386話(2/2)~夢幻に消えよ~
臨時投稿です。昨日も投稿していますので、読み飛ばしにご注意ください。
私達の目の前に、ずらりと並んだ中世の騎士達。その誰もが巨大なランスを手に持ち、今にもこちらへと投げ飛ばそうとしていた。
そうなれば、逃げ場はない。雨あられと降り注ぐ凶器の雨に、私は勿論、蔵人君達の銀龍でも耐えることは出来ないだろう。
こんなの、どうしろというのだ。
絶望の淵に立たされた私達に向って、少年が笑みを浮かべる。
【さぁ、さぁ、どうする?この数を相手に、頑張って戦ってみるかい?それとも、やる前から負けを認めちゃうかな?まぁ、どっちを選んだところで何も変わらないけれどね。どのみち君の運命は、ここで串刺しになって死ぬだけなんだからさ!】
煽るように、急かすように、少年は声を上げる。
嬉しそうに、楽しそうに、無邪気な顔で笑い転げる。
勝利を目前にして、心も体も浮き上がっていた。
そんな少年に向けて、ジャバウォックは顔を上げる。大きな口を開いて、この状況でもジャバウォックの詩を口ずさむ。
『(低音)我が敵よ、ジャバウォックに用心あれ。
喰らいつく顎、引き掴む鈎爪』
謡いながらも、ジャバウォックの近くでは巨大な盾が生成される。さっき騎兵を貫いたドリル盾だ。
だが、今回は回転していない。それに、一向に騎士達に向けて発射させようとしていない。ジャバウォックは全身の鱗を逆立てて、何かを探るように上を見続けていた。
一体、彼らは何を探しているんだ?
【ほらほら、どうしたんだい?よそ見なんかしてたら、あっという間に串刺しにしちゃうよ?】
少年が腕を振るうと、ジャバウォックに向けて数本のランスが飛んでくる。
それに、待機させていたドリルを飛ばして応戦するジャバウォック。ドリルはランスを弾き飛ばし、そのまま騎兵達の方へと向かう。
だが、そのドリルは騎兵に当たらなかった。距離があったからか、騎兵達は簡単にドリルを避けてしまい、ドリルは明後日の方向へと飛んで行った。
【ははっ。残念。大ハズレだよ】
『(低音)貫きて、尚も貫く』
少年の嘲笑に、しかし、ジャバウォックは動じない。真っ赤に燃える瞳を少年に向けて、力強く謡う。
その堂々とした姿に、少年は目を細める。
【おいおい。お前の攻撃は外れたんだよ、見えないのか?僕の兵隊は傷一つ付いてないって言ってるんだ。一体、何を貫こうとしているんだよ?】
訝し気に聞く少年に、ジャバウォックは不動で構える。
ただ、上を見続ける。
それに、少年もチラリと上を見る。
そして、驚く。
私も驚く。
騎士に当たらずに飛んで行ったドリルは、空中で回っていた。そのドリルの切っ先には、小さな亀裂が入っていたのだ。
まさか、そんな所に壁があったのか!?
驚く私達の目の前で、ドリルは更に壁を削る。真っ暗だった夢の壁に、大きな亀裂が入っていく。
そして、
崩壊。
壁に大穴が開いて、向こう側が見えるようになった。
でも、それだけだった。
悪夢の壁を壊した先にあったのは、ここと同じ真っ暗闇。光一つない空間だった。
壁を壊しても、悪夢は終わらなかった。
いや、
【蔵人君。向こう側の悪夢に逃げるんだ。そうすれば、少しでも時間が稼げる】
少なくとも、ここでただ串刺しになるのを待つよりはいい筈だ。
何か打開策を見つけられるまで、逃げ続けるんだ。
この数の騎士達を避けて、あの穴まで逃げ込めるか…だがな。
『(低音)悪夢の終わりを誘いし者』
私の提案に、しかし、ジャバウォックは乗ってこない。ただ、穴をジッと見つめて、詩を謡うだけだった。
その穴に向って、呼びかけるように。
そう思っていると、穴の中で何かが光った気がした。
いや、違う。光ったんじゃない。銀色の何かが飛び出してきたんだ。銀色の長い髪を靡かせて、1人の少女がこちらの悪夢へと降り立つ。
少女が、顔を上げる。
「流石はボスだぜ。あたしの音楽、ちゃんと聞いてくれたんだな」
それは、鈴華選手だった。
彼女はこちらへと駆け寄ってくると、持っていたエレキギターを得意げにかき鳴らした。
アンプもないのに、それは爆音を奏でる。
もしかして、彼女は音を出して自分の居場所を伝えていたのか?ジャバウォックが頻りに頭上を見上げていたのは、その音を拾う為だったんじゃないだろうか?
私の予測は、どうやら当たっていたみたいだ。
ジャバウォックは次々とドリル盾を放ち、暗黒の壁に大穴を空けていった。そして、その穴からは1人、また1人と、悪夢に囚われていた人達が降りて来た。
トランペットを持つ人や、キーボードを抱える人。ドラムを背負う子達も居る。
あのステージトラックで演奏していた音楽隊の面々だった。
【ははっ!何人集まろうが、状況は変わらない。僕の兵隊はいくらでも増やせるんだ。この夢幻の世界では、僕の力は無限なんだよ!】
少年は乾いた笑みを浮かべながら、片手を高々と上げる。
そして、振り下ろした。
【みんな仲良く、串刺しになるがいいさ!】
少年の号令に、騎士達が一斉に反応する。手に持つランスを一斉に投げつけてきた。
迫り来る、凶悪な兵器。
しかし、それらは私達の元へと至る前に、四方八方、あらぬ方向へと飛んで行ってしまった。
何故だ?
私は、近くに落ちたランスを拾い上げる。
凶悪に見えたその凶器は、穂先が大きく曲がってしまっていた。柄も刀身もぐにゃぐにゃだ。これじゃあ、まともに飛ばすことなんて出来ないだろう。
何だ?何が起きているんだ?
私は周囲を見回す。すると、騎士達の姿も歪んでいることに気が付いた。
凛々しい中世の騎士達が、ギャグアニメのキャラクターの様にフニャフニャな姿になっていた。
それを見て、少年の笑みが消える。
【ああ、くそっ!勝手に入って来るから、僕の世界が滅茶苦茶だ!】
勝手に入る?
もしかして、私の悪夢に他の人達が入って来たから、悪夢が歪んでしまったというのか?
『(低音)我が腕に来たれ!勇猛なる戦士よ!』
【うるさい!謡うな!】
穴に向って声を投げかけるジャバウォックに、少年は頭を押さえながら叫んだ。
それを見て、鈴華がニヤリと笑う。
「ほぉ、てめぇは随分と音に敏感みたいだな。じゃあ、もっと聞かせてやるよ!」
鈴華選手がエレキギターをかき鳴らし、北岡選手が「面白そうだ!」とキーボードの鍵盤を叩くと、少年は更に苦しそうな顔になって頭を抑えた。
【やめろ、やめろぉ。なんだって、お前は、僕の夢の境界線を壊せるんだよぉ…】
少年は両手で頭を押さえながら、ジャバウォックを睨む。
彼がフラりとたたらを踏むと、周囲の騎兵達の体が大きく歪む。もう、原形を留めていられなくなってきている。加えて、暗黒の世界も小さく振動したように感じた。
カイザークラスが弱ったから、悪夢の世界が崩れようとしているみたいだ。
蔵人君が、悪夢に穴を空けたから?みんなを集めたから?それとも、この音楽の影響?
私が周囲の変化に驚いていると、ジャバウォックの足元で再びギターが鳴る。
鈴華選手だ。
「おら、みんな!かき鳴らすぞ、音楽を!声高らかに、声上げろ!ボスがあたしらを助けたように、今度はあたしらが囚われてる奴らを救うんだ!」
「任せろ、鈴華!」
颯爽とキーボードで音を奏でる北岡選手を筆頭に、音楽隊が楽し気な音楽をセッションする。そして、それに乗っかるようにセレナが歌い始めた。
清々しく心地よい歌が、心を温め勇気をくれる。
その歌に合わせるように、世界が色づく。黒一色だった壁に、淡い光が生まれる。
そこを、
『(低音)貫きて、尚も貫け、バンダースナッチ!』
無数のドリルが世界を飛び回り、光を押し留める壁を貫いて、天使の階段を出現させる。その階段を伝い、大勢の人達が駆け下りてきた。
【【【わぁああああ!!】】】
軍人、指揮官、不良、一般市民。黒人、白人、お爺ちゃん、女の子。
悪夢に囚われていた人々が、解放された喜びに諸手を上げる。楽し気な歌声を響かせるセレナと、ナンセンスな詩を謳うジャバウォックの元へと押し寄せる。
その光景に、少年は声を荒げる。
【ぐぅうっ!やめろぉお!来るなぁ!お前らの夢に戻れぇ!僕の、夢が…僕の世界がぁあ!!】
『君の夢じゃないわ!』
セレナがぴしゃりと声を上げる。少年に向けて、ビシッと指を突き付ける。
『君が私達に見せた夢は、確かに心地良いものだったよ。でも、私は私の夢を見たい。他人が作った夢じゃない。私達は、自分で描いた夢を見るんだ!』
【【わぁああああ!】】
セレナの勇ましい声に、集まった人々から歓声が湧き起こる。彼女が正しいと誰もが声を上げる。
【いいぞ!セレナ!】
【俺達は勝手に、勝手な夢を見るぜ!】
【それが自由ってもんだろう?】
【そうだ!俺達は自由だ!俺達の自由を奪おうとするんじゃない!】
【俺達を、元の世界に帰せ!】
【【か・え・せ!・か・え・せ!】】
大衆が一斉に声を張り上げると、少年はその声を聞きたくないと両耳を押さえる。両膝を着いて、息も絶え絶えに声を絞り出す。
【うるさい…うるさい…意思を持つな…僕に抗うな…夢を、見るなぁ…】
少年が苦しむ程、世界が歪む。穴だらけの世界に、大きなヒビが至る所で走る。今にも崩れそうな地面を、巨大な龍が踏みつける。
詩を、謳う。
『(低音)夕火の刻、健気なる勇士。
遥場に集いて、回り儀い錐穿つ。
悪夢の終わりに、うずめき叫ばん』
【終わらない。終わらせない!僕の世界だ!僕が、最強だ!】
少年は力を振り絞って立ち上がり、腕を上げる。先ほどよりも一回りも二回りも大きなランスを、頭上に作り出した。
そして、それをこちらへと投げつける。
【死ねぇええ!ペテン師ども!】
『(低音)錐穿て、バンダースナッチ!』
極大なランスに、盾のドリルが迎え撃つ。
鋭く尖る切っ先同士がぶつかり合い、拮抗する。
だが、それもほんの一瞬のことだった。
高速回転するドリル盾に触れたランスは、見る見るうちに削られていき、やがて粉々に砕け散ってしまった。
それを見て、少年が1歩退く。
それに、ジャバウォックが1歩前に出る。出ながらくるりと回り、連なる盾を高々と掲げた。
ヴォーパル・シールド。
その尻尾を、少年へと振り下ろす。
叩きつける。
『(低音)夢幻に消えよ!』
【がっ…】
尻尾に切られた少年は真っ二つとなり、その体がグニャリと曲がっていく。
最初に見せた、やられたフリではない。体が大きく歪んでしまい、その端から徐々に崩れて行った。
やがて、少年は白い霧となって消えてしまった。
その瞬間、悪夢が崩壊する。
空いた穴から眩しいほどの光が差し込み、壁が、天井が、そして床が崩れていく。
広場に集まっていた私達は全員、光の中へと落ちて行った。
〈◆〉
みんなの夢から意識を浮上させると、そこには死屍累々の惨状が広がっていた。
…いや、倒れている人達は全員、息はあるみたいだ。ただ、眠りについているだけだ。
あの悪夢からの帰還に、もう少々時間がかかっているみたいだった。
『…ぅん。ここは…?』
ジャバウォックの中で、柳さんが起き抜けの声を上げる
『おお、気が付きましたか。柳さん』
『蔵人様。私達、無事に戻って来られたのですね?ですが、皆さんは…?』
『まだ悪夢から帰還の途中でしょう。あれだけボロボロにしたんですから、もう誰も囚われることはない筈です。柳さんの力のお陰で、我々だけ先に戻ってきたみたいで…いえ、奴も一緒に戻ってきたみたいですね』
蔵人は言葉を切って、前方を睨む。
ジャバウォックから少し離れたそこには、白い靄を纏ったアグレスが1体、寝ている人達の中で体を起こした。
我々を操っていたカイザー級の機械神で間違いないとは思うが、漂ってくる圧もそいつの大きさも、ソルジャー級そのものであった。
こんな弱そうな奴が、何十万という住人達を操ったのか?
『あれは…映画とかで出てくる敵…ですよね?なんで、こんなところに居るのでしょう?』
柳さんが不思議そうな声を出す。
そうか。彼女の異能力は、荒事とは無縁のサポート系。今までWTCに入ったことも無いだろうし、アグレスを見る機会は殆どなかったのだろう。だから彼女からしたら、目の前にいるアグレスはテレビの中でしか見たことのない架空の存在。
『きっと、素顔を隠す為にイリュージョンか何かを使っているんでしょう』
蔵人ははぐらかす。まるで、日本政府みたいなはぐらかし方をしてしまったが、こればかりは仕方がない。ここで柳さんに真実を伝えて、必要以上に怖がらせたくはないからね。
『蔵人様。前、前を見て下さい』
蔵人が柳さんを気遣っていると、柳さんは慌てた声を上げた。
その声に促されて前を見ると、機械神がこちらへと近づいて来ていた。
蔵人は慌てて、ジャバウォックを動かす。尻尾のヴォーパルシールドを高く掲げて、悪夢を穿つバンダースナッチも準備した。
だと言うのに、機械神は歩みを止めない。ふらり、ふらりと覚束ない足取りでこちらへと歩みを進めていた。当たれば一撃で消滅する攻撃が展開されていると言うのに、隙だらけのままに近づいてくる。
蔵人には彼のその姿が、何故か敗残兵を思い起こさせていた。
機械神は少し離れた所で立ち止まり、ジャバウォックの足元を見る。そこで倒れている、海麗先輩やアマンダさん、鈴華達音楽隊に視線を這わせる。
そして、こちらを見上げる。落ちくぼんだ目からは、生気も感じなければ怒気も感じない。ただ、こちらを視界に捉える為だけに見上げていた。
機械神の口が、小さく動く。
【ポチェムー…】
…うん?ぼちぇ?
機械神の放った言葉を上手く聞き取れず、蔵人はジャバウォックの鱗を逆立てて、音を拾おうとした。
だが、やはり何を言っているか分からない。途切れ途切れで漏れ聞こえる単語は、全て知らない異国の言葉。我々とは違う、異世界の言葉だった。
『(低音)この世に在らぬ郷遠し者。その声ぞ、常世の詩』
ジャバウォックの首を傾け、我々が理解できないとジェスチャーする蔵人。
それを見て、機械神は顔を伏せた。
そして、次の瞬間。
殺気が、放たれる。
蔵人はそれを感じ、瞬時に尻尾でジャバウォックの胴体を守る。そこに居る柳さんを、傷付けないために。
だが、その殺気はこちらに向けて放ったものでは無かった。
奴が放った物でもなかった。
蔵人が尻尾でガードした瞬間、機械神の頭が吹き飛んだ。遅れて、ピュンッ!という銃弾が空気を切り割く音が聞こえる。
狙撃音。
その音が、四方から聞こえ、目の前に佇んでいた機械神だったものは、腕を、足を、体をバラバラに吹き飛ばされて、霧となって消えた。
数十万人を操った恐るべき脅威は、跡形も無く一瞬で消え去ってしまった。
『く、くらと、さま…』
余りに呆気なく、そして、余りに無残な散り際に、柳さんの声は恐怖で震えていた。
それに、蔵人は努めて明るい声で返す。
『柳さん。やっぱり、あれはイリュージョンだったみたいですね。本物の人間ではないので、気にしないでくださいね?』
何でもないんだよ?ただの映像ですよ?
そう聞こえるように、蔵人は軽く答えた。
でも、柳さんは『そうなのでしょうか?』と呟いた。
『イリュージョンにしては、随分とリアルに見えました。彼の声はとても苦しそうでしたし、何故こうなったのかと嘆く彼の言葉は、心が籠っていて作られた物とは思えません』
『…えっ?や、柳さん、彼の言葉が…分かったんですか?』
嘘だろ?あれって、異世界語じゃないの?
驚いた蔵人に、柳さんは『えっ?ええ』と頷く。
『あら?言っていませんでしたっけ?私…』
そして柳さんは、得意げにこう答えた。
『少しだけですけど、ロシア語も勉強しましたから』
『ろ…』
ロシア語…。
奴は、機械神は、ロシア語をしゃべっていたのか。
蔵人は、呆然と立ち尽くした。
機械神討伐!
ですけれど…ロシア語。
「いつかの日に、あ奴は言っていたな。ロシア語はさっぱりなんだ、と」