353話〜行ってらっしゃい〜
港周辺の住民を説明するのは、なかなかに骨が折れた。お父さんくらいの世代なら、まだ何とかなったけど、お年を召した方々がなかなかに頑固だった。
「港でやるから意味があるんだ」とか「天気も良いのに何で場所を変えるんだい?」なんて言われちゃった。
その度に、私はテロの事を言ってやりたくなった。でも、何とか飲み込んだ。
だって、そんな事しても信じて貰えないかもしれないし、信じたら信じたで「家から出たくない!」なんとかって言い出しそうな人達だったから。
だから私は、根気強く彼らの愚痴に付き合い、小学校に来て下さいって頼み続けた。いつもは参加率の悪い中高生も、今年は大勢呼んでいますからって説得して。
そうしたら、お爺さん達は漸く頷いてくれた。孫に会えるかもって期待の眼差しを向けて来ていた。
…中高生全員が全員来るわけじゃないから、お爺さんのお孫さんが来るかは分からないんだけどね。でも、同級生の兄弟経由で声掛けはしているから、何人かは来てくれると思う。
そして、春祭りが始まる時間となった。
時刻は現在、午後4時過ぎ。空が薄っすら茜色になりつつある時間帯だ。
小学校の校庭に幾つもテントが並び、そこから美味しそうな匂いが漂ってくる。校舎手前に設置された広い舞台には、大きな垂れ幕で〈福田町春祭り〉の文字がゆらゆらと漂っている。その下で今、山本課長さんがマイクを持って登壇した。
『皆様、本日は春祭りにお集まりくださり、誠にありがとうございます。急遽、開催場所の変更があったというのに、これだけの人にお集まりいただいたこと、大変うれしく、また驚いております』
課長さんの言う通りだ。私も驚いている。
舞台前のブルーシートの上には、沢山の人が詰めかけていた。私の記憶にある春祭りでは、おじいちゃんおばあちゃんが井戸端会議をしていたイメージしかなかったけど、今は様々な年代の人達が座っており、課長さんの挨拶に大きな拍手を送っていた。
私の感覚だけど、いつもの5割増しくらい集まってくれた気がする。
その中には、急遽会場を変更した事に不満を漏らす人もいる。海を見ながらの祭りが良かったんだよという非難めいた声もある。
でも、理解してくれてる人も多かった。何か事情があるんだろって、不満を言う人をなだめてくれている。町中の方が移動が便利だって、肯定的に捉えてくれる人も少なくない。
私達が一軒一軒回って説得したから、こうして理解してくれる人が増えたんだと思う。本当に、光達には感謝しかない。
「いや~。大変だったねぇ」
私が観客席を見回していると、隣に並んだ光が感慨深くため息を吐いた。
自分達が頑張った成果が、こうして目の前に広がって誇らしいみたいだ。
私が感謝を込めて「ありがとう」って声を掛けると、光は手を振ってそれを受け取り拒否した。
「ありがとうは私もだよ。なんかすっごい達成感だし、地域のみんなとも親密になれたからさ」
お年寄りの中には、足が悪くて遠くまで行けないと言われた方もいたらしい。そんな人達の為に肩を貸したり、車に乗るのを手助けしている内に、親密になれたのだと光は笑った。
「あの駄菓子屋の爺さんと和解出来るなんて思わなかったよ。店の前で爆竹で遊んだの、許してくれるってさ」
「何年前の話?お爺さんも良く覚えていたね」
テロが起きるかもって思うと、まだ心の中がザワザワする。でも、こういう機会がなかったら、懐かしい人達と再開できなかったし、私も一歩を踏み出せずにいたと思う。
願わくば、このままテロなんて起きないで欲しい。みんなが笑顔のまま、取り越し苦労だったと笑い会えたらどんなに良いか。
でも、それは出来ないんだろうな。
私は、今も忙しなく動き続ける猪瀬くんの姿を見て、彼が本気で危惧していると思った。
テロが確実に起きるのだと、彼は知っている。
もしかして、彼は高ランクの未来予知異能力者なのかな?でも、それなら警察が先に動きそうだけど…?
良く分からないけど、彼が私達の為に動いているのは確かだ。
「猪瀬くん。何か手伝えるかな?」
だから私は、光達から離れて、校舎から少し離れた体育館で作業する彼の大きな背中に声を掛けた。
でも彼は、大きな手をブンブンと振った。
「大丈夫だぁ。こっちはもう終わるから、琴音さんは祭りを楽しんでてくれろ」
「でも…」
私は何か手伝えないかと、周囲に視線を彷徨わせる。
でも確かに、彼の言う通りだった。
体育館の周りには机や椅子がバリケードの様に積み上げられ、窓という窓にはガムテープが貼り付けられていた。
台風対策…と言うより、籠城でもするんじゃないかって雰囲気が出てて、お祭りとは違う非日常的な空間が広がっていた。
「そんだったら、琴音さんにはイザって時にみんなを誘導して貰いたいんだけど」
「誘導?」
「んだ、んだ」
誘導とは、港の方で何かあった時にみんなを体育館に先導して、隠れるように指示を出すことだった。
家が心配だからと、住人達が家に戻ったりしない様にしたいらしい。
確かに、そういう人は多いかも知れない。祭に誘い出した人の中には、家から離れる事に難色を示していた人も居たから。
「だから、琴音さんには祭りを盛り上げて欲しいんだよ。みんなが飽きない様にさ」
「盛り上げるかぁ…」
どうやってするかなぁ。
迷いながら振り返ると、そこには舞台の上で踊りを披露している大人達の姿があった。
地元の青年会だ。青年会って言っても、参加してるのはお父さんくらいの世代ばかり。そんな人達が、恒例の盆踊りみたいな踊りを披露していた。
…確かに、みんな頑張っているのは分かるけど、観客席はイマイチ盛り上がりに欠ける。ちゃんと舞台を見ているのは、最前列のお爺さん達くらいだ。
このままだと、帰ろうとする人も出てくるかも。
どうしたらいいだろうと、私が迷っていると、
「ことねー!」
私を呼ぶ、光の声が聞こえた。
そちらを見ると、舞台袖で私を手招きする親友の姿があった。彼女の周りには、懐かしい級友達の姿もある。
特区外では数少ない、女の子の友達だ。
「光、そんなところで何してるの?」
呼ばれるままに駆け寄ってそう聞くと、光は「はいっ」と法被を渡して来た。青年会が着ているのと同じ奴だ。
これって?
「勿論、私達も出るんだよ。このステージに」
「ええっ!?」
驚く私の背中を押して、光は舞台の上に登る。
その中央には、人数分のマイクが並んで立っていた。
これは、私に歌えと?
「勿論!歌姫の為のステージだよ。久しぶりに、琴音のハーモニクスとコーラスさせてよ」
「琴ちゃんと歌うの何年ぶりだろうね?」
「あたしは初めてだよ。何時も聞き専だったから」
他の級友達もノリノリだ。観客席からも、幾つも拍手や囃し立てる声が上がる。
みんなの視線が、私達に向いている。
これは、場を盛り上げるチャンス…なんだろうな。
「分かったよ。それで?曲は何時ものやつ?」
「もちもち。私達の十八番を詰め合わせだよ!」
なら、何とかなるか。
私は、3年振りの仲間達と声を合わせて、幾つかの曲を熱唱した。
歌い終わると、観客席からは割れんばかりの拍手と歓声が贈られてきた。始まる前は好意的でない視線も幾つか混じっていたけど、今はどの人も明るい表情を向けてくれる。誰もが惜しみない拍手を送ってくれる。
賞賛を投げかける観客席を見渡していると、その端の方で猪瀬くんが手を叩いている姿が目に入った。
彼にも聞かれていたらしい。そう思うと、気恥しさと嬉しさが込み上げてくる。
私が手を振ると、彼は少し慌てて周囲を見回し、彼の後ろに誰も居ないと分かると、手を振り返してくれた。
こうして見る分には、彼も普通の少年に見えるから不思議。
私の心が、暖かさで満ちていく。
そんな時、
〜♪〜♪♪
町中のスピーカーから、音楽が鳴り出す。
夕方、午後5時を伝える時報だ。
カラスと一緒に帰りましょ…だったっけ?
小さな頃から聞いている時報に、私は懐かしさを覚えた。
でも、彼は違った。
私に微笑んでいた猪瀬くんは、その音楽を聴いた途端に目を光らせて表情を険しくした。そして、踵を返して何処かへと歩き出してしまった。
それを見て、私の心臓はキュッとした。嫌な予感がして、胸の中がざわめいた。
自然と、足が動き出す。
「琴音?どこ行くのよ。今から…」
「ごめん、光。ちょっと」
止める光の言葉を途中で切って、私は走り出した。
彼の背中を追って。
彼が消えた方へと走っていくと、そこは校舎裏だった。表では春祭りが盛り上がっている分、こちらには誰もいなかった。
その寂しい場所の真ん中に、彼は背を向けて立っていた。
「猪瀬くん!」
「うん?ああ、琴音さんでねーか。どうしたんだ?歌姫がこんな所で。アンコール掛かってたでねぇか?」
猪瀬くんの口調はいつも通りだ。時折見せる探偵モードでもない。
でも、それは口調だけ。優しく微笑む彼の目だけは鋭く、危うい輝きを放っていた。
そんな彼は、今日初めて見た。
「猪瀬くん…行くつもりなんでしょ?港に」
だから私は、そう思った。
猪瀬くんが覚悟を決めているんだって。他人の為に動く彼だから、きっと私達を守ろうとしているんだと、私は直感で感じた。
それを、猪瀬くんは苦笑いで受け取る。
「ちょっと様子を見てくるだけだよ。危ない人がいないかって、遠目から見てくるだけだ」
「それ、台風で畑見に行く奴じゃん!特大の死亡フラグだよ!」
私は堪らず突っ込むと、猪瀬くんは「確かになぁ」と言って笑った。
笑ってくれた事に、私は少しだけ安堵する。
でも、笑い終えた猪瀬くんの目には、変わらない輝きがあった。
彼は、行こうとしている。私達を置いて。
温厚で優しい彼に、似合わない場所に。
「猪瀬くん。私も、一緒に…」
一緒に行く。
そう言いかけて、私は慌てて口を押さえた。
この言葉はダメだ。猪瀬くんを困らせてしまう。私なんかがついて行って、何が出来るって言うのか。
きっと、危ない人に見つかって、猪瀬くんの足を引っ張っちゃうだろう。もう彼は、ここから港までの道順を知っている。
今の私に出来る事なんて、何もない…。
「琴音さん」
またネガティブな思考の渦に流されそうになっていると、猪瀬くんの声がそれを止めた。
俯きかけていた顔を上げると、そこには何時もの彼が居た。
「貴女には、本当に感謝しとるんだ。オラ1人だったら、ここまで出来んかった。みんなに話も聞いて貰えんで、今頃、港の端っこで途方に暮れとったよ」
「そんな、私が居なくても、きっと君なら」
「うんにゃ。琴音さんだから出来たんだ」
猪瀬くんは、ゆっくり大きく首を振った。
「琴音さんが道案内してくれて、大人達に話を通してくれて、仲間を集めてくれたから、ここまで上手くいったんだ。本当にありがとう」
「猪瀬くん…」
私は、胸が苦しくなった。嬉しいとか、誇らしいとか、そんな温かい感情がいっぱいになっていた。
「私もそうだよ、猪瀬くん。君のお陰で気付く事が出来た。何もない、何も出来ないと思っていた私にも、何か出来るって教えてくれた。だから、ありがとう」
私は彼の目の前に立って、彼の両手を取った。感謝の気持ちを込めて、私は彼と握手した。
そして、
「行ってらっしゃい」
私は、猪瀬くんから離れた。
彼の必死な姿を見たから、私は気付けたんだ。
だから、そんな彼の熱意を邪魔したくない。彼の行こうとする道を、私は閉ざすのではなく背中を押してあげたいと思った。
そんな私の想いに、彼は、
「(美声)ええ、行ってきます」
翼を広げた。
淡い白色の両翼をめいいっぱいに広げて、猪瀬くんは宙へと浮いた。
茜色の太陽に照らされた彼の翼が、ほんのりと朱く色付く。その姿は何処か、空から舞い降りる天使の様に見えた。
紫色に光る天使の目が、私を見つめた。
「(美声)琴音さん!皆さんをお願いします!」
彼はそう言い残して、夕暮れの空を駆け抜けて行った。
その方向は、やっぱり港の方。
私は暫く、彼の残した言葉を噛み締めた。
一段と魅力的になった、彼の声色と一緒に。
「黒…」
私は首を振って、零れそうになった言葉を消す。
こんな所で立ち止まってなんていられない。私には、"猪瀬くん"と交わした約束があるんだから。
私は気持ちを切り替えて、お祭り会場に戻る。
私の耳には、港の方でする異音が聞こえていた。何かが衝突する音と、小さな呻き声の様なものが。
ハーモニクスだから感じる、微細な異音。
「猪瀬くん…」
「ことねー!」
私が顔を暗くしていると、舞台の上から光の呼ぶ声がした。
視線を上げると、こちらに手を振る3人娘の姿が。
「アンコールだってよ!やっぱあんたが居なくちゃ終わんないよ!」
「分かった!」
声を出すと、落ち込みそうだった気持ちが浮き上がる。
私はその気持ちを更に高めて、舞台に上がる。マイクを両手で持ち、こちらに期待の籠った視線を向けてくる観客達に向かって、声を張り上げた。
『皆さん!今から体育館で特別ライブを開きます!ゆっくりで構いませんので、体育館に移動してください!よろしくお願いします!』
深々と頭を下げる私に、観客席からは戸惑いの声も上がる。
でも、それと同時に肯定的な意見も飛び出す。
「おっ!今度は体育館か」
「役場の人達がコソコソ準備してたから、何かあると思ってたんだよ」
「こうしちゃ居られん。おい、1番いい席を確保するぞ」
「おい、爺ちゃん走るなよ。ゆっくり移動しろって言われたばっかだろうが」
みんなは楽しげな声を上げて、腰を上げてくれた。
良かった。
安心して、私は舞台袖に向かう。
そこには、緊張で顔を強張らせる課長さんの姿があった。
「課長さん。あの、実は…」
「来たのですね?」
彼女の言葉に、私は反射的に頷く。すると、課長さんは携帯を取り出して、ボタンを押した。
「もしもし、警察ですか?…はい。事件です。例の、危惧していた事が起こりました。…そうです。至急、救援を寄越して下さい」
〈◆〉
燃える様に真っ赤な太陽が、町を、目の前に広がる大海原を赤く染めていた。
綺麗な夕焼け空。この見事な風景を見る為に、春祭りはこの時間で開かれていたのかもしれない。
「アアァ…」
「ウゥウ…」
そして、そんな素晴らしいお祭りを壊そうとする、港に蠢く白い影が見えた。
アグレス。
大きさ的に、通常種のソルジャー級だろう。まだ上がって間もないのか、体からは海水が滴り落ち、ボーッと突っ立っている個体ばかりであった。
住人を避難させたのも功を奏している。近くに魔力を持つ者が居ないから、奴らの動きもゆっくりだ。
だが、安心はしていられない。今は数体しか上陸していないアグレス共だが、こうして上空で見ている内にも、新たな個体が船着場に手を着いて這い上がって来た。
しかも、今上がってきたそいつは、他の個体よりも少し大きい。
騎士級か。
蔵人が、目を細めて見ていると、
「there…」
ナイト級が、こちらを見上げた。濡れた手を真っ直ぐこちらに向けて、蔵人を指さして声を上げる。
途端、虚ろだったソルジャー級達は顔を上げて、蔵人を見上げた。
殺意が、一気に膨れ上がる。
「「アアァアアァ…」」
くそっ。ナイト級はソルジャー級を従えるのか。
新たな情報に顔を顰めながら、蔵人はランパートを構える。そこに、幾つもの魔力弾が飛来した。
手に伝わる感覚は、Cランクの物。目の前の集団は、今まで対峙したアグレスと同種と考えて良さそうだ。
そう判断すると、蔵人は盾と一緒に地上へ降りる。そして、全身を細かい盾で覆って、態勢を低くする。
タイプⅠ・龍鱗。
その状態で、
「おぉおおおお!!」
アグレスの群れへと突っ込む。
ソルジャー級は避ける動作もすること無く、ただ蔵人に向かって魔力弾を撃ち続けた。
だがそんなもの、ランパートの前では小雨程度にしか感じない。
蔵人は次々とソルジャー級を跳ね飛ばし、撥ねられた個体は地面に着く前に消滅していく。
「Kill…kill」
無双を続ける蔵人の前に、ナイト級が立ち塞がる。サイコキネシスの腕を掲げ、大きな火炎弾を宙に浮かせた。
それを見て、蔵人は横に大きく飛び退る。すると、体の横を通り過ぎた火炎弾が倉庫にぶつかり、大きく炎上した。
済まない。だが、下手に防御して魔力を消費するのは避けたいんだ。
蔵人は心の中で謝りながら、ナイト級へと駆け寄る。
攻撃を外した奴の腹部には、大きな隙が生まれていた。
そこに、
「せいっ!」
蔵人の回転する拳が突き刺さる。
腹を貫かれたナイト級は、そのまま海へと落ちて、沈みながら消えていった。
「ふむ。やはり、アグレスとは不思議な生物だ」
蔵人は、殴った拳を開いたり閉じたりする。
先程、腹を殴った感触は、生物のそれではなかった。粘度の高い液体を殴っている様な感覚。不思議な感覚であった。
「アアァ…」
視線を下げている間に、新たなアグレスが船着場に手を掛けていた。向こうの船着き場の方でも、1体のソルジャー級が上陸したのが見える。
さて。第2ウェーブの開始か。軍隊はどれくらいで来るだろうか。
「どれだけ時間がかかろうと、ここから先、お前達を行かせはしない」
蔵人は目を鋭く尖らせ、迫るアグレス達に深く構えるのだった。
なんとか、住人の避難は完了しました。
後は、軍隊がいつ来てくれるかですけど…。
「…ここは特区ではないからな」