312話~チェストォオオオ!!~
様変わりした蔵人の様子に、海麗選手はいつの間にか足を止めて、蔵人を見上げていた。
彼女の目は警戒の色を強め、呆れる様に乾いた笑みを浮かべた。
「随分と大きくなったね。それも、新しい技?」
「(低音)技であり、元の姿でもある。ただ肥大化しただけだと高を括ると、痛い目を見るぞ?少女よ」
「なんか、喋り方まで変わったね。少女なんて君に言われると、ちょっと嬉しいかもっ!」
彼女の止まっていた足が地面を穿ち、こちらに飛びかかってきた。黒色化した右腕を大きく振りかぶって出してきたのは、蔵人の腹部を狙った"上段突き"。
それを、蔵人は半身になって避ける。途端、彼女の拳から放たれる衝撃波が、蔵人の膜を揺らす。
だが、それだけだ。先程まで食らっていた圧迫感は全て、この脂肪が吸収していた。
今までは、この衝撃波から逃れる事に大きく回避していた。だがこれなら、その必要は無い。
蔵人は、拳を振るって大きな隙を作った彼女の横腹に、その肥大化した腕をぶち込んだ。
その途端、海麗選手の脇腹が一瞬で黒色化する。
黒色の表皮に突き刺さった蔵人の拳が、ミシリッと悲鳴を上げる。
だが、
「ぐっ!」
同時に、海麗選手からも、苦しそうな声が漏れた。
やはり、効いている。
蔵人は確信を持つ。
海麗選手を殴った拳は凹み、それを受けた彼女の体は、赤くすらならずに無傷であった。
だがそれは、表皮上の事。彼女の内側では確実に、肥大化した拳の衝撃が伝わっていた。
幾ら外皮を強化しようと、衝突の衝撃までは防ぎきれなかったのだ。
「せぇりゃぁあっ!」
お返しとばかりに、海麗選手が回し蹴りを放つ。
避けきれないと判断した蔵人は、右腕を構えて彼女の足技を受け流す。
途端、衝撃が右腕を襲う。
真正面から受け止めた訳でもないのに、右腕がミシリッと悲鳴を上げ、足が浮きそうになる。
だが、蔵人は堪える。
吹き飛びそうな足を踏ん張り、膜を動かして衝撃を体外へと逃がした。
そうすることで、ロゴの中の蔵人にまで、大きなダメージは通らない。
加えて、海麗選手の剛脚をやり過ごした事で、その後には大きな隙をさらした彼女の脇腹が現れる。
蔵人はそこに、拳を撃ち込んだ。
「(低音)ラピッドショット!」
「ぐぅっ!」
『悶絶ぅうう!黒騎士選手の拳が脇腹に刺さり、美原選手の表情が大きく歪むぅう!この試合が始まって、初めての有効打が入ったぁあ!』
「「「わぁああああ!!」」」
「よっしゃぁ!反撃だぜ、ボス!」
「こっからや!こっからがカシラの独壇場や!」
「頑張れ!黒騎士君!」
「「「くっろきし!くっろきし!」」」
『観客席からの黒騎士コールが復活!流れが大きく、黒騎士選手へと傾きつつあります。その声に答える様に、黒騎士選手が果敢に攻める!美原選手の前蹴りを避けて、からの右アッパー!美原選手は肩で受け止めた!が、黒騎士選手の左ストレートが、もう一度同じ場所に着弾!美原選手堪らず、後方へ退避。いや、黒騎士選手の拳に吹き飛ばされたか。それを追って、黒騎士選手が飛び上がった!巨人のダイブ!』
巨体を空へと跳躍させた蔵人は、組んだ両手を頭上に上げ、足元にいる海麗選手に向けて、着地と同時に振り下ろした。
「(低音)ス豚ピングッ!」
「うわっ!」
何とか直撃を避けた海麗選手。だが、蔵人が放った衝撃は地面を揺らし、逃げようとした彼女の足を鈍らせた。
蔵人はそれを、見逃さない。
『黒騎士選手の振り下ろし!ストンピングの影響を諸に受けた美原選手、動けません!打ち下ろされる黒騎士選手の弾丸が、スコールの様に彼女に降り注ぐ!』
「まだだよっ!」
繰り出す拳の間から、黒色化した拳が割って入ってきた。
海麗選手のカウンター。
蔵人はそれを、首を傾けるだけで避ける。
衝撃が頬を伝い、後ろへと吹き飛ばされそうになる。
倒れるものかと踏ん張っていると、その間に海麗選手が距離を空け、こちらを見上げた。
彼女の瞳は、とても強い光を放っていた。
まだまだ。これからだ。
そんな思いが詰まった光。
その光は、蔵人の瞳にも宿っていた。
白い巨体の中、兜から覗く蔵人の紫色の瞳が、海麗選手の光を受けて輝く。
一時の間、睨み合う両者。
だが、すぐに動き出す。
ほぼ同時に振り上げられた拳が、フィールドの中央でぶつかり合った。
〈◆〉
東京特区、台東区。
上野WTC。
ダンジョンダイバーズ掲示板前。
普段であれば、そこには様々なランキング情報が映し出され、施設の利用者が一喜一憂する場所である。
だが今は、普段よりも多くの人で埋めつくされており、画面にはすぐ隣で開催されている、全日本の試合風景が映し出されていた。
それを見ているのは、試合のチケットが買えなかった人達だ。
彼女達は、せめて空気だけもとここまで来て、ライブ映像を注視していた。
彼女達の中には、かなり遠くから来ている人もいる。
例えば、九州とか。
「流石は黒騎士様です!」
黒過ぎる黒髪を震わせて喜ぶのは、島津家本家の次女、島津円であった。
彼女は、すぐ隣で拍手を送る実の姉の肩を、振り子時計の様に揺らす。
「姉様やりましたよ!黒騎士選手が、あの鬼神を相手にもう少しで!」
「分かったわ、円。大丈夫。私も見ているから。だから揺らさないでちょうだい?」
「姉様!美原海麗は異常です。関東でも指折りの武者達が呆気なく倒されているのです。こんなこと、皇帝だって出来はしません。間違いなく彼女は、最強のAランク。それを、それを…」
過呼吸気味になる妹に、巴は落ち着く様にと肩を抱く。
すると、円は少しだけ落ち着いた様に見えた。
でもその時、掲示板から会場の声が届いた。
『ああっと!ここで美原選手も立ち直ったぁ!黒騎士選手の巨体と向かい合い、そして…反撃開始だぁ!』
「黒騎士さまっ!?」
折角落ち着いた円の顔が急浮上し、黒騎士君のピンチを知らせる画面を睨み上げた。
『美原選手の剛腕が、黒騎士選手の巨体に突き刺さる!流石はSランクの拳。分厚い脂肪の壁を大きく凹ませ、地を穿つ巨体を後退りさせた。だが、踏ん張ったぁ!巨人は倒れない!再び巨大な拳を振り上げ、美原選手に襲いかかる!』
「こうしては居られません、姉様!」
「えっ?」
妹が何に焦っているのか、巴が聞き返そうと振り返ると、妹は既にそこに居らず、巨大なモニターの前で刀を抜いていた。
「皆の者、黒騎士様の奮闘に、今こそ声を上げる時です!」
何をやっているのあの子は!?
巴は目を白黒させ、早く妹を退場させようと人混みの中に分け入ろうとした。
だが、それより先に、集まった観客が声を上げる。
「あの人って、もしかして鮮血選手?」
「全日本Bランク2位の?九州の選手でしょ?」
「九州…海を渡って来たというのか…」
「なんで、出場もしていない人がここに…?」
皆さんの視線が円に集まり、彼女は満足そうに頷き、生成した刀を高々と掲げる。
「確かに、我々はチケット争奪戦に敗れた敗残兵です。ですが、その熱意は誰にも負けない。直接見れずとも、少しでも思いを届けたいと切望し、この場に居るのですから!」
「「おぉおお…」」
「そうよ!私達は諦めきれないからここに居る!」
「思いなら、会場の奴らに負けないわ!」
周囲の同意を得た円は、満足した様に笑みを零し、切っ先を右側に移動させる。
その先には、
「皆の者!声を上げるのです!すぐそこで戦われている黒騎士様に、我々の声を、熱意を届けるのです!我々のこの思いの前では、こんな天井など容易く突破出来よう!」
「「「おぉおおお!!」」」
「くっろきし!くっろきし!」
「「「くっろきし!くっろきし!」」」
凄いことになってしまった。
巴は、目の色を変えた観客達を見回して、静かにため息を吐いた。
〈◆〉
東京特区、千代田区。
日本武道館。
1万5千人の女性客が詰めかける会場では、全日本に負けないくらいの熱気で包まれていた。彼女達は一心不乱に、舞台の上で踊る5人の少年達に歓声を上げ、手に持つサイリウムを歌に合わせて揺らしていた。
ステップ×ステップ・プレスト。今をときめくトップアイドルのライブは、今、最高潮に達しようとしていた。
その最中、ステージの真ん中に巨大なモニターが現れる。
そして、そのモニターの向こう側には、男子アイドル達のライブ会場には似つかわしくない映像が流れ出す。
白銀の騎士達が、凶悪な異能力をぶつけ合ってしのぎを削る、血なまぐさい映像だ。
全日本Aランク戦、その決勝戦の様子が、映像だけ流れていた。
『頑張れぇ!黒騎士!』
ステージの上で、マイクを持った黄色いアイドルが大きな声を上げる。
突然の演出に、会場に集まった女性達は困惑の声を上げ、
「「「頑張れ!黒騎士くん!!」」」
上げる者は、1人も居なかった。
皆が当然の様に声を上げ、アイドルの為に振っていたサイリウムを、今度は黒騎士の為に揺らす。
何故、誰もが順応したのか。それは、このライブの名前が〈全日本選手権、黒騎士応援ライブ〉だからだ。
プレストが企画した応援ライブは、黒騎士が出てきた今からが本番であった。
だが、雲行きが怪しかった。
決勝戦が始まってすぐ、黒騎士は窮地に立たされ、為す術なくボロボロにされていく。
音声が無い映像だけでも、黒騎士の苦しい息遣いがここまで聞こえてくる様だった。
『負けるな!黒騎士!』
皆が固唾を呑み、両手を合わせて見守る中、プレストのメンバーが堪らずに声を上げた。
ウルフカットのシンだ。
彼に吊られて、他のメンバーもマイク越しに叫ぶ。
『俺たちがついてるぞ!』
『ここに居るみんなが、君の味方だよ!』
「「「黒騎士くん!負けないで!」」」
「負けるな!黒騎士さま!」
「貴方は、Cランクの希望よ!」
ステージの上から下から、声援が巻き起こる。遠く離れた上野WTCに、声など届かないと分かっていながら。
それでも、彼ら彼女らは必死に応援する。声を、思いを届ける。
『みんな!歌おう!僕達の歌を、彼に届けるんだ!』
プレストのリーダー、マサは声を上げると、スタッフに曲を流す様に指示を出し、メンバーを一列に並ばせた。そして、プレストの5人はマイクを構え、映像に向かって歌声を響かせる。
『『『どんな辛い日も♪君は前向いて〜♪手を伸ばす、事を諦めない♪何度も立ち上がるよ〜♪』』』
彼らの歌に合わせて、歓声席ではサイリウムがゆっくりと弧を描く。声には出さない声援が、静かな荒波となってアイドル達の背中を押す。
その歌声が聞こえたみたいに、黒騎士が立ち上がる。
みるみる内に、彼の体は大きな膜の巨人に取り込まれ、その巨体が相手選手へと突き進んだ。
それに合わせる様に、プレストも歌う。
『『『突き進め♪突き進め♪信じる明日の元へ♪君なら出来るって信じてる♪だから、進み続けて〜♪』』』
黒騎士が相手選手と殴り合う。どちらも引かず、どちらも諦めず、互いの装備が弾け飛び、汗と血がフィールドに飛び散る。
黒騎士の風船が、どんどん歪な形になってくる。相手選手のパンチで体が凹み、相打ちした左腕が潰れた。
それでも、彼は止まらない。
止まらないでくれ!
『『『貫いて♪貫いて♪君の大切な思い♪どんなに高い壁だって♪君なら越えて行ける~♪』』』
『超えるんだ!黒騎士くん!』
「「「くっろきし!くっろきし!」」」
マサの声に、会場からも熱い思いが湧き起こる。
その声はライブ会場から、日本各地から集まり、激戦が続くそのフィールドへと向かうのだった。
〈◆〉
東京特区、台東区。
上野WTC、セントラルスタジアム。
『黒騎士選手のひだりぃいい!美原選手の顔が大きく歪んだぁあ!』
「「「おぉおおお!」」」
「いけぇ!くろきしぃい!」
「もう少しだぁ!もう少しで優勝だ!」
『美原選手の回し蹴りぃい!黒騎士選手の左腕を弾き飛ばしたぁ!そこに、トリッキーな後ろ蹴りだぁ!それを、黒騎士選手が捨て身の体当たりで止めたぁあ!』
「もう少しよ海麗!」
「美原先輩!黒騎士君の足は止まってます!チャンスです!」
「琉球空手の神髄、みせちゃれ!」
試合会場は、賞賛と怒号と金切り声で埋め尽くされていた。誰も彼もが無我夢中で叫び続け、手に汗握って熱を上げる。
その彼女達の視線の先には、フィールドの中央でボロボロになった1組の元騎士達の姿があった。
蔵人と海麗選手。
2人の白銀鎧は、既に殆どが粉砕されていた。
蔵人は、半透明の膜も大きく凹んでしまい、タイプⅢの左腕は半分以上が吹き飛ばされていた。
海麗選手も、鎧の下に着込んでいた道着は穴だらけで、そこから見える小麦色の健康的な肌が見え隠れしてる。
満身創痍。
その言葉が当てはまる2人は、しかし、動きを止めない。
互いの魔力が渦を巻き、二重螺旋となって互いを巻き込もうとする。
その台風の中心で、2人は大きく拳を振り上げる。
「(低音)マグナム!」
「せりゃぁあ!」
回転する極大の剛腕と、光も吸い込む黒色の鉄腕。互いの拳がぶつかり合い、衝撃で周囲の空気が震える。
だが、それも長くは続かない。
蔵人の半壊していた左拳は、海麗選手の黒拳を受け止めきれず、後方へと弾き飛ばされた。
そのまま、壁に激突する蔵人。
体が壁にめり込み、観客席が大きく揺れる。張り巡らされていたAランクのバリアが1枚を残して、全て破壊された。
「「うわぁっ!!」」
「「きゃぁっ!」」
それをすぐ近くで見た人達から、悲鳴が一斉に上がる。運営の警備がすぐに駆けつけ、バリアの補強と、観客の避難誘導を行う。
だが、1度退いた観客達は、直ぐに元の席へと戻った。
誰も、避難しようとしない。
まだ直りきっていない階段を降りて、そのすぐ下にいる蔵人に声をかける。
「「頑張れ!黒騎士!」」
「「まだ行ける!君なら、出来る!」」
「残り1分を切ったぞ!」
その声を受けて、壁の中から蔵人が飛び出す。
歪な体を左右に揺らして、フィールドの中央へと歩き出す。
声を、上げる。
「(低音)ブハハハッ!見事だ、勇者よ。この俺の左腕を、こうも潰してくれるとはなぁ」
「そっちこそ、良くやるよ!こんなに、黒拳を、叩き込んだのに。平然と、歩いてるんだもん。嫌になっちゃうよ!」
非難めいた言葉を吐き出す海麗選手。だが、顔にはニヒルな笑みが浮かんでいる。
言葉とは裏腹に、こちらの技術を賞賛してくれているのだ。膜を犠牲にして、彼女の黒拳の威力を殺した事を。
だが、もうそれも必要ない。
試合時間が、終わりに差し掛かっていた。
蔵人は、立ち止まる。
海麗選手との間には、まだ10m程の距離がある。
もう、避ける時間はない。
あるのは、一撃を叩き込む時間だけ。
最後の一撃。
それを、蔵人は右拳に集める。
全ての盾を。全ての魔力を。
全ての気持ちを。
「盾・一極集中!」
「はぁああああああああ……!」
蔵人が魔力を集めている間、目の前では海麗選手が気力を集めていた。
深く構え、大きく息を吐き出す彼女。その周囲では、広大な魔力の大海原が、大きくうねりを上げていた。
Aランクの魔力。それが、覚醒の渦を巻く。
彼女の左拳が、真っ黒に変色した。
そして、
「ふっ!」
短い息を吐いたと同時に、こちらへと走り出す。
蔵人も彼女に向けて、巨大な4枚の盾を回す。
高速回転。
超高速回転させて、彼女に突っ込む。
「ミラァ!ブレイクゥ!!」
「チェストォォオオオ!!」
『両者の拳が、極限まで昇華された魔力がぶつかり合う!濃厚な魔力がぶつかり合い、擦れ合い、強烈な魔力スパークが発生した!これは、並の人間では近づく事も出来ない!両者は今、我々とは違う次元で戦っているっ!!』
「「「うぉおおおおお!!」」」
「「「くっろきし!くっろきし!!」」」
「「「行け行け海麗!押せ押せ海麗!」」」
大歓声が蔵人達を包み、その中でスパークが芝生を燃やす。
そして、その炉心部では、超高速のドリルが黒拳の表層を削っていた。
だが、
ギィィイイイインッ
ドリルは空回りするばかりで、一向に拳を穿つことは無かった。
加えて、
『ああっと!押されている!黒騎士の体が、徐々に、徐々に後退している!極大のドリルは、しかし、Sランクの拳の威力に耐えられない!努力が、魔力に押し返されているっ!!』
海麗選手の膨大な魔力の前に、蔵人が培ってきた物は歯が立たず、押し潰されようとしていた。
「頑張れ!黒騎士!」
「止まって!そこで止まって!」
悲痛な叫びが、蔵人の背中を押そうとする。
それでも、海麗選手の勢いは止まらない。必死な形相で、顔を紫色に変えて、必死に黒拳を押し返していた。
「はぁああああああ!!」
彼女の気迫で、蔵人は一歩、また一歩と後退させられる。
ここまで積み上げてきた努力を、根底から転覆させられる。
それでも、
「おらぁあああ!!」
蔵人は諦めない。
足掻き、藻掻き、地面を掻いて、ドリルを必死に突き立てる。
その黒い壁を穿つことは、まだ出来ないと知っていながらも、蔵人は抗い続けた。
だが、無慈悲にも、
終わりの音が小さく響く。
ピキッ
その音は、蔵人のドリルから響いた。
Sランクの壁に挑み続けた対巨星用シールドの先端から、小さな悲鳴が上がった。
先に音を上げたのは、蔵人ではなかった。蔵人の魂だった。
それを、海麗選手の目も捉えた。
一瞬だけ、少し寂しそうな顔をして、直ぐに戦士の顔に戻る。
もう、蔵人の拳を潰す事に、躊躇はしない様だった。
彼女の拳から、更に力が伝わってきた。
「チェストォオオオ!!」
その一撃で、蔵人のドリルが、
砕けた。
真ん中から、蜘蛛の巣状に走ったヒビから、一斉に崩壊した。
砕けた盾の中を、海麗選手の黒拳が進む。
蔵人の突き出した右手に、真っ直ぐと向かい、そして、
「まだだぁ!!」
蔵人の拳に到達する前に、阻まれる。
それは、蔵人の右拳を覆う、小さなドリルだった。
白銀の螺旋盾。ミラブレイクよりも遥かに劣るそれで、蔵人は足掻いた。
だが、そんな物はSランクの前では無力。
1秒も持たずに、砕け散ってしまった。
「まだまだぁ!」
それでも、蔵人は諦めない。
左拳に纏った水晶の螺旋盾。それを、ぶつける。
一瞬だけ拮抗したその盾は、やはり一瞬で吹き飛ばされてしまった。
「おらぁあああ!!」
3度目。
右拳で回転する鈍色の螺旋盾が、海麗選手の拳とぶつかる。
対巨星盾でも止められなかった拳を、Dランクの拳で止めようとする。
無謀以外の何者でもない。
それでも仕方がない。もう、それだけの魔力しか残っていないのだから。
それでも、蔵人は抗う。
蔵人の纏った鈍色の拳が、海麗選手の拳とぶつかり合う。
競り合う。
「…えっ?」
海麗選手の、少し間の抜けた声。
それは、周囲にも派生する。
『と、止まった?止めたぁ!黒騎士選手のDランクの拳が、美原選手の拳を止めたぁあ!』
「「「うぇえええ!?」」」
驚く会場。
驚く海麗選手。
そんな彼女達を前に、蔵人は笑う。
彼女の拳を見て、笑みを深くする。
蔵人の視線の先にあったのは、強力な黒拳などではなかった。
健康的な小麦色の、海麗選手の地肌だった。
『Sランク化が、解除されているぅう!これはまさか、魔力切れだぁ!』
そう。魔力切れ。
確かに、黒拳は強力な技だ。だが、強力が故に消費魔力も非常に多い。何度も出していれば、魔力だって切れる。自分のランクよりも上の技を出すなら、余計に。
それを狙って、蔵人は強力な攻撃を叩き込んでいた。彼女にSランクの防御をさせる為に。魔力を使わせる為に。
そして、今、彼女の拳が纏っていた魔力が消えた。
そこに、
「終わりだ、巨星!」
蔵人は鈍色の拳を振り上げ、海麗選手へと振り下ろす。
それに、彼女は、
「私だって、まだぁ!」
殆ど魔力を纏っていない拳を、振り上げた。
力を振り絞り、最後の力を思いっきり振り抜いて、蔵人の鉄拳と拳を交えた。
魔力の差は歴然。それでも、一瞬だけ拮抗した。
その後、
「うっ!」
海麗選手は、吹き飛ばされた。
地面を転がり、うつ伏せになって止まった。
立つ様子は……ない。
「試合!終了!」
審判が駆け寄って来て、蔵人の方に手を差し出す。
「勝者、黒騎士選手!」
「「「うぉおおおおお!!!」」」
観客席で、爆発が起こったかと思う程の歓声が上がる。
実況の声もかき消す程の大熱狂が、会場中で唸りを上げる。
蔵人は、彼女達の上げる歓声を、ただ見まわした。
終わったのか。そう、ジワジワと実感が湧いてきた。
と、そこで、
「「「おおおっ!?」」」
歓声が、急に鳴りやんだ。彼女達は、一点を見詰めている。
蔵人も、そこを見る。すると、そこには必死に立ち上がろうとする海麗先輩の姿があった。
「海麗先輩!」
蔵人は、つい彼女の元に駆け寄った。
だが、止まった。
真っ青になった彼女の表情が、まだ死んでいなかったから。
瞳に、確かな光を宿していた。
蔵人は、彼女の3歩前で止まり、差し伸べようとしていた手を引く。彼女が立ち上がり、こちらへフラフラしながら近づいてくるのを、ただ待った。
あと1歩で届く。
しかし、海麗先輩はそこで、躓いた。
前のめりになって倒れそうになる彼女を、蔵人は咄嗟に支えた。
「海麗先輩。もう…」
「蔵人君、あり、がと…」
海麗先輩は、絞り出すようにそう言った。
「ありがと、蔵人君。最後まで、戦ってくれて。全力で…」
全力で戦ってくれてありがとう。
そう言い切る前に、海麗先輩の体から力が抜けた。
そう言いたいのは、僕の方ですよ。
蔵人は、惜しみない拍手が降りしきる中、先輩の小さくて大きな体を支え続けた。
魔力が切れましたか。
「正しくは、魔力を消費し過ぎた、だな。熟練度の違いで、美原嬢はあ奴以上に魔力を消費していたのだ」
ただ強い力を使えば良いという事では無いのですね。
最後は、技術の差が出た試合でした。
イノセスメモ:
熟練度…異能力は、繰り返し使うと魔力の消費量を抑える事が出来る。実験では、最大80%までの魔力削減が報告されており、理論上は99%まで可能であると考えられている。