383話~特区の住人が最優先か~
他者視点です
4月20日。
イースター復活祭の当日にふさわしく、雲一つない晴れ間となった今日。日が傾いた今では、青々としていた空も燃えるような赤色に染まっていた。
その空の下、貧民街は本当に燃えていた。
『第二防衛ライン壊滅!第7、第8部隊、昏睡者多数!戦闘を維持できません!』
『第一防衛ラインにも暴徒多数出現!止められません!迎撃しつつ部隊を後退させます!』
耳に付けたインカムからは、悲惨な状況報告がひっきりなしに飛び交っている。
それは、夢でも幻でもない。今まさに目の前で起きている事実を伝えていた。彼女達の叫び声が響いた後、インカムの向こう側から爆音が響き、それと同時に向こう側の通りで大きな火の手が見えた。
もう、あんなところまで暴徒達が迫ってきているのか。
『暴徒の先頭が第一防衛ラインに侵入!くそっ!第7部隊の馬鹿共が、簡単に操られやがって!』
『このままでは全滅します!異能力制限の解除を要求します!Dランク以下の攻撃では、Sランクヒーローまで取り込んでる奴らを止められません!』
『ダメだ!それは許可されていない!相手は操られているだけの国民なのだ!足を撃って侵攻を遅らせろ』
『やってますよ!でも、足を撃っても止まろうとしないんだ!これじゃまるで、ゾンビだよ!』
現場の隊員達はパニック寸前の状態でも、上からの指示に従って弱い攻撃を繰り返し、住人達を押しとどめようと必死になっている。
それでも、暴徒達の波は一向に速度を落とさない。カイザークラスに操られた住人達は、自分の意志も感覚もすべて捨てて、ただ戦うだけのマリオネットに成り下がっているみたいだ。彼らが放つ異能力が、バリケードになっていた軍用車両を撃ち抜いて、大きく炎上させていた。彼らが通って来た道端にもまた、同じように燃え広がる車や廃ビルが松明の様に軌跡を描いていた。
私は、特区のバリアウォール最上段に設置された展望エリアで、その様子を俯瞰する。20mの高さからは低い特区外の貧民街が良く見渡せた。戦場と化した街並みが、全て。
『第一防衛ライン崩壊!多数の暴徒が最終ラインに向けて侵攻中!第4部隊も後退します!』
『了解。各隊は最終防衛ラインに集結。狙撃部隊が作戦を遂行するまで、ここで何としても持ちこたえるのだ』
司令部からの指示を受けて、多くの装甲車がこちらへと戻って来る。
逆に、上空で羽ばたく輸送ヘリの動きが活発となる。その機体に書かれたマークはAFSOC、アメリカ空軍特殊部隊の物。彼女達は今、暴徒の中心部に居るであろうカイザークラスを打ち取るべく、上空から奴の姿を探索している。
観測班の報告では、このカイザークラスの異能力はヒュプノスとドミネーションとの事だから、アグレス本体の戦闘能力はソルジャークラス程度であると見積もられている。奴を見つけてさえしまえば、後は簡単に撃ち抜いてしまえるだろう。
そう思っていたのだが、上空を飛び続ける大量の軍用ヘリからして、かなり難航しているらしい。
私の目の前に集まる軍の高官達の話を盗み聞くと、どうも操っている住人達の異能力で自身を変身させている可能性があるのだとか。
そうなって来ると、後は透視による魔力量測定で見つけるしかないのだが、これだけ多くの人間が入り乱れている中で、それはかなり難しいだろう。〈オードリーを探せ〉を何百倍にも拡張し、更に、高度500mからそれをやらねばならない状態なのだから。
【かなり大規模な作戦ね…】
私の隣で、硬い表情のソニアが、バリアウォールの検問前に展開した部隊を見下ろして零す。
それに、私は頷く。
【陸空の合同作戦だからな。必然的に、規模は大きくなる。だが、これでも今回のカイザークラスには足りないかも知れない】
記録では、過去に出現したカイザークラスに対しては、Sランクを3人と一個師団で事に当たったとされている。今回の戦力はそれを上回っているが、相手が多くの住人を操っている事を考えると少ないくらいだ。
果たして、ここで抑える事が出来るのか…。
私も下界を見下ろすと、そこでは検問口のゲート前に何台もの装甲車両が壁となり、その前に土嚢が積まれて防衛陣地が形成されつつあった。いざとなれば、ゲートを閉めることも出来るが、そうなると暴徒達にバリアウォールを攻撃されてしまう。もしもバリアウォールが損傷したら、特区の治安にも大きく支障をきたすだろう。なので、なるべくこのアサルトラインで足止めをしたいのが軍の思いだろう。
私が高官達の思いを推し量っていると、向こう側で人影が見えた気がした。
錯覚かと思ったが、その影は瞬く間に増殖し、こちらまで続く8車線の高速道路を埋め尽くすほどの暴徒が雪崩れ込んで来た。
その雪崩の中から十数人の暴徒が飛び出し、物凄い速さで先頭を走る。
『暴徒達の先頭を視認。サウスパーク付近を通過し、尚も北上中。先頭の暴徒は、時速25マイル(40㎞/h)近くで走行しています』
『第1、第2部隊は射撃準備。第5部隊もウォール上からの射撃準備に入れ』
迫り来る暴徒が見えた途端、それまで突っ立っていた高官達の間にも動揺が広がる。
【25!?なんて速さだ。EDランクが出せる速度じゃない】
【第二防衛ラインで呑み込まれた部隊員でしょうか?】
【いや、バフで強化された一般人だそうだ。何故かは分からんが、Aランクのバッファーが呑み込まれているらしい】
高官達の会話が聞こえ、私は舌打ちをしそうになった。
そのバッファーは、黒騎士君が言っていた借金男だろう。巷で流行っている薬を使って凶暴化していると聞いていたが…戦況を変える程の力があったとは想定外だ。
もしくは、他のバッファーも操って、過剰バフを施している可能性もある。現在、カイザークラスは何万人もの住人達を操っていると聞いている。その中には、バッファーだって腐る程居ることだろう。
『撃ち方構え!頭部ではなく、足元のみを狙うように。良いか?Cランク以上の攻撃は厳禁だ』
暴徒の先頭が、もう最終防衛ラインの目の前まで迫っている。顔は俯き、両手はダラりと垂れ下げているのに、足だけフル回転していると言うアンバランスな態勢。
そんな奇行を見せる男や女が、原付並の速度でこちらに迫って来ていた。
【気味が悪いわね…】
青い顔のソニアが、口に手を当てて言葉を吐き出す。
それには同意見なのだが、頷くのはやめておこう。誰が何処で見ているか分からないからな。
だが、上で見ていてもこれだけ不気味に見えるのだ。下で迎え撃とうとしている隊員達は、さぞかし心をかき乱されている事だろう。
私が、下で構える彼女達を慮っていると、銃撃が開始された。
流石は陸軍の精鋭。見事に暴徒達の足を撃ち払い、転倒させている。無駄弾も少なく、異能力の発動も早い。
だが、暴徒は後から後からやって来ており、時間が経つにつれて、目の前の道路が暴徒達で埋め尽くされていく。加えて、折角倒した暴徒も、すぐに立ち上がって戦線に復帰してしまう。中には、明らかに足が折れているのに、這いつくばって進もうとする人もいた。
〈まるで、ゾンビだ〉
そう言っていた隊員の気持ちが、私にも漸く理解出来た。
『最終防衛ラインに暴徒本隊が接近!数が多すぎる!防ぎ切れません!』
『こいつら、ホントにDEランクか!?Aランクのバリアに穴を開けやがったよ!』
『このままじゃ、あたしらまで呑まれちまうよ!バリアウォール内に撤退させてくれ!』
無線からは苦言が、足元からは鬼気迫る怒号と悲鳴が幾つも飛び交う。
明らかに人数差があり過ぎて、隊員達の放つ異能力は焼け石に水状態であった。暴徒達が軍用車両を呑み込み、先頭が土嚢を乗り越えた所で、漸く彼女達の要望が通る。
指揮官から渋々と、撤退の合図が届く。それを合図に隊員達は身一つでゲートの中へと入っていき、最後の隊員が通った直後に、分厚い防護壁が何重にもゲート入口を塞いだ。
これで、暴徒達を攻撃する手段は、ウォール上に展開している迎撃部隊だけとなった。
その彼女達にも攻撃命令が出て、早速射撃が開始される。
だが、検問所前を埋め尽くすほどに集まった暴徒達に対して、あまりにも火力が足りていなかった。彼らを傷付けちゃいけないってのは分かっているけど、このままではバリアウォールが持たない。
指揮官達は、どういう判断を下すつもりだ?
私はバリアウォールの下を覗き込み、その表面を叩き続ける暴徒達の魔力弾を見て、そう思った。
今の所、バリアウォールの表面を焦がす程度の威力しかないが、暴徒は次々と押し寄せて来ている。この数の暴徒が集まって攻撃を繰り出せば、1時間と持たずにこのバリアウォールも崩壊するだろう。
それは即ち、LA特区の壊滅を意味する。
【閣下、もしもの時は…】
【ああ。分かっている】
指揮官達の間で、何やら怪しい会話が交わされている。彼女達の表情は厳しいが、決して絶望している訳じゃない。あの顔は、決断を迫られている者の表情だ。
…大方、バリアウォールが破壊されそうになったら、その前に異能力制限を解除する気なのだろう。暴徒達はバフで強化されているとは言え、所詮彼らはD、Eランクの弱者。S、Aランクの最大火力で殲滅してしまえば、LA特区の中は守られるだろう。
何百万人という貧民街の住人達を犠牲にして。
【特区の住人が最優先か】
【仕方ないわ。高ランクを守る事が、国家の利益に繋がるんですもの】
私がつい漏らした苦言を、ソニアが窘める。
優秀な彼女の言う通りだって事は、頭の中では分かっている。高ランクは低ランクより優秀であり、高ランクが居るから国家が成り立っている。彼女達を守る為ならば、低ランクの彼らが幾ら犠牲になろうとも仕方がないと。
そう理解していても、人道的には飲み込めない。
高ランクも低ランクも同じ人間。その間に差など無い。国家は人なのだ。その人というのが、今目の前で操られている民を示すのではないか?と考えてしまう。
どうか、彼らに矛先が向かない内に、カイザークラスを殲滅してくれ。
私は空を強く睨みつけ、遠くで羽ばたく軍用ヘリの集団に切なる願いを飛ばす。
【【おおっ!】】
そうしていると、周囲で歓声が上がる。
見ると、ゲートに群がっていた暴徒達が退きだした。分厚い壁に歯が立たないと思ったのか、左右に分かれだした。
これは、もう少しで撤退させられるか?
そう、私が期待して見ていると、
【グゥオォオォォ!】
私の目前に、緑色の壁が現れた。
いや、違う!人間だ。巨大な人間が、暴徒達が空けた空間から突然現れ、雄叫びの様なイビキをかいたのだった。
これは、メタモルフォーゼ。しかも、この大きさはSランククラス。バリアウォールを超える、20m以上の大型巨人だ。
【なっ!なんだこいつは!?】
【う、撃て!総員、巨人に向けて一斉攻撃開始!】
【下に居る部隊をこっちにも回せ!】
場は一気に大混乱となる。指揮官達が叫び、暴徒達に対応していた部隊が矛先を巨人へと移す。
だが、その魔力弾は巨人の皮膚を焦がすだけで、致命傷には繋がらない。寧ろ、巨人の注意を引いてしまった。巨人の顔が、こちらを見下ろす。目は開いておらず、口からは大きないびきと共にヨダレが垂れている。
寝ている。
こいつも、操られた暴徒達と一緒だ。
寝ていても、巨人は的確に動く。右足を半歩後ろへ下げて、右手を大きく後ろへ引き絞った。
その巨大な拳を、こちらへと発射する準備を整え始めた。
不味いぞ!
【アマンダ!?】
スーツの上着と、非難めいた戦友の声を振り払い、私は前へと駆け出す。こちらへと狙いを定める、巨人の目の前へと。
【全員、下がれぇええ!!】
バリアウォールの端まで駆け寄った私は、叫びながら全力で踏み切る。踏み込んだ床が割れて、ズボンの太もも部分が千切れ飛んでしまったが、気にしている暇はない。私の目の前には、こちらへと撃ち出された巨人の剛腕が迫って来ていた。
私はそれに、己の拳を振りかぶる。緑色の巨大隕石に向けて、最大魔力を全身に纏った。
そして、
【おらぁあああああ!!】
全身全霊の拳を、繰り出した。
途端、
接触。
衝撃。
超人同士の拳が激突し、私はその反動で紙切れの様に吹き飛ぶ。そして、バリアウォールに背中から突っ込んで、壁に深くめり込んで止まった。
一瞬、目の前で星が弾けた気がしたが、すぐに意識を取り戻し、首を振って目の前のホコリを払い落とす。そして、目の前の状況に目を細める。
Aランク、フィジカルブーストの全力を食らった巨人は、よろけて後ろの空き地に倒れ込んでいた。
地響きと砂煙を巻き起こす巨人。盛大に転んだ奴だったが、すぐに立ち上がった。右手の指は数本潰れていたが、それ以外で目立った外傷はない。
私の攻撃を食らって、この程度の損傷しか受けないなんて。まさに、Sランククラスの耐久力。だが、こいつがSランクの筈はない。Sランクメタモルフォーゼのライナは今、ニューヨークに居る。だからこいつは、強化されたAランクのメタモルフォーゼだ。同じAランクにパワー負けするなんて、相手は複数のバフを重ねがけしているとしか思えない。
私が歯噛みしている間にも、巨人が再び構えた。今度は深く体を落とし込み、異常な程に前傾姿勢になっている。
これは…突っ込んで来るつもりか…!?
【ぐっ!…くっ…そぉ…】
私は急ぎ、壁から抜け出そうとする。しかし、全身に激痛が走り、自然と動きを止めてしまった。動いた途端、額から流れ落ちてきた血が右目に入り、視界の半分が真っ黒に染った。
くっそ…ダメージを、負い過ぎた…。
【かいふ…くっ!ひーらー…を…】
声が出ない。
誰か、誰か私に気付いて、回復してくれ!ソニアは何処だ?!
焦る私の目の前で、巨人が走り出す。20mを超える巨体が突っ込んでしまえば、バリアウォールとて無事では済まない。最悪、壁の一部が崩落するだろう。
そうなれば、そこから暴徒が入り込む。
LA特区が崩壊する。
【やめ…ろぉお!】
声だけが前に出る。それを嘲笑うかのように、巨人が近付いてくる。突っ込んで来る。
そのまま、頭からバリアウォールに突っ込…。
【ゴッ!?】
ズゴゴゴゴゴッ!!
突っ込む手前で、巨人が盛大にコケた。
頭から道路に突っ込んで、そのままバリアウォールに体を打ち付けて止まった。
当たったバリアウォールは大きく揺れて、コンクリートの表面が大きくひび割れを起こす。だが、それで崩壊したりはしない。手前でコケた事で、突進の勢いを大幅に削ることに成功していた。
バリアウォールに体を強く打ち付けた巨人は、そのまま動かない。その奴の足には、緑のロープの様な者と、真っ赤な何かが巻き付いていた。
あれは…なんだ?
私が呆気に取られていると、私の体が浮き上がる。見ると、私の体にも緑のロープが巻き付き、その端々に真っ赤な花が咲いていた。
これは、薔薇?
【アマンダ!】
その薔薇に、私は展望エリアまで引き戻して貰った。到着した途端にソニアが駆け寄ってきて、血だらけの私を見るとすぐにヒーラーを呼んでくれた。
そんな私達を、ピンクブロンド髪の少女が見下ろしていた。
この子は確か…ローズマリー・カーネギー。
クリムゾンラビッツキャプテンの彼女が、巨人の足に薔薇の弦を引っ掛けて、転ばせたみたいだった。
彼女の力で、バリアウォールを、そして私を助けてくれたのだった。
【ありがとう、ローズマリー選手。君は、英雄だ】
ソニアが呼び寄せたヒーラーによって、幾分か体力を取り戻した私は、上半身だけを起こして彼女を労う。
それに、ローズマリー選手は小さく首を振る。
【上に立つ物として、当然の義務を果たしているだけですわ。貴女こそ、立派なお勤めでした】
【それこそ、当然の事だ】
私は敬意を払おうと、彼女に手を差し伸べる。
だが、その手が結ばれるよりも先に、くぐもった唸り声が響く。次いで、僅かな振動と共に緑色の顔が現れた。
巨人が、立ち上がった。
くそっ!もう回復したのか。
【迎撃しろ!】
周囲から、幾つもの魔力弾が飛び交うも、巨人は少し身動ぎするだけであった。Sランクの外皮に、BCランクの攻撃では焼け石に水であった。
【ローズウィップ!】
ローズマリー選手の手から蔓が幾つも伸び、巨人の拳に絡みつく。だが、巨人は止まらない。剛腕で蔓を引きちぎりって、すぐに自由になってしまった。
パワーが足りない。やはり、Aランクブーストの私でなければ。
【うぐっ】
私は立ち上がるも、視界がブレてふらついた。まだ回復しきっていないみたいだっ。血を、失い過ぎた。
あと少しで倒れそうになった所を、ソニアが受け止めてくれる。
【すまない…ソニア】
「大丈夫ですか?無理しない方が良いですよ?」
違う。受け止めてくれたのはソニアじゃない。全くの別人だ。小麦色の肌をしたアジア人の少女が、私に太陽の様な笑顔を向けていた。
「無茶しちゃダメですよ?なんだか青い顔でフラフラしているし、きっとあの時の彼みたいに血が足りないんだと思います。だからここは私に任せて、ちょっと休んでいて下さい」
【任せる?何を、任せるのだ?】
私は訳が分からず、腹部の激痛に耐えながら問う。でも、少女は1つ頷くだけで、私を残して歩き出した。我々に向けて、拳を振り上げる巨人の元へと。
その拳が、振り下ろされた。
不味い。
【やめろ…戻れ!死ぬ…】
「チェストぉおお!!」
私の声をかき消して、少女が叫ぶ。迫り来る巨人の拳に、少女も小さな拳を繰り出した。
拳同士が、ぶつかる。
途端、
私の目の前に、真っ赤な鮮血が飛び散った。
バリアウォールでの攻防戦。そこに、壁を超える背丈の大型巨人…。
この絵面って…大丈夫なんでしょうか?
「伏見嬢が立体的な動きをしなければ、大丈夫であろう」