33話~やっぱ貴族ってこえぇわ~
竹内君の心の叫びに、周りの女子から冷たい視線が彼に降り注ぐ。
蔵人なら冷や汗をかくであろうシチュエーションだが、彼は更に顔を赤くして体を震わせる。
イカン!危ない方向にイク気だ!
蔵人は視線を、広幡様に急いで戻す。
「広幡様。彼の言う事も一理あるかと思われます」
「どういうことですか?」
広幡様が、蔵人まで汚物を見るような目で見てくる。
うむ。やはりこの目は嬉しくないな。ノーマルで良かった。
「お嬢様方が寝食をされる聖域に、男子である私が踏み入るのは外聞がよろしくありません」
相手は女子校だ。それも、婚約もされていないうら若き少女達。男子とのお茶会ならば、まだ許されるだろうが、一つ屋根の下で寝食を共にするのは完全にアウト。
ただし、
「私がお嬢様方の使用人としてお供するのでしたら、可能ではございますが…」
「私だけなら問題ありませんが、巻島の人間をこの子達が使うのは、流石に…」
広幡様は、蔵人を見る目を通常に戻して、少し考え込むようにその小さな顎に手をやる。
そして、
「では、こうしましょう」
広幡様は両手をパチンと叩き、とてもいい笑顔で一つの提案をされた。
ところ変わって、キャンプ場大池周辺のランニングコース。
蔵人は今、ジャージ姿で軽いウォーミングアップをしていた。
隣には、栗毛の髪をポニーテールにした小柄の女の子。
広幡様からの推薦で、今回の”勝負”で蔵人とタイマンを張る事になった小栗風音さんだ。
彼女も細い腕を天へと懸命に伸ばして、準備運動をしている。
「小栗さ~ん、頑張って!」
「男子に負けないでね!」
2人並び立つ蔵人達から少し離れた場所で、お嬢様達が声を上げてこちらに手を振っていた。
「Cランクの小栗さんが負けるわけありませんわよ!」
「そうですよ。学年最速のエアロマスターですよ?」
「寧ろ、手加減して差し上げて。Dランクの男子でしたら、直ぐに泣いてしまうわ」
「「クスクスクスっ」」
随分と盛り上がっていらっしゃるご様子で。
今から行われるのは異能力を使った徒競走。以前加藤君と行った勝負のロングバージョンだ。
場所はこの大池の周囲に設けられた2㎞強のマラソンコース。これを1周して早く戻って来た方の勝ち。一対一の真剣勝負だ。
蔵人が勝てば、無条件で炊事場の利用権確保。それと西濱のアニキ達の即時解放。
負ければ、無条件で蔵人が譲渡される。その際の炊事場は…かなり離れたところの炊事場を使用するか、公園の中で火をおこすしかない。
蔵人達からしたら、これは絶対に負けられない戦いということ。
「蔵人君!頑張って!」
「頼むよ!僕達の今日の晩御飯!」
自然、百山の仲間達の応援にも熱が入るというもの。
「巻島!負けたら張り手100発だからな!」
「巻島君!負けたらどうなるか分かっているでしょうね!」
飯塚さんと武田さんは熱が入り過ぎている。飯塚さんの張り手なら可愛いもの。でも武田さん、あんた本気だろ?
蔵人が仲間達の応援に苦笑いしていると、ゴール兼スタート地点に広幡様がいらっしゃった。手に真っ白なハンカチをお持ちだ。
「巻島君。本当に貴方が走りますの?」
広幡様が再度、蔵人に聞いてくる。
これで何度目の確認か。
「はい」
蔵人が力強く頷くと、広幡様は何かを考える素振りを見せて、
すぐに顔を上げて、手を上げる。
…何か、企んでいる顔だな。
「位置について、よーい...ドン!」
合図とともに、隣にいた小栗さんが勢いよく飛び出す。両手を後ろに突き出して、所謂忍者走りのような格好で走り出す。その両掌から、突風のように風が吹き出しており、それが彼女の推進力となってスピードを加速する。
なるほど。これが学年最速か。たった数秒で10m以上も放されてしまった。
思いの外速い彼女に、蔵人も慌てて走り出す。
足、腰、背中、腕。体全身に張り巡らさせた盾を総動員し、体を前へ、前へと押し出す。蔵人の一歩、一歩が飛ぶように距離を稼ぎ、一歩、一歩飛ぶたびに、遥か彼方を走っていた小栗さんの背中が、ぐんっ、ぐんっ!と大きく見えてくる。
「小栗さん!来てますわ!」
「風音ちゃん!後ろ後ろ!」
お嬢様達が焦ったように声を上げる。
まさか蔵人がこれ程までに速いと思わなかったのだろう。シールダーのDランク(と向こうは思っている)男子が、Cランクの上位種以上の速度を出せるなどとは、夢にも思わなかったという顔をしている。
小学生相手に大人げないという言葉が、脳裏を過ぎる蔵人。だが、今回は手加減なしだ。
蔵人が、あと数歩で小栗さんを抜こうと走行ルートを変更した時、
彼女の手が、こちらを向いた。
瞬間。
突風。
蔵人の体を、まるで透明な腕が押し返すような強烈な圧力。
そうか、こんな使い方もあるのか。
蔵人が風に翻弄されている間に、小栗さんは蔵人との距離をまた大きく離す。
「不味いよ!蔵人君!」
竹内君らしき子の声が聞こえた。
確かに、既にコースの半分近くを走破してしまった。このままでは彼女の横にすら並べずに負けてしまう。
では、どうするべきか。
あの逆噴射を、割ってしまえば良い。
蔵人は再度、加速する。小さかった小栗さんの背中が、またグングンと迫ってくる。そして、
「来たわ!小栗さん!」
「風音ちゃん!外側から!」
外周で応援しているお嬢様達の声が、的確に蔵人の位置を教える。
ゴールの反対側にもサポーターを配置しているとは、流石広幡様だ。
蔵人が感心している間に、小栗さんのつぶらな瞳が蔵人を捉え、そして、
暴風を噴射する。
その風は、蔵人を押しやり、再び彼女との差を大きく引きはがす。
筈だった。
「…あれ?」
小栗さんの小さな顔が、疑問で傾く。
彼女の突風にさられたはずの蔵人は、微動だにせず彼女のすぐ後ろに迫っていたから。
自分のエアロが、効いていない。
「不思議かい?ただ盾でガードしているだけだよ?」
蔵人は、口の端を上げて笑う。
蔵人の目の前には、透明なアクリル板が風を割るように三角形に設置されていた。
もしもアクリル板に色がついていたら、その姿はまるで新幹線の様だったろう。
「盾密集形態・特急列車」
蔵人は小栗さんのエアロだけでなく、走る際に発生する向かい風もすべて切り裂き、物凄い速さで小栗さんを抜き去る。
「くっ」
小さく息を呑み込む音。
小栗さんが必死に、蔵人に追いつこうとしている。
だが、悪いね。このまま行かせてもらう。
「どうしよう!このままじゃ!」
「小栗さん!」
お嬢様達が慌てている。
懸命に小栗さんに声を掛け、手を振って、少しでも彼女の力になれるように健気な応援をして…。
あれ?手が、こっちに向いたぞ?
「えいっ!」
お嬢様の一人が、蔵人めがけて水弾を飛ばしてきた。
「ええっ!卑怯だよ!」
「ちょっ!一対一だろ!」
竹内君と大寺君が抗議の声を上げているみたいだ。だが、
「うるさい!Eランクは黙ってなさい!」
「そうよ!外から援護しちゃいけないってルールじゃないっておっしゃっていたわ!」
お嬢様達に押し切られていた。
彼女達は、水弾を皮切りに、様々な種類の礫を放ってくる。
だが、まぁ、大丈夫だ。
蔵人は、降りしきる異能力の雨を盾で全て防ぎながら走る。
速度は、ほとんど落ちない。元々、その為の盾だ。
「くそっ、なら俺達も!」
「よし、僕も異能力を使ってやる!」
…竹内君。君の異能力って、他人の感情を見るだけだよね?上手く口実を作ろうとしていない?大寺君は、無理して攻撃しようとしないでね?
そうこうしている内に、残り距離はおよそ1/3周。小栗さんに奥の手がなければ勝てる。
と、思った矢先。
蔵人の足が、止まった。
動かない。
見ると、足が、無い!
いや、くるぶしから下が地面に埋まってしまって、見えなくなっているだけだ。
どうも、ソイルキネシスとアクアキネシスで地面を液状化させられて、粘度の超高い泥沼にハマってしまったようだ。
「やった!うまく行きましたわ!」
「これで暫くは出られないね!」
蔵人のすぐ近くで、顔を綻ばせる女の子2人。
彼女達がこの罠の立役者らしい。
やられたな。
「大丈夫?」
さて、次はどうしようかと、蔵人が楽しんでいると、すぐ後ろから声がかかった。
見ると、小栗さんが立ち止まって、蔵人に手を差し出していた。
おや、この娘、フェアプレイをしようというのか。なかなかに見上げたものだ。
蔵人が彼女の小さな手を見上げていると、
「小栗さん!立ち止まっちゃだめ!速く走って!」
「今のうちにゴールしちゃうのよ!」
周りのギャラリーから急かされる小栗さん。
「…こんなの勝っても、うれしくないよ…」
小栗さんは小さく頬を膨らませる。
リスみたいだな。
「何言ってるの、小栗さん!負けちゃうわよ!」
「風音!朝陽様の命令よ!」
広幡様の命令。
その言葉で、小栗さんはビクリッと肩を震わせる。
彼女達からしても、広幡様の存在はとても大きいのだろう。
蔵人は、未だ伸ばされ続けている小栗さんの手をそっと下に降ろさせた。
「情けは無用。行ってください」
「…でも…」
「ご心配なく。俺はまだ諦めていないからね」
「…分かった」
小栗さんは蔵人の瞳を見て、その言葉が嘘でないと分かってくれたみたいだ。
暴風をまき散らしながら、小栗さんは走り去る。
さて、では。
蔵人は集中しだす。
体中に張り巡らされていた盾を、背中に集めて。
「龍鱗」
その盾は、やがて二枚の羽を形成する。カブトムシの羽のようなその翼は、蔵人の体を持ち上げ、泥沼から蔵人の足を引き抜き、宙へと誘う。
「なっ、なにあれ!」
「そ、空に浮いてる!?」
「うそでしょ!?だって、最低種よ?!」
蔵人を傍から見ているお嬢様達は、いつもは澄ましている目と口を大きく開き、唖然としていた。
そんな彼女達を置き去りに、蔵人は、
「タイプⅡ。烈風飛竜」
空を裂いた。
キィイインという風切り音を後に響かせながら、空を走る蔵人。
目の前には、風を操る小栗さんと、そのすぐ前に白いハンカチを持つ黒髪の少女。
「風音!来てる!来てるよ!」
「早く!速く!」
取り巻きの声で振り返る小栗さん。そのつぶらな瞳に、蔵人の姿が一瞬映り、目を開く。
その横を、蔵人は飛び去る。
蔵人はそのままゴールへ顔を向ける。そこには、白いハンカチを高く掲げた広幡様。
彼女は、蔵人がゴールへ差し掛かると、
「ゴーールっ!」
少し興奮した声を上げて、白いハンカチを振り下ろした。
蔵人は、スピードが乗りすぎているので、上空へ垂直飛行して、勢いを殺す。
上空で、制止。
そこから見える景色は、沈みゆく太陽の赤と、静かな蒼の中で顔を出す、まん丸の月であった。
「「「うわぁああ!」」」
歓声が、足元から聞こえた。
見ると、蔵人を目掛けて走り寄って来るクラスメイト達の笑顔と、呆然と、惚けた顔で蔵人を見上げるお嬢様達の顔が目に入った。
夜。
グランドに高く積みあがっていた材木が、今は勢いよく火の手を上げて、暗闇を明るく照らしていた。
その周りで、蔵人のクラスメイト達は楽し気に踊ったり、地面に座っておしゃべりをしていた。
蔵人は、今日も2人分の夕食をたんまりと食べさせられたお腹を摩りながら、その明かりがギリギリ届く辺りで子供達を見ていた。
色々とあったけれど、この笑顔を守れて良かった。
そんな風に黄昏ていた蔵人の元に、
足音が2つ。
「巻島君」
振り返ると、そこには広幡様と小栗さんが並んで立っていた。
蔵人は急いで立ち上がり、軽く腰を折った。
「こんばんわ、広幡様。何かありましたでしょうか?」
見たところ、広幡様達はお風呂上りの様だった。チョコレート色の高級そうなジャージを着ているが、髪は若干しっとりとしている。
そのような状態で、護衛も付けずにお二人で何用か?と蔵人は緊張した。
しかし、広幡様は一瞬蔵人の目を見返した後、
「今日のレース。私達のクラスメイトが不正を働いてしまい、申し訳ありませんでした」
なんと、頭を下げてきた。
蔵人は心臓が飛び出すかと思った。
「お、お止めください!このような場所で、私のような者に、貴女様が頭を下げるなど!」
蔵人は彼女の肩に手を置いて止めたい衝動に駆られ、それこそ無礼だと思い直して手を引っ込めようとする。でも、引っ込めたら引っ込めたで、じゃあどうやって頭を上げてもらおうかと困って、結局蔵人の手は宙を泳ぎっぱなしだった。
こうなったら隣の小栗さんに止めてもらおうと目線を動かすと、彼女も頭を下げていた。
いやいや。君はフェアプレイをしていたじゃん。頭下げる必要なんか無いんだよ!
蔵人が困り果てていると、ようやく頭を上げた広幡様。
「巻島君、彼女達を許していただけませんか?あの子達は、私の為にあのようなことをしてしまったのです」
広幡様は黒く真っ直ぐな瞳で、蔵人を見上げた。
その顔は、本当にクラスメイトの事を思っている様だった。
本当に、”そう見える”。
「広幡様。これは私の邪推なのですが」
蔵人は、そこに切り込む。
「あれは、貴方の指示ですね?」
蔵人を攻撃したこと。蔵人を泥沼にハメさせたこと。これは全て彼女の策略。
そう、蔵人は問うた。
ギャラリーが零す言葉の端々には、命令や仰ったなどの言葉がくっ付いていた。それはつまり、広幡様から直接の指示があったことを示していた。決して、彼女の意を汲んだだけではないだろう。
そう、問われた広幡様は、
「ふっ、ふふ」
笑った。
「ええ、そうよ。私が命じたことよ」
彼女は、申し訳なさそうに小さくしていた体を起こし、胸を張ってそう言った。
「でも、ルール違反じゃありませんわ。一対一の勝負とは言いましたが、外部からの支援を得てはいけないとは明言されていませんもの。例えば、貴方がバフを受けていてもルール違反じゃありませんでしたわ」
彼女はまだ、笑い続ける。
「よろしくて?これが貴族の世界ですわ。騙し騙され、そして蹴落とす。今回は貴方という誤算がありましたが、何度もうまく行くとは思わない方が良くてよ?」
彼女は言う。まるでテレビの悪役のように。
”作られた”悪役のように。
「広幡様」
蔵人は、彼女に対して深々と腰を折った。
「ご忠告、感謝いたします。また、私の為に掛けていただいた”保険”も、合わせて」
「…保険とは、何かしら?」
蔵人が顔を上げると、広幡様は微妙な顔をしていた。
顔を険しくしたいが、そうできないような、微妙な顔。
蔵人は、そんな彼女に微笑みかける。
「私が負けた場合、この不正を理由に勝負を有耶無耶にしていただくおつもりだったのでは?」
彼女は再三に渡って、蔵人に出場の考え直しを図っていた。そして、レース直前に何かを考えられていた。
確かに、ルールには外部からの支援は禁止とは言っていない。だが、一対一の勝負で攻撃や罠はやり過ぎだ。
ただの小学生同士の喧嘩なら分からなくもないが、このルールを作ったのは広幡様だ。それこそ貴族社会に精通しているような超エリートがそんな苦し紛れの手法を使うことは考え辛い。
では寧ろ、敢えて自分達に非を作り、勝負自体を無かった事にする為だという風にも考えられる。
つまり彼女は、蔵人が仮に負けた場合でも言い訳が効くようにしてくれていた。
初めから、調理場を貸すことも、アニキ達を解放することも考えていたのだろう。
そう、蔵人が推測すると、
「ふっ、ふふふ」
彼女は、笑った。
先ほどまでの作り笑いじゃない。本当に楽しそうに。
「良いわね、貴方。本当に良いわ」
その吸い込まれそうな黒い瞳に、清濁併せ吞むような真っ黒な笑みを浮かべて。
「ねぇ、蔵人様」
うぉい。様と来たか。
蔵人は一歩退きながら、「は、はい」と声を上ずらせた。
そんな蔵人の様子に構わず、広幡様はその高貴な体を蔵人の体に密着させて、囁く。
「是非とも、我が家にいらしてください。父と母に、貴方様の事をご紹介させていただきたく存じます」
紹介。それはもしかしたら、婚約ということとも取れる。
ただ友達を会わせたいと、言葉だけであればそう聞こえる内容なのだが、今の広幡様のヤバい雰囲気はそうでないということがヒシヒシと伝わってくる。
なんというか、電波的な危なさを感じる。
「わ、私では、家柄が不釣り合いにございます。とても、お伺いできる身分ではございません」
「あら?家柄など、どうとでも出来ますわよ?例えば、貴方様が広幡の家に入っていただくとか」
アウトォ!
やっぱりね。そういうことでしょ?
蔵人が冷や汗を滝のように流していると、小栗さんが助けてくれた。
「お嬢様。そろそろお時間」
「あら?もう?」
そういうと、広幡様は蔵人から体を離し、小栗さんと共に館の方へと足を向ける。
「蔵人様。また、日を改めてお会いしましょう。そうですわね。今度は特区の中で」
特区?
蔵人が少し不思議そうに彼女を見返すと、彼女は振り返り、相変わらず黒い笑みを浮かべる。
「貴方様程の方が、特区外で収まるはずもありませんわ」
そう言って、去っていってしまった。
残された蔵人は、
「やっぱ貴族ってこえぇわ」
夜空に愚痴を、吐き出すのだった。
小学5年生の会話とは思えませんね。
やはり貴族とは、英才教育やパーティーなどで慣れているのでしょう。
イノセスメモ:
・主人公が空を飛ぶ。