よぉ、ボス。それに慶太」
「おっす!鈴ちゃん!」
先に来ていた鈴華が手を上げて挨拶をして、それに慶太も手を挙げて挨拶し返す。でも、次の瞬間には、慶太の姿は消えていた。
何処に行ったのかと周囲を見ると、朝食バイキングが並んでいる列に突っ込んでいく彼の後ろ姿があった。
速い。またテレポートされたのかと思って、焦ってしまった。
「おいおい。あんだけ昨日食ったのに、もう皿の上に乗り切れないくらい取り分けてるぞ?あいつ」
「あいつの胃袋にはブラックホールがあるんだろう。それより鈴華は、それだけなのか?」
窓辺に座る鈴華の元へと近付くと、彼女のテーブルの上には紅茶しか乗っていないのが見えた。
昨晩の鈴華は、食べるよりも遊ぶ事に全力だった気がするのだが、調子でも悪いのだろうか?
そう思ったが、鈴華は「いいや」と朗らかに返す。
「みんなを待ってるだけだ。みんなで一緒に食った方が、飯も美味いだろ?」
「ああ、そういう事か」
そう言って紅茶を傾ける鈴華は、背景も合わさってとても絵になっていた。
青空の元でティータイムを満喫する銀髪の少女。まるで1枚の絵画だ。
絵画の中の女性が、こちらを見て小首を傾げた。
「うん?どうしたんだ?ボス。紅茶ならそこで貰えるぞ」
「ああ、いや。済まない。君の姿に見とれていただけだ」
「ぶほっ!」
鈴華がむせた。
「ゴホッ!ゴホッ!…いきなり、ぶちかまし過ぎだろ、ボス。そんなん言って、あたしじゃなかったら襲われるぞ」
「こんな事、君にしか言わんよ」
「…あたしでも襲う。てか襲わせろ」
ああ、待て待て。朝食会場でナニをしようとしているんだ。
頬を染めて目を血走らせる鈴華を、蔵人は冷や汗を流しながら取り押さえる。
…彼女達を強くし過ぎたかもしれない。特区の男子達の気持ちが少しわかった気がするぞ。
そんなことをしていると、他のチームメイト達も会場に集まり出した。
「おはよー。蔵人く…鈴ちゃん顔真っ赤だけど、どうしたの」
「うっせぇ!モモ。あたしの顔は見るな!」
「うぇええ!?」
済まない桃花さん。とばっちりがそっちにまで波及してしまった。
驚く桃花さんの隣で、鶴海さんが口に手を当てて笑う。
「蔵人ちゃんに何か言われたのね?鈴ちゃんがこうなるんですもの。きっと、絵画みたいに美しいとか言われたんじゃないかしら?」
おうふ。貴女はエスパーですか。
蔵人が苦い顔をしていると、鶴海さんは肩を揺らして静かに笑い続ける。
それに、集まったみんなも釣られて笑みを零した。
集まったみんなでテーブルを囲い、朝食にする。
各々好きな物を取ってきて、机の上を飾る。どれもこれも贅沢を凝らした料理ばかりで、このホテルのレベルを思い知らされる。こう毎回、最高級品ばかりを並べられてしまうと、帰った時に舌が肥えてしまいそうで怖い。
朝から分厚いステーキに噛り付ける慶太や祭月さんは、やはり凄い。慶太の場合は、お腹も肥そうで怖い。
彼と一緒のテーブルを囲んでいる巴さんが、野菜も食べる様にと指導しているみたいなのだが、慶太の場合は食べる量が問題である。
蔵人は向こうのテーブルに重ねられる空の皿のタワーを見て、こりゃ帰ったら猛特訓だと心の中でスケジューリングする。
「でもさ、今日でアメリカともお別れなんだね」
「そうね。長いようで短い遠征だったわね」
桃花さんが染み染みと呟くと、鶴海さんが少し遠い目をする。
確かに、感覚としては短かった様に感じるが、思い返せば濃厚な旅であった。
初日に受けたカルチャーショック。アメリカの大きさに圧倒された。
開会式では借金男に絡まれ、完全アウェイな試合会場に気圧された。
初戦のシープ戦も、2回戦のラビッツ戦も激戦であり、みんなにも自分にも、レベルアップに繋がる良い刺激になった。
まさかその過程で、世界の歌姫と知り合いになるとは思わなかったが。
そして、決勝の日。色々あり過ぎて、とても1日の出来事とは思えない濃厚さだった。
本当に、色々とあったなぁ…。
「モモは終わったみたいに言うとるけどな、今日行く空港までの道のりも、きっと激戦やと思うで」
「そうね。きっと、大勢の人が詰めかけると思うわ」
鶴海さんが疲れた様にため息を吐いて、上を見上げる。そこには、1台の大型モニターが設置されていて、胸の谷間を強調させたスーツを着る女性キャスターが、ニュースを読み上げていた。
『カルフォルニア州のLA特区郊外で起きた暴動について、イブリン・カービー陸軍報道官は改めて、反社会集団のアグリアが裏で関与していたことを表明しました。
彼らは強力なドミネーターとヒュプノスによって住人を洗脳したとされていましたが、それに加えて、巷で流行っていた薬物も、今回の暴動を過激にした要因であったと説明しています』
薬物。
それは、鈴華からも聞いている。コンプトンで襲ってきた不良達が"D"と呼んでいた青い液体。報道官はそのことを言っているのだろう。彼らがそれを服用すると、痛覚が鈍化して、凶暴性が増したらしい。
そう聞くと、以前の氷雨様を思い出す。
新年会。泡を吐いて怒り狂っていた、彼女の姿を。
あの時の火蘭さんが使った薬物と、鈴華が見た”D”が同じものかは分からない。でも、もしも同じ物なら、その薬物は世界中に広がっている可能性がある。
そして、それはゲームでも同じだったのではないかと思う。
ゲーム初期、トーキョー特区の暴動が激化したのが薬物のせいであると林さんは言っていた。それがもし、世界各地で同じ状況であったとしたら、その”D”とやらがバグの産物である可能性が高い。
例えば、アグレスの一部で作り出した薬物だったり。
もしもそうなら、その薬物を使ったからカイザー級がここに来たのではないだろうか?本来は東京特区で使われる筈の薬物が、LAで使われたから寄って来たとか?
『今回の暴動において、軍は首謀者を全て排除したと強調しており、暴動の鎮圧に多大な貢献をした民間人に対しての表彰式が、昨日執り行なわれました』
「うぉ!来たぞみんな!私達だ!」
向こうの席で、祭月さんが飛び跳ねながらモニターを指さす。
分かっているって。昨晩から何度、この映像を見たことか…。
蔵人の視線の先では、左胸に徽章を所狭しと飾る軍人さんと、白銀鎧の少年少女達が対面している場面が、テレビ画面に映った。
そう、昨日が大変だったのは、この表彰式があったからだ。
軍は、カイザー級の存在をひた隠しにしているが、そこで起きた事については規制をしなかった。寧ろ、こうして大々的に表彰し、世間の目を逸らしている様に思える。
考え過ぎかもしれないけど。
『人気絶頂のPOPシンガーであるセレナ・シンガーと、CECの優勝チームである桜城選手が中心となって行われたゲリラライブにより、暴動は一気に沈静化し、軍と民間人の直接衝突を回避する事が出来ました』
「うぉっ!ライブの映像だ!」
表彰式から場面が切り替わり、コンプトンで開いたゲリラライブの映像となる。
映像は、上空から見下ろす形となっているので、きっとあの時、上空で飛んでいた複数のヘリのどれかから、この映像を撮られていたのだろう。
あっちこっちのビルから火の手が上がる中、広場に集まった小汚い男達が飛び跳ねて踊る様子は、随分とシュールに見える。
そして、その中心にはスタジオトラックで歌うセレナさんの姿と、後ろでドラムやギターを鳴らす鈴華達の姿がバッチリ映っていた。
「うわぁ…鈴ちゃん達、こんな所まで行ってたんだ」
「アメリカのコンプトンが危険な場所とは聞いていたけど、想像以上の荒れ具合なのね」
バリアウォールで留守番していた桃花さんと鶴海さんが、目を丸くして映像を見ている。
というのも、昨日までこの映像は流れなかったからだ。バリアウォールに詰め寄る暴徒の映像はあったけど、後は表彰式の映像ばかりだった。
軍から許可が降りたと言うことだろうか?カイザー級の映像さえ流出しなければ良しと判断されたのかも。
『今回の暴動を受け、カニンガム大統領は【これは歴史的に見ても偉大な平和的解決だ。貢献したセレナや桜城の選手達を始め、尽力した全ての人に感謝と栄誉を贈りたい】と述べ、軍とは別に表彰する意向を固めました』
「大統領もなんかくれるのか!?」
鶴海さんに通訳してもらった祭月さんが飛び跳ねて、期待の目で画面を見る。
それに、伏見さんも腕組みをしながら、画面に映る大統領を見上げる。
「もう、感謝状はもろとるから要らんで。表彰するなら金をくれ」
「身も蓋もない…」
だが、確かに貰うなら金の方がいい。
変な肩書きや役職を貰ったりしたら大変だ。大国アメリカが発行元だったら、余計に影響力がありそうだし。
だから、後腐れないお金とかの方が有難いのだが…。
「あたしらには関係ないだろ?だって、もう日本へ帰るんだからよ」
鈴華の言う通りだ。逃げるが勝ち。とっととこの国から離れよう。
『(低音)夕火の刻、健気なる勇士』
画面の向こうで高らかに謡うジャバウォックを見て、蔵人は朝食を掻き込んだ。
今回、ジャバウォックと一緒に戦ったのは、鈴華さんや祭月さん、楽器が出来るメンバーだけだったみたいですね。
「元々、中学生を前線に出すこと自体が躊躇われる状況だからな」