304話~失格よ~
ゲームの開始。
久遠母が嘲笑を携えて宣言すると同時、彼女の娘が血走った目でこちらを睨め付け、荒い息を一気に吐いた。
「行けっ!八つ裂きにしぃ!」
久遠選手が強い口調で赤袖をブンっと振り回すと、彼女の魔力が膨れ上がり、そのから半透明の幻獣達が飛び出して来た。
その速さは、今までの比ではない。
まるで弾丸の様に迫る狐の幻獣に、蔵人は咄嗟に体を仰け反らせて回避した。
だが、次々と幻獣軍団が撃ち出され、蔵人はなけなしの魔力を使って大盾を展開する。
すると、その盾目掛けて幻獣達が突っ込んで来て、矢の様に盾に突き刺さった。
なんと鋭利な攻撃だ。
蔵人は、穴が開いて崩れゆく盾を横目に、変容した久遠選手の異能力に驚く。
先程までの弱々しい彼女は消えてしまった。今の彼女は抜き身のナイフ。下手な対処は命取りだ。
これ程までに、彼女を変えたあの母親の異能力は何だろうか?
ドミネーションにしては強力過ぎる。魅了の異能力は相手の行動を操る事は出来るが、意識も乗っ取るので操り人形になってしまう。
今の久遠選手を見ると、意識は保ったまま攻撃して来ている様に見える。ただ、その意識が怒りに大きく傾いている状況。
ならば、感情を操る異能力だろうか。だが、そうだとしても強力だ。ただの怒りだけで、異能力が変容する程の力を引き出せるとは思えない。
蔵人は考えながら、久遠選手から放たれる幻獣の弾丸を避ける。
最初は面食らった蔵人だが、次第に久遠選手の攻撃パターンが見えてる様になり、今では無意識に避けていた。
と言うのも、彼女の攻撃が至極単調だからだ。
久遠選手は怒りで攻撃力を上げているが、その分思考が疎かになっていた。攻撃に変化が無く、只々ストレートな球種ばかりを投げられたら、躱すことは難しくない。
そして、避けるのが容易な分、蔵人は攻めに転じる余裕が出来た。
「行けっ!」
久遠選手が赤袖を大きく振るい、狐の弾丸を放った瞬間、蔵人は弾丸を避けながら飛び出した。
狐は蔵人の直ぐ横を通過したが、飛びかかって来る様子もなく、ただ真っ直ぐに突き抜けて行った。
まるで、本物の弾丸になったみたいだ。術者と同じで、弾丸まで猪突猛進となっているのか?
「りゃぁあ!」
必死な声を上げて腕を振るう久遠選手に、蔵人は漸く接近する事が出来た。
あと1歩の距離まで迫っても、彼女の表情は変わらず怒り一色。ここまで距離を詰められたと言うのに、恐怖や戸惑いの色を一切浮かべ無いのは異常だ。
やはり、母親の異能力はドミネーション系か。
そう予測しながら、蔵人は最後の1歩を詰める。それと同時、固く握った拳を無防備に晒す久遠選手の脇腹へと、勢いよく振り抜いた。
柔らかい、肉の感触。
それを感じた次の瞬間、
「がぁっ!」
久遠選手から苦悶の声が吐き出され、彼女は勢い良く突き飛ばされた。
2転、3転。芝生の上をコロコロと転がる久遠選手。四肢を投げ出し止まると、顔だけを上げて、眉間に何本ものシワを寄せながら蔵人を睨みつけた。
「ぐっ、く、ろ、騎士。お前、さえ、いなけれ、ばっ…」
口から薄ら赤い泡を吐きながらも、久遠選手は上半身を持ち上げる。だが、腹部のダメージが大きいからか、ヨロけて再び地面に顔を打ち付けた。
まるでゾンビの様だ。
蔵人は、久遠選手を見て思う。
ただ1つの感情に支配され、思考が著しく低下する状況。それが、彼女を生きる屍に変えてしまった。その元凶が、あの母親だ。
蔵人は、這いつくばる久遠選手から視線を上げて、尚もこちらに異能力を送り続ける久遠母を見上げた。
一体、この女は何をしているのだろうか。
蔵人はため息を一つ吐き、声を上げる。
「もう、止めにしませんか?貴女が力を振るったところで、悪戯に娘さんを苦しめるだけです。怒りで攻撃性を増しても、僕を倒すことは出来ませんよ?」
「元気が良いこと。じゃあ、貴方も味わってみると良いわ」
久遠母がそう言って微笑んだ途端、蔵人の中に何かが入ってくる。
冬山で吹き荒れていた北風の様に、骨の芯まで凍えさせる冷気。それが、心臓を撫でて、体を締め付ける。
頭の中で、薄らとモヤが掛かる。
誰かの声が聞こえる。
『その子は捨てて下さい』
『黒騎士はズルをしているんです』
『蔵人君を、俺が消しちゃったんだよ』
『こんな世界、壊れてしまえ』
『我らは青龍。この身は龍よ』
頭の中に、聞いた覚えのある言葉やその時の感情が飛び交う。
これは…あれか?俺の頭の中に残る、マイナスの思考だろうか
今まで悩んだ葛藤や、ショックを受けた場面を蘇らせているのだろうか?
蔵人はそう察すると同時、久遠母の異能力が何となく分かった気がする。
彼女の異能力は、対象の感情だけでなく記憶も甦らせるのではないだろうか。そうする事で、より強烈な感情を呼び起こす事が出来て、相手の意思を保持させたままコントロールする事が出来るのでは。
久遠選手はきっと、怒りを引き出す為に黒騎士に対する怒りの記憶を引き出されているのだろう。
蔵人が黙っていると、久遠母が勝ち誇った表情を咲かせて、未だ地面に這いつくばる娘に声を掛ける。
「葉子。何時まで寝ているつもり?男に対する貴女の怒りは、その程度なの?」
「ぐっ、ぅうう!」
母親の叱咤に、久遠選手は上半身を起こし、こちらへと右手を突き出した。
そして、その手から狐の弾丸を放つ。
蔵人へと一直線に進む凶弾。それが蔵人の頭へと迫り、
蔵人は首を少し傾けるだけで、回避してしまった。
その動きは、久遠母の異能力を受ける前と何ら変わらない。
嘲笑を浮かべていた久遠母の顔が、大きく歪んだ。
「私の異能力が効いていない?一体、何をした?」
こちらが何か小細工をしていると思ったのだろうか。久遠母は狐目を更に細めて、蔵人を鋭く睨みつけて来た。
だが、蔵人が何かした訳ではない。
確かに、彼女の異能力はえげつない物だ。人の感情を記憶と共に操るなど、ドミネーションと同等に厄介な物だ。
しかし、それは普通の人にとっては。
蔵人からしたら、辛い記憶や苦い思い出で後悔するなんてのは慣れていた。
彼女から受けた精神攻撃など、毎夜見る悪夢に比べたら可愛い物であった。
蔵人は、己に流れ込んでくる魔力を煩わしく思いながら、こちらへと手を突き出す女性に正対する。
軽く肩をすくめて、少し困ったように返答する。
「何もしていませんよ。何もしなくても、貴女の異能力では僕の心は動かせません。この試合を動かすことは出来ないのです。ですから、娘さんの力を信じ、娘さんに貴女の思いを託し、ただ見守っては頂けませんか?それが、母親である貴女の役目だと思います」
「そう」
久遠母は手を下ろす。
途端に、蔵人が感じていた寒さも引いていき、目の前で藻掻いていた久遠選手も表情が戻った。
魔力を解いたか。
ふぅ。これで漸く、まともな試合が出来る。
蔵人は安堵して、少ない魔力を集め始める。
だが、そんな蔵人に向けて、
「失格よ。黒騎士はこの試合を、いいえ、この大会を戦うに値しない選手なのよ!」
声が響いた。
久遠母だ。彼女が会場に向けて、声を張り上げていた。同時に、蔵人達に振りかけていた魔力を、今度は観客席に向けて放っていた。
観衆を味方につける気か。
蔵人の視線の先で、久遠母は右手の人差し指で真っすぐに、こちらを指さした。
「皆さん、おかしいとは思わない?黒騎士の魔力はCランクで、異能力種はクリエイトシールド。それなのにどうして、Aランクと渡り合えてるかしら。彼の努力?技術が優れているから?本当に、そんな事だけでAランクに勝てると思っているの?」
久遠母の言葉に、観衆の中でも不安げな声が漏れる。
よく聞くとそれは、白百合のサクラらしき人達が上げている声が大半なのだが、一般の観客の中にも、会場の雰囲気に呑まれて不安そうな顔をする者もいた。
それを見て、久遠母は少し口調を強めて不安を煽る。
「黒騎士はドーピングをしている。この話を耳にした人は多いと思うわ。2か月前、とある雑誌の記事に載った話よ。それが真実ならばどうかしら?黒騎士がここまで勝ち残れたことも納得できるんじゃない?勿論、この中にはそれをただの噂話と思う人もいると思う。でもね、それを告発した会社は潰れてしまったのよ。それも、黒騎士の疑惑を報道したその直後に。これは、明らかにおかしいでしょ?まるで見えない圧力によって、その会社は潰されたみたいじゃない。黒騎士のドーピング疑惑を、これ以上広めて欲しくないとでも言うように!」
観衆のどよめきが大きくなっていく。中には、黒騎士を疑問視する声も聞こえ始めた。
観客達が冷静であれば、この程度の演説で心を動かされはしないだろう。だが、観客は久遠母の異能力によって、精神が不安定になっている。そうなると、人は理解しやすい方向に流れてしまう。CランクがAランクを倒すのに、何か良からぬ事をしたのではと思い始めていた。
「何故、黒騎士はそこまでして勝ちたいのか。それは、彼が男性優勢思想の持主だからよ!彼のバックには、世界的テロ組織であるアグリアが付いている!その証拠に、先日開かれたイギリスの大会で、彼はアグリアと同じ、男性優生思想を推し進める議員と接触しているわ!」
おお。そのカードをそうやって使うのか。
白百合会員からの非難や罵声を浴びながら、蔵人は久遠母の太々しさに感心すら覚える。
彼女の異能力は戦闘には不向きだ。だが、こうして大衆を味方に付けるには最適の力と言えるだろう。
まるで、歴史の端々に現れる絶対的指導者の様に、彼女は熱弁を振るう。
「黒騎士は、彼らアグリアは、この平和な日常を壊し、彼らだけで世界を牛耳ろうとしている!男達はまた、あの非道で真っ暗な世界大戦を引き起こそうとしているのよ!女性が作り上げたこの世界を、男はまた壊そうとしている!その先兵である黒騎士を、この大会で戦わせてはいけません!」
「そうです!その通りです!」
「黒騎士を許すな!」
「男を許すな!」
「黒騎士を排除しろ!」
彼女の熱弁に当てられた観衆が、蔵人に向かって牙を剥く。その殆どは白百合の会員からだが、一般客からも賛同の声が上がり始めた。
四方八方から、黒騎士の排除コールが叫ばれ、再び試合は中断される。
いや、これは試合どころではない。下手をすると暴動になりかねない程の騒ぎだ。
それは大会側も感じているみたいで、実況の女性が『落ち着いて下さい!』と放送を繰り返している。
フィールドにも警備員らしき人達が入って来て、観客達に座るようにと指示を出していた。
だが、観客は一向に落ち着く様子を見せない。
蔵人は、スタンディングブーイングを繰り返す観客を仰ぎ見て、どう対処すべきか考える。
ドラゴニックロアで、久遠母の声を打ち消すか?
だめだ。そんな事をしたら、余計に観衆のボルテージを上げてしまう。後ろめたいから声を荒げるのだとか言われて、久遠母に上げ足を取られかねない。
かと言って、ここで逃げ出す訳にもいかない。
そうなれば、黒騎士の非を認めるようなものだ。白百合が更に調子づくだろう。
引くことも、抗う事も許されない。
これが、白百合が描いた絵なのか。
蔵人は、未だ己の体が縛られている感覚に襲われる。
未だに、あの冬山の、蜘蛛の巣の中にいるように思える。
放送の声が、遠くで鳴くフクロウの声に聞こえて来た。
そう思っていた矢先、そのフクロウが悲鳴を上げた。
『会場の皆さま!落ち着いてください!落ち着いて席に、うわぁっ!だ、誰ですか!貴方は』
何が起きたのか。
蔵人が放送席に目を向けると、ブースの周囲に複数の人間が立っていた。
その大半の人間が来ているのは、迷彩柄の軍服。そして、その中心に居る人物は、真っ白な儀礼服を来た黒髪の男性だった。
その男が掛けたサングラスが、太陽を反射してキラリと光る。
『驚かせてしまって済まない。我々は、大会運営理事長からの要請で出動した日本陸軍所属の軍人だ。この上野WTCにて過激組織の暴動が予測された為、こうして、我々が出向いた次第である』
実況席のマイクが男性の声を拾い、それを会場中に響かせる。すると、顔を真っ赤にして叫んでいた女性達が急に大人しくなった。渋く、落ち着いた甘い男性の声に、女性は叫ぶことよりも聞くことを選択した様子だった。
その男性が、「こうして」と言って指を鳴らすと、途端に会場の至る所で驚きの声が上がった。
観客席の最後列。そこに、迷彩服を着た軍人が現れたのだった。
その数、ざっと100人は下らない。
その誰もが直立不動で観客席を見下ろしており、何かあればすぐに対処するぞと威圧を放っていた。
それを見て、立ち上がっていた白百合の会員達は全員、突然の事に立ち尽くすままとなった。
そんな彼女達を横目に、男性は、いや、ディさんは放送席に入り、マイクの前で両手を着く。
『先ずはこの試合を楽しみにしている観客の皆さん、並びに、このテレビをご覧になっている方々に、突然の無礼をお許しいただきたい。我々は陸軍特殊作戦群第三中隊。私はこの隊の指揮官である、陸軍大佐の一条であります』
陸軍大佐、それに一条の家名を聞いた途端。観客席から黄色い声が幾つも上がる。
同時に、白い顔で呆然と突っ立っていた白百合の会員達は、崩れるように席にお尻を打ち付けた。
一条家のネームバリュー。それに、ディさんの美貌が久遠母の異能力に打ち勝ったみたいだ。
その久遠母も、突然の急展開に動揺しているらしく、異能力発動が疎かになっていた。
ディさんがテレビと言っていたので、蔵人は視線をディさんから1階席に切り替える。すると、記者席にも軍人が配備されているのが目に入り、軍人達がカメラマンに向かって何か指示を出していた。
きっと、しっかりと撮影するように指導が入っているのだろう。
徐々に落ち着きを取り戻す会場に、ディさんの声が響く。
『皆さん。先ずは冷静になって頂きたい。貴女達の憤りが、誰によって引き起こさた物なのか。彼女の扇動に乗る事が、本当に正しい事なのかを考えて頂きたい。盲目的に異性を虐げようとするのは、過去の大戦で、男が女性達に対して行った蛮行と同じではないだろうか。我々は、その歴史を繰り返してはならない。今一度、冷静になってこの場を俯瞰して頂きたい』
「蛮行?何を言うかと思えば、とんだ世迷言を」
ディさんの演説に、久遠母の苛立った声が割り込んだ。
次いで、霞みつつあった彼女の異能力が勢いを取り戻し、再び会場を包みこもうとしていた。
「私達は白百合。清く正しい私達と、戦争に狂った男共を同列に並べる時点で間違っている!黒騎士を庇おうとするお前も、アグリアとなんら変わらない!」
『我々と敵対することが、何を意味するか分からんのか?』
ディさんは鋭く言い放つと、指を一つ鳴らす。
途端に、会場に広がっていた久遠母の魔力が消失し、感情を解放された観客達が久遠母の元に視線を集める。
蔵人もそちらを見ると、そこには1人の男性が立っていた。サンダルにタンクトップ姿で、頭には鉢巻きを巻いた縁日で見かけそうな壮年の男性だ。
男性は久遠母に右手を向けて、厳しい顔で彼女を睨む。
久遠母も、男性を汚らしい物を見るような目で見上げる。
「私の心理操作が消えた?何なのよ、お前」
「大会運営の川村だ。これ以上、子供達の邪魔はさせんぞ!」
どうやら、壮年男性…川村さんの異能力はディナキネシスの様で、久遠母が必死に力んでも異能力が発動する様子は無かった。
そんな彼女の元に2名の軍人が駆け寄って来て、彼女の手を後ろに回して拘束した。
痛がる久遠母は、自然とお辞儀するように体を前に倒し、顔だけ上げて川村さんを、そして放送席のディさんを睨み上げた。
それを、ディさんは受け止める。睨む彼女を見下ろして、高らかに声を上げる。
『黒騎士選手が何ら罪を犯していない事は、皆さんも知っての通りだ。ドーピングの事実など有りはしないと、大会の精密検査が証明している。しかし、そこに居る久遠氏はそれを無視し、自身の持論をあたかも正論であると嘯いている。彼女の持論は、自身の異能力を行使しなければ貴女達の賛同も得られない、ただの暴論でしかない!』
「そうよ!その通りよ!」
「選手はみんな、ドーピング検査をしているもの!」
「勝手に感情を操るなんて、なんて人なの!」
観客からも不満の声が上がり、ディさんに対してまばらな拍手も起こる。
ディさんに論破され、異能力も出せない久遠母は、ただ歯噛みするだけしか出来ない様子だった。
そんな彼女を一瞥し、ディさんは再び観客へと視線を戻した。
『彼女の暴論に惑わされないで欲しい。黒騎士選手は貴女達の敵ではなく、脅威と成る存在でもない。寧ろ、貴女達の希望と成り得る存在だ。この場に居る殆どの方々はCランクかBランクだろう。Aランクの魔力を持てるのは、一つまみの恵まれた者だけである。恵まれなかった人の中には、自分の生まれを呪い、強者を羨んだ者も少なくないのではないか?』
ディさんが観客席を見回すと、彼の意見に賛同する様に、小さく頷く人が幾人も見られた。
ディさんはそれを見て、彼女達に感謝するように小さく頷き返した。
『嘗て我々の先祖は、大戦で疲弊したこの国を復興させる為に、異能力の可能性に賭けた。膨大な魔力量こそが正義と謳う魔力絶対主義によって、人々は豊かな生活を築き、我々はそれを享受してきた。だが同時に、その思想は呪いとなって我々を蝕んでいる。魔力の量こそが全てであり、魔力の量によって人生が決まる。そんな歪な考えを、何故我々は受け入れているのか!私は、その思想こそが我々を不幸にしていると言っている。魔力絶対主義はその当時こそ有益な物であった。だが今では、魔力量による格差を生み出し、量ばかりを追い求める悪風を生み出しているのだ!我々は、この悪夢から脱するべきである!』
「「「おぉぉおおお…!」」」
ディさんは言葉を強め、右手の握りこぶしを高く振り上げた。
その姿に、観客達は驚きと期待の籠った声を返し、惜しみない拍手を送る。
彼に熱烈な視線を向ける観客達に対し、ディさんは暫く彼女達を見回す。
そして、そのままフィールドを見て、蔵人に真っ直ぐな視線を向けた。
髪色を変えたディさんだったが、彼の周囲を取り巻くオーラは初めて会った時と同じ、ヒリ付く程の濃度を携えていた。
彼は、固く握った右手を解き、それをそのまま蔵人に向ける。
『黒騎士選手は、その道を開く先駆者だ。思い返して欲しい、彼の功績を!少ない魔力量と、恵まれない異能力種でありながら、努力と技巧で並み居る強敵達と戦い、最強と称された皇帝選手までもを下した。
観客席の皆さま、そしてテレビをご覧の方々ならお分かりになる筈だ。これが黒騎士選手であると。恵まれぬ力と嘆くことなく、その力を磨き上げてここに到達した。そこに、魔力量の貧富の差は勿論、男や女と言った隔たりすら存在しない。彼は全ての障壁を貫いて、ここに立っている!』
「そうか!だから彼が希望なのか!」
「私達Cランクの希望の星ってことね!」
「頑張れ!黒騎士選手!」
「黒騎士君!負けないで!」
再び復活し始める黒騎士へのエール。加えて、蔵人にも多くの拍手が向く。
それを後押しするように、ディさんは観客に呼び掛ける。
『見守って欲しい。黒騎士選手の戦う姿を。彼が作る異能力界の未来を。魔力量ではなく、努力と技巧によって異能力の価値は決まる。彼が指し示すこの技巧主要論こそ、我々が歩むべき道なのだ!』
「「「うわぁああああああ!!!」」」
「「「くっろきし!くっろきし!くっろきし!」」」
観衆が、一気に沸き立つ。
一般客も、桜城の応援団も。晴明の応援団も、白百合の会員ですら歓声を上げる。
黄色い声、泣き声、歓喜の声。
様々な声が合わさり、入り乱れ、空気が割れんばかりの拍手が響き渡り、暗かった会場が光り輝いて見えた。
ディさんの異能力はテレポーターだ。だが、まるでマインドコントロールでも使ったかのように、観客は彼の言葉に心を動かされていた。
蔵人は、こちらに向けて拍手を送るディさんを見て、苦笑いをした。
全く、喰えない御人だ。
観衆の感情を持ち上げ、黒騎士をヒーローに押し上げただけでなく、ちゃっかり自身が推す思想まで売り込んでしまった。
流石は陸軍のエリート。流石は元王室の人間。
蔵人は、ディさんに向けて拍手を送り返しながら、そう思った。
今回の主人公は、ディさんでしたね。
「暴動の一歩手前まで来てしまったからな。学生では抑えられん。本職が出てくるのが当然だ」
しかし、よく助けに来てくれましたね。確か、行動を制限されているのですよね?
「その重しが、山籠もりに赴いてしまったからな」
あっ…。
これは、風早先輩がナイスアシストでしたね。
「……」