352話(2/2)~私、あの、宮野琴音、ですけど~
※臨時投稿となっております。昨日も投稿しておりますので、ご注意ください。
町役場を1人で出た私は、駐輪場に止めておいた自転車を引っ掴んで漕ぎ出す。普段はしない立ち漕ぎで、赤いフレームを左右に振りながら急な坂を上り、汗だくになりながら自分の家を目指す。
そして、玄関のドアを開けて一番に、大きな声を上げた。
「お父さん!卒業式のアルバム、何処にあるか知らない!?」
そう、私には何も無い。でも確かに、この町で育った。
中学の時は帰って来なかったけど、生まれてからずっとこの町で過ごしてきたんだ。
だから、私には友達がいた。町内会の顔見知りがいた。その人達との縁が、今、私の持っている全財産なんだ。
お父さんは直ぐに、アルバムを持ってきてくれた。しかも、小学生のだけじゃなくて幼稚園のまで。
傷も汚れもないそれを見て、お父さんが大切にしまってくれてたんだって分かった。
…ダメダメ。今はしんみりしている場合じゃないでしょ。
私はアルバムを開いて、最後のページまで捲る。そこには、卒業したみんなの電話番号が載っていた。
…良かった。この頃はまだ、規制が緩くて助かった。
安堵しながら、ポケットに入れていた携帯電話を開く。そして、目に付いた番号を押して、通話ボタンを押そうとした。
その途端、怖くなった。
彼女達と話すのは3年振りだ。中学の時は一切連絡をしていなかったから、彼女達がどんな反応を返してくるかを想像すると、怖くて体が固まってしまう。
3年前。如月中学校に受かったことに浮かれていた私は、友達の前で大見得を張ってしまった。都会人になって、こんな田舎にはもう戻らないから!なんてことを言っちゃったんだ。
だから、怖かった。
連絡した先で、彼女達にまで酷いことを言われたらどうしよう。
漁師さん達みたいに、私のことを良く思っていなかったなんて言われたら、私はなんて言えばいいんだろう?もう友達じゃないと拒否されるのが、怖くてたまらない。
いや、もしかしたら、もう私の事なんて忘れちゃってるかも…。
そうだ。私がみんなに帰ることを伝えなかったのは、都落ちしてショックだったからってことだけじゃなかったんだ。
みんなから拒否されるのが、ずっと怖かったんだ…。
指が、ボタンから外れそうになる。
でも、そこで思い出だした。猪瀬くんの姿を。
漁港で町役場で、怖い大人達に頭を下げて丸まっていたあの背中を。理不尽に耐えて、握られたあの拳を。
彼も怖かった筈だ。見知らぬ土地の、縁もゆかりも無い人達の前で叱責されて、冷たい目で見られて。
それでも、彼は前に進んだ。諦めずに立ち向かった。私達を救う為に。
そう思ったら、指が動いていた。
ボタンを押して、受話口からコールが鳴り響いても、私は逃げなかった。
大丈夫。怖くない。猪瀬くんの方がよっぽど怖かったはず。テロリストに比べたら、こんなこと何でもないんだ。
『はい、もしもし。佐藤ですけど』
電話の向こうで出たのは、私の記憶と変わらない親友の声。
いや、親友"だった"人物の声だ。
そう思うと、再び体に緊張が走る。
飲み込もうとした唾が、喉の途中で引っかかりそうになった。
それを無理やり飲み込んで、私は声を返す。
「私、あの、宮野琴音、ですけど…」
胸が苦しくて、思った様に声が出ない。もっと色々と言わないといけない事があるのに、喉が渇いて声が掠れてしまう。
気持ちばかりが前に行ってしまって、言葉がつっかえてしまった。
やっぱり、怖い。親友だった光に拒否されたら、どうしよう。
『えっ?琴音?琴音なの?うわっ、ひっさしぶりじゃん!どうしたのよ、急に』
しかし、電話口に出た彼女からは、明るい声が返ってくる。
その途端、私を縛り付けていた緊張の糸が解けた。
つっかえていた声が、戻ってきた。
「ごめん。今まで連絡しなくて、ごめん、ね、光。私、うっぐ…みんなに嫌われで…うっぐ」
声が出る様になったと思ったら、今度は涙まで出てきた。
止まらない涙と嗚咽に、電話口の親友も慌てた声を上げる。
『ちょっと、どうしたのよ?そっちで虐められてるの?話聞いてやるから、とりあえずこのハンカチでも使えって』
「どの、ハンガチよ」
相変わらずの親友のボケに、私は泣きながら笑った。
そのお陰でちょっとだけ落ち着くことが出来て、喋る気力が戻ってきた。
「あのさ。ちょっと聞いて欲しいことがあって…」
私は、光に事情を話した。
こちらに戻ってきてる事。春祭りの会場を、移動させたいけど人手が足りない事。
ただ、テロだなんだの話は伏せる。心配させちゃうし、話が広がり過ぎて、終わらなくなると思ったから。
説得するのは、光だけじゃない。
すると、
『おっけー!任せてよ。私の方でも、何人かに声掛けしてみるからさ。元6年2組の男子ども覚えてる?琴音の頼みだって言ってやれば、あいつらなら一発で集まるよ、きっと』
「ホントかな?」
『ホント、ホント!あんた、学校のアイドルだったじゃん。絶対みんな飛び跳ねて集まってくるって』
確かに、小学生の頃は商店街のカラオケとかで良く歌ってたけど、そんなこと今の今まで忘れていた。
まぁ、光の話はかなり盛ってると思うから、期待し過ぎないようにしよう。
私は、光と漁港で待ち合わせをして、電話を切る。
安心感が胸の内から湧き上がって、急に疲労感を感じた。でも、休んでいる暇はない。
気合を入れなおし、再びアルバムと睨み合いを始めて、携帯に番号を打ち込む。
「あっ、もしもし。宮野琴音ですけど…うん。久しぶり。あのね、急で悪いんだけどさ…」
そうして、次々と級友達に電話を掛けていった。
中には、留守で繋がらなかったり、繋がったけど他県に引っ越しちゃってた子もいた。
でも、電話に出てくれた人はみんな、私を快く出迎えてくれて、私の話を聞いてくれた。
既に光が連絡していた子も居て、もう漁港で準備を進めているから琴音も早くおいでよと、逆に急かしてくる子もいた。
…大荷物を猛ダッシュで運ぶデブが出没するって言ってたけど、まさか猪瀬くんの事じゃないよね?
電話をかけ続けて1時間。アルバムに載ってる人ほぼ全員に電話をかけ終えた私は、玄関先で放置していた自転車に跨って、再び全力疾走を開始した。
向かうは、みんなが待つ漁港だ。
「あっ、ことねー!こっち、こっち!」
「ひかりー!ありがと!」
私が漁港に着くと、そこには10名程の人が忙しなく働いていた。
舞台を片付ける人、テントを畳む人、船の装飾品を取り外す人。
級友だけかと思ったけど、大人の姿も結構あった。呼んだみんなのご両親か、光が集めた人達か。
私は自転車を停めると、光の元に駆け寄り、彼女の隣に立って漁港を見渡した。
「凄いね。こんなに集まってくれたんだ」
「まだまだ、これだけじゃないよ。軽トラで運んでいる人達もいるし、小学校の方で作業している部隊もいるからね」
「えっ!そうなの?」
そんなに集まってくれているんだ。
私は、また泣きそうになった。すると、光がサッとハンカチを取り出して、私の前に差し出した。
「ほら、ちゃんとハンカチも持ってきているでしょ?」
「も〜っ。準備が良いんだから」
「電話口で、あれだけ号泣されたらね」
「それを言わないでよ」
久しぶりの親友との会話は、3年間のブランクを全く感じなかった。目の前の親友は、記憶の中の彼女のまま。
でも、空白の時間は確かにあった。私が空けた、大きな穴。
「光。ごめん。私、ずっと連絡も寄越さないで。帰ってきた事も言えてなくて…ごめんなさい」
私が改めて頭を下げると、親友は「良いよ、良いよ」と手を軽く振る。
「どうせまた、この祭りで会えるって思ってたからさ。それより、こっちは大体片付いたみたいだから、私らも小学校の方に加勢する?」
「えっ!もうそんなに進んでるの!?」
私は驚いた顔を親友に晒し、次いで周囲を見回した。
今は昼を少し過ぎた所。私が光に電話してから、まだ1時間くらいしか経っていない。それなのに、漁港は随分と片付けられていた。
今朝まで設置されていた机やテントは大方畳まれており、飾り付けられていた船達も、今は1隻を残して元通りになっている。その最後の1隻も、今まさに取外しが行われている真っ最中。その先陣を切って体を動かしているのは、レインウェアに身を包んだ漁師の皆さんだった。
「おーい!こいつは重いから、気を付けて下ろすんだぞ!」
「アタイの真鯉丸に傷つけた奴は、次の漁に連れて行っちまうからな!」
〈豊漁〉と書かれた大きな旗を降ろす男子生徒達に、先頭の漁師さんが大きな声で音頭を取っていた。
猪瀬くんと相談しに行った時と、態度がまるで違う。
一体、何があったんだろう?
訳が分からず、彼女達をマジマジと見ていると、光が「パワフルだよね」と笑みを浮かべた。
「私らが来た時にはもうテントも畳まれてたし、船の飾りも半分くらい外されてたよ。漁師さん達が先に動いてくれてたみたい」
「そう…だったんだ」
と言う事は、私達が待合所を出て直ぐに、彼女達は動き出してくれていたのかも。口では厳しい事を言っていたけど、ちゃんと私達の話を聞いてくれてたんだ。
また胸がいっぱいになった私。その肩を、光がツンツンと突く。
「功労賞って意味では、彼も凄いよ」
そう言って指さす先には、
「よっこらせぇ!」
テントの骨組みや船の大漁旗を担ぐ、猪瀬くんの姿が。
なにっ!えっ!?なんで?
あまりの大荷物を軽々と持ち上げる彼に、私は驚きすぎて思考と体が固まった。
その間にも彼は走り出し、周囲のみんなからは拍手と歓声が沸き起こる。
「良いぞ!猪瀬!未来の横綱!」
「相変わらず速いなぁ。田村のおっちゃんが乗ってるオンボロ軽トラといい勝負じゃね?」
「あの体幹は見事だねぇ。バイトでも良いから、アタイらの船に乗ってくれたりしないかねぇ」
漁師さん達まで、猪瀬くんを認めている。
それを見ていると、何だか私まで嬉しくなってきた。
私が彼の背中を目で追っていると、彼とすれ違う様に1台の車がこちらへやって来た。私達の目の前で止まったその車から降りて来たのは、町役場の山本課長だった。
「これは…凄いですね。もうこんなに進んでいるなんて。それに、こんなにも集まって頂けるなんて…」
「課長さん。これなら、お祭りに間に合いますよね?」
みんなの凄さを認めて欲しくて、私は少し得意になって課長さんに話しかける。
でも、課長さんは難しい顔をして頷いた。
「ええ。皆さんのお陰で、一番懸念されていた会場の移動は何とかなりそうです。各種手配も、我々の方で切り替えることが出来ました。ですが、まだ町内への広報が十分ではなく…」
ああ、そうだった。会場を移動させるだけでは十分じゃないんだ。
お昼の放送で、春祭りが福田小学校になりますって放送はされていたけど、それだけで十分とは思えない。聞いてなかった人が港に来ちゃうかもしれないし、お年寄りはそもそも、学校まで来てくれないかも。体が不自由で、近いから参加していた人も居るだろうから。
どうしよう。
「だったら、私らが手伝いましょうか?」
課長さんと私が暗い顔で見つめ合っていると、そんな明るい声が割り込んで来た。
光だ。
「ここら辺の人達に、春祭りの場所が移動したってのを伝えて回ればいいんですよね?ここら辺の人達に顔が効く子もいたと思うから、私らがやった方が適任かなって思うんですけど?」
「そう?なら、お願いできるかしら?」
課長さんの期待が籠った目で見つめられた光は、小さく頷いてから手を振った。
「おーい!みんな!ちょっと集まって!」
「「はいっ!」」
光の号令で、作業していた男子達が集まってきた。みんな懐かしい顔ばかり。小学校の時の学友達だ。
集まってきた彼らは、私の顔を見て一様に驚いた顔を見せる。
「あっ、宮野さん!」
「ホントに帰って来てくれたんだ」
「あの、俺のこと覚えてる?5年生の時に同じクラスだった田中だけど」
「一緒にカラオケ行った白石です。ほら、評価50点叩き出して爆笑された」
「僕は、ほら、修学旅行で…」
「ああ、もう、男子達!アピール合戦は後っ!」
光がテキパキと男子達に指示を出して、彼らを伝令に走らせる。その後ろ姿を見送った光は、クルリとこちらを振り返った。
「ね?琴音は人気者だったでしょ?」
「どうだろう。でも、みんな覚えてくれてたんだね」
「当たり前だよ。我らが歌姫の事を、誰が忘れるかってんだ」
光はしたり顔で笑い、「じゃ、私も行ってくるよ」と言って、男子達の後を追った。
祭りの開始時刻まで、あと2時間くらい。
私も、自転車に跨って漕ぎ出す。
みんなが笑って祭りを終えられる様にと、祈りながら。
間に合う…のでしょうか?
「あとは、この地に住まう子供達の頑張り次第だ」
こればかりは、蔵人さんでも出来ないことです…。