38話~今の心、忘れるなよ~
蔵人は、唖然としていた。
目の前で繰り広げられる光景に、一瞬、言葉を忘れて立ち尽くしてしまった。
「はい、慶太君。次はこっちよ」
「おお!ミートボールだ!」
「慶太君、こっちは私の自信作よ」
「おお!こっちはソーセージ!オイラどっちも好き!」
酒池肉林。いや肉池肉林か。
蔵人が慶太に会いに7組に足を踏み入れると、そこでは優雅にお弁当を広げる一団があって、そのど真ん中に何故か慶太がいた。
慶太の周りには、箸にオカズを掴んで、まるで親鳥の様に、雛である慶太に餌を運ぶ大勢の女子生徒の群れが…。
「……いや。いやいや。お前さん、何やってんの?」
放心していた蔵人は、漸く言葉を思い出して、突っ込んだ。
時刻は正午を中頃まで過ぎた昼時真っ最中。別段、教室でお弁当を広げていることは至って自然な事。
だが、この教室で飯を食っているのは慶太だけで、他の女子生徒は慶太に群がり、慶太の動向に目を光らせて、慶太の口が空いた瞬間にオカズを放り込む作業に集中しているのだった。
蔵人が呆れた声を出すと、慶太はようやっと蔵人に気付いたみたいで、薄かった目を開いて手を上げた。
「おお!くーちゃん!くーちゃんもお弁当食べに来たの?」
そんな訳あるか。
蔵人は頭痛がしてきた気がして、コメカミを抑える。
これも、特区の特殊事情なのか…?
蔵人が目線を慶太達に戻すと、そこには1人の女子生徒が蔵人に向けて箸を差し出していた。その箸の先端に掴まれているのは、肉厚の卵焼きだ。頭を押さえる蔵人に、気を使ってくれたのであろうか。
「ああ、済みません。僕は大丈夫ですよ。慶太に会いに来ただけですので」
「いえいえ。どうぞ、1口だけでも」
蔵人は断ったが、女子生徒は笑顔で箸を向け続ける。
「そ、そうですか?それでは、ご相伴に与らせて頂きます」
流石に、ここまで言われて断るのは角が立つと、蔵人は卵焼きを頬張る。
おお、これは。
「美味い。出汁をちゃんと入れているんですね。甘くない卵焼きだ。僕好きなんですよ」
「本当に!?良かった!」
蔵人の率直な評価に、女子生徒は少しオーバーリアクション気味に喜ぶ。
料理好き…なのだろうか?他人の笑顔を見るために、腕を振るう。将来有望な料理人だな。
蔵人は、女性が料理を好むことに少し安堵する。特区の外では料理をしないのが当たり前だったから、蔵人の常識に合致するのは安心する。
そう、思っていたのは一瞬だった。
周囲からの、視線。
それに気付いた蔵人がそちらの方を見てみると、慶太に目を光らせていた女子生徒達が、その矛先を蔵人に代え、怪しかった瞳の光を更に輝かせて蔵人を見ていた。
「おいしいって、言ってくれてるわ」
「山城君だけじゃなかったの!?」
「何処の組の子?Cランク…よね?」
彼女達は揃いも揃って、自身の手に掴んでいるお弁当箱から、思い思いのおかずを箸でつかみ取り、それを蔵人の方に差し出してきた。
「わ、私のも、良かったら、良かったらでいいからどうぞ!」
「あ、あたしの方がおいしいよ!?一晩じっくり煮込んだからね!」
「私のも食べて下さい!」
「私を食べて下さい!」
何か、様子がおかしい彼女達。
彼女達の様子からは、何処か鬼気迫る何かを感じる。決して、料理を食べて欲しい以外の何かを、腹の底に隠しているように思える。
最後の娘だけは、明らかにおかしいけれど。
危険な状況なのは感じる。だが、何故危険なのかが分からない。
こいつは、不味いな。
蔵人は、慶太に向けて手を上げる。
「慶太!済まんがここは撤退させてもらう!また明日な!」
言うが早いか、蔵人は、彼女達の包囲網の僅かな隙間を縫って、7組を脱する。
途中で一個、タコさんウィンナーを食わされたのは不覚である。
「くーちゃん、またあした〜*˙︶˙*)ノ"」
慶太の呑気な声で、変な絵文字が頭をよぎる蔵人であった。
どうなっているのだ。
蔵人は教室を出ての帰り道で自問する。
男子生徒に対する女子生徒の態度が、あまりにも極端過ぎる。
Dランクに対しては、まぁ特区外と同じ様な対応だったから特段気になる点は無い。
だが、Cランクに対しては過剰な反応であり、友好的を遥か通り越して猟奇的である。獲物を狩るジャッカルというか、特売品を競うおばちゃんというか。
何か鬼気迫る圧力を携えており、全日本Dランク戦で優勝した時を思い出す。
あの時は、蔵人は優勝者という肩書があったので、押し寄せる者達の心情も動機も理解できた。だが、今の蔵人にはCランクという肩書しかない。
更に言うなら、Aランクに対する好意はもっと異常だ。九条家のお方が様を付けろと強要したり、身内に対しても異常なくらい下手に出られた。
あれは、愛とかを超えて信仰に近いものがあるように感じる。まだ校内の一部を見ただけだから確かではないが、特区の様子が何か妙だ。
だが、例外も存在した。若葉さんと、出会った当初の九条様だ。
彼女達の対応は、至って普通に見えた。若葉さんの場合は、彼女の素の性格がそうなのだろうと想像出来る。ランクよりも興味があることがあるので、それに突き進んでいる。
九条様は高貴なお方ゆえであろうか。Cランクの男子に対しても、遠慮がなかった。
2人が特別なのか、それともこの学校の女子生徒が箱入り過ぎて、男性に慣れていないからなのか。
蔵人は答えが出ない疑問に、悶々としていた。
そんな彼の背中に、声が掛かる。
「兄さん!」
兄さん。そういう人物は、1人しか心当たりはない。
蔵人が目線を上げると、校門を出た所で、数人の女子生徒に囲まれていた頼人が目に入る。
蔵人が何かを言う前に、脱兎の如くこちらに駆け寄ってきて、体当たりかと思うくらいの衝撃で抱きついてきた頼人。
「兄さん、待ってたよ!ずっと待ってたよ」
待っていた?
「お、おう。済まなかったな、頼人。お待たせ。だが、さっき目が合った時は、やけに塩対応だったように思えたが?」
「え?」
頼人は不思議そうに蔵人を見る。
勘違い…だったのか?
まぁ、今の頼人に思うところがないのなら、この件は流そう。
「それに、半年前にも会ってるだろ?夏合宿で。スキンシップが過剰じゃないかい?」
そう言うと、蔵人から離れて頬を膨らませる頼人。
「違うよ、兄さん。僕はずっと、この6年間ずっと待ってたんだ。兄さんと一緒の学校に通うのを、ずっと!」
そうか。頼人はずっと待ってくれていたのか。
蔵人は、頼人が急に大きくなった様に思えた。
「お待たせ、頼人。強くなったな。これからは、また一緒に訓練出来るな」
「うん!」
そうしてまた抱擁していると、周りに女子生徒達が。
4人。それぞれが等間隔で蔵人達を囲んで、蔵人達に背を向けている。
彼女達がボディーガードか。子供ながら、ちゃんとそれらしい立ち位置に陣取っている。
「いつも頼人がお世話になっております」
蔵人は、4人に頭を下げてお礼を言う。
彼女達は、頼人が慶太の様な女子生徒に取り囲まれないように、何時も守ってくれていたのだろう。
以前流子さんに聞いた事があるが、彼女達は小学校の頃からずっと、頼人の傍で常に頼人を守ってくれている。この中にはBランクの娘もいるのに。
Bランクなら、学校でも中心人物だろう。色々な団体や組織からも引っ張りだこと聞いている。それなのに、頼人の傍で張り付いてくれている。
「いえ。任務ですので」
ボディーガードの1人が蔵人に軽く会釈を返し、それだけ言って警戒に戻った。
私情を挟まない、良い動きだ。
「良かったな、頼人。こんなに頼もしい人達に護衛をして貰えて」
合宿では蒼凍ちゃんを始め、流子さんのお弟子さんが近くにいたからか、この人達には一切会えなかった。蔵人は漸く頼人の護衛達に会えて、その真面目な働きっぷりに安心と感心を覚えて、そう言った。
だが、
「何も良くないよ。何時も付きまとわれて、鬱陶しいよ」
頼人の意見は、蔵人との思いとは大きく異なっていた。
少し下を向いて、口をとがらせるその様子は、何処か拗ねた子供を思わせる。
そんな頼人の態度に、蔵人はつい、叱咤を飛ばそうとした。
「お、お前!」
だが、途中で止めた。
頼人の苦労は、年始挨拶の時に流子さんから聞いていた。小学生に入ったばかりの頃は女子生徒に付きまとわれ、ストーカー紛いの事もされていたらしい。
護衛を配置してからはその被害も無くなったが、その代わりに、自由行動が出来なかった。遊びたい盛りの少年には辛い筈だ。その矛先は、どうしても身近に向いてしまう。身近な彼女達に向いてしまっている。
「頼人、よく聞いてくれ」
それは分かる。蔵人の様に、親にすら拘束されない自由人では、怒る事もはばかられるのかも知れない。
だが、言わねばならん。
「確かに、お前は辛かったろう。遊びたい時に遊べなかっただろうし、常に人が傍にいて、1人寛ぐ事も出来なかったんだと思う。でもな、この人達のお陰で、お前は無事に生活出来ていることも事実だ。言い寄られたり、後を付きまとわれたりしなくなったのは彼女達のお陰だろう?」
「それは…そうだけど。でも、それは氷雨様からのお仕事で、お金とか、貰っているからで」
「それでも、この人達は自分の時間をすり減らして、お前を守ってくれているんだぞ?お前の代わりに危険から体を張って、周りの人に疎まれながらも、お前を守ってくれているんだ」
九条様がキレたのは、彼女を護衛と間違えたからだ。
いつも頼人の傍で自分達の愛を阻害して、そのくせ彼女達は頼人の傍にいられる卑怯なハイエナの様だと、護衛は影で言われていた。そんな者達と間違われて、九条様はキレた。男子に手を上げる程に嫌だったのだろう。
その陰口は、蔵人が九条様と話している時に、盾で周囲の音を拾っている時に聞いた話だ。
多分、その人達だけでなく、多くの女性から、この護衛の人達は嫌われているだろう。それでも、頼人を守ってくれている。
そう思うと、蔵人は彼女達に対して頭が下がるし、頼人の態度が許容出来なかった。
「時間を、すり減らして?」
不思議そうに聞き返す頼人に、蔵人は力強く頷く。
「ああ、そうだ。詰まるところ、お前と似た状況だな」
蔵人がそう言うと、頼人は驚愕し、目に涙を浮かべた。そして、さっき言葉を発したボディーガードに頭を下げた。
「水無瀬さん。ごめんなさい。僕、今まで...」
頼人の謝罪に、周りの護衛がざわめく。驚きが隠せず、配置から動いてしまう娘もいた。
うん。護衛とは言え、まだ子供なのだから、こういう所は仕方ないな。
蔵人は、以前の自分がこんな風に動揺していたら、当時の上官から思いっきり鉄拳を喰らっているだろうなと想像し、頭のてっぺんを撫でる。
「頼人様!そんな、頭をお上げ下さい!我々は、そんな...」
あたふたする水無瀬さんを見て、蔵人は助け舟を出す。
「頼人。ここはごめん、じゃなくて、ありがとうじゃないか?」
「う、うん。そう、だね。いつも、僕を守ってくれてありがとう。みんな」
「「「頼人様...」」」
護衛全員が涙ぐんでしまったよ。
どれだけ辛く当たってたんだ、この兄は。
「頼人。今の心、忘れるなよ」
もし忘れたら、今度こそ容赦なく言わせてもらう。
蔵人は内心、そう決めた。
「それはそうと、なんで校門で待ち伏せしていたんだ?」
教室で待つか、蔵人の教室に来れば良いのに。
そう思った蔵人だったが、頼人の答えはシンプルだった。
「だって、目立つじゃないか」
頼人は、自分が会いに行けば、必ず蔵人が目立つと思っていた。あの頼人様のお兄様だ。あの人とお近づきになれば、頼人様に近づけるかもしれない、という欲望の渦に、蔵人を巻き込むかも知れないと。
そういうドロドロとした駆け引きは、特区では日常茶飯事なのだとか。特に、高ランク男子に対する女子の争いを、頼人は嫌という程見てきたと言った。
それもあったから、集会の時に、蔵人を避けようとしていたのだろう。なるほどな。
「でも、中には、そんなのとは違う子もいるんだ」
「ああ、そうだな」
頼人が言いたいのは、駆け引き抜きで話しかけてくれる娘の事だろう。
蔵人は今日あった2人のことを頼人に話す。若葉さんと九条様のことだ。
頼人顔が、今日一番に歪む。
「えっ!九条!?って、あの金髪?」
「あのとはなんだ、あのとは。九条家は平安の世から続く大貴族だぞ?それに彼女自身も素晴らしい方だった。髪型はドリルだったし、良いパンチを持っていた」
「ええっ!?パンチ?」
蔵人が、先程の九条様とのやり取りを話すと、頼人は信じられないという顔で首を振った。
「ダメだよ、兄さん。あの人と関わっちゃ。あの人は入試面接の時から僕に付きまとっているんだ。きっと、兄さんを出汁に、僕に言い寄るつもりだよ!」
まぁ、確かに、そういう可能性は高い。だが、
「俺にとっては、良い先生になりそうだからな。お前に迷惑がかからない様な付き合い方をするさ」
何せAランクだ。戦闘経験を積む上で、これ以上の相手はなかなか居ないだろう。
そう蔵人が言っても、頼人はしつこく九条様からは逃げろの一点張りだった。
最後は、疲れて車に乗り込む頼人。
「兄さんも乗りなよ。家まで送ろうか?」
「ありがとう。だが、俺はいい」
蔵人は、すっかり誰も居なくなった校門付近を見渡し、そして、
体を浮かせた。
「俺は飛んで帰るから。じゃあ、また明日な、頼人」
そう言って、蔵人をぽかんと見上げる5人...おっと運転手もぽかんとしているから、6人か。その人達を眼下に、蔵人は日が傾き始めた空を駆けていく。
〈◆〉
「ら、頼人様。お兄様は、確か、シールドではありませんでしたか?」
あまりに驚いたので、水無瀬はつい、主に口を聞いてしまった。何時もは無視されるか、苦言しか帰って来ないので、後で悔やむ事になると分かっていたのに。
だが、
「兄さんは規格外だからね。今更、空を飛んだって...。はぁ、やっぱ凄いや」
頼人様は、答えてくれた。小さくなっていく兄君のその背中を、ずっと輝く瞳で見つめながら。
水無瀬はじんわりと温かくなる心に、目元を抑える。
頼人様を、ほんの少しの会話だけで、こんなにも変えられるなんて。
「ええ。凄い方ですね」
水無瀬の心からの賛辞に、頼人様は嬉しそうに頷き返してくれた。
尊死。
※主人公はドリル、螺旋と付くものには滅法弱いです。ついでに黒にも。
頼人は主人公を巻き込みたくなかったのでしょうね。健気な子ですね。
「ふんっ。どうせすぐに、自分から巻き込まれに行くぞ」
また、そういう事を…。
イノセスメモ:
特区には、ランクに対して過剰に反応する子としない子がいる←ランクに興味が薄い子(若葉)と、何故か反応しない子(九条)。後者の理由は不明。