314話〜私を消そうとするとでも?〜
まるでコンサートホールの椅子かと思わせるような、赤い高級な車のシートに身を包まれて、目の前には絶世の美少女が難しい顔をしてこちらに手を伸ばしている。彼女が持つマスカラが、優しくまつ毛を撫でる度に、体の芯がモゾモゾするような不快感を覚えた。
そんな姿を見てか、美少女が紅を刺した唇を開く。
「動くなよ、ボス。あたしもあんまり慣れてねぇんだ」
「(高音)ごめんなさい、鈴華。私もメイクに慣れていないのよ」
「良いって。あと、まだ神社に着いてねぇんだから、巻ちゃんボイスはやめてくれ」
鈴華の抗議に、蔵人は「分かってるよ」と笑いを堪えて答える。それを、他の席に座るみんなが微笑みながら見守っていた。
今、蔵人達は鈴華が出してくれた車に乗って、初詣に向かっていた。
1月1日。時刻は朝の6時。
早朝であれば、初詣の人混みも少しは緩和されると踏んで、この時間に集合していた。
メンバーは、何時ものファランクス部員達だ。
鈴華、伏見さん、鶴海さん、桃花さん、祭月さん、そして若葉さん。夏祭りに行ったメンバーに、敏腕記者を追加した形となった。
慶太も誘ったのだが、生憎と先約があった。どうも、2か月も前からクラスメイトの女子達に予定を突っ込まれていたみたいだ。
特区の女子達を舐めていた。彼女達の行動力は、特区男子が絡むと3倍速くなる。赤い彗星も真っ青の行動力だ。
「ふぁぁあ…眠いぃ…」
祭月さんが大きな欠伸をかました後、落ちそうな眼をグシグシッと擦る。
彼女以外の娘達も、随分と眠そうだ。
彼女達の中には、新年のカウントダウンに興じた娘も少なくないのだろう。祭月さんもその1人みたいで、寝ぼけ眼でこちらを見る。
「初詣なのに、なんでこんな時間なんだよ?もっと遅くか、車で行くならカウントダウンの後でも良かったじゃん」
「アホかっ。どっちも人混みが凄いやろ。カシラが居るんやで?」
伏見さんの言う通りだ。今や蔵人は、黒騎士として超有名人となってしまった。
勿論、名前も素顔も公にはしていないが、何処から情報が漏れているか分からない。何せ、桜城中等部である事はバレており、学校関係者には広く顔が知れ渡っているのだ。中高合わせて約3千人の生徒先生の誰もが、不意に情報を漏らさないとも限らない。
それを考慮して、鈴華は早朝と言う狙い目の時間で予定を組んでくれたのだ。
付き合ってくれたみんなには申し訳ない。
だが、表彰式の後の事を考えると、これは過剰でもなんでも無いと思う。
表彰式の後、蔵人は恒例となった記者インタビューを難なく…いや、何とかこなし、やっとの思いでスタジアムを後にした。
だが、スタジアムを出ると、黒騎士を見に来た人でWTCが埋め尽くされていた。
その様子は、自分がビート〇ズのメンバーにでもなったかと錯覚させる程だった。
いや実際、それに近い状況となっているのだろう。
集まった人達は、桜城の選手団を見かけた途端に諸手を挙げて突っ込んできて、大会警備員達とスクラムを組んで押し合っていた。
彼女達の殆どが黒騎士の名前を連呼しており、海麗先輩の名前を呼ぶ人達も少なくなかった。
先輩も今頃、忙しい年始を過ごしている事だろう。何せ、蔵人が取材を受けているその向こう側で、彼女の元にも大量の取材陣とスカウトが押し寄せていたから。
国内初。もしかしたら世界で初めて公にされたAランクの覚醒者だ。メディアや教育機関が放置する訳がない。
聞こえて来た声の中には、大手企業やプロスポーツチームへのお誘いや、海外留学の話なんかも来ていた。
先輩は今年が受験生。人生の岐路に立っている。その道の先を是非とも我々と共に!そう思った大人達が集まっていた。
その中でも気が早い大人達は、蔵人の元にもそういった類の話を持ってきた。
やれU15チームだ、世界戦だ。アメリカ・中国への留学はどうだと、小学校上がりたての人間を捕まえて何を言っているのだろうかと、蔵人は呆れた。
中国なんて、共産党と国民党がバチバチやり合っているんだろ?そんな国に留学なんて、無事に帰れる気がしない。
そんな風に、有名になった事の弊害もあったが、いい事もあった。
知人達が、態々会いに来てくれたのだ。
1組目は島津姉妹。なんと九州から応援に駆け付けてくれていたとの事。チケットの抽選に漏れてしまったのに、隣の会場で応援していたと、少し声を枯らした円さんが満面の笑みで報告してくれた。
蔵人は嬉しくて、警備員越しに彼女へ感謝を伝えた。すると、その周辺の人達まで感涙してしまい、収拾を付けるのに苦労した。
いや、実際に苦労をかけたのは巴さんだ。彼女がみんなの面倒を見てくれたから、カオスなあの場がなんとか収まったのだ。
ありがとうございます、巴さん。今度、慶太も連れて九州へ遊びに行きます。
もう1組は武田従姉妹だ。
ファランクス都大会ぶりの武田主将に、小学校の同級生、武田さんが会いに来てくれていた。
武田主将は安綱先輩とも交流があるみたいで、蔵人への挨拶が終わるとそちらに行っていた。
そして、武田さんの方はと言うと、色紙を掲げて得意気な様子であった。なんでも、漸くあのサインに価値が付き始めたのだとか。
それは良いけど、争いの火種になるから、あまり公に見せびらかさない方が良いと思うよ?
蔵人は遠回しにそう忠告したのだが、彼女のドヤ顔が崩れる事はなかった。
大丈夫だろうか?
有名になった事で旧友にも会えたし、少なくない人達に思いを伝える事も出来た。
だが、やはり有名になる弊害は、それらを差し引いても大きくのしかかる。
蔵人は、急遽決まった明日の予定を考えて、眉を寄せた。
途端に、鈴華から怒られてしまう。
「おい!ボス!百面相は止めてくれ!あたし、マジで手元狂っちまうからさ。まだ覚えて3日なんだよ」
「たった3日で、それだけのメイクが出来る事の方が凄いわ、鈴華ちゃん」
鶴海さんの言う通りである。
なんでも、林さんからメイクの基礎を習い、何度も練習したそうだ。それでも、今の蔵人はそれなりに可愛く変装出来ている…そうである。
「ふっふーん。まぁな!ボスの為と思ったら、これくらい朝飯前だって!」
やはり、鈴華は自分の為にメイクを習ったらしい。
蔵人は、鈴華を見上げる。
彼女は、お化粧が出来る人間が周囲に林さんしかいなかったから、事前に習っていたらしい。今後蔵人と外に出ようと思ったら、必ず必要になる技術だからと、得意でない事も挑戦していた。
これも沖縄旅行の為だと、鈴華は嬉しそうに腕を組んだ。
「ありがとうな、鈴華」
蔵人は鈴華にお礼を言う。
彼女が言い出してくれたから、自分は外に出るきっかけが出来たし、沖縄旅行にも行ける。彼女の行動力には、本当に助けられている。
蔵人の感謝を、鈴華は鼻を掻いて、くすぐったそうに受け取る。
「良いって事よ。それよりもよぉ、なんか悩みがあるなら聞くぜ?また百面相されても困るからさ」
「うん。まぁ、そうだな」
蔵人は、歯切れ悪く答える。
あまり、他の人達に相談出来る物でもなかったから。
蔵人は、その時のことを思い出す。
表彰式が終わり、何とか家に帰りついた時に起きたことだ。
「お待ちしておりました、蔵人様」
リビングに上がった蔵人に対し、真っ直ぐ頭を下げていたのは、巻島家の筆頭の火蘭さんだった。
家の駐車場に高級車が停まっている時点で、何となくは察していた蔵人だったが、彼女が差し出してきた一通の手紙を見て、無表情を保つ事が出来なかった。
開くまでもなく、その中身が分かったから。
6年前まで、毎年送られてきた手紙。
巻島本家新年会のお誘いだった。
6年前まで、この家に頼人が居たから送られてきた書状。だが今は、彼は本家へと連れて行かれたので、パタリと来なくなった。目的の頼人を入手出来たから、蔵人はもう不要であった。
では、再び送られて来たこの手紙は、一体何を求めて送られてきたものなのか。
それを考えると、蔵人はどうしても苦い表情を隠せなかった。
それを、顔を上げた火蘭さんも理解している様だった。
「蔵人様。心中お察しします。気が乗らないのでしたら、今回は見合わせる事も可能かと思います。全日本の後で大変だからと、当主様にはお伝えしますので」
「火蘭さん。とても魅力的なご提案ですが、それは不味いでしょう」
特に、火蘭さんの立場が危うくなる。
彼女はきっと、蔵人を連れてくる様に言われているだろう。それなのに、こちらの肩を持つ様な態度を取れば、幾ら筆頭執事とは言え安全とは言えない。
最悪、他家に左遷なんて事になるかも。
そう思った蔵人だったが、火蘭さんは首を振る。
「蔵人様。差し出がましい事と思いますが、進言させて頂きます。この招待、是が非でも受けるべきではございません」
「ほぉ。と言うと?」
蔵人が先を促すと、少しだけ考え込む火蘭さん。そして、何か覚悟を決めてこちらを見上げる。
「ここからは、私個人の妄言と取って頂きたい」
「分かりました。助かります」
立場的に言ってはいけない内容だが、無理をして教えてくれると言う事だろう。
本当に有難い。
蔵人がしっかりと頷くと、少し安心した様に目元を緩める火蘭さん。
だが直ぐに、表情を固くする。
「氷雨様は…母は、恐らく蔵人様を疎ましく思っているのだと考えます。特区の外出身で、異能力種も最下位種。そんな子供が、異能力界のトップに躍り出た。母からしたら、目障りでしょう。長年、高ランクだけの特区が必要と説いて回り、アクアキネシス系を優遇していた彼女です。母の目論見から全て外れ、母の道を阻もうとする蔵人様は、邪魔でしかありません」
「私を消そうとするとでも?面白い」
力づくで消そうとするなら、受けて立とうと蔵人は心を躍らせる。
正直に言うと、氷雨様であれば勝てると蔵人は踏んでいた。6年前までは大きな壁であった彼女だが、今ではただのAランクだ。覚醒者に成りつつある海麗先輩と比べたら、雲泥の差である。
仮に、氷雨様と流子さんにタッグを組まれたら、かなり厳しいけど。
だが、その流子さんはこちら側だ。その他にも、蔵人の周りにいる人達との人間関係も、この1年でかなり強化されている。
一条家や二条家、近衛家と言う最上位のお貴族様の庇護下にあり、軍の上層部とも繋がりがある今、巻島家が下手な行動に出るとは思えない。
出たら、それこそ皆さんにお力添えを頂くまでだ。
監禁されたとしても、こちらには敏腕記者と元御庭番のご家族もいる。そうそう隠し通せる事では無い。
そう思って笑う蔵人だったが、火蘭さんは尚も表情を暗くした。
「蔵人様。母は非情な人です。貴方を無力化する為なら、なんでもするでしょう。例えば、貴方様の御立場を、一介の護衛に落とすかもしれません」
私の様に。
そう、聞こえた気がした蔵人は、火蘭さんの忠告に眉を寄せるしか出来なかった。
それは、今も続いていた。
蔵人が押し黙っていると、若葉さんがうんうん頷いていた。
「お家の事だもんね。言い難いよね」
「おっそろしい!さすが甲賀忍者、恐ろしい!」
彼女の口調は、ある程度の事を把握していそうである。
きっと、有力貴族の情報を扱う人が身内にいるのだろう。彼女に聞けば、氷雨様が何をしようとしているかが分かるかもしれない。
そんな誘惑に駆られそうになる蔵人だったが、
「若葉さんの言う通り、家の事情でね。ちょっと疎遠だった親族が全日本優勝をきっかけにアプローチしてきただけだよ」
蔵人は何でもない風に取り繕った。
彼女達の不安を、イタズラに煽る必要はない。今日は楽しい初詣なのだ。小難しい話は、大人達に投げつける事とする。
そんな蔵人の配慮を、鶴海さんが拾う。
「なんだか、蔵人ちゃんの言い方だと、宝くじが当たった人みたいに聞こえるわ」
「「確かに」」
桃花さんとハモってしまった。
だが、それ程言い得て妙な例えであった。集まってくるのが、お金か名声かの違いだけだろう。
そう思うと、余計に行きたくなくなる。
そんな蔵人を心配する様に、メイクに勤しんでいた鈴華の手が止まり、こちらをジッと見詰めてきた。
「なぁ、ボス。いざとなったらあたしを…久我家を頼って良いんだからな?巻島の当主くらいだったら、あたしでも話を付けてやるからさ」
「ウチもですわ、カシラ。ウチは腕力しか無いけど、加勢なら幾らでも引き連れて駆け付けますので、何時でも言うて下さい!」
「メディアへの伝なら任せてよ」
みんなが挙って、蔵人に支援の話を持ちかける。
とても心強い。甲賀忍者の提案は強過ぎて怖い。
「ありがとう、みんな。もしもの時は頼らせて貰うよ」
図らずも、彼女達の申し出のお陰で最悪の状況には対処出来る事となった。
後はこちらの話術に掛かっているが、背後が崖でないだけでかなり勝算が出てくる。
蔵人の顔が明るくなると、みんなも安心したように微笑み、鈴華は何かを突き出してきた。
銀白色の…板?いや、これはスマホか。
「ボス。携帯の番号を教えてくれ。その、もしもって時に直ぐ駆けつけられる様にさ」
「ああ、そいつは助かる。俺のはこれだ」
蔵人は携帯を開き、鈴華に画面を見せる。
スマホ同士だったら、もっと簡単に連絡先交換出来るんだがな。超アナログ方式な連絡交換だ。
「えっ!?鈴ちゃんのそれ、電話なの?なんか、凄い変な形!」
桃花さんが驚いている。隣の鶴海さんも興味深く見ているので、あまり見かけないのだろう。その隣の祭月さんは、目を閉じてじっとしてる。
…鼻ちょうちんが出てるぞ?マイペースさんめ。
「ちっちっち。桃は遅れてるな。こいつが次世代の携帯だ。スマートフォンって言うんだぜ」
「へぇえ〜。次世代かぁ」
「ホンマか?それ。そないに大きくなってもうたら、携帯するんに嵩張るんやないか?ただ奇抜な携帯に見えるんやけど」
伏見さんは懐疑的だ。なので、携帯をポケットにしまった蔵人が助太刀する。
「寧ろ、これからはこいつが主流だ。様々なアプリも入れられるし、画面がタッチで操作出来る。大きさも、今後どんどんコンパクトになっていくだろう」
「へぇー!そないに便利なんや。ウチは携帯自体を持っとらんので、知らんかったですわ」
「私も知らなかったわ。蔵人ちゃんの話し方は、まるで未来を見て来たみたいね」
「ええっ!?蔵人君、そんな事まで出来る様になったの?」
おっと。つい、得意げに喋ってしまった。
蔵人は桃花さんに「そんな気がしただけだよ」とフォローしておく。
全日本で新技を連発したからって、変な期待を持たせてしまったみたいだ。
そんな事を、盾が出来る訳ないでしょ?
…いや。何とかしたら出来るのか?
「よぅし!これで何時でも、ボスと連絡が取れるな」
「ああっ!鈴ちゃんだけズルい!僕もお母さんにお願いして、すぐに買ってもらうから。そしたら、僕にも教えてよ、蔵人君」
「ああ。頑張って交渉してくれ」
蔵人が頷くと、桃花さんは嬉しそうに顔を輝かせた。
そんな桃花さんに、彼女の横から鶴海さんの鋭い指摘が飛んでくる。
「それだったら、次の期末テストは頑張らないとダメよ?桃ちゃん」
「うげっ。それは、確かにお母さんに言われそう…」
テストで良い点取らないとダメよって?
冬休み前の期末テストで、悲鳴を上げていた桃花さんにはなかなか厳しい指摘だ。
だがその指摘は、思わぬ方向に飛び火した。
鶴海さんのお隣さんが、悲鳴を上げた。
「やめろぉ!テストの話はやめろぉ!桜ねぇのアイアンクローが襲ってくるぅ!」
寝ぼけた祭月さんが、椅子から転げ落ちそうになりながら訴える。
それを見て、みんなが笑い声を上げる。それを聞いて、祭月さんは漸く目が覚めたみたいだ。
覚めた目で、蔵人の方を睨みつけてくる。
「笑い事じゃないぞ!蔵人。君が私の勉強を見てくれなかったから、また赤点まみれになったんだ!」
「無茶を言いなさい。こちとら全日本で手一杯だったから、自分の勉強もまともに出来なかったんだぞ?」
「でも、30位以内に入ってるじゃないか!」
そりゃ、前世から積み上げてきた物の違いよ。
蔵人が肩を竦めていると、祭月さんは悔しそうに歯噛みする。
「くっそぉ。こうなったら、次回は是が非でも、蔵人の宿泊先に押しかけてやるぅ」
「おお、良いぞ。来い来い。ついでに、一緒に鍛錬もしようじゃないか」
まさに合宿だな。
それはそれで楽しそうだと、蔵人が邪悪な笑を浮かべていると、危険を察知した祭月さんは明後日の方を向き、
「あっ。やっぱ、ミドリンに教えてもらおっと…」
急に遠慮し始めた。
なので蔵人は、笑顔で勧誘する。
「遠慮するなって。手とり足とり、一晩中教えてやるから、安心して着いて来なさい」
「嫌だぁあ!桜ねぇより恐ろしいオーラが見えるぅう!」
そんな風に、車中では盛り上がりながら、車は特区の中を走っていった。
そして、暫くすると停車して、運転手がドアを開けながらお辞儀をした。
「鈴華お嬢様。御学友の皆様。目的地に到着致しました」
そう言って彼女が少し退いた先には、薄暗い朝焼けを背景に、明るい色と光を零す屋台の数々が並んでいた。
「さぁ、皆さん行きましょう」
お嬢様モードになった鈴華に先導されて、蔵人達も降車する。
さぁて。神様にお礼でも言いに行くか。
蔵人は1歩、駐車場の砂利を踏みしめた。
初詣ですか。神様にお礼って、優勝のお礼を申し上げるのでしょうかね?
「さてな。それよりも、翌日の予定の方が厄介そうだ」
巻島家の新年会ですね。
欲望と葛藤の渦が見えそうです。
「それと、騒乱もな」