311話〜嘗ての栄華よ、今ここに〜
黒い腕を高々と掲げる、海麗選手。
その黒は、関東大会の模擬練習で見たものと同じ光沢を放っていた。蔵人の拳を破壊した拳。彩雲のユニゾンゴーレムの一刀を弾き返した拳。
Sランクと同等の拳。
それが、目の前で力強く握られていた。
だが、あの時の彼女は手の甲を覆う程度までしか黒拳を広げられなかった筈だ。それが今では、右肘の付近まで真っ黒に変色していた。
これが、彼女の言っていた"ここまで"の意味なのか。
蔵人が理解すると同時、彼女の腕が下ろされる。
黒色の腕はそのまま、彼女の腰で留まり、こちらに真っ直ぐ狙いを付けた。
不味い。ヤバい!
頭の中で鳴り響く危険信号。蔵人はそれに素直に従い、全盾を総動員して横へと回避する。
その直後、
「チェストォオオ!!」
っパァァァン!!
海麗選手の声と轟音が共鳴し、彼女の繰り出した拳が空気を割り、大地を切り裂いた。吹き飛ばされたフィールドの土が、まるでマシンガンの様に観客席へと襲来し、幾重にも張られたバリアが広範囲にわたって亀裂が走った。
『なっ、なんて威力だ!美原選手から遠く離れたAランクのバリアが、いとも簡単に破壊されてしまった!間違いない、この攻撃力はSランク、Sランクの剛腕だァああ!!』
「「「うぇええ!?」」」
「Sランク?」
「どういう事?彼女は、Aランクの筈じゃ?」
部分的に、と言う意味だ。
蔵人は盾を再展開させながら、観客達の戸惑いに答える。
海麗選手は自身の魔力を1点に集中し、部分的なSランクを作り出している。それ故に、衝撃波だけでAランクのガードを割ったり、ドリルを受け止めたりしているのだ。
だが、それはあくまで一部分。彼女の魔力出力までもがSランクになった訳ではない。
つまり…。
「シールド・カッター」
蔵人は、大きな水晶盾を12枚、空へと浮かせる。そして、それらを4枚ずつ1組に合わせ、
回す。
高速回転させる。
「大車輪!」
『出たぁあああ!黒騎士選手の新技、大車輪!あの安綱選手の名刀すら叩き切った凶悪な回転刃が、今、美原選手へと飛来する!』
蔵人は、1枚の大車輪を海麗選手の正面へと飛ばした。
彼女はそれを、易々と黒拳で受け止めた。
ギィィイインッ!
金属同士がぶつかり合う高音が響き渡り、接触部から火花が飛び散る。
ただの水晶盾でも、遠心力が加わった大車輪ではそうそう簡単には押し負けないない。
だが、
『なんと、あの大車輪ですら、美原選手の体はビクともしない!彼女が纏うSランクの外皮が、巨大手裏剣の刃を尽く跳ね返してしまっているぅ!!』
海麗先輩は涼しい顔で、凶悪な回転刃を受け止めてしまった。
まぁ、それは想定内だ。ミラブレイクすら貫通しなかった彼女の黒色皮膚。それより攻撃力の劣る大車輪でどうこう出来るとは思っていない。
なら、これはどうだ?
蔵人は、移動させていたもう1枚の大車輪を、彼女の背後から急襲させる。
そう、彼女はあくまでAランク。一部分をSランク化出来たとしても、複数個所を攻められれば対応出来ないだろう。
そう考えた蔵人は、大車輪での広範囲攻撃を行った。
だが、
ギィィイインッ!
2枚目の大車輪も、轟音を響かせるだけで止まってしまった。その刃は、黒色へ変化した海麗選手の背中によって、またもや受け止められてしまった。
なんとっ!2箇所同時に黒色化が出来るのか!
蔵人は驚愕しながらも、ならばこれでどうだと、3枚目の大車輪も出動させる。
海麗選手の左サイドから、彼女の足を狙って放った。
2枚の大車輪に挟まれている海麗選手は、動けない。
3枚目の大車輪は、なんの抵抗もされること無く、彼女の太ももへと切り込んだ。
ギィィイインッ!
だが返ってきたのは、硬い物同士がぶつかり合う高音のみであった。
『これは凄い!黒騎士選手が放った大車輪3枚が、それぞれ別方向から美原選手を切り刻む!だが、だがそれでも耐えている!美原選手はそれぞれの刃に対して、Sランクの防御を展開している!』
なんて技術だ。
蔵人は、広い範囲を同時に黒色化させている彼女を見て、乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
『これは鉄壁!なんという防御力!美原選手は、Sランクの攻撃力を得ただけでなく、Sランクの防御力まで再現してしまった!最強の矛と盾を装備した彼女は、まさに鬼神!Aランクの枠を超えた、超越者だ!』
「「「うぉおおおお!!」」」
「すげぇ!こんな事が出来るなんて!」
「まさにSランクよ!」
「日本で10人目のSランクだ!」
観客達も熱狂し、海麗選手を称える声が大きくなり始める。
その声に、蔵人も心の中で同意する。
拳、背中、太もも。こんな離れた部分を同時にカバーできる操作性。それを瞬時に行う技術力。その両方を両立させた彼女の黒色化は、最早Aランクの枠に収まらない。堅牢な守りに、全てを貫く砲撃を備えた超人。まるで人間戦艦とでも言い表そうか。
そんな彼女に、どんな手段が有効だと言うのだろうか。
蔵人は、目の前が暗くなった様に感じた。
だが、すぐに呼び戻される。
海麗選手の、掛け声によって。
「せぇええいっ!とりゃぁあっ!」
見ると、彼女は自身を切り崩そうとしていた大車輪達を腕力で跳ね除け、弾かれた羽に向かって黒拳を叩き込んでいた。
幾ら回転を加えた盾でも、その剛腕の前には歯が立たず、紙屑の様にくしゃくしゃに潰されて吹き飛んでいった。
彼女の前では、全てが紙屑。
どんな攻撃も、全てが無に帰す。
「馬鹿がっ!」
蔵人は吠える。
何を腑抜けた事を!と己に喝を入れて、止まりそうになった足を前に、ひたすら前に出し続ける。
腕と足に二重の龍鱗を纏い、目前で構える海麗選手に襲いかかる。
「おらぁあ!」
「んっ」
蔵人が放つ渾身の回し蹴りを、海麗選手は軽く手を添えるだけで止めてしまう。
だが、蔵人は止まらない。
着地する前に、防がれた足で彼女の腹部に前蹴りを放つ。放った瞬間に、足に着いていた龍鱗を起こし、高速回転させる。
タイプ・Ⅲ、
「ドラゴン・テール!」
凶悪な金剛の刃を連ねて回す、凶悪な兵器。それを、海麗選手の腹部に押し当てる。
ガァアアアンッ!という、鎧が切り裂かれる音の後に、ギィィイインッ!という、刃が滑る音が続いた。
海麗選手の黒色化だ。鎧を切り裂き、彼女の道着を切り裂いた龍の尾びれは、彼女の黒色化した腹筋によって止められてしまった。
いいや、まだだ。
『黒騎士選手の猛攻!防がれた前蹴りをそのまま、上段蹴りに変えて美原選手の顎をカチ上げたぁ!しかし、美原選手は無傷!顎に魔力を集中してSランクのガードで対応した!凄い!速い!この反射神経は並じゃない!流石は、全国空手道選手権王者。それでも黒騎士選手は諦めません!右アッパー炸裂!続けざまに左ストレート!足を使って美原選手の側面に回り込み、回し蹴りで側頭部を狙う!四肢で回る凶悪な刃が、美原選手を様々な角度から切り刻む!しかし、しかし、美原選手の鉄壁が、全ての刃を全て防ぎきっているぅう!』
「嘘でしょ!?」
「安綱選手の太刀も切った技なのに!」
観客が動揺するのと同じくらい、蔵人も心を乱していた。
こちらの攻撃は、全て海麗選手の黒色化によって受け止められてしまう。高速回転する刃も、視界の外から放った蹴りも、広範囲に放った連打も、避けて、受け止めて、全て防がれた。
何がある。
他に、俺が持つ攻撃方法は何がある。この人間に勝つ手段は、一体何なんだ。
叫び出したくなる程の焦燥感を感じる蔵人。
そこに、影が射す。
タンッという、足音。
それが聞こえた次の瞬間には、すぐ目の前に海麗選手が迫っていた。
思考を迷わせた事で、蔵人の逃げ足は少しだけ鈍ってしまっていた。
ほんの一瞬の緩み。その僅かなチャンスを、彼女は逃さなかった。
ヤバいっ!
そう感じた危機感のままに、体を仰け反らせ、彼女が繰り出してきた正拳突きをなんとか躱す。ギリギリで回避した拳から、強烈な衝撃波が蔵人の鱗を削り、鎧を圧迫した。
「ぐっ!」
胸が押されて、溜め込んでいた空気が吐き出される。体が押し出されて、自然と海麗選手との距離が開く。
蔵人からしたら貴重な距離。だが、彼女からしたら軽いステップを刻むだけで詰められる距離だった。
一瞬で、彼女の射程距離まで詰められる蔵人。
強靭な四肢の台風が、吹き荒れる。
「せいっ!」
「ぐっ!」
「はぁあっ」
「がっ!」
『絶体絶命の黒騎士選手!美原選手から繰り出される強烈な攻撃に、避けるだけで精一杯だ!いや、正確には避けきれていない!拳を突きつけられる度、黒騎士選手の鎧が悲鳴を上げ、体は大きく後退させられている!これは厳しいっ!』
「「くろきしぃい!!」」
「ボス!逃げろ!逃げて態勢を立て直せ!」
「飛んで下さいカシラ!それやったら先輩の攻撃も届かんです!」
「ダメよ!ブースト相手に逃げきれないわ!ひたすら攻撃して、隙を作るのよ!」
観客席からの悲鳴が心を鷲掴み、海麗選手からの攻撃が体を圧迫する。
身体中の盾と筋肉を総動員して回避に徹しているが、何時までもこうしていられないのは分かっている。
攻め込まなければならない。鶴海さんが言う様に、攻めて相手をひるませねばならない。海麗選手の攻撃を防ぎきれていない今、円さんの時の様な守って勝つ戦法は使えない。
攻めるんだ!
「ホーネット!」
『おおっと、ここで黒騎士選手からホーネットが飛び出した!攻め寄る美原選手に、鋭利な女王蜂の針が襲いかかります。しかし、やはり美原選手のSランクガードが展開される!硬い岩盤すら突き通す女王蜂の針が、虚しく空回りを繰り返すっ!黒い表皮、恐ろしい硬度です!』
確かに、攻撃は通らない。だが、動きは止まった。確実に防御するため、海麗選手は深く構えてホーネットに対処した。
蔵人はその間に、二重の龍鱗を腕に纏う。
「タイプⅢ、アームド・ブブ!」
『出ました!黒騎士の巨大な腕!今度はチェーンソースタイルではなく、通常バージョンのアームドです。紫電戦の時と同じ様に、破裂させて戦うのでしょうか?』
ショットガンスタイルかい?そいつは射程外だ。
蔵人は腕を構え、既にこちらへと拳を振りかぶっている海麗選手に向けて、拳を放つ。
肥大化した拳と、黒に染まる剛腕がぶつかり合う。
拮抗する、かに見えたが、
『ああっと!黒騎士選手が打ち負けた!拳は跳ね返され、黒騎士選手は大きく吹き飛ばされる!紫電を下したこの技ですらも、美原選手の前では無力なのかぁ!』
「「うわぁああ!!」」
「なんてこと!黒騎士選手が負けちゃいそうよ!」
「こんな一方的な試合になるなんて…やっぱりランクの壁は大きいのね…」
「いや、良くやったよ黒騎士は。美原選手が強すぎるんだ」
「彼女の拳は、間違いなくワールドクラスよ」
悲観的になる観客席の諸君。
それとは対照的に、後退させられた蔵人の表情は、少しだけ厳しさが取れていた。
打ち負けた拳が、少し凹んだだけなのを見て。
てっきり、腕は破壊されるものと思っていた蔵人。交通事故を起こした軽自動車の様にグシャリと、膜で包んだ本物の腕ごと潰されるかと覚悟していた。
だが、そうではなかった。
拳同士が衝突した時は大きく凹んだアームド・ブブだったが、内部に仕込んだ膜が衝撃を吸収し、外皮にかかる圧を逃がしていた。
こいつなら、まだ戦えるかもしれない。
開いた距離を詰める為、蔵人は勢いよく飛び出した。
『黒騎士選手が前に出る!美原選手の剛腕を掻い潜り、空いた隙に巨大な腕をねじ込んだ!しかし、しかしやはり防がれる。美原選手のSランクガードが、必死に繰り出す黒騎士選手の攻撃を、いとも簡単に受け止めたぁ!瞬時にガードを構築する美原選手に、死角はない!それでも、黒騎士選手は諦めない!剛腕と豪脚の嵐を掻い潜り、美原選手の体に鉄拳をねじ込む!』
海麗選手の黒色化した表皮を殴る度、アームド・ブブの歪みが大きくなっていく。
まるで、ゾンビを跳ね飛ばす車の様だ。相手を攻撃する度に、肥大化していた腕が見る見るひしゃげていく。
だが、車体をぶつけられている海麗選手の動きは変わらない。素早い黒色化とキレの良過ぎる技の数々で、こちらの動きを阻害してくる。
幾ら攻撃しても、このSランクのガードの前には無駄なのか?
そんな不安が頭をもたげた時、
海麗選手の瞳が、こちらを向いた。
回り込んで拳を繰り出そうとしていた蔵人を、正面で見据えた。
獲物を見定めた、鷹の様に。
不味いっ!
蔵人は咄嗟に、振り上げていた腕を引いて、クロスさせる。
その次の瞬間、
衝撃。
肺が押しつぶされ、中に残っていた酸素を強制的に追い出される。
酸素供給が止まった脳が、意識を手放そうと視界を狭める。
だが、背中に加わった大きな衝撃で、辛うじて意識を取り戻す蔵人。
頭の中で様々な感情と感覚が入り乱れ、耳からねじ込まれる悲鳴が意識を現実に引き戻そうとしている。
『一撃ぃいい!とうとう黒騎士選手を捉えた美原選手!強烈なSランクの剛腕に、黒騎士選手が壁際まで吹っ飛んだぁああ!』
「「「きゃああああ!!」」」
『これは決まったかぁ!?壁際で座り込んだ黒騎士選手、動けない!黒騎士選手に引導を渡すため、美原選手がゆっくりと、彼の元に歩み寄る!』
なるほど。俺は彼女の拳をまともに喰らい、吹っ飛ばされたのか。
蔵人は現状を把握して、己の体調も確認する。
正面から殴られたアームド・ブブは、完全に潰されて消えてしまった。だが、身体の方は比較的ダメージが少なく済んでいた。
生暖かいものが首筋を伝うが、頭を少し切った程度だろう。何処かの骨が折れたなんて事もなく、内蔵も無事のようだ。全て、アームド・ブブが身を挺して守ってくれたのだ。
まだ、戦える。
蔵人は立ち上がる。
こちらへと歩み寄る海麗選手へと視線を向ける。
そこで、違和感を感じた。
何故彼女は、この絶好の機会を前にして歩いているのだろうか?今まで散々、その驚異的なステップで詰め寄って来たのに。
蔵人は海麗選手をよく見る。
彼女の表情は…変わらない。闘志に満ち溢れた顔つきをしている。
では、体はどうか?隙のない歩き方に見えるが、若干歪んでいる様にも見える。疲れか?魔力を大きく消費しているのか?それとも、
アームド・ブブが効いているのか。
もし、そうだとしたら…。
『ああっと!黒騎士選手が立ち上がった!信じられない!Sランクの剛腕が直撃しても、まだ立ち上がるとは!』
「もうやめて!」
「止めなさいよ!審判!幾らなんでも無謀よ!」
「無茶をさせないで!彼は男の子なのよ!?」
『観客席からは、黒騎士選手を心配する声が叫ばれ続けている。だが、黒騎士選手はやる気の様だ。迫り来る美原選手前に、逃げるどころか構えを深くしたぞ。まだ、何かあるのか。彼はまだ、何か手を残しているのか!』
無茶で無謀?結構じゃないか。
蔵人は、兜の中で笑う。
そんなもの、幾らでも直面してきた。無謀で無茶な状況に。
それでも俺は、戦い続けてきた。抗い続けて来た。
これまでも。そして、これからも。
蔵人は魔力を集める。鎧を浮かして、その隙間に大量の膜を流し込み、その外皮に鎧と、水晶の鱗を張り巡らせる。
『おおっとぉ?なんだぁ?これは…。黒騎士選手の体が、膨らんでいる!まるで風船の様に肥大化した黒騎士選手が…これは、巨人?ミスリルシールドの巨人だ!』
「「えぇええ…」」
「な、なに?なんなの?」
「白い、巨人?」
「3m近くあるわよ。まるでベイマ〇クスみたい…」
「ちょっと、可愛い…」
戸惑いの声で満ちる観客席。その誰もが、蔵人の姿に疑問を投じる。
見た目では、これが何を意味するか分かっていないのだろう。
だから蔵人は、声を上げた。
「(低音)ブーッハッハッハッハァ!!」
腹の底から、笑い声を上げる。
久々の感覚に、魂を震わせる。
「(低音)嘗ての栄華よ、今ここに」
これが、この状況を打開する唯一の手。勝つ為の最適解。
「(低音)タイプⅣ、オークの勇者!」
蔵人は、歩みを止めた海麗選手見下ろす。
彼女向けて、肥大化した腕を突きつける。
「(低音)さぁ、共に踊ろうではないか。この試合最後の舞踏を。なぁ、もう1人の黒騎士よ」
巨星砕きも、龍の尾ビレも効かなかったSランクの外皮に、ロゴさんの攻撃だけ効いている?
何故なのでしょう?
「ふふっ。それは、次の話で分かるだろう」
兎に角、反撃開始…でしょうか?