384話~我は泡沫、たゆえる者~
他者視点です。
バリアウォールを破壊しようとする巨人の剛腕と、それを守る少女の拳が激突した。
その瞬間、衝撃波の破裂音が周囲に響き渡り、真っ赤な鮮血が目の前いっぱいに降り注いだ。その液体に紛れて、白い鉄骨の様な物と緑色の大きな破片が飛散した。
【ぐぅううう…】
遅れて、地響きの様に低い音が響く。
その音は、巨人が発した物だった。
奴はフラフラと覚束ない足取りで数歩後退し、バランスを取ろうと体を揺らしていた。そうしてバランスが取り難くなっているのは、恐らく奴の右肩から先が無くなっているからだろう。先ほどまで大樹の様な太い腕があったところには、今は何もなくなっていた。隻腕の巨人は、その傷口からドロドロと赤い血をまき散らし、右へ左へ大きくフラつくいていた。
私はそれを見て漸く、目の前で飛散する幾つもの歪な破片が、巨人の右腕だった物だと理解した。
そう理解すると同時に、目を見開く。
馬鹿な!あの巨人を退かせるだけでなく、私ですら凹ませるのが精一杯だった拳を跡形もなく吹き飛ばすなんて…。
私はとても信じられず、それを行った少女に視線を落とす。そこには、拳を突き上げたままに凛々しく立つ少女の姿があった。空へと突き出された彼女の拳は、真っ黒に変色していた。
巨人の返り血?いや、違う。あれはSランクのブラックダイヤフィスト。
【君は!?Sランク…なのか?】
アジア系アメリカ人で、ブーストのSランクなど聞いた事がない。つまり、彼女は観光客。そんな子が、いつの間にアメリカに入国したのだろうか?
驚愕する私に、彼女はチラリとこちらを振り返る。だがすぐに視線を戻し、巨人を見上げた。
奴は、今でも失った右腕の重みに苦悩し、背中を丸くして失った物の大きさに打ちひしがれていた。
その巨人目掛けて、少女は跳ぶ。真っ黒に変色させた足で床を踏み切り、巨人の頭の高さよりも更に高くまで跳躍した。
そして、
「どりゃぁああ!!」
その真っ黒に染まった足の踵を、巨人の脳天へと叩き込んだ。
この技は確か…ジャンピングかかと落とし!ジャパニーズ・カラテの大技だ。それでは彼女は、日本から来たのか?そう言えば、日本語を喋っていたな。と言う事は、彼女も蔵人君のチームメイトか?
だとしたら、Sランクでは無い。彼らのリストに、それらしき人物は含まれていなかったから。
頭蓋骨を大きく凹ませた巨人は、異能力を維持できなくなって消えて行く。キラキラと、魔力が空気中に溶けていく光の中を、少女は降り立つ。
私は、その少女から目が離せなくなった。
巻島、鈴華、伏見、西風の他にも、こんな逸材が紛れていたなんてと。
【君、名前は?】
「えっ?私ですか?ええっと、美原海麗…っていいます、けど?」
うん?ウララ?何処かで聞いた覚えがあるな。確か、アジアの大会でSランクがどうのとかって話が合った時に聞いた覚えが…。
私は記憶を辿り、その名前を思い出そうとした。だが思い出す前に、下から大きな音がして中断した。
見ると、逃げていた暴徒達が再び集結し、苛烈な攻撃をバリアウォールに浴びせていた。
先程よりも強力な攻撃が増えているのは、純粋に人数が増えているのもあるが、より強力な異能力者が増えているからだろう。
つまり、よりカイザークラスに近い人間が集まってきていると言う事であり、カイザークラスも確実に、ここへと近付いている証拠だろう。
そう考える私の危惧は、当たっていた。
【ア、マン、ダ…】
【ソニア?どうしたんだ!?】
青い顔のソニアが、フラフラと私の方へ近付いて来る。そして、私の方へ倒れ掛かって来た。
私は咄嗟に、彼女を支える。
【ソニア!おいっ!ソニアしっかりしろ!】
ダメだ。頬を叩いても、耳元で叫んでも、彼女の瞼は固く閉ざされてしまっている。まるで、先ほどの巨人の様に。
これは、暴徒になり果てる前兆。
ソニアだけではない。指揮官や展開している隊員の中からも、バタバタと倒れる者が続出した。
カイザークラスのヒュプノス。奴が近付いている証拠だ。
それを見て、まだ起きている指揮官達は険しい顔で首を振った。
【限界だ。これ以上は特区の中にも影響が出る】
【バリアウォールも危険と思います。これでは5分と持たずして崩壊するでしょう】
【ああ。LA特区の、USAの存亡に関わるレベルに達した。解除号令を出す】
【承知しました!全隊員に、異能力出力制限解除を通達致します!】
指揮官達が、現状をレッドラインと判断した。すぐさま全部隊に魔力制限解除の指示が行き届き、壁の上から強力な魔力の波動が生まれる。
これから、大虐殺が始まろうとしていた。
私は悔しくて、唇を噛み締めた。鉄の味が広がり、痛みが走る。だが、直ぐにその痛みは無くなっていく。
一瞬、ヒーラーによって治療されたのかと思ったが、違った。ヒーラーは既に眠りについており、唇からの血は止まっていない。私の痛覚が鈍くなってきただけだった。
次第に、足の感覚も鈍くなってきた。
【くっ…】
私は地面に膝を着いて、頭を押さえる。カイザークラスのヒュプノスが、私をも眠らせようとしていた。
周囲に目をやれば、展望エリアにいた殆どの者が地面に倒れ伏し、悪魔の眠りへと落ちていた。軍人達も同じ様だ。先ほど感じた魔力の波動は消え、砲撃は散発的になっていった。
我々も眠らされる。そして、下の者達と同じように操られるだろう。
次に目を覚ます頃には、天国か地獄か。もしくは、
アメリカ全土が焦土と化した光景が広がるのか。
【逃げ、ないと。取り込まれる、前に…】
私は背中にソニアを乗せて、床を這いつくばる。でも、もう限界だ。瞼が重くなってきた。
もう、だめなのか…。
『やっほー!みんなー!』
諦めかけたその時、声が響いた。
その声の発生源は、下から。
暴徒達に攻撃されるのとは反対側から、拡張された少女の明るい声が、眠気に襲われている我々の心の中へと入ってくる。
次いで、何か大きな影が、壁の下から現れた。
キラキラと光る、巨大な鳥。ダイヤモンドで出来た大鷲だ。その大鷲の背中には、ジャパニーズ・キモノを着た黒髪の女性とセレナが乗っており、大鷲の足にはスピーカーが吊るされていた。
声は、そのスピーカーから出ているみたいだった。
『みんな!目を覚まして!悪者なんかに負けちゃダメだよ!私達の歌を聞いて、眠気なんて吹き飛ばしてよ!』
私達。
そう言った彼女の後から、亜麻色の長髪をなびかせた少女がドラムとベースを浮遊させて現れ、次に盾に乗ったゼブラ柄の騎士とメイド服を着た女性が続いた。
蔵人君と、育ての親のヤナギだ。
彼女達は手早く準備を進めた。音響機材を並べて、楽器のチューニングを行う。その頃には、他の桜城メンバーや黄色いプロテクターの選手達も展望エリアに降り立ち、楽器を手に持ち構える。セレナが壁の縁に立って、暴徒達に向かって声を張り上げた。
『みんなー!元気してるー?今から私の歌を届けるから、悲しい争いなんてやめて、音楽を楽しんじゃってよ!』
阿鼻叫喚な壁の向こう側に、元気な声を響かせるセレナ。
彼女は、その楽し気な声のままに歌い出す。怒号と悲鳴が飛び交う戦場で、それは余りにも場違いな明るい歌だった。
でも、そんな場違いな歌が、深く沈もうとしていた私達の意識を引き上げていく。聞いている内に瞼が少しだけ軽くなっていく気がした。心の中にあった焦燥感や不安な気持ちが薄くなり、幸福な気持ちで満たされていく感覚が広がる。
私は驚き、展望エリアで歌うセレナを見上げる。歌う彼女も、ミュージックを奏でる奏者達も、必死な表情の中で笑みを零している。そんな彼女達を見ているだけで、折れそうだった私の勇気に火が灯る。
そこで、気が付く。
彼女達の歌を邪魔していた攻撃音が、小さくなっていることを。
雨あられとバリアウォールを叩いていた暴徒達の攻撃が、散発的になりつつあることを。
私は這いつくばり、バリアウォールの淵にたどり着く。そこから下を覗いて、更に驚く。
今までバリアウォールを攻撃していた暴徒達が、こちらを見上げる素振りを見せていたからだ。俯き、何処も見ていなかった彼らの顔が、こちらに向いていた。
【彼らが歌を聞いている?彼らに歌が効いている…のか?】
いや、分からん。偶然、魔力切れを起こしただけかもしれんし、ただ単純に、大きな音に反応しているだけかもしれん。
どちらにせよ、暴徒達の攻撃は止んだ。そして、夢の中へと引きづり込まれそうだった我々の意識も、何とか保たれている。
これは、セレナの歌によって引き起こされた奇跡…なのか?
希望が膨らむ私の背中で、ソニアが身じろぎした。
【おお、ソニア。起きたのか?やはり凄いな、セレナの歌は】
【…ダダ…】
【…うん?何か言ったか?ソニア】
聞き返した私に、ソニアの冷たく不自然な言葉が返ってくる。
【無駄ダと、言ってイル】
いや、違う。これはソニアが言っているんじゃない。誰かが、彼女を介して話してい言葉を発しているんだ。
私が緊張で体を硬くすると、その体を蹴りつけて、目の前にソニアが降り立つ。その彼女を見上げると、彼女の目は固く閉じられ、少しだけ口が開きっぱなしになっていた。
ソニアもまた、カイザークラスに操られていた。
薄く開いた彼女の口から、言葉が漏れる。
【無駄ナンだよ。ソンな歌でハ、何も変ワラない。何も、変えらラレない】
ソニアがセレナたちの方へと歩き出す。指揮官や軍人の中からも、目を瞑ったまま歩き出す者が出始めた。
歌で攻撃が止まったとしても、既に洗脳されている者が目を覚ますことはないみたいだ。
地獄は、終わらない。
その地獄が、今、必死に歌う彼女達に牙を剥こうとしている。
【逃げろ…逃げてくれ!みんな!】
私は必死に叫ぶ。いや、叫んでいたと思う。
段々と感覚が遠くなり、目の前がぼんやりとしてきた。
霞む目の前で、ステージを守る様に誰かが立ちはだかった様に見えた。白黒の甲冑と黒いメイド服の2人組が、手を繋いで迫り来る暴徒に対峙している姿が。
しかし、その姿も濃い霧の中へと消えて行く。
私の意識も、同じように…。
ふっと気が付くと、私は芝生のフィールドに立っていた。
空には満天の星空が輝き、それよりも明るい照明達がこちらを向き、私を照らしている。周囲からは耳が痛くなるほどの歓声が降り注ぎ、私の背中を押すかのようだった。
その中で、ひと際大きな声が後ろから上がり、私の背中を押しこくる。
『アマンダ!何を突っ立っているんだ!?行け!行ってお前が決めろ!もう一押しなんだぞ!』
その声に振り返ると、メガホンを持った監督が顔を真っ赤にして叫んでいた。
その声に促されるように前を向くと、向こうの方に相手チームの前衛が並んでいた。円柱を守るように囲む相手チーム。試合時間はあと僅かまで迫っており、得点は僅差で私達のチームが負けていた。相手の前線を突破しようとチームメイト達が顔を真っ赤にしているけれど、相手の防御陣はビクともしていない。
私が、決めなければならない。
シールドを一面に並べる相手チームを蹴散らして、後ろのバッファー達を黙らせ、私が円柱にタッチを決めなければならない。
それが、このチームのエースである私の役目だ。
【うぉおおおお!!】
私は全身全霊、全魔力を賭して走り出す。このスーパーゲームの決勝戦を、私が決めてやると気持ちを昂らせ、体を丸めて突進を開始した。
そんな私の耳に、
【この夢の向こうへ♪さぁ行こうよ、New World♪】
歌が、聞こえてきた。
知っている歌。元気の出る歌。これは、セレナのニューワールド。
セレナが、この会場に居るのか?
私の足は、自然と止まってしまった。彼女の歌が聞きたくて、前のめりになっていた体が起き上がった。
そこに、
「アマンダさん!」
声が掛かる。
見ると、フィールドの端っこで手を振る人物が2人見えた。
あれは…蔵人君。それにヤナギか。何故あの2人がここに居る?
態々、日本から応援しに来てくれたのか?
でも、なんで観客席ではなくフィールドに降りている?フィールドは関係者以外は入れない筈だぞ?
まさか、黒騎士君も選手として呼ばれたのか?でも、では、ヤナギはどうして入れる?
見えないセレナの歌。そして、サプライズゲストの登場に、私の意識は完全に試合から離れた。私の後ろで監督が叫んでいるが、もう試合どころではなかった。
手を繋ぎ、仲睦まじい彼らを見ていると、何かを思い出しそうになる。
この風景、つい先ほど見たのではなかったか?
私が思い出そうと目を凝らしていると、彼らの周囲に銀色の紙吹雪が吹き荒れる。その吹雪が、彼らの姿を隠してしまった。
【蔵人君!】
私は叫ぶ。彼らを探すように、吹雪を手で掻き分ける。
そうしていると、吹雪は収まった。だが、彼らの姿は何処にも無い。
代わりに現れたのは、
【なっ!?ど、ドラゴン…なのか?】
見上げる程に大きな、銀色のドラゴンだった。
その体にびっしりと生えた銀色の鱗が、スタジアムの照明を受けて白く輝く。大きな口を開けて、ドラゴンは声を発する。
詩を、謳いあげる。
『(低音)かくて郷遠くにして、惑いし者。
ワーギャーガーと詩を聞き、休めし足を突き立てん。
一、二、一、二。
進みて、尚も進まん』
その声を聴いた途端、鼓膜をつんざくほどの歓声が収まり、スポットライトの明かりが消えた。芝生の匂いも、熱いスタジアムの空気も消え去り、いつの間にか真っ暗な空間だけがそこに広がっていた。
私の目の前で銀色に輝くドラゴンだけが、この世界の全てとなった。
そのドラゴンも、私に背中を向ける。ただ『一、二、一、二』と詩を歌い続けながら、何処かへと歩み出すのだった。
私の足は、自然とその声に合わせて動いていた。彼らの背中を追うように、暗闇の中を歩き出す。
そうして彼らの後を付いていくと、向こうの方に光を見つけた。ドラゴンが進む先に、一等星の様に小さく確かな明かりが灯っていた。
私は、その光に向って駆け出す。その光の先から、セレナの歌が聞こえている気がしたから。
そして、私は光の下にたどり着く。その途端、目の前が光で満ちていく。
光が、歌声が、胸の中をいっぱいに満たしていく気がした。
気が付くと、私は地面に倒れ伏していた。
目の前では、簡易ステージの上で必死に歌うセレナ達の姿と、彼女達に向って攻撃を繰り出す軍人達の姿があった。
だが、彼女達に向けて放たれた魔力弾は、全て銀色の盾で防がれている。
…違う。あれはただの盾ではない。無数に連なり、一本の剣となって、操り人形と成り下がった者達の攻撃を切り飛ばしていた。
それは、
『(低音)燻り狂え、ヴォーパル!』
銀龍の尻尾だった。
縦横無尽に宙を舞う剣に、操られた軍人達は成す術もなくなって立ち尽くす。そこに、セレナの歌で意識が持って行かれる。
そして、
『(低音)かくて、暴なる想いに立ち止まりし折、
物思いに耽りて足を休めぬ』
銀龍の詩を聞くと、糸が切れた操り人形のように、軍人達は地面へと倒れた。
ヴォーパルの剣が、彼女達を操っていた糸を切り取ったかのように。
そして、倒れた彼女達の中から、起き上がる者が出てきた。
その中には、私の戦友であるソニアの姿も。
【ソニア!】
私は駆け出し、彼女の顔を覗き込む。
彼女の目は…開いていた。寝ぼけ眼で、私を見上げた。
【アマ、ンダ。ここは?私は、確か、銀色の怪物に連れられて…】
ソニアの目の焦点が合って来て、私を見る。私の後ろを見て、驚いたような声を出した。
【そう、あのドラゴンよ。あのドラゴンが、私を連れ戻してくれたの…?】
どうやら、ソニアも私と同じだったらしい。銀龍が光まで導いてくれたから、カイザークラスが作り出した夢の世界から脱出できたみたいだ。
国家の危機を、あのドラゴンが救おうとしてくれている。
そのドラゴンの正体は、間違いなく…。
【君達は黒騎士君達…なんだよな?その力は、そのドラゴンは一体、なんなのだ?】
矢継ぎ早に問い掛けてしまった私に、銀色のドラゴンはゆっくりと顔を向けた。
傾く陽光がその両目を焼き、白く輝いていたドラゴンの瞳が赤色に染まる。
ドラゴンの大きな口が、ガバリッと開く。
そこから、詩が紡がれる。
『(低音)両の眼を炯々と、
燃やし出でるはジャバウォック。
鋼の衣をガヤガヤと、
怒めきののしり、そこに至らん』
銀龍が体をうねらせ、鱗が陽光を波立たせる。
銀龍の瞳が、真っ赤に燃え上がる。
『(低音)我は泡沫、たゆえる者。
夢幻龍・ジャバウォック!!』
夢の世界の支配者が、悪夢を喰らいに現れた。
イノセスメモ:
ジャバウォックの詩…ルイス・キャロル氏作の〈鏡の国のアリス〉で記述された歌であり、イギリスの龍伝承である〈ラムトンのワーム〉と〈ソックバーンのワーム〉を元にされているという。
英語で書かれた中で、最も秀逸なナンセンス詩(詩の意味よりも、音や言葉遊びを重視した詩)とされている。