305話〜クアンタム・シールド〜
「頑張れ!黒騎士選手!」
「貴方は私達の星よ!」
「魔力絶対主義なんてぶっ壊しちゃえ!」
「貴女のドリルで貫いて!」
ディさんの演説に当てられた観客達が、熱い声を上げ続けている。
一時は、久遠母に沈められそうになった試合の運気が、ディさんのお陰で戻ってきた。
いや、それ以上に盛り上がっている。
今、彼女達の目に映る黒騎士は、男の選手である前に、彼女達と同じCランクの人間として捉えられていた。
この世界に蔓延した魔力絶対主義。これに苦しめられた人達がその鬱憤を晴らすべく、黒騎士の背中を押していた。
これが、ディさんが思い描いたシナリオ。
そして、蔵人も進むと決意した道。
蔵人は彼女達からの声援に、片手を高く上げて答える。
「ありがとうございます!声援ありがとうございます!」と、声を大にして感謝を示し、
「ですが!」と言葉を反転させる。
「ですが私は、この試合をただ強者を打ち倒す為だけの決闘場にしたくはありません!強者と戦い、殴り合い、削り合い、切磋琢磨する場所にしたいのです!そうする事こそ己を、そして異能力を発展させる心構えだと考えているのです!」
「「「うぉおおおお!!!」」」
「黒騎士様の演説も始まったわ!」
「負けてないわ!陸軍大佐にも負けないくらいにご立派です!」
「どちらのお声もセクシーよ!」
う〜ん。
別に、ディさんに対抗している訳では無いのだがなぁ。
蔵人は、周囲の熱狂っぷりに少し躊躇し、放送席にいるディさんを見上げた。
だが、ディさんはこちらに手を差し出して、「どうぞ」とジェスチャーを繰り出すだけだった。
それでは、続けさせて貰いますね。
「嘗て!私とここに居る久遠選手は、ビッグゲームで戦火を交えた仲であります。その時の私は、彼女のチームメイトを尽くすり潰し、彼女自身にも多大な恐怖を与えました。それ故に、彼女にとって私は因縁の宿敵であり、超えねばならない壁となったのです!この試合は彼女にとっても、己の殻を破る為に勝たねばならないものなのです!」
「「「ぉおおおおっ!」」」
「そんな大切な戦いだったのか」
「久遠さまぁ!」
「葉子様、負けないで!」
「トラウマは当たって砕けろだよ!嬢ちゃん!」
久遠選手に向けられていた厳しい視線も、かなり暖かい物に変わる。
だが、それを受ける彼女は、凄く嫌そうな顔をしていた。
敵に塩を送られて、気分を害したかな?
それでも、彼女は立ち上がり、試合再開に向けて準備を始めた。
蔵人も、軽く手足をストレッチしてから構える。
そこに、審判が近づいてくる。
だが、
『公平性に欠ける君は、審判の器ではない』
ディさんの厳しい声が降ってくると同時に、審判は消えてしまった。そして直ぐに、観客席で小さな悲鳴が上がった。
そこでは、拘束されている久遠母の横で、テレポートされた審判が軍人に取り囲まれていた。
やはり、あのジャッジは相当に酷い物だったらしい。免許の剥奪とかだけでなく、何らかの罰が下るのだろうか。
蔵人が、必死に何か言い訳をしていそうな元審判に目を奪われていると、放送席からディさんの指パッチンが聞こえ、目の前に誰かがテレポートしてきた。
タンクトップ姿で頭にねじり鉢巻きをしたおっちゃん。川村さんだ。
「よっしゃ!そんじゃあ、ワシが審判をするからな。大丈夫だ。こう見えても、ワシは大会運営の副会長だ。オリンピックでも審判したことあるワシが、公平なジャッジを約束するぞ!」
あれ?この元気な下町風の喋り方は、何処かで聞いた事があるぞ?何処だったかな?特区の外だと思うのだが…。
悩む蔵人を他所に、川村さんは着々と試合の準備を進め、蔵人達をフィールドの真ん中に並ばせる。
試合時間は巻き戻さないみたいだが、間隔は正規の5mに戻し、蔵人のイエローカードも全て消してくれた。
色々あったが、仕切り直しだ。
本当の4回戦が、今、
「試合、開始!」
始まった。
〈◆〉
こちらに向いていた観客の声援が小さくなり、実の母親が軍隊に拘束されている。
その筈なのに、久遠葉子の心情は乱れなかった。
寧ろ、母が取り押さえられた事に、何処か安堵感を覚えているくらいであった。
それは、母から受けるプレッシャーが無くなったことや、自分の感情を押し殺して戦わなくてよくなった事から来ているのかも。でも、もしかしたら、母が越えてはならない一線を越える前に、止めてくれたからそう思ったのかも。
人々を洗脳し、扇動するだけでなく、誰かを傷つけたりしたら、きっと彼女は償いきれない程の罰を背負う事になる。
男の事になったら見境がなくなって、手が付けられなくなる人だけど、葉子にとってはたった1人の母親だから。
だから葉子は、母を振り返らない。
真っ直ぐに、こちらへと走り込んでくる白銀鎧の姿を捉える。
途端に、決めた筈の覚悟が揺らぐ。
あの時感じた恐怖が、再び全身を支配しようと、体の内から這い出てくる。
ただ走って来るだけなのに、あの時の凶悪な兵器の音が耳元で聞こえる気がした。
「くっ!」
葉子は奥歯を強く噛んで、恐怖をかみ砕こうとする。同時に、異能力で狐を2匹生成する。
どちらも毛並みが歪んでしまい、お世辞にも成功したとは言えない出来だ。だけど、迫る黒騎士を遠ざける為、葉子はその2匹を野に放つ。
「行きなはれっ!」
駆け出した狐達は、何処か元気がない。
やはり、作りが歪だと性能も劣ってしまう。
それでも、歪な狐達は必死になって黒騎士に食らい付こうとしており、彼の足取りが一時止まった。
その稼いだ時間を使って、葉子はBランクの魔力で牡鹿を作り出す。角が捻じれて作り出してしまったが、狐達よりはマシな出来だ。
狐達が黒騎士の足止めをしてくれているので、幾分か気持ちに余裕が出来た。
でも、狐達が黒騎士に踏みつぶされて消えるのを見てしまい、再び心が揺れだす。
こんなのに勝てるの?
またあの試合みたいに、蹂躙されるだけじゃない?
そんな不安が心の中に渦巻いて、葉子は再び、牡鹿に乗って逃げ回りたい気持ちに駆られる。
でも、イエローカードが取り消された今、それでは勝てないと踏み留まる。そして、黒騎士が母親によって魔力を減らしていることを思い出し、そこを突こうと牡鹿を突撃させた。
成人男性並みの重量がある牡鹿の突進は、軽自動車に当たった時と同じくらいの衝撃がある。
それなのに、黒騎士は逃げようとはせず、深く構えて牡鹿を迎え撃った。
いや、逃げられないのかもしれない。今日の彼は動きが鈍い。大技も殆ど使っていないので、母が何らかの妨害をしたのかも。
動けない黒騎士は、突き出された牡鹿の両角を掴み、地面を両足で踏み締めて止めようとした。
「ぐっ!」
牡鹿と黒騎士が、腕と角で押し合いをして、力比べをする。
だが、牡鹿の方が重量があり、尚且つBランクの魔力が込められているので、徐々に黒騎士を押し戻す。
それに、黒騎士は唸り声を上げて留めようとする。だが、牡鹿のパワーに押されて、両足は無様に地面を削り続ける。黒騎士の体力も、同じようにすり減らされているだろう。
それでも、
「ぐぉおおお…!」
黒騎士は諦める様子もなく、牡鹿との押し相撲を続けている。
その様子は、何処か楽しそうにも見えた。
彼の白銀鎧は所々泥汚れで薄汚くなっており、いつの間にか鈍色の何かに覆われていた。
これが、龍の鱗?会員さん達が言っていた、黒騎士の奥の手。でも、鈍色という事は、Dランクレベルの筈。そんな物しか出せないくらい魔力が枯渇しているのに、なんでそんなに楽しそうなの?
葉子は、黒騎士の様子に目が奪われてしまい、彼に追撃することが出来なかった。
その時、
「よいしょぉおお!」
一際大きな声を出した黒騎士が突然、後ろへと倒された。
いや、違う。自ら倒れたんだ。
その証拠に、彼の手は牡鹿の角を掴んだままだった。その角を掴んだまま後ろへと倒れ、一緒に倒れ込もうとした牡鹿の腹を蹴り上げた。
こ、これは!
『巴投げだぁあ!!』
「「「うわぁああああ!!!」」」
実況の声と歓声がフィールドの宙を駆け抜ける中、牡鹿の体は宙を舞い、背中から地面へと激突した。
打ち所が悪かったのだろう。地面に叩きつけられた牡鹿は、首が変な方向に曲がってしまい、直ぐに光の粒となって消えてしまった。
倒れ込んだ黒騎士は、牡鹿が消えるのを見届けると、こちらへと視線を寄こした。
その夜空の様に黒い瞳には、星々が輝くような光が浮かんでいた。
その一等星が、葉子に語り掛ける。
【さぁ、戦おう。次はどんな手を見せてくれるんだ?】と。
その言葉を聞いた途端、葉子の中にあった恐怖が消えていった。
代わりに満たしたのは、怒り。
なんで、
「なんでそないに、楽しそうに笑えるん?」
状況は圧倒的不利。ただでさえCランクの魔力しか無いのに、今はDランクの盾を出すのもままならない程、魔力を枯渇させている。
それなのに、彼は笑う。
楽しそうに、嬉しそうに。玩具を買って貰った少年の様に。
この試合を、楽しんでいるみたいに。
葉子の苛立った声に、少年は答える。
「それは実際、楽しいからです。貴女と言う強者と戦える機会が与えられた。それが嬉しいのです」
少年は右手を上げて、その手の先に小さな盾を出す。
透明な、Eランクの盾だ。
「確かに、私の魔力は底を打つ寸前です。だが、これでどうやって貴女を攻略しようかと考えるとワクワクする。異能力の可能性を自問出来るこのチャンスを、私は大切にしたい」
「チャンス?この圧倒的な不利な状況が?」
葉子は呆れて、かすれた声しか出なかった。
それでも、少年は変わらず嬉しそうに頷く。
「寧ろ、それが良い。人は、生物は、必要にならねば力を発揮しない。このピンチだからこそ、死力を尽くせる」
少年はそう言うと、少し厳しい目をして、上げた右手で葉子を指さす。
「貴女もそうだ、久遠葉子さん。貴女は私に恐怖を抱いている。それは、チャンスだ。己が異能力を確変するチャンス。自身の異能力を、どうやって使えば私を打ち取れるのかを想像し、具現化し、そして実際に倒す。想像しただけで、恐怖が歓喜にならないか?」
「想像…せやかて、うちがあんさんを倒すなんて、どうやって想像したらええか…」
「迷うのなら、原点に帰るのだ。山登りも同じ事。異能力を使えて楽しいと思えた時を、今ここで思い出すのだ」
私が異能力で楽しいと感じた時?そんな事、思った試しも…。
過去を振り返る葉子。そして、直ぐに思い至る。異能力が目覚めた頃、幼少期の頃を。
あの時は、確かに楽しかった。母も嬉しそうにしてくれていた。
葉子が顔を上げると、黒騎士の鋭かった視線が消え、元の暖かい瞳に戻っていた。
「思い出せたかな?では、やろうか。試合の続きを」
黒騎士の声に、葉子は無言で頷く。
それと同時に、魔力を放出する。
最大の魔力。最高の力を込めて。
「行くで、キューちゃん」
葉子は九尾を作り出し、彼女の背に乗った。
何故そうしたのかは、正直分からない。でも、幼い頃は何時も九尾にくっ付いていた覚えがあった。
葉子にとって九尾は…異能力の動物達は友達だった。
母が厳格で、友達がなかなか出来なかった葉子にとって、彼女達は掛け替えのない親友だった。
でもいつの間にか、彼女達を使役する様になっていた。その頃から、葉子の友は勝つ為の道具になっていたのだった。
その頃から、楽しいと思えなくなっていた。
だからもう一度、あの頃と同じようにやってみる。
彼女達と一緒に戦う。
そう思って、葉子は九尾に飛び乗った。
「行くで。うちとキューちゃんなら、何でも出来る」
【お供します】
葉子の耳に、そんな声が聞こえた。
幻聴?いや、でも確かに、少し低い女性の声が聞こえた気がする。
驚く葉子。だが、キューちゃんが走り出したので、慌てて背中の毛を掴んだ。
まだ恐怖が拭いきれないのか、少し歪な毛並みだ。
でも、暖かい。それに、キューちゃんの言葉が分かるなんて感激だ。
体温なんて無い魔力の塊の筈なのに、葉子は暖かい気持ちに包まれていた。
「クリア・バレット!」
暖かい向こう側から、黒騎士の声が響いた。
顔を上げると、突撃する九尾を回避しながら、黒騎士がこちらに透明の弾丸を撃ち込んで来ていた。
速い。そして捉えきれない。
でも、九尾の体毛に対して、その攻撃は余りに脆弱だった。
Eランクの攻撃では、Aランクの九尾には傷1つ付けられない。
そう、安心した直後。
背中に、衝撃。
「ぐぁっ!」
まるで背中を殴られた衝撃を受け、葉子は九尾の背中から落ちそうになる。
だが、それを九尾の尻尾が支えてくれた。
【主!?】
「だっ、大丈夫や、キューちゃん。ちょっと驚いただけや」
心配する九尾に、葉子は背中を叩いて返答する。
実際、それ程深刻なダメージは受けていない。
血は出ていないし、着物の中に仕込まれたプロテクターが損傷した様子もない。
本当に、衝撃だけだった。
きっと、黒騎士が放った透明な盾が当たったのだろう。九尾を攻撃するフリをして、こちらにも攻撃の手を回していたのだ。
確かに、九尾は強い。でも、葉子自身が狙われたら、仮令DEランクの異能力でも負けてしまう。
「キューちゃん。うちを守ったって」
【御意!】
九尾は一声鳴くと、9本の太い尻尾を束ねて葉子の頭上に掲げる。
まるで、もふもふの屋根だ。その屋根が、黒騎士の弾丸に合わせて位置を変え、全ての弾丸を防いだ。
こうすると、九尾最大の尻尾攻撃は出来なくなってしまう。
でも、問題ない。今の黒騎士には、ドリルを出す程の魔力は残っていないから。
だから葉子は、九尾の突撃や引っ掻き攻撃で黒騎士に攻撃する。
「今や!」
【はっ!】
「噛み付いたれ!」
【がうっ!】
「引っ掻きや!」
【御意!】
葉子が命令する前に、九尾は動き出していた。
まるで、葉子の考えが直接伝わっているかの様だ。
同じ様に、九尾の感情に触れられた気がする。彼女の体温を感じるのと同じ様に、暖かい気持ちが入ってくる。葉子を思う忠犬の様な感情が。
【犬では御座いませんよ?主】
「堪忍したって」
そんなやり取りすら楽しい。
でも、九尾の攻撃は、全て黒騎士に避けられてしまっている。
彼は、鈍色の盾を動かす事で、九尾の攻撃を紙一重で避けていた。
なんて技術と戦闘センスだ。先程から、死角からの攻撃に対しても反応している。
まるで、頭の上や背中にも目があるのかと思えてしまうくらい。
どうしたら、この超人に勝てるだろうか。
キューちゃんの尻尾を攻撃に回すか?新たな友を作り出すか?うちも攻撃に参加する?
有り得ない戦法も想像する。
それだけで、確かに気持ちが浮いてくる。
ああ、黒騎士が言っていたのはこの事なんだと、葉子の顔にも笑みが浮かんでいた。
楽しい。
「みんな、出てきたって」
葉子は、新たな友を呼ぶことにした。
Cランクの狐を3体。毛並みは随分と改善されて、太陽を滑らかに反射している。
とても元気な子供達。その彼女達に向けて声を掛ける。
「みんな、存分に戯れてな」
葉子の言葉に、狐達は喜んで駆け出す。
そして、その内の1匹が、黒騎士目掛けて跳び上がる。
だが、黒騎士はその子の攻撃を冷静に躱すと、着地と同時に首を蹴り飛ばし、壊してしまった。
「少し引きなはれ」
どんなに弱っていても、黒騎士相手に狐だけでは荷が重い。
葉子はすぐに2匹を引かせて、遠くから威嚇するように仕向ける。
「攻めすぎたらアカン。気軽に、楽しんだもんの勝ちや」
そう。楽しむんだ。この試合を。
この時間を。
「キューちゃん!」
【御意!】
九尾が黒騎士を攻め立てる。
先程までは、左右に広がりながら避けられていたが、今は両サイドに狐達が威嚇してくれるので、黒騎士の行動に制限が掛かっている。
その効果で、黒騎士に攻撃が当たる様になってきた。まだしっかりとは当たらないが、彼にくっ付いている鈍色の小盾が1枚、また1枚と、攻撃の度に消失していく。
黒騎士は確実に、魔力と体力を消費し、動けなくなってきていた。
そして、
「パージ!」
黒騎士の鎧が、弾け飛んだ。
いや、脱いだだけか。
多分、内部にも盾を仕込んでいて、それで鎧を支えていたのだろう。
だが、支えるだけの魔力も足りなくなり、鎧の重さが回避を鈍らせるので脱いだ。
今や黒騎士は、両腕の手甲と兜だけの姿だ。それで機動力は確保出来るかもしれないけど、防御力は大きく落ちる。今なら、九尾でなくても致命傷を与えられる。
なので、九尾を消して、大量の動物達で蹂躙したら勝てるだろう。
葉子はそう考えた。でも、九尾を消そうとはしなかった。
それでは楽しくないから。それでは意味が無いから。
九尾と一緒に戦う事が、そして勝つ事に意味があるのだ。
葉子が選んだ選択を、
「良い」
黒騎士は笑った。
「良い笑顔だ。勝つことだけに拘らず、勝つ事も1つの手段として見る。そうする事で、貴女は大局が見える様になった。この試合の先の大局が」
「そう教えてくれたんは、あんさんや」
「そいつは光栄だ。ではもう一手、指南つかまつる!」
そう言うと、黒騎士は上空に手を突き出し、そこに盾を数枚生成した。
だが、声を張り上げて彼が作り出した盾は、どれもEランクの盾だった。
もう、Dランクの魔力も無くなっていたのか。心做しか、黒騎士の顔色も悪い気がする。魔力欠乏症の1歩手前なのだ。
これでは、九尾が攻撃するまでもなく、彼は試合を最後まで立っていられない。
ビッグゲームの準決勝と同じ勝ち方となってしまった。
悲しい気持ちが、内から湧いてくる。
それを押し殺す様に、葉子は笑みを浮かべ、それを手で隠した。
「そんな虚勢を張っても、うちは騙されんよ。Eランクの魔力で、Aランクに勝つなんて無理や。うちの手を引いて、峠を登らせてくれたあんさんには感謝しとるけど、これは試合。せめて、キューちゃんの一撃で沈めるんが、あんさんへの手向けやろか」
葉子は心の中で九尾に話しかけ、9本の尻尾を黒騎士に向ける。
もうこれで、終わりにする為に。
そう思った葉子に、
「本当に、そう思いますかな?」
黒騎士は変わらず、目の中に笑みを浮かべてくる。
勝ち誇った顔で、言葉を続けた。
「元Eランクの底意地。お見せしよう」
そう言って、黒騎士は手を上げた。
浮いていた盾に、真っ直ぐに手を伸ばし、
「これが俺の新たな盾。クアンタムシールドだ」
そう言って、手を下ろした瞬間、
黒騎士が、消えた。
…えっ?
なに?
ベイルアウト?
理解が追い付かず、葉子は審判の方を見た。
でも、審判はジッと、こちらを見返すだけだった。
コールが来る様子は…ない。
なら、まだ黒騎士はいる。このフィールドの何処かに。
葉子は周囲を警戒し、あの試合の事を思い出した。
あの時も、上空から来たんだ。
思い出して、急いで上空を見上げる。すると、
そこには、青い空が広がっていた。
黒騎士の姿は…ない。何処にも。
では、地面か。ドリルで穴を掘ったに違いない。フォックスフォールでも拵えて、どっかで潜んでいるのでは?
Eランクの盾で、それは無理だと思いながらも、葉子は足元が揺れている様に感じた。
九尾を消して、大空に逃げたい衝動に駆られる。
それを、首を振って払い落とした。
「あかん!逃げたらアカンって」
先ほども、母親に言われるままに反則をしてしまった。もう、その母親はいない。それなのに、また逃げてしまったら何も変わらない。
折角、九尾も答えてくれたのだ。私も、変わらないといけない。
だから、
「うちは逃げん。どっからでも、掛かって来ぃ!」
葉子は胸を張って、九尾の背中の上で声を張る。
上からでも、下からでも対応してみせる。
何処からでも、掛かって来い。
そう、覚悟した葉子に、
「よく言った」
黒騎士の声が掛かる。
その声は、葉子の真後ろから。
慌てて振り返ると、葉子の直ぐ後ろに黒騎士が居た。九尾の背に立ち、葉子を見下ろす黒騎士が。
「なっ!」
葉子は、声しか出なかった。
そこにあったのは、黒騎士の上半身だけだった。
下半身は無い。
無い!?
違う。下半身が有るべき場所には、盾があった。
透明なEランクの盾。何の変哲もないただの透明な板が、黒騎士の下半身を消していた。
まさか、これって。
「光学…迷彩」
「ご名答」
そう言いながら、黒騎士は拳を振り上げていた。ビッグゲームで魔王の幹部を打ち取ったガントレット。それが今、葉子に狙いを付けていた。
九尾は、間に合わない。
これ程接近されたら、もう、何も間に合わない。
葉子はそれを悟り、力を抜いて、
笑みを浮かべた。
「いけずやわ。狐を化かすなんて」
そう言って、久遠葉子は薄っすらと笑みを浮かべたまま、
テレポートされた。
光学迷彩の、盾?
そんな、そんなサーミン先輩の存在意義をボッコボコにしてしまう盾なんて、可能なのですか?
「うむ。史実でもある物だからな。それを応用したのだろう。
詳しくは、下を見るのだ」
イノセスメモ:
・クアンタムステルス…カナダの軍服メーカーが開発したステルス迷彩。光を散乱させることで視覚だけでなく、熱感知や電波などもかく乱する。近未来の機動隊は、これが標準装備となっている。
・フォックスフォール…兵士が身を隠す為に掘る、少人数用の塹壕。国によって大きさは変わるが、日本軍は1人用の小さな穴を好んだ。