331話~ほんとに今年は、黒騎士様様なんよ~
ちょっと早いですが。
「行ってらっしゃいませ、黒戸様」
バイクの横に立った橙子さんが、蔵人に向かってビシッと敬礼をしてくる。
何時もの橙子さんだが、最近は随分と声のトーンを落としてくれるようになった。
言えば分かってくれる人なのだ。ただ、糞真面目で不器用なだけで。
「(低音)はい。行ってきます、橙子さん」
音切荘に住み始めて2週間と少し。このやり取りも随分と自然になって来た。
最初は、険悪な雰囲気の中でスタートした寮生活も、今では違和感なく過ごせるようになっている。
相変わらず、レオさんは朝練に誘ってくるし、美来ちゃんは油断ならない目を向けてくる時もあるが、バレている気配はない。
プライベートは軌道に乗り始めたと思う。
その一方、ファランクス部は騒乱の予兆を感じさせていた。
来月末の交流試合。そこで、アメリカ側はU15の特別チームで挑んでくる。
その情報は、その日の内に部内で共有した。相手側が、こちらを強く意識していることも。
勿論、彼女達の真の狙いまでは伝えていない。有力選手をアメリカに引抜く為に戦うと分かれば、みんな必要以上に頑張ってしまうだろうから。
それでも、アメリカが本気を出すと聞いて、みんなは期待に目を輝かせた。
超大国アメリカに勝てるのかと、入ったばかりの1年生は青い顔をしていたが、ビッグゲーム経験者達は楽しみにしてくれた。鈴華達は勿論の事、部長を始めとした2年生達もやる気になっている。逆境を乗り越えてきた人達だから、近づく荒波にも目を輝かせていた。
豊国との練習試合が終わって1週間が経った今でも、彼女達の熱量は衰える様子はない。
良い流れが来ている。
そう思う蔵人も、気合いが入っていた。
アメリカが日本を意識した。これが切っ掛けで、海外でも技巧主要論が広まるやもしれない。
ファランクスで世界に大穴を開ける。そう考えると、蔵人は気持ちが前のめりになっていた。
そんな前のめりで登校した蔵人だったが、校門を潜った瞬間に、違和感を感じた。
周囲から突き刺さる、無数の視線。先輩達の熱い眼差しが、体を焼き焦がさんと降り注ぐ。
そこまでは、普段と一緒。
違うのは、音。
とても静かなのだ。
普段なら、こちらを見かけた途端に黄色い声をあげる彼女達。しかし、今日はジッと見るだけ。
まるで、こちらの所作を監視するかのよう。
気になった蔵人は、周囲を見渡す。
視線を向ける彼女達の表情は…硬い。極度の緊張状態である。
その様子は、あの時と似ている。文化砲にやられた、あの時と。
なんだ?また白百合が悪評でも流しているのか?
蔵人は呆れて、教室へと急ぐ。
我らが敏腕記者よ。真実を教えてくれ。
そう思った蔵人だったが、若葉さんに聞く前に謎が解けた。
靴箱。
そこで、上履きに履き替えようとしたのだが…。
上履きが、無くなっていた。
いや違う。
正しくは、見えなくなっていた。
所狭しと、靴箱に突っ込まれた箱の群れが、視界を埋めていた。
何だ?この箱は?
蔵人は箱の1つを引っ張り出す。ピンク色の綺麗な箱が、圧力に負けて大きく凹んでいた。
こいつは…爆弾か?
蔵人は全身に龍鱗を纏い、箱の前に水晶盾も設置して、解体作業に入る。
すると、箱の中には黒い物体が入っていた。
摘まみ上げ、観察する。そいつの匂いを嗅ぐと…。
こいつは…カカオだ。
「しまった!今日は、2.14か!」
そう。今日は2月14日。
バレンタインデーであった。
教室の前に着いた蔵人は、扉の戸に手を掛けようとする。
が、向こう側から異様な雰囲気を察する。息を呑むような、緊張感が漂ってくる。
一瞬、扉を開けることを躊躇した蔵人。だが、直ぐに思い直して、ゆっくりと扉を開いた。
「あっ…お、おはようございます、黒騎士様…」
「「「おはようございます…」」」
開けた途端、クラス中から挨拶を貰うも、明らかに何時もより勢いがない。みんな緊張気味だ。
きっと、こちらの反応を気にしているのだ。チョコレートを突っ込んだ事に対して、どんな反応をするのかと。
そんな彼女達の様子を見て、心配になりながら自分の机を見てみると…。
机の上に、色鮮やかなブロックタワーが出来ていた。大小様々な箱が隙間なく組み合わされ、まるで1つの芸術作品の様にすら見えた。
これが他人の机であれば、写真を撮って待ち受けにしたいくらいに綺麗に積まれている。
だが、このタワーの建設地は、明らかに自身の机であった。
特区は男女比が歪だから、何かあるかもと覚悟はしていたのだが…。
さて、どうしたものかと悩んでいると、隣の席の若葉さんが硬い笑顔を向けてきた。
「モテモテだねぇ」
「…今回ばかりは、否定出来ん」
「こうして見せつけられたら、そうだよね。これ、ざっと150個は超えているみたいだよ。靴箱のとロッカーのを含めたらね」
ロッカーもあるのか!?
蔵人は驚愕する。
それに、若葉さんは人差し指を立てる。
「この数は学校トップだよ。次点が頼人様で、巻島兄弟だけで全女子3割のチョコが集中しているよ」
「3割…」
この学校の男子は、150人程いる筈だぞ?何故、これ程までに偏る?こんなに集まってしまったら、食べて貰えるかも怪しいだろ?
蔵人はタワーを見上げて、これを作り上げた彼女達の思考を疑問視する。
そして、自身に問う。
「さて、どうやって持って帰るか…」
「あれ?もしかして全部食べる気?糖尿病になっちゃうよ?」
「そうかもしれんがな。折角の贈り物を、無下には出来んだろう」
蔵人が困ったように眉を寄せると、若葉さんは優しく微笑んだ。
「ふふっ。やっぱり君は優しいね。でも、それは気持ちだけで充分だと思うよ。みんなだって、蔵人君を病気にさせたい訳じゃないし。ねぇ?みんな」
「「「はいっ!」」」
「「そうです!」」
若葉さんが教室中に問いかけると、一斉に女子生徒達が声を上げる。
「蔵人様!無理しないで下さい!」
「そう思って下さるだけで、もう嬉しくて、涙腺とかアレとか、色々と崩壊しちゃいます!」
そ、そうか。彼女達からしたら、熱い思いを受理されるだけでも満足なのか。
何と言うか、謙虚だな。
だが、それに甘えすぎるのも不味いだろう。
そう思った蔵人は、背筋を伸ばしてみんなに正対する。
「皆さん!ありがとう!貴女達の思いはとても嬉しいです!こうしてしっかりと、受け取りましたので!」
「「「きゃぁあああああ!!!」」」
蔵人が盾でブロックタワーを持ち上げると、クラス中から黄色い声が押し寄せる。何なら、廊下の向こう側からも同じような声が響いている。
誰か立ち聞きしていたな?もしくは異能力で盗聴していたか。まぁ、これで少しでも、彼女達が報われたのなら良いのだが…。
蔵人が周囲を見渡していると、若葉さんが小さな箱を差し出してきた。
「今なら、みんなに便乗して受け取ってもらえるかと思ってね。どうかな?」
「勿論さ。開けてみて良いかな?」
「えっ?あ、うん」
若葉さんから箱を受け取り、早速開けてみる。
中からは、カメラの形をした黒いチョコレートが現れた。
かなり本格的だな。
「凄いな。これは、食べるのが勿体ないな」
「えっ?!食べてくれるの?」
「そりゃ、君から貰った物だからねぇ」
そう言いながら、カメラの端っこを少し齧る。途端に、口の中に濃厚なカカオの苦みが広がる。
ビターチョコレートという奴か。甘くないからとても食べやすい。
「うん、美味い。素晴らしい黒の味だ」
「黒が好きだもんね。作った甲斐があったよ」
「おお、やはり手作りだったか」
「そ、そりゃ、男の子にあげるものだからね。きっとみんなのも手作りだよ」
顔を赤らめて答える若葉さん。恥ずかしさを誤魔化す為か、ブロックタワーに視線を逃がした。
そして、こちらに視線を戻した彼女の顔には、何時もの小悪魔笑顔が戻っていた。
「ああ、大丈夫。変な物は入れてないよ?」
「変な、物…」
それって、髪の毛とか体液とか、そういう奴?
これは、知らない人から貰ったチョコは、食べない方が良さそうだ。
「く、く、蔵人、君!」
蔵人がブロックタワーから一歩退いていると、桃花さんが背中をツンツンしてきた。
彼女の小さな手には、赤く可愛いらしい小箱が乗っている。
「こ、こ、これ、なんだけどさ。僕も、その、作ったんだ、チョコを。だから、さ…食べて…くれる、かな?」
桃花さんは緊張で顔を真っ赤にして、差し出す手が小刻みに震えている。
きっと、今日の為に凄い頑張って、もしかしたら断られるかもと不安で一杯なのだろう。どんなに仲が良い様に思えても、相手の心は測れない。サイコメトラーやプロディクションでもない限りは。
蔵人は彼女の不安を拭い去るように、震える手をそっと包み込む。
「ありがとう、桃花さん。開けてみても良いかな?」
「う、うん!ちょっと待ってね!」
元気になった桃花さんが、一生懸命に箱を開けてくれて、中から少し歪な小粒のチョコレートを取りだした。
市販品ではない。これも手作りか。
蔵人がホイッと口に含むと、優しいミルクと砂糖とカカオの味が口いっぱいに広がる。
蔵人が「ありがとう。とても美味しいよ」とお礼を言うと、桃花さんは再び慌てた様子になり、ポケットから何かを取りだした。
「そ、それでね?えっと、この前、中間テストがあったでしょ?そこで良い点が取れたから、お母さんが買ってくれたんだ」
「おっ。携帯デビューか」
桃花さんの手の中には、スライド式のガラパゴス携帯が握られていた。
蔵人もポケットから携帯を取り出して、顔の横でフリフリする。
「桃花さん。良ければ連絡先を交換しないかい?」
「も、勿論だよ!」
という事で、蔵人の携番に新たな仲間が加わった。
桃花さんも携帯の画面を見て、凄く嬉しそうに小躍りしていた。
それを見て、若葉さんは小悪魔笑顔を浮かべ、桃花さんの肩に手を乗せる。
「良かったね、桃ちゃん。これで24時間、蔵人君と”繋がって”いられるよ」
「えっ?」
意味深な言い方をした若葉さんに、桃花さんは首を傾げて大きなお目目をぱちくりする。
そして、
「だ、ダメだよ。ちゃんと、用事がある時に使うようにするもん」
24時間という部分に対して、真面目に返答する桃花さん。
それを受けて、若葉さんは肩を落として「桃ちゃんは純粋だなぁ」と乾いた笑みを浮かべている。
若葉さんよ。そこが桃花さんの良い所じゃないか。
「いやぁ。ほんとに今年は、黒騎士様様なんよ」
移動教室からの帰り際、蔵人は1年男子達と一緒に歩きながら、そんな会話をしていた。
彼らの表情は随分と明るい。朝に教室で見かけた時は青い顔をしていたのに、偉い変わりようだ。
不思議に思った蔵人は、4人に聞いてみた。すると、
「今日は俺達にとって、地獄みたいなもんなんよ。毎年、インフルエンザにでもかからんか祈っとるし」
「休んでも無駄だよ。休んでいる間、ずっと机の上に証拠が残るんだから」
まるで経験談を語るように、佐藤君が小さく首を振る。
それに、渡辺君が「でも」と明るい声を上げる。
「今年は巻島兄弟にチョコが集中しているから、僕らに来る数は激減したんだ」
「そうそう。両手で持てる量だから、袋も一つで足りちゃう」
「黒騎士様様なんよ」
渡邊君達は、とても明るい笑顔をこちらに向けている。
その反面、吉留君の顔は難しそうだ。何故なら、
「おかしいなぁ。僕は初めてこんなに貰ったんだけど…おかしいなぁ。これも、黒騎士効果ってことかな?」
吉留君にも、数多くのチョコが舞い込んで来ていた。小学生の頃から特区に住まう彼は、親以外からは殆ど貰ったことが無かったらしい。それ故に、とても不思議そうに首を傾げていた。
黒騎士効果というより、彼が頑張った結果だ。来週からの選挙戦が始まれば、より注目の的になるだろう。
頑張れ。
蔵人が心の中でエールを送っていると、鈴木君が「おっ」と何かに気付いて、こちらを振り返った。
「お姫様のご登場なんよ、蔵人君。俺達は先に行っとるかんな」
そう言い残して、4人は足早に去ってしまった。
彼らが立ち去った方向からは、鶴海さんがゆっくりとこちらに歩いて来ていた。
「こんにちは、蔵人ちゃん」
鶴海さんは微笑んでいたが、少し緊張した面持ちだった。
両手を後ろに組んで、少し前かがみで見上げてくる。
「こんにちは、鶴海さん。何処かへ行かれるのですか?」
これは、彼女からのチョコを期待しても良いのだろうか?
そんな思いが先行してしまい、蔵人の声も若干硬くなってしまった。
その感情が鶴海さんに伝わったみたいで、彼女は「ふふっ」と小さく笑ってから、両手を前に差し出した。その手の上には、黄緑のリボンで結ばれたクリーム色の細長い箱が乗っていた。
「蔵人ちゃんの姿が見えたから、これを渡そうと思って。はい、バレンタインのチョコ」
「おおっ!ありがとうございます!」
蔵人はつい、大きな声を出してしまった。受け取り方も、少々乱雑だったかもしれない。
それを見て、鶴海さんは目を大きく開いて動揺する。
「そ、そんなに期待しないでちょうだい。美味く出来たか自信がないの…」
「おお。やはり鶴海さんの手作りでしたか。嬉しい限りです」
「みんなやってる事よ。手作りなんて…そんな事…」
喜ぶ蔵人を見て、鶴海さんの頬にも赤みが差す。空いた両手を振って、何でもないと強調した。
そんな彼女の前で、蔵人はそそくさとリボンを解いて箱を空ける。すると、中には綺麗なハート形のチョコが6つ並んで入っていた。
微妙に大きさが違う所に手作り感を感じる。流石は鶴海さん。チョコ作りにも精通しているのか。
蔵人はその内の一つを摘まみ上げて、鶴海さんに微笑みかける。
「一つ、頂きますね」
「ええ。…えっ?ここ、で?」
驚く鶴海さん。だが、鶴海さんが頷いた段階で、蔵人はチョコを口の中に入れていた。
途端に、甘過ぎないカカオの風味が口の中に広がる。その味から、自分の事を良く考えて作ってくれたことが伝わって来る。丁寧に湯煎されたチョコは、風味も舌触りも格別だ。
「とても美味しいです。作ってくれて、ありがとうございます」
「そんな、私こそ、受け取ってくれるだけじゃなくて、食べてくれるなんて思わなかったから、その、ありがとう…」
最早、耳まで赤くなった鶴海さん。辛うじて聞こえる程度の声を絞り出して、何とか感謝を伝えて来た。
やはり、この特区のバレンタインというものは、史実とは少し違った常識があるみたいだ。貰える量も桁違いだから、口にされることを前提に渡していないのかも。そもそも、受け取り拒否なんてのもありそうだ。
そう思いながらも、蔵人はもう一つ口に放り込む。
うむ。美味しい。
「く、蔵人ちゃん?まだ、食べるの?」
「おっと、しまった」
美味しかったので、ついつい食が進んでしまった。
残りの鶴海チョコは、あと4個。
「あと4つか。こいつは、大事に食べないとな」
「く、蔵人ちゃん…まだ、食べるつもりなの?」
「当り前です。鶴海さんから折角もらったチョコレート。家でしっかりと味わって頂きますよ」
蔵人がしっかりと頷くと、それを見た鶴海さんの頭から湯気が昇る。
「家で、味わう?私の、チョコ…を」
そう言いながら、鶴海さんの体がゆらりと危なげに揺れた。
「鶴海さん!」
蔵人が咄嗟に彼女を支えると、彼女の眼はグルグルお目目になっていた。
完全にのぼせている。こいつはイカン。
蔵人は彼女をお姫様抱っこすると、廊下を走り出す。
早く、早く保健室に行かねば。
そうして駆ける蔵人の背には、何故か、周囲からの拍手が送られた。
ドタバタなバレンタインデーも、放課後となって少し落ち着いた。
訓練棟に行くと、先輩達からもチョコを貰った。でも、サーミン先輩も貰っていたので、きっと義理チョコだ。
なんと、伏見さんからも小箱を貰ったが、中を開けてみて納得した。
「カシラの事やから、ぎょうさんチョコ貰っとる思うて、買うときました」
彼女からのプレゼントは、ポテトチップスであった。綺麗な包装がされた、高級な奴。
「ありがとう、伏見さん」
「うっす。口直しに使ってやって下さい」
伏見さんの配慮に、蔵人は心から感謝する。
そんな蔵人に、祭月さんがソワソワしながら近づいて来た。
まさか…君も?
「なぁ、蔵人さんよぉ。今日は一杯チョコを貰ったんじゃないか?」
「まぁ、有難い事にね」
「そうだろう、そうだろう。君の事だから、食べきれない程の量を貰った事だろうね。仕方が無いなぁ。君の友であるこの私が、そのチョコを食べる手助けをしてやろうじゃないか」
…つまり、チョコを寄こせと。
平常運転の祭月さんを見て、蔵人は嬉しいんだか悲しんだか、微妙な感情に苛まれる。
そんな時、
「おい。お前ら練習始まるぞ。早く着替えようぜ」
鈴華がみんなを先導する。
蔵人はそれを見て、しばし固まった。
彼女からもチョコを貰えるものと思っていたので、その素振りがない事へのショックと、自身の思い上がりに恥ずかしさを覚えたからだ。
「うん?どうした?ボス。あたしの背中に何か付いてるか?」
「いや、何でもない。ありがとう、鈴華。少したるんでいた」
これではイカンな。来月には、交流試合も控えているのに。
蔵人は気合を入れ直し、練習へと望むのだった。
練習が終わり、更に鈴華達の個人練習にも参加した蔵人が訓練棟を出たのは、随分と遅い時間であった。
これから寮に帰り、大野さんの晩飯を頂く。平日は彼が料理をしてくれるので凄く楽だ。お陰で、こうして自主練も出来るのだから。
だから、朝と土日はしっかりと働こうと、蔵人は夜道を進む。正門を出る前にクアンタムシールドの準備をしていると、背後から声を掛けられた。
「よぉ、ボス。ちょっと良いか?」
鈴華だ。
声を掛けられた途端、ほっと心が軽くなってしまった。
なんと浅ましい男だ、俺は。
そう思いながらも、蔵人は苦い表情を隠して、彼女へと振り返る。
「ああ、良いよ。もしかして、チョコでもくれるのかな?」
「そのもしかしてだぜ、ボス。ほら、こいつがあたしの愛の形だ」
そう言って差し出された鈴華の手には、彼女の髪色と同じ銀色の小箱が握られていた。
しかし、愛の形って。本当にストレートだな、この娘は。
そう思いながらも、蔵人は手を伸ばす。
「ありがとう、鈴華。君から貰えないかと思って、少し寂しく思っていた所だ」
「んな訳ねぇだろ。一番最後に渡すから、一番印象に残って…うん?」
あと一歩まで迫った鈴華は、急に箱を引っ込めて、代わりに顔を突き出してきた。
そのまま、蔵人の顔へと近づいて来る。
まるで、キスでもする距離。
「ど、どうした?鈴華」
突然の事に、蔵人は一歩引く。すると、彼女もまた一歩近づいて来て、鼻をスンスンと鳴らす。なので、蔵人がまた一歩退こうとすると、背中に何かが当たる。
正門だ。正門の石柱が、背中に当たっていた。
退けなくなった蔵人を、鈴華は少し目を細めて見上げる。
「チョコの匂いがする。他の女のチョコ…食ったのか?ボス」
「あ、ああ。幾つかは」
「誰のをだ?」
鈴華は顔を上げて、蔵人に迫る。石柱に片手を突き立てて、逃がさんとでも言うように。
俗にいう、壁ドンである。
石柱だけど。
「ええっと…若葉さん、桃花さん、鶴海さんの3人だな」
「…そうか。そいつは良かった」
鈴華は安心したように息を吐いて、小さく微笑んだ。壁ドンも解除してくれる。
そして、手元の銀箱を紐解いて、中から一つのチョコを取りだした。
「あたしのも、その、喰ってくれるか?」
陶器の様に白い彼女の頬が、じんわりと赤色を差す。
いつも威風堂々としている鈴華が照れる様は、ギャップも重なり物凄い破壊力を有していた。
こちらまで、緊張してしまう。
「ああ、勿論。貰っていいかな?」
「口を開けてくれ」
鈴華の言う通りに口を開けると、彼女の長く美しい指が唇に触れ、チョコを口の中へと誘う。
途端に、ほろ苦くもまろやかな風味が広がり、お茶の香りが鼻孔を吹き抜けていった。
「抹茶か。手が込んでるな。ありがとう、鈴華」
「ああ、まぁな。だけど…」
蔵人からの賛辞に、しかし、鈴華は浮かない顔だ。
暫し考える様に目を瞑り、「よしっ」と何かを決めて、もう一つチョコを摘まみ上げた。
そして、鈴華はそれを唇で加えて、こちらへと唇ごと差し出してきた。
「んっ」
鈴華が催促するように、その艶やかなピンク色の唇を突き出してくる。
目まで閉じて、まさにキス待ちの態勢。
思い切りの良い娘だとは思っていたが、まさかここまでとは。
蔵人は一瞬、どうするべきか考える。彼女の好意を受け取るべきか、それとも、何を冗談をと笑い飛ばすか。
後者の選択肢は…ない。それは無いだろうよ。
ならば、取るべき選択肢は一つ。
覚悟は、決まった。
蔵人は体を乗り出す。差し出される彼女の唇に、顔を近づけて、
「いや、やっぱダメだ」
正に今、口づけをしようとしたところで、鈴華の顔が引っ込んだ。
何がダメなのか?と、蔵人は彼女へと視線を上げる。
すると、彼女は小さく頭を下げた。
「すまねぇ、ボス。卑怯な手を使おうとしちまった。ボスに相応しい女になるって誓ったのに、それをすっ飛ばして先走った」
「相応しいって…鈴華、お前さんが思う程、俺は大した人間じゃないぞ?俺からしたら君の方が余程…」
「いいや。ボスは最高さ。世界一の男だ。だからこの続きは、あたしの肩がボスと並んでからにする」
そう言うと、鈴華は踵を返した。そのまま箱も渡さずに、正門の外へと向かう。
蔵人は、そんな彼女の背中が夜闇に消えて行くのを、目を細めて見送った。
何かは分からないが、彼女の中には明確なルールが定まっているのだろう。知らぬ間に、彼女はどんどん前へと歩いて行く。
その姿を、喜ばしく思う蔵人だった。
因みに、この後流子さんから電話が来たそうです。
貴方宛の荷物が、トラック1台分ぐらい来てるから、取りに来るようにと。
「その荷物、間違いなくアレだろう」
はい。全国から集まった、黒騎士への愛でした。