306話〜君は、強い男の子やさかい〜
「「「うぉおおおお!!」」」
『ご覧下さい!黒騎士が、またもや黒騎士選手が勝ちました!Aランクの上位種を相手に、僅かな魔力で対抗し、まさか、まさかのEランクの盾での勝利です!』
第4回戦。準々決勝。
そのフィールドで、蔵人は疲労と魔力枯渇で悲鳴を上げる体を起こし、観衆を仰ぎ見た。
試合会場全体から、拍手と歓声が幾重にも重なり合って押し寄せてくる。驚いた事に、白百合の一団からもそれに参加する者も見て取れた。会員のおよそ半分くらいではあるが、彼女達は力いっぱい手を叩き、大粒の涙が零れ落ちているのがここからでも見えた。
白百合の中にも、分かってくれる人がいるのか。
蔵人は嬉しくなり、腕を高く突き上げた。
途端に歓声が爆発し、蔵人はその圧に押し倒されそうになる。
だが、倒れずに済んだ。
蔵人の背中を、誰かが支えてくれた。
「おおい。大丈夫か?坊主」
審判の川村さんだ。日焼けで真っ黒な顔が、蔵人を心配そうに覗き込んでいた。
蔵人は大丈夫だと言おうとしたが、その前に別の人間がフィールドに現れた。
川村さんとは真反対の、白い肌にビシッとした正装を着こなす、黒髪のディさんだ。
「黒騎士君。あまり無茶をするな」
そう言って、蔵人の肩を抱いたディさんは、いつの間にか手にしたマイクを持って、観衆へと顔を上げた。
『皆さん!黒騎士選手には休息が必要だ!ヒーローインタビューは勘弁してやってくれ。彼は昨晩、心無い者達に襲撃され、酷く衰弱した状態で戦わされていたのだ!』
「「「えぇええ!?」」」
「何だって!?」
「ひでぇ奴らだ!」
「男の子を襲撃ですって?一体何処のどいつよ!」
「白百合の奴らでしょ?最初の審判を見りゃ分かるよ!」
「本当に酷い組織だわ!潰れてしまえ!」
左半分の観客が憤り、右半分の観客がシュン…とする。会員の中には、こっそりバッジを外す者もいた。
そんな人達の混乱を抑える様に、ディさんは再び美声を響かせた。
『皆さん!私は彼を医務室に送っていく。最後まで彼を応援してくれて、ありがとう!』
ディさんがそう言って、今にもテレポートしそうだったので、蔵人は手を出してマイクを渡すように催促する。
ディさんからマイクを受け取ると、蔵人は観客全員に手を振って、声を掛ける。
『皆さん!応援ありがとうございました!これで失礼します!』
「「わぁあああ!!」」
「黒騎士選手、おめでとう!」
「お疲れ様!ゆっくり休んで!」
「白百合の奴らは私達がとっちめるから、安心して!」
「準決勝も頑張って下さい!黒騎士様!」
「「「くっろきし!くっろきし!」」」
黒騎士コールが鳴り響く中、蔵人は医務室へとテレポートされた。
「遅れて済まなかった、蔵人君」
蔵人が、簡単な治療とシャワーを浴びてベッドに戻てくると、待っていたディさんが開口一番に謝って来た。
遅くなったと言うのは、大会を最初から観られなかった事では無いだろう。恐らくは襲撃についてか。
蔵人は首を振って、彼の謝罪を跳ねる。
「とんでもない。僕では対処しきれないところに駆けつけて頂いて、大変感謝しています。蜂須賀さんと朝帰りしてしまった件については、気にしないで下さい」
蔵人が戯けると、ディさんの肩も少しだけ力が抜けた。
そして、
「その一夜の恋人についてだが、こちらで身柄を拘束している。彼女のお友達も一緒にな」
蔵人に合わせて、ディさんも軽口で返してきた。
流石はディさん。頭の切り替えが速い。
「仕事が速いですね。でも、彼女は未成年ですから、あまり厳しい処置は出来ないですよね?他の人も、白百合会だから不起訴になるのでは?」
「白百合の会員については安心して欲しい。今回の一件で、白百合自体の存続が脅かされているからな。末端までは手が回らなくなるだろう」
ああ、確かに。
ディさんが色々と暴いてくれたから、白百合に対する世間の目は厳しくなるだろう。今後は、表立っての活動が出来なくなるかも。
「だが、蜂須賀杏樹については、君の言う通り甘い処置になってしまう。通常の手続きならば、な」
「…と言いますと?」
蔵人の問いに、ディさんは少しだけ唇を吊り上げた。
「なに。我々の方で預かれば、こちらで矯正する事が出来る。人殺しも、場所が変われば英雄だ」
なるほど。彼女を兵士にしてしまうのか。
確かに、彼女の戦闘能力はかなり高い。殺人衝動さえ抑えてしまえば、使える駒となるだろう。
いや、配属する場所に寄っては、衝動を抑える必要も無い。そうなれば、殺人鬼から一気にエリート兵士だ。
適材適所って奴か。
蔵人が1人納得していると、医務室に軍人が入って来て、ディさんに何かを耳打ちした。
兵士の顔は強ばっており、聞いたディさんも「早かったな」とため息を吐く。
「黒騎士君。済まないが、私はもう行かねばならない」
「何かありましたか?」
事件か?白百合関係か?
そう思った蔵人だったが、ディさんは苦笑いを浮かべながら、小さく頭を振った。
「いや。私が上層部から呼び出しを受けただけだ。なんて事はないが、暫くは顔を出せなくなる。もう白百合は動かんと思うが、君の周囲には十分に注意してくれ」
呼び出し…。
恐らく、今回の事について、軍法会議でも開かれるのだろう。
ディさんが遅くなったと言っていたのも、上層部に止められていて、その目を盗んで軍隊を動かしたからか。だから、ディさんは1人だけ正装で来ていたのかも知れない。最初から、会議に呼び出されるだろうと想定して。
自身の進退を掛けてでも、助けに来てくれたのか。
「ディさん。いえ、一条大佐。助けて頂き、ありがとうございました!」
蔵人はディさんに正対し、腰を折った。
その蔵人の肩に、ディさんの手が乗った。
見上げると、金髪に戻ったディさんが微笑んでいた。
「礼を言うべきは私の方だ、黒騎士君。君が死力を尽くしてくれた事で、多くの人々が目を覚ました事だろう。この世界の歪さに。君の指し示す道の先を。ありがとう、黒騎士君。会場で、そしてこの画面の向こう側で、君を見た人々の心に、明るい灯火が生まれた筈だ」
ディさんは、医務室の壁に埋まっている大型テレビに視線を向けて、力強くそう言った。
蔵人も、そちらを向く。
黒い液晶画面には、蔵人達3人の姿をぼんやりと返しているだけだった。
〈◆〉
「いやぁあ。凄かったのぉ」
冬休み2日目。
僕達は竹内君の家に集まって、宿題をしながら衛星テレビを見ていた。
だけど、途中からテレビに夢中になってしまい、結局終わるまでシャープペンシルが動くことはなかった。
それでも、誰の顔にも後悔は浮かんでいない。あるのは満足感だけだ。
「しっかし、凄かったのぉ」
ハマーはさっきから、凄いしか言えなくなっていた。でも、その気持ちは分かる。
僕も、先程までテレビに映っていた友達の姿を思い返して、同じような感想が湧き上がってくる。
全日本Aランク戦。その準々決勝。
Aランクの化け物達を相手に、あの蔵人君が挑戦する。
ハマーから聞かされた時は、彼の妄想かと思ったし、竹内君の家で上映会をやるから来いと言われても、クリスマスデートから逃げる為の口実だと思っていた。
でも、違った。
蔵人君はAランクの選手と戦い、勝ってしまった。しかも、僕達が使うDランクやEランクの技だけを使って。
試合の途中、所々で放送席に画面が戻ってしまったし、途中でお偉いさんの演説が邪魔する事もあったけど、最後はしっかりと試合を見せてくれた。
見せてくれたけど、
「最後の技。あれは何だったんだろう?」
試合の終盤。蔵人君が突然消えて、何故か相手のすぐ後ろに現れた。まるでテレポートみたいだと思ったけど、流石の蔵人君でもそれは無理だろう。
実況の人は、クアンタムシールドって叫んでいたけど、ネットや辞書で調べてもそんな言葉は引っ掛からない。
だから、ハマーに聞いてみたんだけど、彼も分からないらしい。分からない鬱憤を晴らすみたいに、硬い煎餅をバリボリと噛み砕いた。
「分からん!だがな、Eランクの盾である以上、ワシでも出来る筈よ。この映像を徹底的に調べ上げて、絶対にワシの必殺技に組み込んじゃる!」
「おおぉ〜。流石ハマー」
つい手を叩いてしまう僕を見て、ハマーもニカッと笑う。そして、ちょっと心配そうな目になって、僕の隣に声を掛ける。
「竹内。今のは勿論、録画してあるんだろ?おい、お竹!どうした?そんな泣きそうな顔をして」
ハマーの声で僕も隣を見ると、そこには既に泣き出した竹内がいた。
まさか、録画し忘れたのか?
「録ってるよ。でも、でも…」
「なんじゃ?感動しちょるのか?そんならワシも…」
「あんなに大勢の女の子に応援されて、しかも、対戦相手も滅茶苦茶美人で…」
ああ。またか。
僕が呆れていると、同じようにハマーも肩を落とした。
「お竹。お前さん、今の試合見て熱くならなかったのか?やってやろうって思えんのか?えぇ?」
「思うよ!けど、けど…やっぱり悔しいですっ!!」
顔をくしゃくしゃにする竹内の様子に、彼が本気でそう思っているのが僕には分かった。
まあ、これが彼だ。
僕らがやってやろうと熱くなるのと同じで、お竹にとってはこれが原動力になるんだと思う。
…変な方向に進む原動力には、して欲しくないけど。
〈◆〉
コンビニを出ると、差し込んできた冬の太陽が夜勤明けの目に入って来た。眠い筈なのに、体だけ覚醒させようとして脳を狂わせる。
早く寝てしまおう。今夜は居酒屋とコンビニのダブルワークなんだ。今の俺には、睡眠が必要だ。
俺は大通りを足早に進み、駅へと向かう。
頭の中は、将来への不安でいっぱいだ。バイトを何時首になるか。安アパートの家賃は払えるのか。こんな生活で体は壊れないのか…。
止めだ。考えると眠れなくなる。出費は痛いが、酒でも買って帰ろうか。
そんな事を考えながら繁華街を進んでいると、目の前に人集りが見えた。
彼らは全員、大型電器店の前に並んでいるテレビに釘付けだ。一体、何を放映しているのだろう?
薄くなった頭達の向こう側を覗き込むと、そこには芝生が敷き詰められたフィールドが見え、そこで2人の人間が異能力で戦っていた。
ああ、異能力戦か。確か今の時期は、中高生の全日本が真っ盛りな時期だ。
俺は、この前の相模原フェスで知り合ったバイト達の言葉を思い出した。
そんな時、
「「おぉおおっ!!」」
突然、目の前のおっさん達が歓声を上げた。
何だ?
俺は、その声に釣られてテレビに視線を戻す。すると、テレビの中で白銀の鎧を着た選手が小さな狐を踏み潰していた。
どうもおっさん達は、この白い方を応援しているみたいだ。
普段は異能力戦なんて観ない人達が、一体どうしたというんだ?
俺が訝しんで集団を見ていると、その内の1人が零す。
「すげぇな、黒騎士選手は」
えっ?黒騎士?
確かその名前は、バイトの時に話題になった選手の物だ。特区で活躍する、Cランクのシールド使い。
じゃあ、今って。
「Cランクの全日本戦なのか?」
俺はつい、呟いてしまった。
それに、赤ら顔のおっさん2人がこちらを振り返った。
「違ぇよ、兄ちゃん。今はAランクの全日本だ」
「でも、この黒騎士選手はCランクなんだ。すげぇだろ!?」
何だって!?
俺は驚きで目を見開く。
黒騎士選手がAランク戦に!?そんな、だって…。
「彼は確か、男性だろ?」
「ああそうさ。男で、Cランクで、シールドだ」
「それでも、この準々決勝まで勝ち進んでんだよ」
「今回は調子が悪いのか、Dランクの技までしか使ってないんだがな。それでもAランクに引けを取らねぇ」
「きっとそれで勝つつもりなんだよ!特区の頂点に、俺たち外のレベルでも勝てるって言ってんだ、黒騎士様はよぉ」
おっさん達が興奮気味に語る間にも、試合は進んでいく。
圧倒的不利な状況でも、黒騎士選手は諦めないで挑み続ける。
そして、
「「「よっしゃぁああああ!!!」」」
決着。
黒騎士選手が勝利した。
しかも、最後はEランクの技で決めたと、実況が狂った様に繰り返している。
俺も、それに吊られて叫んでいた。飛び跳ねるおっさん達と一緒になって、電器店の前でハイタッチまでしていた。
Eランクなんて、俺と一緒じゃないか。そんな出涸らしみたいな異能力で、よく勝てたな。
見ず知らずのおっさん達と喜びあった俺は、余韻に浸りながらそう思った。
Aランクなんて化け物達に、俺達と同じ剣で挑む戦士。
その姿は正に、物語の中の勇者だ。
勇者が、物語の中から出て来た。
そう思うと、さっきまでの眠気は何処かに飛んで行ってしまい、俺は幸福な気持ちでいっぱいだった。
不安も、眠気と一緒に何処か行った。酒はもう、必要なさそうだ。
俺は、おっさん達と別れて帰路に着く。
今ならなんでも出来そうだ。俺でも、彼を理想に思うくらいは。
「よっしゃ。先ずは今日のバイト、頑張るぞ!」
俺は太陽に向かって、拳を突き出した。
〈◆〉
つくば特別地域近隣。
大山製薬本社ビル。
最上階。社長室。
栄えた街の風景を一望出来る一室で、2人の男が椅子に座り、今は何も映っていないテレビを見ていた。
その内の1人、社長の大山がリモコンを置いて、小さく息を吐き出した。
「ふぅ。軍も随分と大胆な行動に出たものだ。ここまで蔵人君を表に出すとはね」
「これでは、彼をこちらに引き込む事は出来なくなりましたね、社長」
多田が悔しそうに顔を顰めるのに対し、大山はふふっと笑って首を横に振った。
「端からそのつもりは無いよ、多田。あの作戦が失敗した以上、彼の事は諦めていたさ」
「相模原のフェスでの作戦ですね?男性達があんな惨たらしく殺されたというのに、蔵人君は全く心を動かしませんでした…。そんな非情な子には見えなかったんですけど。やはり彼も、特区の毒に犯されてしまったのでしょうか?」
「そうじゃないよ、多田。我々が見誤っただけだ。彼の心の強さを。彼の信念の強さを。我々は男の不遇を訴えてきたが、彼は魔力が乏しい者全てを含めて事を起こした。我々が、彼の器を見誤ったんだ」
だからこそ、陸軍大佐なんて大物が食いつき、この全日本で日本中を巻き込んだ革命を果たそうとしている。
恐らく、蔵人君が表彰台に上がれば、日本は変わるだろう。魔力絶対主義が蔓延していた空気に、大佐の唱える新たな考え方が台頭してくる。
それで全てが報われる。
果たして、本当にそうだろうか?
「社長。それでは、蔵人君は諦めるんですか?また別の象徴を探して…あっ、Dランクに、ハマー君って子がいるんですけど」
「多田。何も我々は、ファンクラブを作りたい訳じゃない。あくまで我々の目的は男性の復権。女性社会の闇を暴く事だ」
「では、変わらず龍鱗を象徴に?」
多田が不満そうに顔を曇らせると、大山は立ち上がり、窓の外を見る。
そこから見える、つくば特区地域の壁を見て、笑みを浮かべた。
「蔵人君達が目指す世界は確かに素晴らしい。でも、彼らも所詮は選ばれた人間だ。努力と根性で全てが上手くいく者達。そんな恵まれた者達には見えない弱者が、この世界にはごまんといるのさ。我々は、そう言う人達の受け皿となるべきなんだよ」
社長はそう言うと、くるりと振り返り、困惑したままの多田に笑みを向ける。
「作戦は失敗したが、努力は認める必要がある。多田、実行部隊の隊長は今、どうしている?」
「はい。確か今でも、特区に潜伏していたかと」
「そうだろうね。じゃあ隊長に労いと言う意味で、これを渡してくれるかい?」
そう言って社長が多田に手渡したのは、小さな袋だった。中には何か、白い粉が入っていた。
多田は目を細め、すぐに社長を見上げた。
「これは、何です?検問に引っかかりませんか?」
「引っかからないよ。これは、隊長と約束していた物さ。本来なら、作戦成功時にでも渡そうと思っていたけど、蔵人君達が掲げる思想は我々にも利がある。だから、及第点って事でね」
そう言うと、大山社長は窓の方に視線を送り、小さく呟いた。
「お疲れ様。あとは、君の好きにすると良いよ」
〈◆〉
目が覚めるとそこは、真っ白な空間だった。
いつの間に病院送りにされたのかと、ヒヤリとした蔵人だったが、ディさんと別れてすぐ寝てしまったのを思い出した。
今は何時だろうかと窓辺を見ると、そこから夕日らしきオレンジの光が見えた。
今は冬至を少し過ぎた季節だから、16時くらいだろうか?
蔵人が時計を探して視界を反転させると、猫耳を付けた少女が立っていた。
………えっ?
何かの見間違いと思い、目を擦ってもう一度見ると、そこには久遠選手が立っていた。
猫耳は、無い。何かの見間違いだ。
いや、それよりも、
「おはようございます、久遠選手」
「おはようさん。えらいお寝坊さんやなぁ」
口元を隠してクスクス笑う彼女の様子は、嫌味ではなく親しみを感じる。
その証拠とばかりに、彼女は蔵人のベッドの端に座り、少しだけ振り返って話しかけてきた。
「色々と酷いことしてしもうたな、黒騎士君。ほんま、堪忍なぁ」
「いえ。久遠さんが何かした訳じゃなくて、大人達がやった事ですから」
「そうやけど、途中までうちもそれに乗っとった。チャンスや思うてしもた」
確かに、試合の序盤はそんな傾向も見られた。だが久遠さんはそれに呑まれず、己の信念を通した。そこには雲泥の差がある。
「僕は貴女に救われましたよ。貴女が審判に詰め寄ってくれて、本当に嬉しかったんです」
最初は疑ってしまったが、彼女が正々堂々と戦おうとしているのが伝わった時は心が救われた。あれがなかったら、ディさんが来る前に試合を放棄していたかもしれない。
そう思った蔵人に、久遠選手は完全にこちらを向いて、首をゆっくりと振った。
「救われたんはうちや。うちは黒騎士君のお陰で、また楽しめる様になれたんや。また友達と楽しく遊べるようになった。ほんま、おおきに」
久遠選手は笑った。
ビッグゲームで見せた嘲笑でも、試合中に見せた硬い笑顔でもなく、心からの優しい笑みだ。
彼女は克服出来たみたいだ。己の中の恐怖と。母親に植え付けられた怒りと。
蔵人は安心して、同じように笑みを零す。
「良かったです。貴女がそんな風に笑える様になって」
ビッグゲームの時、久遠選手が決勝を欠場したと聞いた時は、蔵人は少なからず責任を感じた。
だが、準々決勝で戦う彼女は、あの時と同じくらい、いや、あの時以上に輝いて見えた。
きっとこれからも彼女達は仲良く、そして楽しく人生を戯れてくれるだろう。
そう思って掛けた蔵人の言葉に、久遠選手は眉を寄せて不機嫌な顔になり、ぷいっと後ろを向いてしまった。
おや?
「久遠さん?」
何か気に障ったかな?もう小寒に傾いているが、女心と秋の空という奴かい?
蔵人が困っていると、背中越しに久遠さんは答える。
「勘違いせんといてな。うちの考えは何ら変わらん。男は嫌いやし、女が世界を回した方がええと思うとる」
まぁ、それが白百合の考えだからね。男とは必要以上に馴れ合いはしないという事か。
蔵人が納得していると、久遠さんは「そうやけど」と言って、少しだけこちらに顔を向けた。
「黒騎士君は別や。君は、強い男の子やさかい」
それは…認めてくれたって事で良いんですよね?
蔵人は、彼女に向けて手を差し伸べた。
「久遠選手。今日は対戦して頂き、ありがとうございました。また戦いましょう。今度は、お互い全力で」
魔力が全快した蔵人と、新たな力を手にした久遠さん。この2人がぶつかれば、今回よりもっと白熱した試合となるだろう。
そう思って差し出した手に、久遠さんも手を差し伸べた。
試合前みたいに怯えた顔ではなく、とても美しい笑みを浮かべ、蔵人の右手を両手で包み込んだ。
そして、そのままゆっくりと体を密着させて来る。
うん?えっ?いきなり、何を?
彼女の香りと熱に包まれ、蔵人は混迷が極まる。そんな蔵人の耳元で、久遠さんが静かに吐息を吹きかける。
「ほんま、いけずなお人やわぁ」
その言葉を蔵人の脳内に置くと、久遠さんはゆっくりと離れて行く。
そして、妖艶な笑みで蔵人を見下ろした後、そそくさと病室を出ていってしまった。
残された蔵人は暫く身動きも出来ず、数分して漸くため息を落とす。
「…どうして、こうなった?」
今回も、その問いに答えてくれる者はいなかった。
準々決勝の影響は、色々な人に出ましたね。
「そうだな」
同級生、特区外の人達、アグリア、そして久遠選手。
「そうだな」
…また、誘惑しているんですが。
「…分かっていたことだろ?」